火星探査

 地球の環境に最も近い惑星である「火星」は、今や世界各国が新発見を競い合う探査ラッシュの様相を呈している。先行していたアメリカ、EU、ロシア、インドに続き、今月9日には日本のHⅡAで打ち上げられたUAEの探査船も周回軌道に入った。

 そして、19日朝には「忍耐」を意味する「パーシビアランス」と名付けられたアメリカの新型探査車が火星に着陸した。昨年7月にフロリダから打ち上げて以来7か月、4億7千万キロを旅し、かつては湖だったと考えられている「ジェゼロ・クレーター」という地点に降り立ったのだ。先輩探査車「キュリオシティ(好奇心)」と同様に、これから2年間、数十キロを走り周って探査を続ける。その名のとおり根気強くコツコツと火星の地中を調べ、微生物が存在する(した)ことを確認してもらいたい。

 この探査車の開発には、NASAの研究所に勤務する日本人エンジニア、大丸拓郎さん(31)が参加している。大丸さんは着陸が成功した直後にNHKの取材に答え「無事に着陸してほっとしたが、これからが本番なので、厳しい環境の火星で探査車が計画どおりに動いてほしい」と語っている。今回のプロジェクトでは、搭載された小型ヘリコプターで、火星の薄い大気の中での飛行試験に挑むほか、将来、地球に持ち帰ることを前提にドリルで地質のサンプルを採取することも計画されている。

 大丸さんは「明るい話題がない中、火星探査機は希望を与えてくれる象徴のような存在。生命の痕跡を見つけられれば、人類にとって大きな発見になる。注目してもらえればとてもうれしい」とも話されていた。

 思い起こせば、幼いころの私はロケットを作ることを夢見ていた。宇宙工学を専攻しMITに留学してNASAで仕事をしたい、などと言っていた時期があった。そういうに考え至った理由は定かでは無いが、アポロ計画が影響したことは間違いない。中学時代の私はアメリカの若き大統領、ジョン・F・ケネディに憧れ、1962年9月12日に国民へ向けて行われた演説の一説、“We choose to go to the moon(我々は、月に行くことを決めました)”というくだりにとても感動した記憶があるのだ。

 残念ながらケネディ大統領は、その演説のわずか1年後に暗殺され、自分の目でアポロ計画の実現を目にすることは叶わなかった。しかし、無謀にも思えた「10年以内の有人月面着陸」という夢のような公約は1969年7月16日に確実に達成された。

 半世紀たって我々は、我が国発の破壊的イノベーションの創出を目指し、従来の延長にないより大胆な発想に基づく挑戦的な研究開発を推進する新たな制度を創設、「ムーンショット*」と名付けた。

 私の人生は、かつての夢とは全く異なる方向に進んだが、今回のような“宇宙開発”に関する報道に接すると、今でも未知への挑戦を繰り広げている科学者を羨ましいと思うことがある。今般のコロナ対策でも明らかなように、国民への説明責任を果たす上で、政策決定には科学的知見に基づくエビデンスが必須でもある。科学者にはなれなかった私ではあるが、これからも政策形成のプロセスで科学に関わっていきたいと思う。

追伸:20日の夕刻、オーストラリアから「大坂なおみ全豪オープン優勝!」という素晴らしいニュースが飛び込んできた。五輪組織委員会を巡る問題を吹き飛ばすような、彼女のパワフルなプレーと笑顔の優勝スピーチは、改めてスポーツが持つ力を実感させてくれた。今夏のオリンピックでも大阪選手の大活躍を観られるためにも、まずはコロナウイルスの感染終息に向け万全を尽くさなければならない。

*ムーショット目標(2050年までに)
目標1 人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現
目標2 超早期に疾患の予測・予防することができる社会を実現
目標3 AIとロボットの共進化により、自ら学習・行動し人と共生するロボットを実現
目標4 地球環境再生に向けた持続可能な資源循環を実現
目標5 未利用の生物機能等のフル活用により、地球規模でムリ・ムダのない持続的な食糧供給産業を創出
目標6 経済・産業・安全保障を飛躍的に発展させる誤り耐性型汎用量子コンピュータを実現
目標7 主要な疾患を予防・克服し100歳まで健康不安なく人生を楽しむためのサステイナブルな医療・介護システムを実現

science for policy

“科学の発展によって産業が発達し生活が豊かになる”

