政治と科学

「日本学術会議」の会員任命をめぐる総理の判断が物議を醸している。この会議は日本の科学技術を代表する機関であり、政府からの独立して職務を行う。法的には会員の任命は、会議が候補者を選考、推薦し、その「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」こととされている。会員の任期は6年、3年毎に半数が改選される。今回の改選分105人について菅総理は1日付けで、会議が推薦した新会員候補のうち6人を任命しなかったのだ。

この決定を受けて学術会議は、緊急に協議し、任命されなかった理由説明と改めて6人の任命を求める文書を総理大臣宛に提出した。

日本学術会議は科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的に、昭和23年(1948)に日本学術会議法が公布され、設立された。

かつて会員は科学者による選挙で選ばれていたが、昭和58年(1983)の法改正で登録学術研究団体を基礎とした推薦制が採用された。しかしこの手法では、団体代表が充て職のような形で会員となる例が散見されたため、再び平成16年(2004)に制度改正され、今日のように学術会議自体が会員候補者を選考する形式となった。

2日夕刻、総理は官邸を出る際に記者団に「法に基づいて適正に対応した結果だ」と述べているが…。任命手続きにおける総理の裁量権の有無については様々な意見がある。

確かに「会員の人事等を通じて一定の監督権を行使するということは法律上可能」かもしれない。しかし、推薦制を導入した昭和58年の法改正審議の際、政府は「学会の方からの推薦いただいたものは拒否しない。形だけの任命をしていく」と参議院の文教委員会で答弁しているのだ。

この経緯からすれば、今回の決定はこれまでの政府見解の変更となるので、変更理由の丁寧な説明が求められる。同時に、総理には6人を推薦しなかった理由についても説明責任がある。そうでなければ、科学者と政治の信頼関係を築くことはできず、科学的根拠による政策決定の実現に支障をきたすだろう。

一方で、この会議に毎年10憶円規模の国費を投じている以上、国民から選ばれた政治家による政治判断があってしかるべきだろうとの意見もある。これにも一理あるが、政治判断を行うのであれば、法令の改正も視野に入れる必要があるかもしれない。

新型コロナウイルス感染症対策を通じ、我々は政策決定における科学の役割の重要性を再認識した。国民の理解を得るうえでも、これからの政策決定にはエビデンス(証拠・根拠)に基づく科学的考察が必須である。そんな背景を受けて、私が会長を務めている党の科学技術・イノベーション戦略調査会の基本問題小委員会では、科学的根拠に基づく政策決定を実現するための議論を開始したばかりだ。日本を代表する科学者による政府の諮問機関である日本学術会議の在り方も、今後の中心的な検討課題の一つである。例えば、防衛技術と民生技術のボーダレス化に伴うデュアルユース研究などについては、考え方にかなり隔たりがあり、率直な意見交換を行いより良い関係を築こうと考えていた矢先での、今回の出来事である。議論に影響がなければよいのだがと、心配している。

“国民のために仕事をする内閣”と銘打ってスタートした菅内閣。着任早々総理は各閣僚に次々と具体的な改革方針の指示を出している。学術会議会員の任命方式の改変も、既存制度改革に向けた挑戦ということだろうか。

そうであれば、なおさら国民に分かりやすい対応が望まれる。行政手続きのデジタル改革、遠隔診療等の規制改革といった課題対応をスピード感をもって実行するためにも。

 

【デュアルユース】
科学技術は軍事利用と民間利用の境界はない。多くの国は、安全保障上の役割を理由に政府支援を実施している。学術会議は防衛省への科学技術協力を「軍事研究」として拒否。しかし、9割が軍事利用されると言われるレーザー技術に関するわが国のセミナーは他国の研究者が多数参加している。結果的に、自衛隊には協力しないが、最先端科学技術を他国群関係者に開放している状況だ。卑近な問題例である。

無信不立

14日都内のホテルで開かれた自民党両院議員総会、静寂を破るかのように野田毅総裁選挙管理委員長の声が響いた。「投票結果を申し上げます。石破茂君68票、菅義偉君377票、岸田文雄君89票。よって菅義偉君を当選者と決定いたしました」。

安倍晋三総理の突然の辞任表明を受けた自民党総裁選は、ひと月前まではダークホースであった菅氏の圧勝で終わった。政界は“一寸先は闇”と言うが、まさにその通りだ。

 

今回の総裁選は、「緊急時」であることを理由に全国一斉の党員投票が見送られ、国会議員票393票と47都道府県連代表に各3票を割り当てた地方票141票、合計534票で争われた。投票結果の内訳は、議員票で菅候補288票、岸田候補79票、石破候補26票。地方票では、菅候補89票、岸田候補10票、石破候補42票で前述の結果となった。

 

この戦いに臨み、私は2年前と同じく当選同期で長年の友人でもある石破候補の推薦人を引き受けた。私にとってこれまでの総裁選で最も力を注いだ戦いだったが、残念な結果に終わったと言わざるを得ない。

報道されていたように、今回の総裁選は始まる前から勝負がついていた感はあるが、結果の得票数は思っていた以上に厳しいものであった。特に議員票が26票に止まったことをどのように受け止めるか、少し時間をおいて冷静に分析し総括しなければならない。

 

数年にわたり安倍後継の本命と言われ続けてきた岸田氏があえなく主要派閥から見放され、世論調査で“次の総理にふさわしい人”のトップを走り続けてきた石破氏も地方票を伸ばせなかった理由はどこにあるのか?

