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安倍元総理一周忌に思う

安倍晋三元総理大臣が奈良市での街頭応援演説中に銃撃され、凶弾に倒れてから1年。8日には、東京・港区の増上寺で一周忌法要が営まれた。午前中の法要は、安倍昭恵夫人や親族のほか、岸田文雄総理をはじめ歴代総理、親交のあった政界・経済界の関係者のみで執り行われた。午後には我々国会議員にも焼香の機会が設けられたので、遺影にこうべを垂れ、手を合わせてきた。

 

境内に設けられた一般向けの献花台では、訪れた方々が次々と花を手向け、周囲に設置された安倍氏の生前のパネルの前で写真撮影をされる方も多かった。また、惨劇があった奈良市の近鉄西大寺前駅にも献花台が設けられ、朝から多くの方々が弔意を示したとも報じられている。

増上寺には約5,000人、奈良の現場には約4,000人の献花者が訪れたという。改めて安倍元総理の国民的人気の高さが偲ばれる。

 

私が初めて安倍さんに会ったのは1986年のこと。

当時自民党総務会長であった父君の安倍晋太郎先生が、タイのアジア工科大学院名誉工学博士の授与式に外遊された際に、当選したての新人議員として同僚とともに同行した時だった。

安倍さんは晋太郎先生の秘書として随行されていたが、当時はどちらかと言うと控えめな青年で、後の“闘う政治家”との印象は全くなかったと記憶している。

 

その後、晋太郎先生の死去に伴い後継者として衆院選に初当選されたのが1993年。私はその時の総選挙では、自民党を離党して「新党さきがけ」に所属していたので、接点はあまりなかったのだが…。

復党後の2005年のいわゆる郵政解散選挙で、若手のリーダーと言われメキメキ頭角を現していた安倍さんには、党幹部として加古川に応援に駆けつけていただいた。安倍さんはサラリーマン時代の初任地が神戸製鋼所加古川製鉄所だったので、街頭応援演説で駅前の焼鳥屋の話題などを懐かしそうにスピーチされたのを今も鮮明に記憶している。

 

仕事上での安倍さんとの思い出といえば、2018年の「公立小中学校等のクーラー設置」と2019年の「GIGAスクールの推進」の二つが思い起こされる。

これらのプロジェクトは時代の要請に応えたものなので、いずれは実現したであろうが、総理としての決断と指導力がなければ、ゆっくりとしか進まなかっただろう。

中でもGIGAスクールの推進は財務省の抵抗が強く、総理の強力な後押しがなければ、あのタイミングでの実現は難しかったと思う。結果論ではあるが、後のコロナ感染拡大による学校閉鎖などを考えると、本当にやっておいて良かったと思っている。

 

メディアでも報じられているが、安倍さんと生前に関係のあった人々をはじめ、多くの国民が様々な思いを馳せた7月8日であった。

一周忌にあわせて有志によって開かれた都内での集会で岸田総理は、1993年の初当選以来およそ30年にわたって親交を深めた思い出を語り、安倍さんの遺志を受け継ぎ我が国が直面するさまざまな課題の解決に全力を挙げる考えを強調された。

 

現政権が抱える政策課題には、憲法改正や拉致問題、防衛力の強化や自由で開かれたインド太平洋構想の推進など、安倍イズムを継承した案件が数多い。

一方で岸田総理は、自らが提唱する新しい資本主義の具体化やアベノミクスからの出口戦略など、そろそろ自らのカラーを前面に押し出した政策推進に力点を置いても良いのではないかと、私は思っている。

 

 

公立小中学校等のクーラー設置=近年、気候変動の影響により学校管理下において熱中症が多発。2018年度には全国で7,000件を超えた。2017年のクーラー設置状況は普通教室52.2%、特別教室(音楽室等)36.6%。それが2018年度補正で抜本的な設置加速を打ち出してから急速に改善。2022年9月現在、それぞれ95.7%と63.3%となっている。

 

GIGAスクール=全国の児童・生徒に1人1台のパソコンと、コミュニケーションツールとして高速大容量の通信ネットワークを一体的に活用整備する構想。2019年から導入され、コロナ禍でオンライン化の可能性が再確認された。教育現場が劇的に変貌しつつあり、海外からも「日本に倣え」と注目を集めている。