20世紀はそんな前提が共有されていた時代であった。第2次世界大戦中のマンハッタン計画以降、米国では国家が主導する形で科学の進歩を牽引してきた。ケネディ政権下のアポロ計画、ニクソン政権のがん征圧計画、クリントン政権の情報スーパーハイウェイ構想やナノテクイニシアチブなどである。そんな国策のもと、開かれた研究環境と厚待遇で世界中の頭脳を集積させ、国家プロジェクトで科学の発展方向を示し、半世紀余りにわたり軍事や産業で世界のトップに君臨した。

21世紀に入ると、情報技術の進歩により世界中が瞬時につながる時代を迎えた。これとともに産業活動は、優秀で安価な労働力、より大きな消費市場を求めて一気にグローバル化していった。この時流に乗った勝者には巨大な富が集中した半面、旧来型の産業観の持ち主にとっては仕事が海外に奪われたのである。後者には、科学は豊かさをもたらすものではないとの不満感も芽生えたかもしれない。このような新技術の恩恵を実感できない人々の存在が、科学を意に介さないトランプ政権を産み出した要因の一つかも知れない。

トランプ大統領は、気候変動対策「パリ協定」からの離脱をはじめオバマ政権の政策方針を数多く覆したが、その中で科学技術政策にも厳しい姿勢を示した。地球温暖化を緩和する環境対策研究をはじめ、温暖化対策国立衛生研究所(NIH)や疾病対策センター(CDC)の予算削減案を提示した。さらには昨年来のコロナパンデミックの下で、WHOからの脱退まで表明した。

そんなアメリカの科学技術政策が、バイデン大統領の誕生により大きく再転換することになった。パリ協定への復帰、WHO脱退の撤回、新型コロナ対策の新戦略策定と、次々に改善策が打ち出されている。その中で、大統領科学顧問に「ヒトゲノム計画」で名をはせたエリック・ランダー氏を指名した。指名にあたり大統領は、パンデミックの教訓を今後のさまざまな公衆衛生の向上に生かす方策、加えて、気候変動への対処、技術や産業で世界的リーダーであり続けること、科学の成果をすべての国民が共有できるようにするための方策などを求めている。

我が国でも首相に科学技術顧問が必要という議論が長年続いているが、未だに実現していない。今回のコロナ対策に見られるように、政策決定に科学的根拠が求められる場面も多く、専門的知見で首相を支える役職の設置は喫緊の課題である。

一方、自民党科学技術・イノベーション戦略調査会では、昨秋以降「政策の為の科学(science for policy)」について議論を進め、年末には中間報告をまとめた。

その中で「アカデミアは「正当性」、政治は「正統性」を追求するという、視点の違いがある。この両者が対話をすることにより、国民の幸福や利便が増進する可能性がある。しかし現状は、アカデミアと政治の間の対話が少なく、それは双方にとって不幸なことでもあり、国の発展や国民の幸福の増進には繋がらない」として「アカデミアと政治の対話の必要性」を提言している。

また「アカデミアと政治・行政が適切に対話するためには、まず両領域を仲介する何らかの境界組織、あるいは政府系・非政府系を問わないシンクタンクなどの組織が必要である」として、「科学と政治を繋ぐ境界組織」の必要についても言及している。

アフターコロナの新社会創設に向けた覇権争いは激化している。各国とも科学技術・イノベーションを政策の中核に据え、これまでとは次元の異なる投資を計画している。日本も後れを取ることはできない。

あらゆる政策の立案と実行にはデータに基づく根拠が必要であり、そのためには科学的知見が不可欠だ。学術会議問題で「政治と科学の関係」が揺らいでいる昨今ではあるが、「政策の為の科学」(science for policy)について改めて問い直し、信頼関係を再構築しなくてはならない。

※米国2018年度会計予算教書における科学予算の削減=知的財産権の保護等を含む経済連携協定(EPA)は前年比31%減と最大の減額幅。生命科学研究に資金を供給する米国立衛生研究所(NIH)も18%の減額だ。感染症対策を担う米疾病対策センター(CDC)が17%減、全米科学財団(NSF)が11%減と、科学研究予算では米航空宇宙局(NASA)以外は軒並み減額となっている。

メモリアルデイ

 年を跨いで新型コロナウイルスの感染拡大が続いている。1月8日に首都圏1都3県に再発令された緊急事態宣言を、14日には栃木、岐阜、愛知、京都、大阪、兵庫、福岡の7府県にも拡大し、11都府県が対象となった。昨春の宣言時と異なり、今回は休業要請などの対応は緩和されているものの、国民の皆さんにとって再び我慢の時が始まることとなった。

