9月入学

新型コロナウィルス感染拡大防止を目的とする長期休校措置により、突如として政策課題となった「9月入学」問題。これについて検討してきた自民党の作業チームは1日、提言を取りまとめ安倍総理に申し入れを行った。

提言では、「9月入学は国際化への対応のみならず、令和の時代に求められる社会変革・教育改革を実現する契機となり得る」など、その導入意義を認めているが、他方、制度改革には国民的な合意や33本もの関係法律改正が必要であり「今年度・来年度のような直近の導入は困難だ」と結論づけている。

また、子どもたちの学習の機会を保障するために、今年度の就学期間を一定期間延長する特例措置など、柔軟な対応策も検討すべきだとも指摘している。

そもそも今回の議論の発端は、大阪市の公立高校3年、西野桃加さんと中尾微々さんが4月19日、ネット署名サイト“Spring Once Again~日本全ての学校の入学時期を4月から9月へ!”を始めたことだ。2人は、「少しずつ学校開始が延ばされ、本来の学校生活を送れないまま3月に卒業となるよりは、まだ学校生活を全うするチャンスが生まれる」とし、9月入学によりかけがいのない青春を取り返すことができると、訴えた。(入学時期の変更と言うよりも「卒業時期の延期」がその趣旨と思われる)

この呼びかけに同調した一部の知事も、入学時期の9月変更の主張を始め、4月末の全国知事会議でも意見が交わされた。しかし、コロナ騒動に紛れた思いつきのような提案に反対する知事も多く、知事会としての合意形成には至らなかった。にもかかわらず、政府に対して、9月入学制について骨太の議論を行うよう要請がなされた。(その後知事会は「知事会としては必ずしも9月入学導入が前提ではなく、選択肢の一つとして研究する」との見解を表明しているが…)

何れにしても、意見集約ができない時には国に結論を委ね、責任を曖昧にするという知事会の体質が見られた気がする。後になって国の方針に単なる抵抗勢力とならないよう、今から知事としての議論も深めて欲しいものだ。因みにWTのヒアリングで、現場を預かる市町村会の意見は8割強が反対だった。

このような流れを受けて、政府では省庁横断の検討がスタート。自民党でもWT(ワーキングチーム)が設置され、9月入学導入の利点と課題、社会的影響などについて議論が行われた。私もメンバーの1人として皆勤で議論に参加した。

9月入学の議論は、これまでも何度も浮上しては見送られてきた経緯がある。

最初に秋入学が俎上に載せられたのは1980年代半ば。中曽根康弘首相の諮問機関である臨時教育審議会が、大学改革や教育の国際化を目的として秋入学への移行を提言した。

その後、2000年代初頭の森喜朗内閣の教育改革国民会議や第一次安倍晋三内閣の教育再生会議でも同じような議論が行われている。2011年には東京大学が秋入学への移行を検討して話題になったが、結局実現しなかった。経団連などの財界団体も高等教育の春・秋入学を何度か提言している。自民党でも政権復帰を目指して戦った2012年の総選挙では、「大学の9月入学を促進する」と、公約に掲げている。

ただ、いずれも大学のみの秋入学の話題だった。

今回、過去の議論とやや異なっていたのは、高等教育だけでなく初等教育を含むすべての学校の学年歴の変更が検討されたことである。背景に、新型コロナウイルスによる突然の休校、それに続く休校の長期化、また地域間の教育格差の問題があったからだ。

この機会に政治決断すべきとの意見もあったが、最終的に今回の議論では、教育現場の実情を考慮すると早期導入は困難と判断された。

ただ、ポストコロナ社会の教育制度改革において、9月入学は選択肢の一つとして位置づけられた私は考えている。教育は国家百年の計、戦後70年余り続いてきた教育システムの大改革に向けて、幼児教育からリカレント教育まで、幅広い、多面的な視点が必要である。

今後、政府で行われる検討は、欧米の入学時期に合わせるという消極的な国際化対応ではなく、ポストコロナ社会の人材育成の在り方について、わが国の未来を切り拓くための創造的な議論が行われることを期待している。

コロナ対策の議論の舞台は国会に移ったが、党では「新国際秩序創造戦略本保」が設置され、ポストコロナを見据えた日本の未来像の議論が始まった。ポスト安倍を見据えた(?)アフターコロナの勉強会も次々とスタートしている。これらの動きの中でも、改めて9月入学の議論が積極的に行われることを期待している。