解散の大義

先週16日の衆議院本会議で、立憲民主党が提出した岸田文雄内閣不信任決議案の採決が行われた。泉健太代表による提案趣旨弁明は、防衛政策の戦略性欠如や防衛費大幅増額、子育て支援策の財源問題、マイナンバーカードを巡るトラブル等々、国民の不安を顧みない岸田政権の政治姿勢は政権を担当する資格がない、とするものであった。

採決では与党の自民・公明両党のほか、日本維新の会と国民民主党などの圧倒的反対多数で否決された。

 

内閣不信任決議案が提出されると他の審議はすべてストップし、その採決が最優先となる。憲法第69条は衆院で決議案が可決された場合、内閣は10日以内に衆院を解散しない限り、総辞職しなければならないと定めている。

かつて可決されたのは4回。1948年と53年の吉田茂内閣、80年の大平正芳内閣、93年の宮沢喜一内閣だ。いずれもドラマチックな展開で解散総選挙に至っている。

 

80年は野党が提出した決議案の採決に、党内反主流の福田派や三木派が欠席したため可決。憲政史上初の衆参同日選が行われ、そのさなかに大平総理が急死されたが、選挙結果は両院とも自民党が大勝した。

父・元三郎にとっては10回目の衆院選であったが、当時、肝臓を患い病床に伏していた。そのため、選挙が大嫌いだった私が父に代わって最前線で戦うことを強いられたのだった。ハプニング解散と名付けられたあの選挙がなかったら、その後の私の政治人生は無かったかもしれない。

 

93年は、政治資金や選挙制度改革を巡る自民党内の対立を受け、小沢一郎氏らが造反して賛成に回り不信任案が可決された。多数の離党者を出した自民党は総選挙で過半数を確保できず、非自民8党派による細川護熙連立政権が誕生。自社二大政党による55年体制に終止符が打たれた。

当時私は、仲間とともに秋に新党を結成すべく準備を水面下で進めていたが、急遽自民党を離党し、「新党さきがけ」の結党に参加して総選挙に臨んだ。あの時、不信任案可決という展開がなければ、その後の政局も大きく変わっていたかもしれない。

 

これらのケースのようにハプニングで不信任案が可決された場合はともかく、与党が議席の過半数を有する場合は粛々と否決すれば良いのであり、解散の必要はない。仮に解散を行うとすれば、それは憲法第7条に基づく天皇の国事行為ということだ。当然、それに値する大義が必要となる。大義とは国政を左右する政策転換に際して国民の信を問うということであり、不信任案提出自体は大義とは言えないだろう。メディア各社の調査でも、現時点での総選挙に肯定的な国民世論は高くない。強行していれば党利党略との批判は免れなかっただろう。

 

このコラムでも言及したが、私は現時点での解散には反対なので、今回の総理の判断は妥当だと考えている。

解散がなければ2年先の参議院選挙まで大型の国政選挙は行われない。国民から与えられた議席の重みを大切にして、この間に山積するこの国の課題解決に最大限の努力を行うべきである。岸田総理には政権延命に捉われることなく、この国の未来への責任を果たすべく、リーダーシップを発揮してほしい。

異次元の少子化対策

1日に開催された“こども未来戦略会議”で、政府は少子化対策の基本理念と今後3年間の集中的な取組「加速化プラン」の案を有識者会議に示した。プランの柱となる児童手当については、所得制限を撤廃した上で対象を高校生まで拡大し、0歳から3歳未満は1人あたり月額1万5000円、3歳から高校生までは1万円を支給するとし、第3子以降は高校生まで年齢にかかわらず月額3万円に増額する方針だ。そのほか、保育所の入所要件の緩和、出産支援の強化や育児休業給付の充実なども明記されている。

 

一方で必要となる財源については、▽社会保障の歳出改革に加え、社会全体で負担する新たな支援金制度の創設などで2028年度までに確保するとし、▽制度が整うまでに不足する分は一時的に「こども特例公債」を発行して賄うとしている。徹底した歳出改革などを通じ、国民に実質的に追加負担が生じないようにするとのことだが、果たして、そんなことが可能なのだろうか!?いささか疑問である。