 菅義偉総理や関係都府県知事は、国民の協力によりこの難局を乗り越えるべく、懸命に呼びかけている。西村康稔大臣や専門家が新宿や渋谷の大型パブリックビジョンでも道行く人達に必死に訴えているが、今のところヒトの流れはそれ程減っていないようだ。

 人々の行動変容が感染者数の減少として現れるまで2週間程必要なため、今回の対策の結果が判明するのは今週末以降となる。対策の効果が十分でないと判断された場合には、更なる規制強化が求められることになる。

 発足当初7割という高支持率を誇った菅内閣の支持率が、4割前後まで急落している。その主要因がコロナ対策に対する不満であることは明らかだ。「未知のウイルスへの対応は誰がやっても上手くいかない」との見方もあるが、果たしてそうだろうか?何か足りないものがあるのではないのか? 与党の一員として、責任を改めて問い直さなければならない。

 例えば、新型インフルエンザ等対策特別措置法の改正。通常国会に規制強化策を盛り込んだ改正案が提出される予定だが、遅きに失したのではないか? 党内では、この類の改正の必要性が8月に提起されていたが、個人の行動制限や罰則に対する慎重論があり、事態が深刻化するまで議論が進まなかった。東京都は先日、3ヶ所の公的病院をコロナ患者受け入れ専用病院とすると発表したが、この発想も昨夏に提案されていたものだ。

 今から考えると何故もっと早くできなかったのかと、反省しきりではある。第一波、第二波の感染対策が一定の成果を得ていたので、「そこまでやらなくても」との甘い判断があった。最悪の事態を想定する力が足りなかったものと思う。政治は結果責任を問われる。危機管理の在り方を改めて問い直さなければならい。

 日本の医療体制にも疑問が寄せられている。人口あたりのベッド数が世界で最も多く、感染者数は圧倒的に少ないのに、何故医療が逼迫するのかという点である。当面、目の前の医療崩壊を防ぐ緊急対応措置が先決だが、ある程度事態が沈静化したら、医療資源の配分、特に人的資源の養成と配置について、改めて検証する必要がある。

 今日、18日には総理の施政方針演説をはじめとする政府4演説が行われ、国会での論戦がスタートする。国家像が見えないと言われている菅総理がどんな施政方針を表明し、与野党の質問にどう答えるのか、じっくりと確認したい。

 菅総理にとっては初めての本格的な論戦の場となるこの国会は、正に政権の命運を賭けた勝負の場となるだろう。安倍前総理の突然の辞任により計らずも(?)その座に就いた菅総理ではあるが、ここは国家の最高責任者として覚悟を持って臨んで欲しい。

 昨日は、阪神・淡路大震災のメモリアルデイ。26年前の1月17日AM5:46に阪神淡路地方を襲った大震災は、6千4百余の人生を一瞬にして奪い去った。早朝からのニュースを見ながら、震災からの復旧・復興に駆けずり廻った日々を思い出した。そして当時、「想定外」、「未曽有」という言葉が繰り返し使用されたことも脳裏によみがえった。

 あの時と同じく今も国難の時、危機管理能力が問われる時であることは変わりない。そして、「想定外」を無くし、「未曽有」の災禍に適切に対応することこそが危機管理の本質であり、政治の果たすべき役割であろう。

 26年前の日々に想いを馳せながら、コロナ禍という新たな国難に政治責任を果たすべく、更なる努力を重ねて行きたいと思う、今年のメモリアルデイ(1月17日)である。

年頭所感 (2021)

明けましておめでとうございます。

全世界に蔓延する新型コロナウィルスへの対応は長期戦を覚悟せざるを得ません。一方でワクチン開発といった朗報も届いています。今年こそは新しい日常を確立し、飛躍の年としなくてはなりません。

まずは、ウィズコロナ社会の実現です。人類は結核など数々の伝染病を克服してきました。新型ウィルスも不治の病ではありません。ただワクチンや新薬の普及までは、マスク着用や三密回避による感染拡大抑止が大切です。ご協力をお願いします。

パンデミック収束の先に東京オリンピック・パラリンピックの開催があります。防疫体制を万全に海外からも多くの観戦者を受け入れ、日本文化を世界に発信したいものです。

次に疲弊した経済の再生です。密集回避のために迫られたテレワークやオンライン教育の普及は、デジタル革新を加速する契機ともなりました。政府もこの動きに呼応して、秋にはデジタル庁を創設します。ビッグデータやAIの一層の活用は、生産性の向上、新産業・新サービスの創出に繋がるでしょう。また、ワーケーションや二拠点居住など、新しい働き方、住まい方に対応した制度改革も進めなければなりません。

