第2次改造内閣・サプライズ

先週末、第2次菅改造内閣が発足した。

新任は4人と規模は小幅の改造だが、総理代行格であった仙谷官房長官が退いたのだから、質的には大改造と言って良いだろう。

参議院で問責を受けた仙谷氏の退任は、おおかた予想されていたが、「たちあがれ日本」を離党し入閣した与謝野薫氏の入閣はサプライズだった。

昨年の今頃は自民党に所属し、民主党の政策を的確かつ痛切に批判していた人物を閣僚として登用するというのだ。しかも、与謝野氏の主たる役割は、この内閣の命運を握る「社会保障・税一体改革」である。

自民党枠で比例復活当選しながら、離党し、さらに今回は民主党に協力するという与謝野氏の行動については、厳しい批判が寄せられている。

しかし、小泉政権の後半から経済財政諮問会議を取り仕切り、麻生内閣では財務大臣も兼務。官僚とも対等に渡り合う政策能力は、多くの民主党議員とは格段の差がある。この人物なら政治主導の政策決定も現実のものとできるかもしれない。

昭和13年8月生まれ、今年8月には73歳になる与謝野氏。

残された政治人生を、永年の主張である財政再建、社会保障改革と税制改革(消費税率の引き上げ)を実現させるために、まさに死力を尽くされる決意の選択であろう。

ただ、改革実現には国民の理解と信頼が不可欠だ。

今回の行動が私欲によるものでなく、国益のためであることを明示するためにも、国会議員の身分を捨てて入閣してもらいたかった。(国会で一票でも多くの賛成票が欲しい民主党が、それを許さなかったのかもしれないが…。)

このままで、氏の言葉がストレートに国民に伝わるのか?大いに疑問だ。

それ以上に問題なのは、菅総理の言行不一致の姿勢だろう。

相変わらず「有言実行」「熟議の国会」とくり返してはいるが、内閣改造は「問責を受けたからではない」などと、無理に自己を正当化する発言はやめた方が良い。屁理屈の意地を張り続けていては、与野党協議もままならないだろう。

ましてや、「野党が議論に参加しないのは、歴史への反逆行為」といった逆ギレまがいの発言はもってのほかだ。

「今回の二大臣の更迭はスムーズな国会運営のため」「与謝野氏と藤井氏の官邸入りは、現実的な政策運営への方向転換のため」と素直に語った方が、国民にも分かり易い。

党大会では「これまで民主党がやってきた事は方向として間違ってない。もっと自信を持とう」と言われたが‥‥

本気でそう思っておられるとしたら、勘違いもはなはだしい。

マニフェストの見直し(与野党協議の前提)も先行きが暗いと言わざるを得ない。

ネットのインタビューでは「色々と頑張っているのに分かってもらえない」とも‥‥

これでは辞任の記者会見で「国民が聞く耳を持たなくなった」と言われた鳩山氏と同じ事になる。

政治家は結果に対して責任を負わなくてはならない。自らを顧みて反省しない態度は、私には自己保身の為の言い訳にしか思えない。

国民の政治不信・政治離れはピークに達している。

24日に開会される通常国会を、政治の信頼回復に資する政策議論とするためにも、片意地を張らず、より謙虚な姿勢が必要だ。

過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ (論語より)

間違ったことに気づいたら、改めるのに躊躇してはならない
→誰にでも間違いはあるが、問題は間違いに気づいた後だ。上に立てば立つほど、自分の体面を気にするようになる。素直に間違いを認め改めれば、傷は小さくてすみ、しかもさらに成長できる。