 

政府案を受けて、党本部で少子化対策を議論する合同会議が開催された。多くの議員の出席で一番大きい会議室が満杯となり、この問題への関心の高さが窺われた。

会議では「社会保障費の削減はすでに限界であり、国民生活に影響が出る恐れがある」「国民負担を極力避けるために新たな国債を発行すべきだ」「財源は必ず明らかにしなければならず、社会保険料をどうするかなど一定の議論の方向性を発表すべきだ」「将来的な増税の要否を議論すべきだ」等々の意見が出されたが、最終的に今後の対応は茂木敏充幹事長や萩生田光一政調会長らに一任することとなった。

 

以前にもコラムで言及したが、今回の政府案は育児期の経済支援に重点が置かれており、教育対策が全く不十分であると考えている。党内からの提言では、「教育費負担の軽減」と「公教育の再生」の2つの柱を提案したが、加速化 プランではほんの一部が記載されたのみである。

「公教育の再生」については、理念部分で「質の高い公教育を再生することが、基礎的な教育に関わる子育て、家庭の負担減にもつながる。このため、公教育の再生にむけた取り組みを着実に進めていくことが必要である」と言及されているものの、具体的な対策は記述されていない。

「教育費の負担軽減」も奨学金や授業料免除の拡充策は示されているものの、大学授業料後払い制度(仮称)の対象が修士段階に限定されている。これでは全く不十分であり、本命ともいえる学部段階への導入にも明確にコミットしなければ、異次元の対策にはほど遠い。

 

教育投資は、岸田総理が掲げる新しい資本主義の柱の一つ “人への投資”そのものだ。有能な人材の活躍が、将来の経済発展や所得増大をもたらし、ひいては税収増につながる。そういう長期的視点に立って、戦略的に政策を立案し、推進していくべきだはないだろうか。

 

コロナの影響があったとは言え、このままでは2030年に入ると我が国の若年人口は現在の倍速で急減を始め、少子化はもはや歯止めの効かない状況になる。これからの6~7年が、少子化傾向を反転できるかどうかのラストチャンスである。

国民の理解と協力がなければ、この危機は乗り越えられない。そのためにも与野党の垣根を越えて議論し、解決策を提案していかなければならない。

それが国民から負託を受けて国政に参加する我々政治家に課せられた「未来への責任」だ。

 

G7広島サミット

19日から広島で開催された今年のG7サミット。激戦が続くウクライナから大統領が来日したことにより、例年以上に世界の脚光を浴びた。「広島から核廃絶と世界平和を呼びかける」との岸田文雄総理の思いは、ゼレンスキー大統領の出席で、より力強いメッセージとなり発信された。

 

国際秩序に混乱をもたらしているロシア、中国に対してG7諸国が結束して対抗していくことは従来からの方針であるが、今回の会合でF16のウクライナへの供与をはじめ、一歩踏み込んだ合意形成が図られた。

それ以上に重要なのは、招待国として参画していたグローバルサウスの指導者たちとゼレンスキー大統領の個別対話により、ウクライナ問題について中立的な立場をとってきた新興国・途上国の理解が深まったことである。

 

なかでも注目されたのはインドの対応だ。インドとロシアは経済面でも軍事面でも深い関係にあり、3月の国連総会でのロシア非難決議も棄権した。そんなインドとウクライナがトップ会談を行うことは極めて難しい状況であったが、G7サミットという場があったからこそ可能となった。モディ首相は「ウクライナで続いている戦争は世界全体にとって大きな問題だ。経済や政治にとどまらず、人道的な問題だと私はとらえている」と述べたうえで、「インド、特に私は個人レベルで解決のためにできることは何でもする」と、ゼレンスキー大統領に伝えとされている。

 

19日にはG7メンバーが平和記念公園の原爆資料館を視察し、その後、原爆慰霊碑にそろって献花し、犠牲者に祈りをささげた。21日には、インドや韓国、ブラジルなど招待国の首脳ら、そしてゼレンスキー大統領も同様に祈りをささげた。その姿に深い感銘を覚えたのは私だけではないだろう。