こういったDXをはじめ、社会変革の源泉となるのが科学技術です。近年、我が国の基礎研究力の低下が懸念されてきましたが、その解決策として新たな経済対策に、大学の研究開発資金を産み出す「十兆円規模のファンド創設」が盛り込まれました。これは我々が長年温めてきた政策のひとつです。このファンドの果実として、将来のノーベル賞受賞者が次々と生まれ育つことを期待しています。

最後にふるさと播磨の発展です。昨年、“播磨地域臨海道路”のルートが決定し、都市計画の手続きが始まりました。東西50キロの高速道路は交通環境を大きく改善してくれるはずです。そして、今秋には播磨路いっぱいに高らかに秋祭りの太鼓が鳴り響くことを祈っています。

本年も引き続いてのご支援、ご指導の程、よろしくお願いいたします。

2020(年の瀬)

一年前の年の瀬は、大成功に終わったラグビーWCの興奮が冷めやらぬなか、オリンピックイヤーの幕開けを楽しみに待つ日々だった。しかし、現実には新型コロナウイルスに世界が翻弄される一年を体験することになってしまった。

世相を漢字一字で表現する「今年の漢字」は“密“。新語・流行語大賞でも、「3密」をはじめ「ニューノーマル」「アベノマスク」「アマビエ」等々、コロナ関連用語が続々とノミネートされた。

政策運営面でも、コロナ対策として、感染抑止のための社会行動規制と経済活性化に向けた需要創造という、相反する方策を状況に応じて打ち出さざるを得なかった。まさに、年初には思いもしなかった厳しい一年だった。

新型コロナウイルスの感染が国内で初めて報じられたのは1月16日。武漢から帰国した方だった。その後2月には横浜に入港したクルーズ船の集団感染への対応が注目された。が、このころまでは外国の病気といった雰囲気があった。

国内で感染が続出するのは2月下旬から。2月27日には安倍総理が、全国の小中学校と高校、特別支援学校に臨時休校を要請する考えを表明。結果的に3月2日から春休みまでの期間全国一斉に休校措置が取られることになる。

3月にはこの感染症を「新型インフルエンザ特措法」の適用対象とする法改正が行われ、緊急事態宣言に基づく外出自粛要請や施設使用制限等の法的措置が可能となった。4月7日には、総理が緊急事態宣言を発令、国民生活は一変、飲食店の営業自粛をはじめ行動制限を求められた。街からは人の姿が消え、党の会合でも少人数以外はリモートとなり、国会でも本会議の採決以外は半数での審議となった。私も3ヶ月間全く地元に帰らなかった。こんな事は永年の議員生活でも初めてだった。

国民の皆様の協力により5月末に感染は一時的に収束していったが、反面、飲食店をはじめとする経済への影響はあまりにも大きかった。

7月、夏休みが始まり人の移動が活発化すると、感染は再び拡大基調となった。再度の自粛要請により9月には収まりかけたかに見えたが、10月に景気対策が本格稼働すると、寒さの到来とも相まって、11月には第3波が到来した。感染力を強化した変異種も発見されており、その猛威はしばらく弱まりそうもない。

一方で、いくつかのワクチンが完成したとの朗報もある。年明けもウイルスとの厳しい戦いが続くだろうが、オリンピックの季節までには何とか収束させたいものだ。

コロナ禍の夏の終わり、安倍総理が体調を理由に突然辞任。菅、石破、岸田の3氏に

よる総裁選の結果、菅義偉政権が誕生した。発足当初の高い支持率はコロナ対応への国民の不満からかここへきて急落、年を跨いで厳しい政権運営が続くと予想される。

私のライフワーク、科学技術政策の分野では、年末に明るいニュースが届けられた。12月5日、小惑星探査機“はやぶさ2”が「リュウグウ」で採取したサンプルを地球に届けてくれたのだ。小惑星の砂は太陽系の成り立ちや生命の起源を明らかにしてくれるだろう。また、6年間50億キロの旅路は、我が国の小惑星探索技術のレベルの高さを世界に知らしめた快挙でもあった。また、新スパコン“富岳”がコロナ対策で活躍し、計算能力4部門で連続世界一を獲得したことも忘れられない。

この一年間で私の政策面での成果は、先日決定された経済対策に「大学支援の為の10兆円ファンドの創設」を盛り込むことができたことだ。研究者の安定した活動経費確保をめざした長年の懸案であり、それなりの満足感をもっている。