その一因は、安倍前総理への「お疲れ様」の感謝の意が、共に政権を運営し、「安倍政治の継承」を前面に打ち出した菅候補の応援に回ったことなのだろうか?

 

それにしても辞任発表直後に、危険水域に迫っていた内閣支持率が20%近くも急上昇したのには驚かされた。病気退陣に対する判官びいきに加え、7年8ケ月の長期にわたる政権運営の効果、外交面での活躍、株価浮揚といったプラス面の成果が短期的な不信感を吹き飛ばした様相だ。

 

このような世論の流れと、次の次まで睨んだ派閥の思惑が相まって菅候補への加勢が急拡大していったのではないだろうか。

事実、8月末の世論調査まで石破候補がトップであったのが、二階派を皮切りに各派閥が雪崩を打って菅候補支持を決定したのと前後し、9月上旬には菅候補が首位を奪い、引き離していった形だ。

 

総裁選をめぐっては「天の声にも変な声がたまにはあるな」という名台詞があるが、今回

の結果も、単純には説明しがたいものがある。いわゆる「天の時・地の利・人の和」の総力が菅候補を総裁に導いたということか…。

 

16日に菅義偉氏は両院で首班指名され、正式に新内閣が発足した。総裁選の勢いがそのまま続いているようで、発足時支持率は歴代3位と高く順調なスタートを切った。

 

新総理のキャッチフレーズは「仕事する内閣」。また「当たり前でない、いろいろなことがある」と力説して、縦割り行政の排し、既得権益や前例主義を排除する規制改革を強力に進めると言及した。早速、各閣僚に対して行政機構のDX(デジタルトランスフォーメーション)司令塔としてデジタル庁の創設、行政改革目安箱(縦割り110番)やデフレ脱却にむけ最低賃金引上げによる中小企業再編成促進等々、具体的な政策提案を次々に指示した。更には、携帯料金の大幅な値下げや再度の10万円定額給付金など、景気回復に配慮したインパクトあるメッセージも放った。この連休中も閣僚の行動がメディアを賑わしている。

 

100年に一度の国難の時にあって、今の日本には立ち止まって考える時間的な余裕はない。難局を切り拓く政治のリーダーシップが求められている。菅総理が目指す社会像は「自助・共助・公助、そして絆」という。確かに国民に施しをなすばかりでは、「国民に信頼される政治」は実現できない。

“無信不立” “初心忘るべからず”

私も信頼される政治を目指して、初心に戻ってこれからも精進を重ねていきたい。

いつか見た景色

安倍晋三総理大臣の後任を選ぶ自民党総裁選挙について、総務会は2時間にわたる議論の末、全国一斉の党員投票は実施せず、8日告示、14日に両院議員総会を開いて新しい総裁を選ぶことを決定した。

 

総務会で、党執行部は「新型コロナウイルスへの対応もあり、早急に新たな体制を確立して政策を前に進める必要があり、後継総裁の選出は喫緊を要する」として、党員投票は実施せず、両院議員総会を開いて、国会議員と都道府県連の代表による投票で新総裁を選ぶことを提案。

 

これに対し、出席者からは「一刻も早く新しい総裁を選ぶべきで、党員投票を実施しないのもやむを得ない」などと、賛成する意見がだされた一方、「開かれた方法で総裁選を行うため、広く党員の意見を反映させるべき」などと、党員投票を求める意見も出された。

 

前日の8月31日には、中堅・若手を中心とする有志グループが、党員・党友投票の実施を求め、党所属国会議員の3分の1を超える145人分の署名を執行部に提出した。

党員投票を省略する党方針に対する反発は地方に拡大している。背景には、一部の有力者の主導で選んだ印象を与えかねない。国民には“密室政治”と映り、不信感が強まるとの危機感がある。

残念ながらそれらの動きは効を奏さず、今回の総裁選は、両院議員総会での投票(国会議員票394票と、47の都道府県の3票ずつ割り当てられた141票の合計535票)で争われることになった。

 