各国首脳が核爆弾の使用が如何なる惨禍を引き起こすかを広島の地で共有し、世界にその不使用を発信することは、核兵器使用に対する大きな抑止力となるにちがいない。

 

この他にも、G7広島サミットでは、気候変動への対応、食料安全保障の確立、感染症危機への枠組み創設、信頼できるAIへの目標設定など、数多くの政策方針に関する合意が得られた。

様々な成果があった首脳会合だが、共同声明が実現されなくては何の意味もない。参加各国、とりわけ議長国である日本には大きな責任がある。岸田総理のリーダーシップのもと、しっかりと声明の具体化を図り、それを実行していかなくてはならない。

 

話は変わるが、サミットが終わった直後から、メディアの紙面で「解散」の文字が躍っている。

総理は「今、重要な政策課題に結果を出すことを最優先で取り組んでいる。解散・総選挙については考えていない」と答えているが、これだけはその時になってみないとわからない。

私は現時点では解散総選挙は行うべきでないと考えている。今はまだやるべきことが山積している。

骨太の方針

4月29日から始まった今年のゴールデンウィーク。コロナ禍で3年間見られなかった「日本民族大移動」の光景が新幹線の駅や空港に戻ってきた。近場指向と言われた今年だが、全国各地の繫華街や行楽地の人手が、コロナ前を上回る賑わいをみせていた。

激減していた海外からの旅行客も順調に復調している。姫路駅のホームも、世界遺産「国宝姫路城」を訪れた海外からの観光客が数多く見られた。新型コロナの感染症法「5類」移行を前に、国民生活は確実に平時に戻りつつあることが実感された黄金週間だった。

 

大型連休が終わると、永田町では6月に取りまとめられる骨太方針にむけて、来年度予算を含む今後の政策の方向性を決定する議論が本格化する。今年の主役は少子化対策だ。

すでに3月末に小倉將信少子化大臣によるたたき台が発表され、政府による基本的な方針は示されているものの、子ども手当の規模や所得制限など、提案されている政策の具体的な制度設計や行程表、財源についての議論はこれからだ。

政府は4月7日立ち上げた「こども未来戦略会議」のもとで議論を重ね、個別施策の内容や財源の大枠を示す考えだ。

 

ただ、たたき台に掲げられている児童手当の所得制限の撤廃をめぐっては、複数の委員から疑問の声があがっているほか、財源論についても多くの発言が飛び交っている。

政府・与党内で公的医療保険など社会保険料の引き上げ案が浮上している一方、経済界や労働団体は現役世代への負担集中を警戒し、消費税を含む幅広い税財源の検討を求めている。 他方、自民党「こども・若者」輝く未来創造本部長の茂木敏充幹事長は「増税や国債は想定せず、歳出削減の徹底や既存の保険料収入の活用でできる限り確保」と方針を示した。

 

加藤勝信厚労大臣は「社会保険料は医療、年金、介護といった、それぞれの目的に即して負担を定めており、例えば年金の財源を子ども政策に持っていく余地はない。社会保険料方式なのか税なのか、やるべき施策を含めてよく議論したい」と述べている。また小倉少子化相は、「首相は『消費税は当面触れない』と言っているが、それ以外は『慎重な検討を要する』とし、国債も含め、あらゆる財源の議論を排除しない」と言及した。

 

私は、国債は繋ぎ財源にすぎないし、経済が確実に成長軌道に乗るまでは社会保険料拡大や消費税増税も控えるべきだと考える。が、今後の日本の人口動態を考慮すれば、将来の税の在り方の議論は避けて通れないだろう。もちろん、少子化対策をはじめとする政策が功を奏し、経済成長をもたらすことによって、消費税、所得税等の税収が増大することが最も望ましいことは間違いない。

 

いずれにせよ、国民の理解と協力は欠かせない。「出生数はなぜ長期にわたって減少を続けているのか」をしっかり分析し、その改善に有効な対策を絞り込み(所得制限の要否も含め)、そのうえで政策実行に必要な財源を確保していかなくてはならない。時間は限られているが、日本の未来を見据えて、責任ある議論が求められている。