アフターコロナの社会を見据え、世界各国も科学技術・イノベーション政策への投資を拡大している。国際社会の激しい競争に勝ち抜いて行かなければならない。

この一年間、何かとお世話になり本当にありがとうございました。来年も引き続きのご支援ご指導を、よろしくお願い致します。最後に、来るべき年が皆様にとって輝かしい年

でありますよう祈念いたします。

ラストチャンス

8日に決定された追加経済対策。ポストコロナ社会をめざし、我が国の変革を促す政策が並んでいる。その中に「10兆円規模の大学ファンド創設」が盛り込まれ、当面の財源として、第3次補正と令和3年度財政投融資と合わせて4.5兆円が計上された。令和5年度までにはファンドの規模を10兆円に拡大するプロジェクトである。私が会長を務めている科学技術・イノベーション戦略調査会の提言をベースに、今年度の骨太の方針に示された「世界に伍する規模のファンドの創設」を実行に移すものだ。

ハーバード大学、スタンフォード大学をはじめ米英の主要大学は数兆円規模のファンドを運用し、戦略的な研究投資や奨学金、スタートアップ支援に充てている。このため機動的で柔軟な資金投入が可能となり、大学の競争力の源泉となっている。

海外大学のファンドは寄付金が主要財源だが、我が国でも同様の仕組みを育てるため、まず、政府が呼び水として資金を拠出し基金を創設、大学等からの出資も求めながら規模を拡大していく。数年後には毎年数千億円の運用益が生まれ、厳選した参加大学の研究資金等を支援する財源となる。

そもそもこのプロジェクトの原点は、3年前の知財査会知的財産戦略調査会にある。大学の研究力の抜本強化や若手研究者支援を目的としたファンド構想が提案されたが、骨太方針に盛り込む段階で挫折した。当時の知財調査会長は、甘利明党税制調査会長である。リベンジに燃え、財務当局に強い影響力を持った甘利先生の存在がなければ、このプロジェクトは実現しなかっただろう。

今年の骨太方針の決定から2か月後、9月末の概算要求に文科省と内閣府から金額を示さない事項要求としてファンド創設を計上した。しかしその頃、財務省はこの要求に全く聞く耳を持っていないとの報告を受けていた。

当時、自民党のスタンスは、「ファンドの創設は、骨太方針として決定されているのだから政府の国民への公約である。政府内で調整して政府の責任で創設すべし。この段階では我々は財務当局と折衝はしない。」というものであった。が、表向きはそうは言っても、この頃から水面下では政治的に財務省との攻防の前哨戦は始まっていた。

甘利チームリーダーの下、チームAMARI(私が勝手に呼称しているのだが)を編成、財務省との折衝、ファンドの設計と運用の検討、党政調での平場での発言者などと、役割を分担するとともに、綿密な情報交換を行いそれぞれが事に当たった。私は全体の調整と運用益の使途(若手支援、大学改革など)を担当した。

菅総理が第3次補正予算の作成を指示したのは11月10日、時を同じく党の政調部会・調査会も一斉に予算要望の作業を開始。イノベーション調査会でも各種要望を決議として取りまとめ、行動を開始する。その中で緊急を要する案件として7項目を提言しているが、最重要課題はこのプロジェクト=「10兆円規模のファンド創設」だった。

党での決議をもって官邸や関係閣僚に要望活動を行うのだが、キーマンである麻生太郎財務大臣との協議でもファンドの話題が中心となった。大臣からファンドの運用や大学改革について非常に厳しい指摘があったが、半面、解決すべき課題がクリアになった。この宿題に応えた結果、前述のとおり経済対策に10兆円という数字を記載することができた。

このプロジェクトは、これまでは科学技術政策として、内閣府・CSTI(総合科学技術・イノベーション会議)が所管してきたが、運用益配分の前提である大学改革は文部科学省の課題だ。このところ些か権威と信頼を失墜している感のある文科省である。この機会に名誉を挽回すべく奮起を促したい。

初当選以来、“科学技術政策”をライフワークとし、科学技術基本法や科学技術・イノベーション創出活性化法の制定、文科相など政府の役職、科学技術・イノベーション推進特別委員長や党の調査会長などの仕事をしてきた私である。それだけに、ここ数年の日本の科学技術の競争力低下には責任を感じ、心を痛めてもいた。

日本の競争力の復権にとって、“ラストチャンス”と言っても過言ではないこのタイミングで、長年温めてきた構想が実現したことに深い感慨を覚える。

ただ、いつまでも感慨に浸っていることはできない。創設に関わった我々はこのプロジェクトの行く末に責任を負わなければならない。資金運用の状況や大学改革の進展、政策の成果などを定期的に検証しなければならない。