私はこの決定には大いに疑問を持っている。

執行部の説明だと「フルスペックの総裁選をやるとなると、準備におよそ2ケ月かかることもある。2ケ月間も安倍総理に負担をかけさせられない」とのこと。

確かに2ケ月は長すぎるが…緊急時なのだからフルスペックでやらなくてもよい。私の知るところでは、20日~1ケ月もあれば実施可能である。1ケ月程度であれば、総理も理解して頂けるのではないかと思う。また任期満了以外では党員投票を実施したことはないらしいが、いまは危急存亡の時、過去の慣例に捉われることはない。

 

若手議員の一人、小林史明青年局長は決定事項に対して「正直言って負けた。全国の党員員の皆さんの声をいただいたが、本当に申し訳ない」と、記者団を前にコメントしたが、全く同感である。

しかし、党の正式な手続きを経て決定されたのだから、あとはこのルールに従ってやる

べきことを粛々とやるしかない。

 

それにしても疑問なのは派閥の在り方だ。一致結束することが前提というが、派内に候補者がいないケースでも、何故一致結束して支持候補を決めなければならないのか!

候補者も政策も出揃っていない段階で支持候補を決める必要があるのか、私には疑問だ。

候補者を持つ派閥は理解できるが、候補者がいない派閥まで一致結束して候補者を決めるのは、派閥の論理以外の何ものでもない。そんな派閥の論理が嫌だから、私は無派閥でいる。

 

小選挙区になって選挙区でのサービス合戦はなくなったが、人事面での派閥の役割が残っている。なので、派閥の長が発言力を持つために結束が必要と言うのだが…果たしてそうだろうか?派内に候補者を持たない派閥は自主投票にすべきと私は思う。いずれにしても党の近代化のためには、人事制度改革が必要である。

 

石破茂・元幹事長、岸田文雄政調会長、菅義偉官房長官と、立候補者の顔ぶれも揃い、いよいよ8日から選挙戦がスタートするのだが、各派閥の動向をみると既に勝負はついていると言えるだろう。

派閥の論理と力学で結果が決まる今回の総裁選と過去の自民党の古い体質が、私には重なって見える。「いつか見た景色」の再来に、国民からの批判を受けることは避けられないだろう。

 

私は前回同様、今回も石破茂候補の推薦人を引き受けた。

当選同期ということもあるが、彼の国民と向き合う政治姿勢「国民を信頼しなければ国民の信頼を得られない。信頼がなければ正しいメッセ―ジが伝わらない」に共感を覚えるからである。

政治に対する信頼が揺らいでいる今、石破氏の言葉が国民の政治に対する信頼回復に繋がるような戦いになることを期待したい。

野党再編

先週、国民民主党(以下、国民)は党を解散した上で立憲民主党(以下、立憲)と合流し、新しい党をつくることを正式に決定した。国民の平野博文幹事長から合流の報告を受けた立憲の福山哲郎幹事長は、「政権交代し得る野党として認知してもらえるよう頑張る」と強調。その上で、「一人でも多く参加してほしい」と呼び掛けた。

いまのところ国民の衆参62議員の過半数が合流する方向と言われており、野田佳彦前首相や岡田克也元外相がそれぞれ率いる無所属グループの20人ほどを合わせると、「少なくとも150人前後」の政党になると予想される。衆院議員数では政権奪取直前の民主党(115人)に肩を並べそうだ。

しかし、玉木氏をはじめ一部議員は合流せず、別に新党をつくる意向だ。同氏に近い山尾志桜里衆院議員がれいわ新選組の山本太郎代表と会談するなど、連携に向けていろいろな動きが出てきている。また、国民の産別労組出身議員の間では、合流新党が綱領に「原発ゼロ」を明記したことなどから、玉木氏とも別の「第3党」を模索する動きもある。もうしばらく混迷は続きそうだ。

2012年12月に旧民主党政権が終焉して以来8年間、野党は数合わせの離合集散を繰り返してきた。安倍首相が憲政史上最長の在任期間を更新できたのは、政権交代可能なしっかりした野党が存在しなかったことも一因だろう。今回の新党も、立憲が旗印とする「立憲主義」に内心で同調していない国民の保守系議員の参加も見受けられ、簡単には一枚岩になれそうにない。

にもかかわらず、この時期に合流が一気に進んだ背景には、この秋にも解散総選挙があるとの思惑から、とりあえず「大きな塊」となって議席を死守したいという心理が垣間見える。しかしこのシナリオの成功は、年内の総選挙が前提になる。

政界の常識として新党の賞味期限は3ケ月と言われている。その程度の期間であれば、成果が無くとも国民の期待感が継続するし、内輪もめがあっても顕在化しないということだ。

だが私の読みでは今秋の解散の可能性は低い。よって来年になると新党が再び離散への道を歩む可能性も否定できない。

現在の衆議院選挙制度の基本である小選挙区制が目指したものは「2大政党による政権交代可能な政治」だ。選挙区ごとに一人を選出する制度とすれば、政党は自ずと二つに収れんし、それぞれの政策の是非を競い合う選挙が行われるはずだった。しかし、わが国では比例代表制を残したこともあり、二大政党への流れは起こらず少数政党が存続し続けている(与党も含めた課題ではあるが…)。