AI新時代

2022年11月に米国のOpenAI社が提供を開始したChatGPTは、全世界に大きな衝撃を与えた。誰でも簡易に高度な人工知能(AI)の恩恵を受けられる時代が到来したのだ。

その計り知れない影響について、「これまでのホワイトカラーの仕事のほぼすべてに影響が出る可能性が高い」「AIを使い倒しコンテンツが無限に生み出される時代に」「内燃機関、半導体、インターネットの発明に匹敵するようなことが爆発的な速度で起きている」など、数多くの意見が出されている。

 

日常生活やビジネスにおけるAIの使用場面は爆発的に増えている。年々進化を続けるAIにより、生産性が急速に向上し、働き方が劇的に変化し、言語の垣根が低くなるなど、様々な社会経済システムの前提条件が根本的に変わろうとしているのだ。

そして、数か月で世界を席巻したChatGPTの威力は、まさしく「AI新時代」の幕開けを示している。一昔前は、「単純な作業はコンピュータに任せ、人間は創造的な仕事に取り組もう」と唱えられていたが、今や「創造的な業務」もAIが代替してくれるようになろうとしている。文章の添削や要約をはじめ、アイディアの提案、科学論文の執筆、プログラミング、画像生成に至るまで、新しい使われ方が次々に生まれている。

 

一方、AIも万能ではない。データ等に起因する誤りやバイアスの問題に加えて、画像生成や音声合成などの技術進歩により、真贋の判別が困難な高度なフェイク情報の拡散など悪用のリスクも高まっていくことが危惧されている。AIを用いたプライバシー侵害サイバー攻撃や軍事利用の懸念なども深刻化している。

こうしたリスクはAIの進化と普及に伴って拡大しており、欧米諸国では、AIの開発促進と並行して規制論議も加速している。例えばEUでは、2019年頃より、AIによる人権や人の健康・安全等のリスクを4分類し、リスクの程度に応じて規制を行うべく法案作成が進められてきた。米国でも同様に、AIによる人権侵害や安全保障上のリスクを念頭に置いた規制法案の検討が行われている。

その過程で、EUと米国は連携・協力しながら、同じ価値観に基づき、相互乗り入れしやすい法制度を志向し始めた。AIの開発や利活用に国境はない。国際的な規制システムとの乖離は日本のAI市場の孤立を招く。我が国も早急にこの議論に加わるべきだ。

 

来る29、30日に群馬県高崎市で開かれる先進7カ国(G7)デジタル・技術相会合では、対話型人工知能(AI)「チャットGPT」などへの懸念を念頭に、文章や画像を自動でつくる生成AIの「潜在的な影響力の分析や研究の加速化」を提唱するとともに、「AIガバナンスの推進」を揚げ、適切な利用に向けた行動計画の策定も目指すといわれている。

適正なルールのもとでAIが更に進化することにより、人類に豊かな未来をもたらすことを期待し、G7の議論を見守っていきたい。

 

六甲おろし

WBC(ワールド・ベースボール・クラッシク)準決勝戦で、絶不調だったヤクルトスワローズ村上選手の逆転サヨナラ打で劇的な勝利をした侍ジャパンは、決勝戦でもアメリカに競り勝ち、3大会14年ぶりに念願のワールドチャンピオンに返り咲いた。3月23日朝、リアルタイムで届いた明るい知らせに、野球ファンのみならず日本中が歓喜に沸いた幸せなひとときであった。

 

その余韻が冷めやらぬ31日(日本時間)、今年のメジャーリーグのシーズンが開幕、WBCでMVPに輝いた大谷翔平選手は、昨年に引き続いて開幕投手を務めた。6回無失点、10奪三振を奪う好投を見せたが、大谷選手の降板後にエンジェルスは逆転され、今年も勝利投手にはなれなかった。今シーズンのさらなる活躍を期待したい。

 

時を同じくして、セントラルリーグのペナントレースが始まった。

思い起こせば、昨年の阪神タイガース。オープン戦は12勝4敗3分と好成績で期待を持たせたのだが、思いもよらず悲惨なスタートとなった。

ことの始まりは開幕戦。前年優勝のスワローズを相手に、試合前半に猛虎打線が火を噴き4回終了時に8対1と大きくリードし、「今年の阪神は行ける!」と、多くの虎ファンが思ったのだが・・・。終盤に大逆転され、終わってみれば8対10と負け試合。その後3カード続けて3連敗と、セリーグワースト記録を更新してしまった。