今回のファンド創設が我が国の科学技術力の反転攻勢の原動力になることを、切に願っている。

おかえりなさい

6日未明、オーストラリアの空に火球が流れた。報道でご承知のとおり、小惑星探査機「はやぶさ2」から放出されたカプセルである。数々のトラブルに襲われた初号機の旅と異なり、比較的平穏な6年間、50億キロの宇宙旅行だったが、金属弾による人工クレータの作成、誤差60センチという高精度着陸誘導など、我が国の宇宙開発力を世界に示してくれた。

明日(8日)にも日本に持ち帰られるカプセルには、小惑星「りゅうぐう」から持ち帰った岩石、砂が格納されているはずだ。このサンプルは太陽系の成り立ちを調べる材料となり、生命の起源である水や有機物の成分が含有される可能性もある。分析には播磨科学公園都市のSpring-8やSACLAが力を発揮してくれる。

「はやぶさ2」の使命は、これで終わった訳ではない。カプセル分離直後から、すでに新たなミッションが始まっている。水が豊富に含まれるとされる小惑星「1998 KY26」への11年に及ぶ旅路だ。きっと次も世界にアピールできる成果を上げてくれることだろう。

先進国が先端科学技術を競い合う宇宙開発での日本の活躍は、国民に夢や希望を与え、子どもたちの科学への関心を育んでくれる。新型コロナウイルスによる閉塞感を打ち破り、未来への夢と元気を産み出す契機となって欲しい。

新たなる誓い

「安倍政権の下では憲法改正の議論はしない」という、一部野党の全く訳の分からない理由で休眠状態だった憲法審査会。菅政権に代わったからか(?)先週末、一昨年6月に提出された「国民投票法改正案」の審議がようやくスタートした。

日本最初の憲法である大日本帝国憲法が公布され国会開設の勅諭が出されたのは1889年(明治22年)2月11日。翌年の11月29日に第1回帝国議会の開院式が行われている。今年で130周年を迎え、昨日(29日)参議院本会議場にて、天皇・皇后両陛下ご臨席の下、式典が執り行われた。コロナ禍の感染拡大に配慮して参列者は限定されたが、議員在職歴25年以上(永年勤続)ということで、私も出席の栄に浴した。

この機会に議会の象徴である議事堂の歴史を辿ってみたい。

開院式が行われた当時、財政難と工期の問題から議事堂は現在の場所ではなく、今の経済産業省の辺りに仮議事堂として建設された。ただ、会期中の翌年1月未明に漏電により出火、仮議事堂は全焼した。やむを得ず、貴族院は華族会館(旧鹿鳴館)、衆議院は東京女学館(旧工部大学)に移して会期を終了したという。

初代と同じ場所に建設された第二次仮議事堂も、1925年の改修作業中に火災により又々焼失したのだが、工事関係者の不眠不休の努力によって僅か80日で第三次仮議事堂が竣工したという。

現在の議事堂が完成したのは1936年(昭和11年)11月。関東大震災や2・26事件など、国家の危急存亡の困難な時期を経て17年の歳月を要して完成した。この白亜の殿堂ができるまでの46年もの間、わが国の国会論議は霞ヶ関の木造仮設建築内で行われたことになる。

例外は、1894年の第7回帝国議会。日清戦争の勃発によって大本営が広島に移されたため、国会も同地の臨時仮議事堂に召集された。東京以外で国会が開催されたのはこの一度だけである。

第2次世界大戦後の1946年(昭和21年)に日本国憲法が公布され、議員内閣制の確立により国会が国権の最高機関に位置づけられ、国会議事堂は名実ともにその権威を象徴する施設となった。現在、広大な議事堂の前庭は全国47都道府県の樹木が植栽されて整備されているが、戦後の食糧難の時代には農場と化していたこともあった。

以上議事堂の歴史を紹介したが、実は私も今回の式典に際し改めて来歴を顧みるまで、前述のような変遷については全く知らなかった。

国会議事堂130年の歩みには様々な出来事が刻み込まれているが、中でも私の印象に強く残っているのは、1960年の安保闘争である。(当時私は中学生であり、あとから顧みてのことだが…)。6月15日、“安保反対、岸倒せ”を唱え、国会を取り囲んだ10万人を超えるデモ隊は、国会正門を破り前庭に突入、大混乱の中、東大生であった樺美智子さんが群衆に押しつぶされて命を落とした。

衆議院の安保改定の採決をめぐっては、野党議員が議長席に詰め寄り、当時の清瀬一郎議長(東京裁判の東條英機主任弁護人、母校姫路西高の大先輩だ)は自席で立ち往生。隙をみて議場から連れ出したのは、父・渡海元三郎をはじめ清瀬先生に薫陶を受けていた若手議員だったと聞いている。