拝啓 菅総理大臣殿

新年も早や10日が過ぎ、日本列島にも徐々に日常が戻りつつある。

新春交歓会での年頭挨拶では、「今年も内外ともに厳しい情況の中での幕明け」との話しが多いが、政治家としては「今年こそ明るい年にする」との決意が必要だ。

近年、「お正月らしさがなくなった」とも言われるが、初詣の長い列を見る限り、日本人にとって、お正月はやはり気持ちを切り換える絶好の機会なのだと思う。

菅総理も心機一転されたのか4日の年頭記者会見はじめ、強気の発言が目立ち始めた。

貿易自由化促進と農業再生、社会保障制度と税制の抜本改革、小沢氏を巡る政治とカネ、内閣改造と党役員人事等々。

その中で私が注目しているのは、「しっかりした社会保障を確立していくために、財源問題を含めた超党派の議論を開始したい。」という発言だ。

かねてより私はこのコラムの中で「社会保障制度改革には超党派の議論が必要だ」と繰り返し主張してきた。その意味で、総理の一歩前進を支持したい。

ただ与野党協議の実現には大きな障害がある。一昨年の衆院選における民主党のマニフェストだ。

総理は7日のインターネット番組で「マニフェストはもう1回見直さなければならない。折り返し地点(衆議院任期)の2年目あたりには行ないたい」と言及された。しかし、私にとってこの発言は「超党派の議論はそれ以降」と言われたのと同じことだ。

マニフェストに示されていたムダ削減による財源捻出は、23年度予算案の編成過程を見ても、既に破綻している。

子ども手当てや高速道路無料化等に対する国民の政策評価も高いとは言えない。

こんなマニフェストをそのままにしていては、野党も協議に乗れないだろう。(私をはじめ多くの同志が机上の空論である民主マニフェストに敗れたのだから…。)

小沢政治と決別した総理なのだから、「マニフェストは国民との約束だから、守らなければならない」と主張する小沢一派への配慮は、もう必要ないだろう。党の総意として、早急にマニフェストの棚上げ、又は見直しを決定してもらいたい。

報道によると、玄葉国家戦略担当相も、訪問先のウランバートル(モンゴル)でマニフェストの見直しに言及したとのこと。民主党政調会長でもある玄葉氏だけに、今後の言動に注目していきたい。

一方の自民党も、このところの衆参の選挙で「社会保障についての超党派の協議を」と公約してきたのだから、条件が整えば協議を避ける理由はない。

今、国民が政治に求めているのは政局より政策の議論だ。

「政局重視の自民党」と言われないためにも、党利よりも国益を優先した賢明な判断が必要なときだ。

あと数年で団魂の世代が、生産年齢層(~65歳)から高齢者層になだれ込み、社会を支える側から支えられる側に回っていく。

若い世代に過度の負担をかけないためには、人口拡大と経済成長を前提とした現行システムのすべてを再設計しなくてはならない。党派を超えて!今すぐに!

それが、政治が果すべき最も重要な「未来への責任」だ。

総理は、「政治生命をかけて、覚悟を決めてやる」とも言われたらしいが、全く同感だ。この課題は「総理の職を賭すに値する」。

「有言実行」が言葉だけに終わらないよう、腹をくくって取り組んでほしい。

これまでもくり返し言及してきたが、「残された時間はほとんどない」。

謹賀新年

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

平和と繁栄が期待された21世紀も、最初の10年が過ぎ去りました。

情報が国境を越えて瞬時に行き交い、経済が一体化し地球規模の大競争が繰り広げられるなか、世界は今、多極構造に向けた大転換を模索しています。

世界の成長センターであるアジアに位置する日本は、その経験と知力を生かして経済の健全な成長を牽引するとともに、日米協調を基軸にアジア太平洋の平和と繁栄に貢献することが求められています。

今こそ、我が国の針路を示す明快なビジョンを描き、国民と世界に示すときではないでしょうか。

しかしながら、一昨年の政権交代以来、我が国の政治はまさに混迷を極めています。政府与党はこの1年4ヵ月の政権運営をふり返り、現実を見据えた実現可能な政策を提示すべきでしょう。そして、野党も、いたずらに政府の失政を非難するだけでなく、国家の発展に向けた戦略を共に論じなくてはなりません。既に総人口は減少局面を迎え、私たちに残された時間はほとんどないと言っても良いでしょう。

疲弊する地方経済の活性化、安心して暮らせる社会保障制度の再構築、世界をリードする人材の育成、外交安全保障政策の立て直し、そして国家財政の再建。今の日本は内外ともに難題が山積しています。これらの課題の一つひとつに機敏に対応し、的確な処方箋を示すことこそ、政治に課せられた使命です。

新年にあたり決意を新たに、これからも自らの心の声を「未来への責任」に託し、発信し続けて参ります。

今年も格別のご指導とご鞭撻をお願い致します。

 