 

10試合目に初勝利して連敗はストップしたものの、その後も負けが続き、4月半ばには借金14と負けが重なっていた。

そんな昨シーズンであったが、終わってみれば最終成績68勝71敗4分の3位となり、クライマックスシリーズ進出するまで浮上。ファーストステージで2位のDeNAに勝利しファイナルステージまで駒を進めた。

 

結局、首位のスワローズに敗れ日本シリーズには参戦できなかったが、もし日本シリーズに進出し勝利していたら、シーズン中に負け越したチームが日本一になり、大いに疑問が残る結果になったと言えただろう。

シーズン成績3位までがクライマックスシリーズに出られる現在のルールは、3位以内かつ勝率5割以上と改めるべきと考えるのだが、いかがなものだろうか?

 

2類相当の新型コロナウイルス感染症は、ゴールデンウイーク明けから季節性インフルエンザなどと同じ5類へと引き下げられることが決定されている。

野球観戦においては、既に2月23日のオープン戦からマスク非着用入場OK、声出し応援もOKとなっている。

紫紺の優勝旗を目指して球児たちにより連日熱戦が繰り広げられている選抜高校野球大会でも、アルプススタンドに陣取った応援団にもいつもの声援が戻ってきた。

 

高校野球が終わって来週7日には、聖地甲子園に我らが阪神タイガースが帰ってくる。コロナウイルス感染拡大の影響もあり、ここ3年間は甲子園での野球観戦も実現していないのだが、今年は何とか時間を見つけて本場の“六甲おろし”を生で聴きたいものだ。

 

ちなみに、今シーズンの阪神タイガースは、開幕戦3連勝と好発進。気の早いトラキチから「今年こそ優勝だ」との声が聞こえてきそうな、今年の野球シーズンの幕開けだ。

あれから30年

“新党さきがけ”結党時の代表で、細川護熙内閣の官房長官や村山富市内閣の大蔵大臣などを歴任された武村正義先 生が、昨年9月28日に逝去された。報道で流れたのは10月1日で、葬儀はすでに近親者のみで執り行われたとのことだった。

昨年末には、先生のふるさと滋賀県で「お別れの会」が開催されたのだが、多くの方々から東京でも弔意を表す機会をとの声が寄せられた。これを受けて私と枝野幸男衆議院議員、前原誠司衆議院議員が呼びかけ人となり、2月15日に「武村正義先生お別れの会」を開催することになった。会場となった霞山会館は国会議事堂や霞が関の官庁街が眼下に広がる37階に位置し、国事に奔走された先生ゆかりのロケーションであった。

当日は、武村さんと親交があった与野党の政治家や、新党さきがけ結成時からの事務所スタッフ、担当記者など、80人余もの方々に参加いただき、故人をしのび会場は大いに盛り上がった。呼びかけ人としての立礼の際には、多くの方々から「開催していただいて、ありがとう」とか、「連絡していただいて、ありがとう」との感謝の言葉をいただいた。やって良かったと改めて実感した。

私が武村さんと初めてお会いしたのは、1986年の衆議院選挙で初当選した直後のこと。当時所属していた清和会(安倍晋太郎会長、現:清和政策研究会)の議員総会で、新人会員として紹介を受けた時だった。

滋賀県知事として、琵琶湖の赤潮問題で水質汚染を防ぐために日本初の合成洗剤追放条例(琵琶湖条例)や、風景条例などの環境保全条例を制定するなど、実績、知名度ともに高かった武村さんは、当選同期の中でもリーダー的存在だった。

それから2年後の1988年、リクルート事件が発覚した。当時の派閥の会長をはじめ与野党の多くの政治家や官僚、経済人、マスコミ関係者などを巻き込んだ特大クラスの疑獄事件に発展した。

国民の政治不信が広がるなか、武村さんの呼びかけで当選一回の有志により、「政治とカネ」「どうすれば汚職がない政治が実現できるのか」といった政治改革の勉強会が結成された。 “ユートピア政治研究会”である。これが、後に“新党ささきがけ”へと発展していくことになる。

その“新党さきがけ”誕生(1993年6月21日)から、早や30年が経過しようとしている。

お別れの会では、再会を果たした仲間たちが、満面の笑みを湛えられた武村さんの写真に献花し、和やかに思い出を語り合った。

さきがけ結党時の記者会見を取材した担当記者は、「みんな最高の笑顔をしていた」と、その時の印象を披露された。そんなエピソードを聞きながら、様々な出来事が私の中でフラッシュバックしていた。

30年の歳月を経て、政治は我々が目指した方向に進展したのであろうか?