本来、政権担当可能な責任政党をめざすのであれば、野党各党は今回のような「目の前の選挙のための数合わせ」ではなく、「時間をかけても政策方針の共有を実現すべき」である。ただ、最近の世論調査に見られるように、野党が政権批判の受け皿になれず、無党派層が4割を超えるというのも問題だ。このような状況が続くと国民と政治の距離がますます遠くなってしまう。

今は、次の選挙での与党候補への影響は度外視して、今回の野党再編による150人規模の大規模野党の設立が国民の政治への関心を高めてくれることを望む。今回の野党再編が与党の政権運営に良き緊張感をもたらし、政治倫理の確立と政策の質の向上を通じて政治の復権に繋がることを期待したい。

今年のお盆休み

新型コロナウイルスは、お盆の過ごし方にも大きな影響を与えてしまった。例年であれば、この週末(8日)あたりから道路は大渋滞し、新幹線は満席になる。TVニュースでは、駅や空港での孫を迎えるお爺ちゃんお婆ちゃんの笑顔が報道されるものだが、今年は少々様相が異なる。ふるさとの高齢者への感染拡大を懸念する声が、民族大移動を押しとどめているようだ。

 

確かに、これまでの経験から高齢者への感染は重篤化する可能性が高く、かつ、多自然地域には感染症に対応できる高度医療機関が少ないのも事実である。「帰省を控えてほしい」と訴える首長さん方の気持ちもわからないではない。しかし一方で、感染を避けるライフスタイルも確立されてきている。場面に応じて、大声で話さない、マスクを着用する、大皿での食事を避けるといった方法で飛沫感染を避ければ、年に数回の家族のふれあいを抑制する必要はないだろう。

 

お盆やお正月の風物詩となっている帰省は、故郷を離れた人々が、実家へ戻り両親や祖父母との交わりの中で家族の絆を再確認し、お墓を訪ねご先祖様への感謝の念を新たにする貴重な機会である。今年のお盆のような事態は、二度と繰り返さないようにしたいものだ。

 

7月22日からスタートした「Go To トラベルキャンペーン」も、十分な感染予防策が前提である。「経済活性化のためには少々ウイルスを拡散させても良い」などと言うことが許されるはずはない。発熱をはじめ体調に不安があれば旅に出ない。旅先でも会話の際にはマスクを着用する。飲酒を伴う大宴会はしない。こういったことは、帰省か旅行かを問わず、感染拡大を抑止しWITHコロナの時代を生きる国民の責務である。

 

新型コロナウイルスの感染力や致死率等が解明され、ワクチンや特効薬が開発・普及するまで数年はかかるであろう。それまでは感染を避ける努力を続けなくてはならない。人と物の移動が世界化し、高速化した今日、コロナに限らず、新型感染症のパンデミックは簡単に起こってしまう時代を迎えている。人と感染症との共生力が求められる時代とも言えるのではないだろうか。

 

私をはじめ国会議員にとっても、この季節は帰省の時期。地元に帰り夏祭り会場をハシゴし、初盆のお参りや支持者へのあいさつ回りをするのが恒例となっている。かつての中選挙区時代には初盆のお参りだけで1週間かけて400軒以上もこなしたものだ。(小選挙区となった今でも2~3日はかかるが)

今年は、東京からの初盆参りは遠慮すべきかと思わなくもなかったが、例年どおり訪問させていただいている。

 

一方で夏祭りや花火大会、盆踊りなどの地元イベントはすべて中止となり、些か時間をもてあまし気味ではあるが…。この際、ポストコロナ時代の日本の在り方について、改めて考える時間と前向きに受け止め、読書などして有意義なお盆休みにしたい。

過去に向き合うためにも、15日(終戦記念日)には上京して全国戦没者追悼式に出席し、心のけじめをつけたいと思う。

このところ猛暑が続いています。水分補給など十分な熱中症対策をして、お過ごし下さい。

近況報告 令和2年夏

政府は17日、ウイズコロナ、ポストコロナ時代における政権運営の指針となる今年の「経済運営と改革の基本方針2020」(骨太の方針2020)と、成長戦略実行計画を閣議決定した。

骨太の方針では、今回のコロナ禍で露呈したわが国の弱みともいえる社会全体のデジタル化を促進するために、この1年を集中改革期間と位置づけている。東京一極集中の是正や国土強靭化にも改めて言及している。

一方、成長戦力では、兼業や副業など多様な働き方への期待が高まっているとして、新しい働き方の定着を提案したほか、決済インフラの見直し、デジタル市場の対応、オープン・イノベーションの推進などを柱としている。