2010年

フィギュアスケート全日本選手権を見ながら、去る2月の冬季オリンピックを思い出した。金メダルこそ逃したものの、日本フィギュア界の選手層の厚さは世界レベルだ。

日の丸を背負った若者たちの活躍から早くも11か月。平成22年も残すところあと数日となり、各メディアから恒例の「今年の十大ニュース」が発表されている。

毎年のことながら国際紛争、災害・事故から芸能、スポーツネタまで、ニュースにも様々な視点があるものだと感心する。

私なりに明るい話題をいくつか挙げてみると、まずは「惑星探査機“はやぶさ”の帰還」。苦難に満ちた7年の旅は私たちに感動を与え、日本の科学技術力の素晴らしさを教えてくれた。

「日本人宇宙飛行士の活躍」も一つのニュース。国際宇宙ステーションで5ヶ月余りの長期滞在を続ける野口聡一さんと物資補給隊の山崎直子さんが宇宙で対面した(4月)。

11月には、日本が開発した無人補給機(HTV)が「こうのとり」と名付けられた。この機体はスペースシャトル退役後の補給物資輸送の主役になる予定だ。

金星探査の再チャレンジも含め、宇宙を舞台とした日本の活躍はこれからが本番だ。(予算をけちってはならない…)

天皇陛下からも称えられた「幻の魚クニマスの生息確認」(12月)。絶滅したと信じられていた日本固有種が、70年間も密かに命のリレーを続けていたことには驚かされた

折しも10月に名古屋で開催された「生物多様性条約締結国会議」で、人類と自然との共生をめざす「愛知目標」が採択されたばかり。世界語ともなった「SATOYAMA」をはじめ、日本が守ってきた共生文化を維持していきたいと思う。

今年は、様々な意味で「中国」の存在感を認めざるを得ない年でもあった。GDPは遂に日本を抜き世界2位に、上海万博は史上最高の7000万人を動員した。

尖閣諸島をはじめ各地での領土領海権の主張や、レアアースの輸出制限(9月)、ノーベル賞への冒とく行為(10月)はいただけないが、我が国の発展はこの巨大新興国といかにして共栄を図るかにかかっている。

もう一つ、南の新興国、南アフリカで開催されたサッカーW杯(6月)も忘れられない。

(今となっては失礼ながら)大会前はそれ程活躍を期待していなかっただけに、強豪揃いの予選リーグを勝ち抜き16強に名を連ねた姿は、日本に勇気を与えてくれた。

思えば、いつのまにか、サッカー選手も野球選手も、海外でプレーするのが当然の時代となった。世界化が日本を鍛えあげる好例かもしれない。

最後に政治の話も少し。こちらは大きな期待を担った民主党政権が、次々と国民の期待を裏切り続けた1年だった。

沖縄県民と米国を相手に空手形を切り、大混乱を招いている普天間基地問題。北と南で紛糾する中国・ロシアとの領土紛争。遂に年末まで収束できなかった鳩山・小沢両巨頭の政治とカネを巡る疑惑。そして、いつまでたっても見つからないマニフェスト実現のための財源探し‥‥。

「今年の世相を表わす漢字1字」は「暑」だったが、国民の民主党への思いは、昨年の政権交代後の「熱」から「怒」へ、そして「冷」と変化している。

自民党政権時から続く閉塞感は、政治離れ(不信)を拡大させてしまっているのではないかと気掛かりだ。

来年こそは政治の「信」が回復し、「明」とか「幸」が選ばれる一年にしたいものだ。

今年もお世話になりました。

皆様も良いお年をお迎え下さい。

未来への責任

小沢氏の政治倫理審査会の出席問題で民主党が揺れている。

「そんな事やっている時ではないだろう。もっとやる事があるだろう」というのが大多数の国民の声だと思うが‥‥

当事者の皆さんにはそんな国民の声が聞こえていないらしい。

対立は日毎に激化している。

執行部の方針に反対している親小沢と言われている議員の勉強会(?)で、テレビカメラを前に執行部批判を力説している姿には違和感を超えて嫌悪感さえ感じる。

私の知る限り、自民党でこの様な姿を経験した記憶はない。彼等は一体何を考えているのか、私には全く理解できない。

加えて「政治と金」を理由に辞任した鳩山氏が、自らの問題を棚に上げ、評論家のような発言をしていることにはあいた口が塞がらない。引退表明を撤回されたのだから、鳩山氏自身も母から提供された12億円もの資金の使途を説明しなくてはならない身だ。

