安倍元総理一周忌に思う

安倍晋三元総理大臣が奈良市での街頭応援演説中に銃撃され、凶弾に倒れてから1年。8日には、東京・港区の増上寺で一周忌法要が営まれた。午前中の法要は、安倍昭恵夫人や親族のほか、岸田文雄総理をはじめ歴代総理、親交のあった政界・経済界の関係者のみで執り行われた。午後には我々国会議員にも焼香の機会が設けられたので、遺影にこうべを垂れ、手を合わせてきた。

 

境内に設けられた一般向けの献花台では、訪れた方々が次々と花を手向け、周囲に設置された安倍氏の生前のパネルの前で写真撮影をされる方も多かった。また、惨劇があった奈良市の近鉄西大寺前駅にも献花台が設けられ、朝から多くの方々が弔意を示したとも報じられている。

増上寺には約5,000人、奈良の現場には約4,000人の献花者が訪れたという。改めて安倍元総理の国民的人気の高さが偲ばれる。

 

私が初めて安倍さんに会ったのは1986年のこと。

当時自民党総務会長であった父君の安倍晋太郎先生が、タイのアジア工科大学院名誉工学博士の授与式に外遊された際に、当選したての新人議員として同僚とともに同行した時だった。

安倍さんは晋太郎先生の秘書として随行されていたが、当時はどちらかと言うと控えめな青年で、後の“闘う政治家”との印象は全くなかったと記憶している。

 

その後、晋太郎先生の死去に伴い後継者として衆院選に初当選されたのが1993年。私はその時の総選挙では、自民党を離党して「新党さきがけ」に所属していたので、接点はあまりなかったのだが…。

復党後の2005年のいわゆる郵政解散選挙で、若手のリーダーと言われメキメキ頭角を現していた安倍さんには、党幹部として加古川に応援に駆けつけていただいた。安倍さんはサラリーマン時代の初任地が神戸製鋼所加古川製鉄所だったので、街頭応援演説で駅前の焼鳥屋の話題などを懐かしそうにスピーチされたのを今も鮮明に記憶している。

 

仕事上での安倍さんとの思い出といえば、2018年の「公立小中学校等のクーラー設置」と2019年の「GIGAスクールの推進」の二つが思い起こされる。

これらのプロジェクトは時代の要請に応えたものなので、いずれは実現したであろうが、総理としての決断と指導力がなければ、ゆっくりとしか進まなかっただろう。

中でもGIGAスクールの推進は財務省の抵抗が強く、総理の強力な後押しがなければ、あのタイミングでの実現は難しかったと思う。結果論ではあるが、後のコロナ感染拡大による学校閉鎖などを考えると、本当にやっておいて良かったと思っている。

 

メディアでも報じられているが、安倍さんと生前に関係のあった人々をはじめ、多くの国民が様々な思いを馳せた7月8日であった。

一周忌にあわせて有志によって開かれた都内での集会で岸田総理は、1993年の初当選以来およそ30年にわたって親交を深めた思い出を語り、安倍さんの遺志を受け継ぎ我が国が直面するさまざまな課題の解決に全力を挙げる考えを強調された。

 

現政権が抱える政策課題には、憲法改正や拉致問題、防衛力の強化や自由で開かれたインド太平洋構想の推進など、安倍イズムを継承した案件が数多い。

一方で岸田総理は、自らが提唱する新しい資本主義の具体化やアベノミクスからの出口戦略など、そろそろ自らのカラーを前面に押し出した政策推進に力点を置いても良いのではないかと、私は思っている。

 

 

公立小中学校等のクーラー設置=近年、気候変動の影響により学校管理下において熱中症が多発。2018年度には全国で7,000件を超えた。2017年のクーラー設置状況は普通教室52.2%、特別教室(音楽室等)36.6%。それが2018年度補正で抜本的な設置加速を打ち出してから急速に改善。2022年9月現在、それぞれ95.7%と63.3%となっている。

 

GIGAスクール=全国の児童・生徒に1人1台のパソコンと、コミュニケーションツールとして高速大容量の通信ネットワークを一体的に活用整備する構想。2019年から導入され、コロナ禍でオンライン化の可能性が再確認された。教育現場が劇的に変貌しつつあり、海外からも「日本に倣え」と注目を集めている。