最近の世論調査では無党派層が増加しつつある。支持政党なしが58.4%との数字さえある。これは政治に関する国民の関心(期待?)が著しく低下していることを示す指標ではないだろうか。国民の間で政治不信が広がっていると言う点では、30年前と状況が似ているとも言える。

武村さんなら、今の政治状況をどのように捉え、どんな行動をするのだろう?

30年前の初心に帰って、いま一度政治の信頼回復に汗をかかなければならない。そんな思いを新たにした。

存在意義

1月23日に召集された通常国会。施政方針演説に対する各党代表質問では、安全保障や原発を巡る政策転換に加え、物価高や賃上げ、少子化対策など、多岐にわたる議論が展開された。週明けから行われている予算委員会でも、これらの課題に関して、さらに詳細な議論が展開されている。いずれも重要な課題であるが、私が最も注目しているのは少子化対策である。そしてこの政策に関して、岸田文雄総理の教育への言及が少ないことが気がかりだ。

総理は年頭の記者会見で、“異次元の少子化対策”に挑戦すると述べ、①児童手当を中心に経済的支援の強化、②児童教育や保育サービスの強化など子育て支援サービスの拡充、③女性の働き方改革の推進の3つの対策の基本的な方向性を打ち出した。具体策は、本年4月に発足するこども家庭庁の下で、6月の骨太方針までに将来的なこども予算倍増に向けた大枠を提示するとし、小倉將信少子化対策大臣に検討を指示した。ただ、教育については、幼児教育に触れられたのみである。

また、施政方針演説では、「こども・子育て政策」を最重要政策と位置付け、待ったなしの先送りの許されない課題と言及。こどもファーストの経済社会を作り上げ、出生率を反転させなければならないとの強い意欲を表明した。しかし、教育について唯一言及があった「高等教育の負担軽減に向けた出世払い型の奨学金制度の導入」は、既に規定路線として制度設計が進んでおり、これだけで“異次元の少子化対策”とは到底言えるものではない。

我が国の出生率が著しく低下している要因の一つ、若い夫婦が子どもを産み育てることを躊躇する最大の要因は、子育てに必要な莫大なコストである。なかでも青年期の教育費が大きな経済負担となっていることは、各種アンケートでも明らかだ。

過去の対策は効果が薄かったとして“異次元の少子化対策“を唱えるのであれば、乳幼児期から青年期まで、子どもの発達段階に応じた教育費負担の現状と、その軽減策がもっと詳しく議論されなければならないのではないか?と考えるのは、私一人ではないと思う。

現行の少子化対策の検討で教育が手薄になっているのは、政府の子ども政策の議論が4月に発足する子ども家庭庁を中心に行われていることが原因と考えられる。こども家庭庁は、これまで文部科学省、厚生労働省、内閣府などが所管していた子どもを取り巻く行政事務を集約することになる。ただ、教育行政については、業務によっては共管となったものもあるが、ほとんどが文部科学省所管と整理された。こども家庭庁所管業務を中心に少子化対策が議論されれば、教育問題が軽視されるのは自明である。

1月19日に開催された「こども政策の強化に関する関係府省会議」には、文部科学省の3局長(総合教育政策局、初等中等教育局、高等局)もメンバーとして参加しているが、熱意が全く伝わってこない。少子化問題の核心とも言える“莫大な子育て経費”の主因である教育行政を所管する文部科学省には、政策官庁としての「存在意義」が問われている。危機感を持って全省をあげて少子化対策に取り組んで欲しいと思う。