国民の8割が小沢さん自らの説明を求めているのだ。

「私にはやましい事は一切ない」と言っておられるのだから、小沢さんは政倫審でも、証人喚問でも拒む理由はない筈だ。むしろ自ら進んで出席されるべきだろう。

自らがリーダーとして政権交代を実現した小沢さんが、何故、政権運営の障害を取り除くことに協力しないのか‥‥

経済、外交、社会保障、税制改革など、今の日本には早急に解決しなければならない課題が山積しているのだ。

小沢さんが政治家として自らの身の処し方を考えて行動されることを切望する。

課題といえば、最近のニュースの中で就とても気になったのが就職戦線の厳しさだ。大学新卒者の就職内定率は57.6%、就職先が決まっていない卒業予定者が17万人にのぼるということだ。

「50社もトライしたのにまだ決まってない」というような話も多々聞こえてくる。まさに就職氷河期の再来と言えるだろう。

大学を出たのに職に就けない若者が、毎年10万人単位で発生していくとどうなるのか?

これでは日本の未来が危うい。

若者が自らの未来に希望を失った時、国家は衰退するしかない。

これからの日本を背負うべき若者が自らの未来を画けないことに、政治はもっと危機感を持たなければならない。

政府与党だけの責任とは言わない。

政治の責任として与野党で建設的な解決策を議論しなければならない。

そのためにも小沢さんは国政運営の障害とならないように、しかるべき行動を為すべきだろう。

それが「未来への責任」だ。

あれから30年

過日、全国紙の夕刊一面の囲み記事でビートルズの「ジョン・レノン没後30年」という文字が目にとまった。
1980年(昭和55年)12月8日、ジョン・レノンはニューヨークの自宅前で射殺されたのだ。

私たち70年安保世代(団塊世代とも言う…)の青春は、ビートルズ一色に染まっていた。多くの友人もそうだったが、新しい曲が発売される度にレコード(今は無きブラックディスク)を買い求め、聴き入ったものだ。

そのビートルズが初来日した1970年は、私が早稲田大學に進学した年。苦労してチケットを入手し、日本武道館のコンサートに駆けつけた。わずか30分と言う短いステージだったが、聴衆の興奮のるつぼの中で歌っていたジョン・レノンの姿は、今も鮮明に脳裏に焼きついている。

我々団塊世代の青春のシンボルが失われた1980年。
その年は、様々な意味で世界のパラダイム転換が始まった時期だったのかもしれない。

前年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻は、世界中の猛反発を招き、80年のモスクワオリンピックの大量ボイコットに繋がった。以来、社会主義の斜陽が始まり、共産主義国が次々と市場経済の道を選択し、89年にはベルリンの壁が撤去され91年にソ連が崩壊する。未だに、マルクス・レーニン主義を唱える化石のような共産党は、日本共産党のみ(?)かもしれない。

日本の自動車生産台数が1000万台を突破し、アメリカを抜いたのも80年。我が国の経済社会は高度成長を成し遂げ、正に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(79年に創刊されたボーゲル博士の著書)の時代を謳歌していた。そして、数年後から始まる虚像のバブル経済期を経て、今日に至る。残念ながら、未だに内需型経済構造への転換は成し遂げられていない。

ソニーの初代ウォークマンが大ブレイクしたのもこの頃(79年発売)。今では当たり前のことだが、音楽を体の一部にしたのがこの装置だ。ヘッドフォン・スタイルで歩きながら音楽を楽しむ姿が、一種のファッションとなった。(ただし、コンテンツはカセットテープなので、今思えばとてつもなく巨大…。)ただ残念ながら、この後、アイ・フォンをはじめ、この種の機器で世界を席巻する電化製品は米国発となっているような気がする。