中でも“骨太の方針”は、来年度予算の方向性を定めるべきものである。それだけに各省庁からの議員に対する強力な働きかけもあり、党内手続きの会議は毎年大いに盛り上がる。今年も党内承認に至るプロセスで、挙手した議員全員に発言の機会が与えられ、4時間にも及ぶ会議もあった。

これらのプランの閣議決定に先立ち、「総合科学技術・イノベーション会議」が開かれた。会合では、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で活動が停滞している大学の研究開発やスタートアップ企業への支援を強化するとともに、教育や物流など社会のあらゆる分野でデジタル化を目指すなどとした、新たな科学技術戦略「統合イノベーション戦略2020」が決定された。

統合イノベーション戦略2020は、以下の4つの柱で構成されている。

①新型コロナウイルス感染症により直面する難局への対応と持続的かつ強靭な社会・経済構造の構築

②スタートアップ・エコシステム拠点都市の形成やスマートシティの実現と国際展開などの推進

③研究力を強化するための若手研究者の挑戦支援や、大学等の間での連携による世界に伍する規模のファンドの創設、人文・社会科学の更なる振興

④AI、バイオ、量子技術、マテリアルといった基礎技術や、感染症や自然災害などに対する安全・安心に関する科学技術、環境エネルギーなど重要分野の取り組み強化

特に、③のファンド創設について、安倍総理は「イノベーションの担い手である若手研究者を長期的な視野で支援していくため、ファンド創設などの新しい仕組みづくりを速やかに進めてもらいたい」と指示した。政府は来年度、国や大学、民間企業などの出資で、最大10兆円規模のファンドを設立し、その運用益で「若手研究者への奨学金や大学間で研究データを共有する基盤の整備」に充てる方針である。

世界に目を向けると、ポストコロナを見据えた戦略的な取り組みや水面下における熾烈な競争が既に始まっている。中国はスマートシティを軸とする次世代インフラ整備「新基建」政策を掲げ、2025年までに1兆ドルを超える大規模ハイテク強化計画を打ち出している。米国では、重要科学技術分野において今後5年間で、1,000憶ドルの投資を求める法案が議会で成立しそうだ。欧州でもこの度、経済復興対策を持続的な環境投資と一体と捉え、グリーン対策を主軸に位置づけた7,500億ユーロ(92兆円)の次世代EU復興基金の創設を決定した。

経済社会構造変化を促すのは、科学技術のイノベーションに他ならない。我が国でも今すぐに有効な手立てを講じなくては、世界の流れから取り残される。今回の基金創設の提案は、そんな危機感のもと、私が会長を務めている「科学技術イノベーション戦略推進調査会」から提案されたものである。

ファンド構想は過去にも調査会で議論されてきたが成案には至らなかった。それが、ポストコロナの構造改革議論の中で再浮上。多くの賛同者の協力を得て具体化し、政府の戦略にも位置づけることができた。永年の想いが実現に向けて大きく前進したことに、いまは軽い達成感を覚えている。

ただ、いつまでも達成感に浸っている訳にはいかない。来年度の予算編成に向けて、基金の財源や具体的な使途など、詳細な制度設計を進めなくてはならない。時間は半年足らず、より一層の努力を重ねたい。

今回の骨太では、ここ数年私が主張し続けてきた「高等教育に係る中間所得層の負担軽減策」も、具体的な検討を進める運びとなった。些か忙しくなりそうだが、大変充実した日々を迎えられそうだ。ひとえに支持者の皆様のお陰と感謝している、今日この頃である。

PS 新型コロナウイルスの感染第2波が拡大しつつあります。皆様方も感染防止に留意していただきますようにお願いします。

ポスト・コロナの一考察

 緊急事態宣言が解除され都道府県の境界を越えての移動も可能になり、金帰月来のいつもの生活リズムが戻り、早くも3回目の週末を地元で過ごした。

 しかし、例年とは過ごし方が様変わりしている。自粛ムードのなかで、私が顔を出すべきイベント、行事がほとんど中止または延期となっているのだ。そんななかで自らの国政報告会を開催する訳にもいかず、日々の活動は専ら挨拶回りが中心とならざるを得ない状況だ。

全国的にも関西の祇園祭や天神祭、青森のねぶた、秋田の竿灯、仙台七夕まつり、博多の祇園山笠やなど多くの祭りの中止が決定されている。全国から多くの観光客を集める華やかな祭典の中止は、地域経済にも大きな痛手となるが、コロナウィルスの正体がつかめないなかで、人々の密集を形成するわけにもいかない。関係者にとっては苦渋の決断となるが、今年の開催の見送りはやむを得まい。

