解散の大義

先週16日の衆議院本会議で、立憲民主党が提出した岸田文雄内閣不信任決議案の採決が行われた。泉健太代表による提案趣旨弁明は、防衛政策の戦略性欠如や防衛費大幅増額、子育て支援策の財源問題、マイナンバーカードを巡るトラブル等々、国民の不安を顧みない岸田政権の政治姿勢は政権を担当する資格がない、とするものであった。

採決では与党の自民・公明両党のほか、日本維新の会と国民民主党などの圧倒的反対多数で否決された。

 

内閣不信任決議案が提出されると他の審議はすべてストップし、その採決が最優先となる。憲法第69条は衆院で決議案が可決された場合、内閣は10日以内に衆院を解散しない限り、総辞職しなければならないと定めている。

かつて可決されたのは4回。1948年と53年の吉田茂内閣、80年の大平正芳内閣、93年の宮沢喜一内閣だ。いずれもドラマチックな展開で解散総選挙に至っている。

 

80年は野党が提出した決議案の採決に、党内反主流の福田派や三木派が欠席したため可決。憲政史上初の衆参同日選が行われ、そのさなかに大平総理が急死されたが、選挙結果は両院とも自民党が大勝した。

父・元三郎にとっては10回目の衆院選であったが、当時、肝臓を患い病床に伏していた。そのため、選挙が大嫌いだった私が父に代わって最前線で戦うことを強いられたのだった。ハプニング解散と名付けられたあの選挙がなかったら、その後の私の政治人生は無かったかもしれない。

 

93年は、政治資金や選挙制度改革を巡る自民党内の対立を受け、小沢一郎氏らが造反して賛成に回り不信任案が可決された。多数の離党者を出した自民党は総選挙で過半数を確保できず、非自民8党派による細川護熙連立政権が誕生。自社二大政党による55年体制に終止符が打たれた。

当時私は、仲間とともに秋に新党を結成すべく準備を水面下で進めていたが、急遽自民党を離党し、「新党さきがけ」の結党に参加して総選挙に臨んだ。あの時、不信任案可決という展開がなければ、その後の政局も大きく変わっていたかもしれない。

 

これらのケースのようにハプニングで不信任案が可決された場合はともかく、与党が議席の過半数を有する場合は粛々と否決すれば良いのであり、解散の必要はない。仮に解散を行うとすれば、それは憲法第7条に基づく天皇の国事行為ということだ。当然、それに値する大義が必要となる。大義とは国政を左右する政策転換に際して国民の信を問うということであり、不信任案提出自体は大義とは言えないだろう。メディア各社の調査でも、現時点での総選挙に肯定的な国民世論は高くない。強行していれば党利党略との批判は免れなかっただろう。

 

このコラムでも言及したが、私は現時点での解散には反対なので、今回の総理の判断は妥当だと考えている。

解散がなければ2年先の参議院選挙まで大型の国政選挙は行われない。国民から与えられた議席の重みを大切にして、この間に山積するこの国の課題解決に最大限の努力を行うべきである。岸田総理には政権延命に捉われることなく、この国の未来への責任を果たすべく、リーダーシップを発揮してほしい。