ついでにもう一つ、今から30年前の初夏、私、渡海紀三朗の人生を大きく変える事件が起こった。
一般消費税導入を掲げた前年の総選挙で一敗地にまみえた大平内閣に対し、社会党が内閣不信任案を提出。これに自民党の反主流派が同調し、5月16日、不信任案が可決された。

衆議院は二年連続の解散となり、6月22日を投票日に初の衆参同時選挙が実施された。
父・元三郎は入院中(前年の多忙な建設大臣業務と過酷な選挙応援による過労のため。)で、私が父に代わってマイクを握り、代理選挙を戦うことになったのである。

それまでの選挙では、裏方に徹していた私。当然ながら、選挙区であまり知られる存在ではなかった。しかしこの25日間で多くの支援者に面が割れた。
そしてこのことが、政治家・渡海紀三朗の原型を創ったとも言える。この代理選がなかったら、父の死後、私の出馬要請もなかったと思うからだ。

30年前の1980年は、私にとってそんな人生の節目の年だったのだ。
昨年の総選挙から1年と3か月余り、もう充電は十分だ。30年前の初心を忘れず、臨戦態勢で冬本番を迎えたい。

大連立

先週金曜日、臨時国会が閉幕した。
補正予算は成立したものの、政府提出法案37本のうち成立したのは14本。38%という成立率は過去10年間で最低だ。中身を見ても、成立したのは予算関連と事務処理的な法律ばかりで、郵政改革や地域主権など政策論を争う法案は、まともな審議すらなされなかった。

このような有様にも関わらず、会期の延長を主張したのは国民新党だけだった。本来ならば政府与党は会期延長をしてでも提出法案の成立に努力するのが当然だ。
「野党が審議拒否をしている以上、会期を延長しても意味がない」と岡田幹事長は言うが、審議拒否のタネをまいたのは民主党であり、参議院で問責された仙谷・馬淵両大臣が関係する法案以外は審議可能だったのではないか。

会期末になって菅総理の就任以来、初めての党首討論の実施が俎上にあがったが、結局、両大臣の出欠問題でこじれ、実現しなかった。
会見で総理は「私としてはやりたかった」と最近ではめずらしい笑顔で答えておられたが、いかにも白々しい。本当に「やりたかった」のなら、両大臣を欠席させてでも開催すれば良かったのではないか。あの笑顔は残念と言うよりも喜んでいるとしか見えない。

野党も両大臣の出席拒否に固執する必要があったのだろうか?両大臣が出席したとしてもどうせ座っているだけで答弁はしない。むしろ論戦の場に居てくれた方が、メディアに大写しに撮影され、責任を追及しやすい。
せっかくの好機、政府の無策を追求し、我が党の政策をアピールする機会をみすみす放棄してしまったような気がする。

政策そっちのけで、政権争いの駆け引きだけが目立つ永田町の現状に、国民もうんざりしていると考えるべきだ。
政治と国民の距離が又遠くなるのではと気がかりだ。

年明けの通常国会こそ、熟議を期待したいところだが、現状からは何の展望も開けてこない。それどころか民主党内の不協和音も聞こえ、予算編成、税制改正の政府原案が年内に策定できるのかどうかさえ疑わしい。またしても空転必至の国対が待っているのか…。

ところで一部のメディアで大連立の話が提唱されている。
経済・財政・外交安全保障など、今の日本に山積する課題を解決するために残された時間はほとんどない。だとすれば、この際政治は与野党の垣根を越え大道団結して国難に当るべきだという主張だ。

私はこの意見に賛意を表したい。

そもそも政治の目的は、国家と国民の幸せにある。
かねてからから主張しているとおり、安定した社会保障制度の再構築やその安定財源としての税制改革(消費税率引き上げ)・外交安全保障などは、長期安定の制度、政策設計が必要だ。政権交代の度に方向転回するべきものではなく、それ故に制度制定までに超党派の議論が必要なのだ。

もっとも福田内閣時の大連立構想崩壊を見ても、現行の衆議院小選挙制度の下では、二大政党の大連立は非常に困難だろう。しかし、せめて超党派の協議会は設置すべきではないか。
(再起を期して頑張っている私にとって、選挙が遠のく要因になる与野党接近は、悩ましい話ではあるのは事実だが‥‥。)