このコラムで何度も言及している私の地元、播州地方の秋祭りも例外ではない。毎年梅雨明けの頃から準備が始まるのだが、今年は寄合で「秋祭り開催の是非」が何度も議論され、すでに多くの地域で中止が決定されている。私も氏子である曽根天満宮の秋季例大祭も少人数で神事のみを執り行い、勇壮・華麗で知られる屋台の練り合わせは見送られることになりそうだ。

そもそも秋に行われる祭りの多くは、稲の収穫が終わった時期に豊穣の恵みを与えてくれた天地の神々に感謝の意を表すお祝いだった。にぎやかに酒を酌み交わす宴は催せないが、この機会に、静かに祭礼本来の意味を見直し地域の歴史文化への理解を深めることも、長い目で見れば街づくりの一助となるかもしれない。

様々な観点からポストコロナ時代の日本の在り方が問われているが、国土構造的には大都市への過度の集中を是正し、分散自立型の社会構造を目指すことが必要だ。その意味でも地域の活力を生み出す祭りは、これからも守り続けていかなければならない大切な財産と言える。毎年、古式に則り、住民が心を一つにして音曲、舞踊などの芸能を奉納することは、地域の絆を強める契機ともなる。

しかし一方で、過疎地域では資金不足や若者の減少で、祭りの存続そのものが危ぶまれている事例も数多いと聞く。これから、全国的に少子高齢化が進む時代、地域の歴史と伝統を守り続けていくには、かなりの努力とエネルギーが必要となるのは間違いない。

対策の一例だが、活動資金を得るためにクラウドファンディングを立ち上げて支援の輪を広げたり、オンラインで各地の獅子舞の交流を図る動きもある。伝統を守っていくためにも、今回のコロナ騒動のなかで重視されることとなったDX(デジタル・トランスフォーメーション)をはじめ、現代的な手法を取り入れることも有効だろう。

祭礼に対する住民の理解を深め、担い手となる次世代の人材を育成するために、学校との連携を深めることも重要だ。子どもたちが体験教育から地域の歴史や伝統、そして誇りを学ぶことが、多様で個性ある地域づくりの原点となる。国は祭礼や民族芸能を無形の文化財として位置づけ、調査や記録の作成、用具の修理などに補助を行ってはいるが、まだまだ不十分である。

人口減少下でも活力に満ちた地域創生を成し遂げるために、地域の文化遺産として祭礼の更なる活用を図る振興策を立案し、将来につながる取組を柔軟にサポートしていきたい。

近況報告

1月20日に召集された第201回通常国会は、150日間の会期を終えて17日に閉幕した。3月以降の審議は新型コロナウイルス問題一色だったが、19日にはようやく社会経済活動の自粛制限の多くが解除され、週末には国民の移動がスタート。全国の行楽地にも人手が久々に戻りつつあるようだ。

東京に禁足状態であった国会議員も一斉に地元に帰省。私も3か月ぶりに自宅に戻った。初当選から現在までの政治生活で、これほど長い期間地元を不在にしたことはなかった。

この間、政府・与党は緊急事態宣言の発出から全面解除まで、刻一刻と変わる感染問題の対応に追われた。

前代未聞の災禍に対して令和2年度の第1・2次補正予算合計で事業規模約234兆円、財政支出約60兆円(真水)という、巨額の予算措置を講じた。ただ、執行面で多くの問題が生じ、世論調査によると国民の約半数が政府の対応に批判的であるようだ。

医療体制や社会規制にも国民の不満が募った。我が国の感染症対策法制では罰則を伴う強制力のある措置が準備されていなかった。国民の自主的行動に依存する「自粛要請」しか行えない政府の対処に、打つ手打つ手が何から何まで間違っているように言われ、「今日の(感染が蔓延している)ニューヨークは明日の東京だ!」との雑言も浴びせられた。PCR検査の実施件数の少なさにも批判の声が集中した。内外の専門家からも検査を増加させるべきだとの指摘も受けた。

それでも日本は感染者の死亡率が世界で最も低い部類に入る。最も恐れていた医療システムの崩壊も免れ、今のところ第一波の感染封じ込めに成功していると言えるのではないだろうか。

最近では「不思議の国?日本」と言われ、世界が日本を見る目が変わってきている。

結果には必ず理由がある筈だ。今後の検証作業により、不思議が納得に変わることを期待している。その為にも記録は正確に残しておかなければならない。

コロナ国会の最終日17日には、私にとって昨年来の懸案“科学技術基本法の改正案”が参議院本会議で可決・成立した。正にギリギリセーフ、きわどいタイミングだった。

科学技術基本法は科学技術創造立国にむけた科学技術振興を掲げ、日本の科学技術政策の方向性や枠組みを示す法律として25年前に制定された。政府はこの法律に基づき1996年度から5年ごとに科学技術基本計画を策定、わが国の科学技術振興に大いに貢献してきた。しかし立法から約四半世紀が経過し時代にそぐわない面が数多く見られるようになっていた。それを修正するための本格的な改正は今回が初めて。当初は議員立法(私も提案者の一人)として成立した法律だったが、今回は政府提出法案として提案された。令和3年度から始まる6期の科学技術基本計画は、新法の下で作成されることになる。