60年安保から10年を経て、再び安保改定が行われた1970年は、全国的に学園紛争が吹き荒れていた。大学キャンパスにスローガンを大書したいわゆるタテ看板が並び、多くの校舎が机や椅子で封鎖された。当時大学生であった私はデモにこそ参加しなかったものの、学生集会には出かけたことはある。大学4年の時には、大学紛争を鎮静化することを目的に「大学運営に関する臨時措置法案」が採択されたが、これに対して「大学自治の精神を阻害する」としておこなわれたストには積極的に参加した。

今年は多くの大学キャンパスがコロナ対策で封鎖されたが、同じ封鎖でも当時のものとは全く意味合いが異なる。不謹慎と言われるかもしれないが、ニュースで香港やバンコクのデモの光景を見ると、青春が甦り懐かしい思いがする。日本にも同じような時代、若者が躍動する時代があったことは、歴史に刻んでおくべきだろう。

130周年記念式典の冒頭、国歌君が代が議場に流れた時、何時にも増して心に感動を覚えたのは、この建物の歴史の重みだったのだろうか…。

議会開設130周年という節目の時にあたり、改めて先人の心に思いを馳せるとともに、これまでの議員活動を振り返りつつ、日本の未来を切り拓くべく更なる努力を重ねる誓いを新たにしたい。

 

追伸 全国的に新型コロナウィルスの感染が拡大しています。地元の兵庫県でも、度々過去最高の感染者数が報告され、医療現場にも危機感が高まりつつあります。この難局を乗り越えるには国民の皆様のご協力が欠かせません。三密回避、手洗い、マスク、換気など、withコロナの生活様式を心がけて頂きますようお願いいたします。

大統領選の行方

3日に投票が行われたアメリカ大統領選挙は、再選を狙うトランプ大統領と政権奪還を目指すバイデン前副大統領の激しい競り合いが続いていたが、7日(日本時間8日未明)になって主要メディアが一斉に、バイデン氏が当選を確実にしたと報じた。

これを受けてバイデン氏は地元デラウェア州で勝利宣言を行い、「私は分断ではなく結束を目指す大統領になる。トランプ大統領に投票した人の失望を理解している。しかしお互いにチャンスを与え合おう。激しい言葉をやめる時だ。互いを見て耳を傾け合おう。相手を敵視するのはやめよう。みんなアメリカ人なのだ」と、国民の融和と団結を訴えた。

これまでの大統領選挙であれば、ここで敗者が「自ら負けを認めて、勝者へのエールを送る」ことで勝敗が決着するのが通例であった。ところが今回は少々様相が異なる。

トランプ大統領は未だに「大統領選挙はまだ終わっていない。バイデン氏の勝利は接戦となっている州はもちろん、どの州でも確定していない」との声明を発表。「選挙に関わる法律がきちんと執行され、本当の勝者が決まるように裁判を通じて求めていく」として、あくまで訴訟で対抗する姿勢を示している。大統領の家族からも敗北の受け入れを促しているようだが、どうやら簡単に負けを認める気はなさそうだ。暫くはアメリカの混乱が続くことになるかもしれない。

ここに至る一連の大統領選キャンペーンの様々な光景は、わが国とは全く違ったシーンの連続だった。

そもそも議員内閣制の日本と大統領制のアメリカでは比較することが難しいと言えるが、大統領が専用機で各地の空港に乗り込み、空港で待つ多くの支持者を前に演説をするなど、日本ではとても考えられない光景だ。選挙戦でメディアなどを通じて激しく相手を攻撃するネガティブキャンペーンも、私の地元の播磨地方ではむしろマイナスになる場合が多いが、アメリカでは伝統的な選挙戦術のようだ。

 

全米各地で双方の支持者のデモが激しくぶつかるなど、トランプ政権の誕生によりアメリカ社会に生じた分断は、今回の大統領選で更に広がりつつあるのではないかと思う。法廷闘争などを含め、暫くは混乱が続くことも予想され、ラグビーのように「試合が終わればノーサイド」と言う状況は期待できそうにない。

それにしても発展途上国ならともかく、民主主義国家のお手本ともいえるアメリカでこのような事態が起きるとは!