今の様な政治情況が長引けば長引く程、日本の政治は益々混乱し、この国は確実に劣化する。
日本の未来を拓くためには、多少解散が遠のこうとも、長期安定の政策方針を早期に決するべきだ。

世論調査

秋以降、菅内閣の支持率は低下を続け、遂に30%を割り込み、いわゆる危険水域に入った。

尖関諸島沖の中国漁船衝突事件への対応のまずさ、辞任した柳田前法相をはじめ頻発する閣僚の失言、小沢さんの国会紹致に対しての消極姿勢など、支持率低下の要因は多々思い当たる。だが、何よりも国民に失望感を与えているのは、菅総理のリーダーシップが見えないことだろう。

曖昧で問題先送りの国会答弁や、記者会見での自信なさげな姿からは、総理がこの国をどう導こうとしているのかが全く伝わってこない。

そのような情況下で、混迷を極めた臨時国会が幕を閉じようとしている。菅総理は今国会の開会に際し、「熟議をしたい」と言っていたが、終わってみれば意味のある政策論議は、ほとんど行われなかった。

景気対策に不可欠な補正予算と予算関連法だけは何とか成立にこぎ着けたものの、他の多くの重要法案は、審議されることもなく流れてしまった。
しかも、仙石官房長官と馬淵国土交通大臣の問責決議が参議院で可決され、今後の国会運営は全く見通しが立たなくなった。国民の政治に対する不安感は募るばかりである。

その責任は第一義的に政府与党にある。しかし、野党も政府の失政や無策を追求するのみで良いのだろうか? しっかりと自らの対案を示し、与野党が両案の是非を論じ合ってこそ国会の論戦と言えるのではないだろうか?

今国会で自民党は補正予算の組み換え動議を提案したが、その考え方を国民に充分伝えられたとは言えない。外交問題にしても、「自民党ならこうする」という考え方を積極的に提案するべきではなかったのか?

国会審議は日頃メディアに露出度の少ない野党が存在感をアピールする絶好の機会なのだ。
自民党もせっかく影の内閣を組んでいるのだから、もっと積極的に自らの政策を発信し、政策立案能力を主張する必要があったと思う。

内閣支持率の低下に反比例して、自民党支持率が回復している訳ではない。我が党は国民の期待の受け皿と成り得ていないという事実を真摯に受け止めなければならない。

対面式の直接聞きとりによる私の世論調査では、
・民主党政権は看板倒れ、民主党に政権担当能力はない。全く期待外れだ。
・しかし自民党もあげ足取りばかりで聞いていてみっともない。
・どっちもどっちだ。結局誰がやっても政治は変わらない。
・もっと国民の為になる議論をして欲しい
これがもっとも多い直近の民意だ。

政権を批判するのは野党の一義的な役割ではあるが、国民は自民党に単なる反対党(野党)の役割を望んでいるのではない。(英語では野党を反対党“opposition party”というのだが)
今我が党に求められているのは「自民党なら日本の経済を建て直してくれる」、「自民党なら日本の外交を任せても大丈夫だ」と国民が思える明快で具体的なメッセージを発信することである。

反対のための反対を繰り返すだけでは、かつての野党・民主党と同じだ。

危機管理は万全か

北朝鮮が韓国の民間人居留地を砲撃するという暴挙に出た。
その第一報が我が国のメディアで報じられたのは、
22日午後3時頃。夕方には各紙が街頭で号外を配布した。
なのに政府の見解が発信されたのは、午後10時前‥‥
我が国は、またしても、危機管理能力の欠落を露呈してしまった。

北朝鮮の軍事的挑発行為は、常態化している。
その矛先が、いつ我が国に向かわないとも限らない。
今回のような挑発行為に対しては、再発防止の意味からも、
即座に強い怒りのメッセージを打ち出すべきだろう。

不幸にも我が国を巻き込む有事が発生してしまった場合、
適切に対処するための備えの制度が国民保護法だ。
平成16年の制定後、政府の指針に基づき、
都道府県、市町村も実施計画を策定している。
確かに、今すぐ非常事態宣言を発出するタイミングではないかもしれないが、
日頃からマニュアルチェックに遺憾なきことを願う。