改正の柱の一つは科学技術・イノベーション(STI)の明確な定義づけだ。イノベーションは第3期基本計画以降、その重要度が高まり、現行法とのズレが大きくなっていた。法改正に伴い、基本計画の記述も科学技術者の視点だけでなく、恩恵を受ける個人・社会へと視点が広がる。

あわせて自然科学、人文科学、社会科学の各研究分野のうち、従来の基本法の対象が「人文科学のみに係るものを除く」との規定を修正する。自動運転をはじめ、社会システムの転換を伴う技術革新が急速に進んでいる。この状況を踏まえ、法律や哲学、倫理など人文科学分野の研究も支援していくことを盛り込んでいる。

また、科学技術政策の司令塔機能を強化するため、内閣府に「科学技術・イノベーション推進事務局」を設置し、府省ごとに分かれているベンチャー企業の支援制度などを統一することも検討する。さらに、最先端技術の開発促進にむけて、研究者や事業を創出する人材の確保や育成に取り組むことも新たに掲げている。

コロナ不況からの脱却とともに、党内ではアフターコロナの日本社会のあるべき姿の議論が加速している。既に新スパコン「富岳」の活躍が報じられているように、科学技術・イノベーション政策が重要な役割を果たすことは間違いない。綱渡りではあったが今回の法改正はまさに時を得た改正だったと思う。

今後は、しばらくの間、「第6期科学技術基本計画」の作成に全力投球で尽くしたい。

9月入学

新型コロナウィルス感染拡大防止を目的とする長期休校措置により、突如として政策課題となった「9月入学」問題。これについて検討してきた自民党の作業チームは1日、提言を取りまとめ安倍総理に申し入れを行った。

提言では、「9月入学は国際化への対応のみならず、令和の時代に求められる社会変革・教育改革を実現する契機となり得る」など、その導入意義を認めているが、他方、制度改革には国民的な合意や33本もの関係法律改正が必要であり「今年度・来年度のような直近の導入は困難だ」と結論づけている。

また、子どもたちの学習の機会を保障するために、今年度の就学期間を一定期間延長する特例措置など、柔軟な対応策も検討すべきだとも指摘している。

そもそも今回の議論の発端は、大阪市の公立高校3年、西野桃加さんと中尾微々さんが4月19日、ネット署名サイト“Spring Once Again~日本全ての学校の入学時期を4月から9月へ!”を始めたことだ。2人は、「少しずつ学校開始が延ばされ、本来の学校生活を送れないまま3月に卒業となるよりは、まだ学校生活を全うするチャンスが生まれる」とし、9月入学によりかけがいのない青春を取り返すことができると、訴えた。(入学時期の変更と言うよりも「卒業時期の延期」がその趣旨と思われる)

この呼びかけに同調した一部の知事も、入学時期の9月変更の主張を始め、4月末の全国知事会議でも意見が交わされた。しかし、コロナ騒動に紛れた思いつきのような提案に反対する知事も多く、知事会としての合意形成には至らなかった。にもかかわらず、政府に対して、9月入学制について骨太の議論を行うよう要請がなされた。(その後知事会は「知事会としては必ずしも9月入学導入が前提ではなく、選択肢の一つとして研究する」との見解を表明しているが…)

何れにしても、意見集約ができない時には国に結論を委ね、責任を曖昧にするという知事会の体質が見られた気がする。後になって国の方針に単なる抵抗勢力とならないよう、今から知事としての議論も深めて欲しいものだ。因みにWTのヒアリングで、現場を預かる市町村会の意見は8割強が反対だった。

このような流れを受けて、政府では省庁横断の検討がスタート。自民党でもWT(ワーキングチーム)が設置され、9月入学導入の利点と課題、社会的影響などについて議論が行われた。私もメンバーの1人として皆勤で議論に参加した。

9月入学の議論は、これまでも何度も浮上しては見送られてきた経緯がある。

最初に秋入学が俎上に載せられたのは1980年代半ば。中曽根康弘首相の諮問機関である臨時教育審議会が、大学改革や教育の国際化を目的として秋入学への移行を提言した。

その後、2000年代初頭の森喜朗内閣の教育改革国民会議や第一次安倍晋三内閣の教育再生会議でも同じような議論が行われている。2011年には東京大学が秋入学への移行を検討して話題になったが、結局実現しなかった。経団連などの財界団体も高等教育の春・秋入学を何度か提言している。自民党でも政権復帰を目指して戦った2012年の総選挙では、「大学の9月入学を促進する」と、公約に掲げている。