超大国アメリカの混乱は、世界の政治経済に大きな影響を及ぼす。もちろん、わが国にも大きな影響がある。

欧州ではコロナ感染が拡大し、再び都市封鎖を余儀なくされている。世界的なパンデミックに終止符を打つには先進国の協力が必須である。Brexitをはじめとする自国優先主義の風潮に歯止めをかけ、国際経済連携ルールを再構築することも急がれる。地球温暖化への対応も全世界的な協力体制が不可欠である。加えてアジアの安全保障体制の揺らぎも心配だ。いずれにしてもアメリカ合衆国のリーダーシップ無くしては改善困難な課題だろう。

と言ってみても他国の内政問題である。事態を見守る事しかできない。一日でも早くアメリカの混乱が収束することを願っている。

学術会議

菅義偉政権誕生から一カ月。歴代内閣と比較しても高水準の支持率でスタートを切った菅内閣であったが、今月の調査では軒並み10%前後下落した。

与党内では、「内閣発足後のご祝儀期間が終わっただけ。織り込み済み」との意見もあるが、日本学術会議の任命除外問題の影響を指摘する声も多い。世論調査でも、首相の説明が「十分でない、納得できない」とする回答が5割前後から6割以上となっており、学術会議問題が支持率に影響していることは間違いないようだ。

 

任命拒否の理由は政府の方針への賛否との指摘があるが、今回新たに任命された99人の中には、安保法制やいわゆるテロ等準備罪処罰法に反対している学者も数多くいる。だとしたら、一部のマスメディアが喧伝している、政府の方針に反対しているから除外されたとの論評には無理があるだろう。

 

菅総理は16日、首相官邸で学術会議の梶田隆章会長と会談。梶田氏は6人の速やかな任命と除外理由の説明を求める要望書を手渡したが、任命拒否について総理からは具体的な説明がなかったと報じられている。総理は会談後、記者団に会議の在り方について「コミュニケーションを取りながらお互いに進めていくことで合意した」と語った。

ただ、これまでのままの説明では、政府は意図的に説明を避けているとの印象は免れない。官邸は「人事で官僚をコントロールする」というイメージと重なり、学問の自由を侵していると受け止められても仕方がない。個々の人事については具体的に答えられる範囲には限界があるとは思うが、できる限り丁寧に説明責任を果たす必要がある。

 

一方、この様な状況下で自民党政務調査会の内閣部会に、“政策決定におけるアカデミアの役割に関する検討プロジェクトチーム”が設置された。このPTの目的は、任命問題を切り離して「学術会議の在り方」についての検討を行うことである。年内をメドに議論を進め方針を策定するとしている。

 

21日の会合には、学術会議から会長経験者の吉川弘之、黒川清、大西隆氏に出席していただき意見交換を行った。出席議員からの指摘は、「学術会議は提言機能を果たしていない」。あるいは「中国に渡った研究者の技術が軍事転用される可能性が否定できない中、わが国の安全保障目的のための科学研究は行うべきではないとの声明を出しているのはおかしい」などというもの。3氏からは、過去の実績を示す資料が提出され反論があった。

 

学術会議は約87万人の学者の代表210人と連携会員2000人で構成されているが、会員は内部の推薦で選ばれるなど、組織形態が硬直化している。さらに「国の機関で身分は特別公務員。費用は国が全額負担で、それでいて独立性が保たれているのか」などの指摘もなされた。

かつて、平成15年には学術会議自身が「欧米主要国の多くのアカデミーのように、寄付等による独自の財政基盤を確保し、法人としての独立性を高めるべき」という方向性を検討課題として提案している。これについては、その後平成27年の有識者会議で「組織形態を変える積極的な理由は見出しにくい」と結論付けられているが、再考の余地はある。

 

会合後、出席した元会長の一人が「学術会議の在り方について政治が主導する形で議論が進められていることに疑問を呈した」と報道されていたが、果たしてそうだろうか?

学術会議問題は目下の国民の重要関心事であり、しかも10億円あまりの国費が投入されている。政治は「学術会議の在り方」について議論する責任があると私は考えている。

 

地球温暖化の進行や増大する感染症リスクなど、人類が直面する課題は数多い。これらの解決に向けて、科学の果たす役割は非常に大きい。また、国家を越えた協力も不可欠であり、科学者にもグローバルな交流を通じて国際舞台で活躍する素養が求められる。

日本学術会議が我が国を代表する科学者のコミュニティとして、科学の進歩のための俯瞰的提言と政策立案のための答申をおこなう機関として行動するためには、どのような在り方が求められるのか…。

 

今後、過去の経緯を検証するとともに、未来志向の議論を進めて行きたいと思う。その際、学術会議の独立性や学問の自由に疑義が生じてはならないことは、論を俟たない。