日本全域が彼らのミサイルの射程圏内であることを忘れてはならない。
仮に我が国に向けて発射された場合の対処は万全なのか?
万一、国内に着弾した場合には、即座に適切な対応できるのか?
ミサイルでなくとも、細菌兵器等によるテロ行為の可能性もある。
直接攻撃はなくとも、半島で有事が拡大した場合は、
大人数の難民が漂着することも想定される。

現在北東アジアは、軍事的に見れば、世界一不安定とも言えるのだ。
我が国はその一角なのだと言う事を念頭に、

日本の危機管理を総合的に再点検するべきだ
予算委員会でも集中審議が行われているが、
党派を超えた建設的な議論を望む。

“豊かさ”ランキング

急速な経済成長を続けている中国のGDP(国内総生産)が、日本を追い越して世界第2位となった。

そもそも中国の人口は日本の10倍以上なのだから、多少とも生産性が上がれば生産量が我が国を上回るのは当然だ。元相場を切り上げれば、米国を抜き、世界一になる日も遠くないだろう。

しかし、GDPは国家の経済規模を表わす数字ではあるが、それだけで「豊かさ」が決まるものではない。

むしろ私が気になっているのは、国連開発計画(UNDP)が発表した2010年版「人間開発報告書」の国民生活の豊かさを示す人間開発指数(HDI)のランキングだ。

HDIは、所得に教育水準と平均寿命を加味した「生活の質」を評価する指数で、バブル経済の頃(1990年代初頭)は首位争いをしていた日本は徐々に順位を下げ、今年は11位になった。

もっともこれらの指標はあくまで外形的・客観的な数値指標であり、国民一人ひとりの主観である「幸福度」を押し計ることはできない。

国民の自国に対する満足度が世界で最も高いのはメキシコだそうだ。

見た目には決して豊かとは思えないし、犯罪も多く所得格差の大きいメキシコで、国民の満足度が高いのは何故か?

一つの理由は国民の「現実肯定的な思考」とのことだ。

2年前、バングラデシュでは、「この国の国民はアジアで最も自国への満足度が高いのです」と現地の大使から説明を受けた。

日本の約4割の国土に1億5千万を超える人口を抱え、国民所得が日本の1/80というバングラデシュの国民満足度がなぜ高いのか? 

大使によると「平和である」「家族の絆が強い」「コミュニティの絆が強い」「現実肯定的な宗教感も関係しているかもしれない」といったことが満足の理由ということだった。

半面、アジアで国民不満度の高い国は、1位が日本で2位が韓国という。

我々が目指してきた豊かさとは何だったのか?と、軽いショックを覚えた。

幸福度と言えば、1972年にブータンの国王提唱したGNH(Gross National Happiness、国民全体の幸福度)が知られている。

GDPとかGNPといった富の量、金銭的・物質的豊かさを目指すのではなく、精神的な豊かさ、つまり幸福を目指すべきだとする考えから生まれたものだ。ただ、人口70万人弱の国家故に調査可能な統計かもしれない。

とこらで最近私が気がかりな指標が2つある。

一つはスイスの国際調査機関IMDによる国際競争力ランキング、もう一つはOECDによる生徒の学習到達度調査ランキングである。

日本はIMD国際競争力ランキングで1989~91年にはトップの座を占めていたが、97年以降順位が大きく下落し、凋落の一途をたどっている。最新の調査ではアジア新興国にも追い抜かれ58か国中27位と低迷している。

一方、中高生を対象としたOECDの学力到達度調査では、2000年は数学1位、科学2位であったが、2006年の調査では10位(数学)、5位(科学)と、こちらも低下傾向が止まらない。

これまで何度も言及してきたが、私は日本の目指すべき国家像として「科学技術創造立国」を提唱している。それだけに、上記の2つのランキングは大いに気になるところである。

以上の指標と国際ランクから明らかになる政策課題は以下のとおり。

①    成長戦略の中心に教育・科学技術(未来への投資)政策を据えること。

②    GNHを高めるためには安定した社会保障制度を確立すること。

③    経済至上主義で壊れた地域や家庭の絆を再構築すること。

HDIランキング(知的・経済レベル)で№1を目指すことも悪くはないが、GNHランキング(一人ひとりの幸せ度)でメダルが取れる日本の国づくりを目指したい。