ただ、いずれも大学のみの秋入学の話題だった。

今回、過去の議論とやや異なっていたのは、高等教育だけでなく初等教育を含むすべての学校の学年歴の変更が検討されたことである。背景に、新型コロナウイルスによる突然の休校、それに続く休校の長期化、また地域間の教育格差の問題があったからだ。

この機会に政治決断すべきとの意見もあったが、最終的に今回の議論では、教育現場の実情を考慮すると早期導入は困難と判断された。

ただ、ポストコロナ社会の教育制度改革において、9月入学は選択肢の一つとして位置づけられた私は考えている。教育は国家百年の計、戦後70年余り続いてきた教育システムの大改革に向けて、幼児教育からリカレント教育まで、幅広い、多面的な視点が必要である。

今後、政府で行われる検討は、欧米の入学時期に合わせるという消極的な国際化対応ではなく、ポストコロナ社会の人材育成の在り方について、わが国の未来を切り拓くための創造的な議論が行われることを期待している。

コロナ対策の議論の舞台は国会に移ったが、党では「新国際秩序創造戦略本保」が設置され、ポストコロナを見据えた日本の未来像の議論が始まった。ポスト安倍を見据えた(?)アフターコロナの勉強会も次々とスタートしている。これらの動きの中でも、改めて9月入学の議論が積極的に行われることを期待している。

出口戦略

安倍総理が新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言を発出したのが4月7日。この時点では私の地元兵庫を含む東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪、福岡の7つの都府県が対象とされた。続いて4月16日の対策本部会議で、ゴールデンウイークの人の移動による感染拡大を阻止すべく緊急事態宣言の対象を全国47都道府県に拡大するとともに、先の7都府県に北海道等を加えた13都道府県を「特定警戒都道府県」に位置づけた。

連休中には、当初5月6日までとされていた緊急事態宣言の期限は、感染の終息が見えないことから5月末までに延長。あわせて、都道府県ごとのに感染者数や医療提供体制の逼迫状況などに応じて期限を待たずに宣言を解除していく考えも示された。そして14日の専門会議の分析・評価を経て、東京・関西の二大都市圏、北海道の8都道府県を除く39県について宣言解除を決定した。

一方、特定警戒都道府県でも、大阪府をはじめとする関西圏では事業所に対する休業要請の緩和が始まっている。この休業要請を巡る権限について、西村担当大臣と吉村大阪府知事との間で小競り合いがあったが、法律に定めのあるとおり国は規制の前提となる緊急事態宣言を発する権限を有し、都道府県は休業要請等の具体の規制措置を決定し、実施する権限を有するということである。

解除された地域をはじめ、それぞれの実情に応じて経済活動が再開され、徐々に日常生活が戻りつつある。しかし、単純に以前の生活に戻ることはない。そこにはこれまでとは違った“新しい日常生活”が待っている。ポストコロナの日本社会がどんな社会になるのか、手探りの試みがスタートしたともいえる。

このコロナショックを克服し、新しい社会づくりを始動するために、党では令和2年度第二次補正予算の議論の真っ最中である。

第一次補正予算で創設した自治体向けの臨時交付金は、感染防止から経済対策まで幅広い対策に充てることができるが、総額をリーマンショック時に併せて1兆円としたために、規模が小さすぎるとの声が上がっている。二次補正での大幅な積み増しは必至である。それ以外にも、雇用調整助成金の拡充、家賃補助、学生支援、医療体制の支援など、プロジェクトごとに政策立案が行われている。

私は、学生支援のプロジェクトチームの座長として取りまとめを任されている。経済活動縮小の影響で、多くの学生がアルバイト先の休業、仕送り額の減少等により学業継続が困難に陥っている。

意欲ある若者が経済的理由により進学や修学を断念することはあってはならない。

支援に当たってはスピード感が重要だ。当面、一次補正の予備費を使い10~20万円の緊急給付金の創設を決定しているが、二次補正では授業料の減免など更なる支援策を提案したい。

二次補正の検討は急ピッチで行われているが、私の記憶では、25年前の阪神淡路大震災の際はもっと意思決定が早かった気がする。

政治の意思決定のプロセスでは議論の積み重ねが求められるが、三密を避けるために今は思うように会合を持てない。テレワークやTV会議も行ってはいるが、なにしろ高齢者(?)が多い永田町では慣れるまでにまだ少し時間がかかるようだ。だとしても、もう少しスピーディーにできないものかと反省しきりである。

国会議事堂での審議自体が通常ベースで開催すると超過密状態となってしまい、とても三密を避けることはできない。当面の措置として、本会議は採決以外、半数で審議している。早々にオンライン審議等の国会改革を始めたドイツやイギリスの状況をみていると、日本は遅れているのではないかと思わざるを得ない。

ポストコロナのわが国の社会を議論しなければならないとしたら、まず政治から変わらなくてはならないと思う、今日この頃である。