前号でも言及したが、人口減少という国家存亡の危機にあって、国会では党利党略を超えた政策論争を行い、有効な解決策を合意する。そんな質疑を繰り広げて欲しいと思う。国民の代表として付託を受けた、我々国会議員の「存在意義」が問われているといっても過言でない。

未来への責任

3年ぶりに行動制限のない新年を迎えてから早や半月、人々の間にも日常生活が戻りつつある。年末年始の人の移動によるコロナウイルスの感染拡大はピークを迎えた感もあるが、死亡者数は14日に過去最高の503人を記録した。病床もひっ迫しており、引き続き警戒が必要だ。感染力がより高まった派生型“XBB.1.5”の日本上陸も懸念材料である。

そんな中、23日に令和5年度通常国会召集される。当初、岸田総理のダボス会議(16~20日)出席をめざし、27日召集案も検討されたようだが、来年度予算の年度内成立を期すために早まったらしい。毎度の内政重視だが、G7議長国として岸田外交と経済政策の方針をダボスで披露しても良かったのではないだろうか?

当面の国会運営は、4月に統一地方選挙が待ち受けていることもあり、予算案の議論が最優先となるだろう。ただ、安全保障政策や原子力政策の見直しに基づく、中長期の事業計画など、議論すべき重要課題は山積している。

その一つが「少子化対策」である。

岸田総理は年頭の記者会見で「異次元の少子化対策に挑戦する」と言及した。また、東京都の小池知事も年頭挨拶で0~18歳の都民に月5千円を給付する方針を表明した。

言うまでもなく少子化と人口減少はここ十数年来の政策課題である。地方創生の名のもとに全国の自治体が人口ビジョンを策定し、様々な対策を実施してきた。にもかかわらず、首相と都知事が期せずして年頭にこの問題を取り上げた要因は、2022年の出生数が77万人台になるという衝撃的な発表だ。

我が国の出生数は第2次ベビーブームの1973年に209万人を記録して以降、ほぼ一貫して減少傾向にある。ただ、77万人台は政府の従来の予測より11年も早い。コロナ禍による影響もあろうが、ここにきて明らかに少子化は加速している。

これまでの政府の推計では、日本の人口は2053年に1億人を割り込むとされてきたが、実際にはもっと早まりそうだ。現在のペースで減少が進めば2060年に8000万人を割り込む可能性もある。1950年頃の人口規模に戻るということである。

英独仏などヨーロッパの主要国の人口は数千万人であり、少々の人口減は恐れる必要はないとの考え方もあるだろう。しかし、急速な減少は経済力の急減を招き、国民生活に様々な悪影響をもたらすことは確実である。

一刻も早く対策を講じなければならない。これは、誰の目にも明らかである。

ただ、人口を上昇傾向に転換させるのは容易ではない。人口を維持するだけでも合計特殊出生率(※)2.07が必要だ。G7先進国でこの値をクリアしている国はない。最も高いフランスでも1.82だ。我が国の現状は1.33である。

もちろん可能性ゼロではない。私が生まれた第一次ベビーブームのころ、4~5人の兄弟姉妹は珍しくなかった。将来の教育費の心配など、考えることもなかった時代だ。考えなくてもよいシステムを導入するのも一案だ。

フランスでは、家族が多い(子どもをたくさん産む)ほど税金が軽減される制度で、急速に出生数を改善させた。課税単位を「家族」に切り替えるだけで効果があるという例だ。

人口減少対策を急ぐのであれば、移民政策の見直しにも踏み込む必要がある。事実ヨーロッパの出生数改善に寄与したのは移民である。米国の人口拡大を支えているのも移民である。

政府は新たな会議を立上げ、3月末までに少子化対策のたたき台をまとめる方向だ。更に、6月に策定される「骨太方針2023」までに子ども予算倍増にむけた大枠を示す考えも表明している。党内においても、少子化対策調査会で、これまで以上に議論が活発になると予想される。

この種の議論は決して政争の材料にすべきではない。自民党内や与党内の議論に終始することなく、党派を超えた議論が行われるべきである。

国家存亡の危機にあって、党派を超えて議論し解決策を実現する。それが国民の代表として国政に席を持つ我々国会議員の「未来への責任」だ。

※一人の女性が一生の間に産む子どもの数