与党の審議拒否

3月1日未明、平成23年度予算案は関連法案と分離という形で衆議院を通過した。イレギュラーな形で予算案を受け取った参議院では、西岡参院議長が不満の意を示すごとく「2日受理」としたうえ、質問時間の配分を巡って民主・自民が対立し、理事会の席から民主党理事が退席、野党が前田武志委員長に早期開催を求めるという異例の展開をたどった。
予算審議は、2日遅れで、ようやく4日からスタートしたものの、今度は前原“前”外相の外国人献金問題や厚労相の主婦年金救済問題を巡り紛糾しそうな雰囲気である。

紛糾の種をまき続ける閣僚の脇の甘さもさることながら、民主党は政府“与党”として本当に予算成立をめざしているのだろうか?
予算の早期成立(年度内)は政府が責任を負うべき最優先課題である。今回の「政府与党による審議拒否?」という事態はにわかには信じ難い出来事だ。

枝野官房長官でさえ国会日程が遅れることを知らされていなかったようだが、政府と与党の意思疎通もままならない状況なのだろうか?
まるで(小沢氏の影響力の強い)参議院民主党が政府に対して嫌がらせをしているようにも見える。
いずれにしても政府与党内部の意思統一のなさや風通しの悪さ、もっと率直に言わせてもらえば「民主党の国益を忘れた党内抗争」が、ただでさえ難しいねじれ国会の運営を一層混乱させているのは間違いない。

このような情況では、与野党間の法案修正の話し合いなど出来る筈がない。
菅総理は「関連法案が成立しなければ国民生活に大きな影響がある」と繰り返し、4月から新年度の予算執行ができなければ、それは野党の責任であるがごとくの発言をされる。
しかし、党主討論で「予算案の対案を出して欲しい」とまで要求したにもかかわらず、衆議院予算委員会に提出された自民党の対案について全く議論もせず、政府案を早々に強行採決した行為は言行不一致と言わざるを得ない。

政府が自民党案について堂々と議論できない理由は明らかだ。議論の前提となるマニフェストの見直しについて、民主党内の意見集約さえままならないからである。
その証拠に、民主党執行部は、1月の党大会で公約見直しの機関を設置すると表明しながら、未だにその気配さえ見えない。(今年9月という遙か彼方の見直しの期限の設定からも本気度のなさがうかがえる。)

問題は、小沢氏寄りの議員が「政権交代の原点に回帰せよ」「公約は国民との約束」だと見直しに反対していることだ。
確かに、政党が公約を実現する努力をするのは当然であるが、その公約が「勉強不足の故に架空の財源をあてに描いた空手形」では実現しようがあるまい。これまでの事業仕分けを通じて、17兆円もの財源捻出は不可能であることを自ら証明したはずだ。
民主党内の原点回帰論は、党内権力闘争の為にする主張に過ぎない。

このままではいつまで経っても関連法案の出口は見えない。総理が呼びかけている社会保障と税の一体改革についての与野党協議なんて、到底実現する筈がない。
国民の目には政治屋の抗争としか映らず、政治不信はますます広がるだろう。

小沢氏の処遇を巡る一党内の対立が、国会運営を左右し、予算成立の命運も握ってしまうという状況を許しおいて良いのだろうか?
総理は野党に対して「熟議」を求める前に、自らが党首を勤める政党内での「熟議」を促した方が良いのではないか?

それにしても、政府民主党のこの体たらくにも拘わらず、自民党への期待が一向に回復しない事が悩ましい。

B級グルメ→個性を競う地域発展

先頃パリで開催された主要20ヶ国・地域(G20)の財務相・中央銀行総裁会議では、食料価格高騰問題が議題となっているが‥‥。
食料価格と言えば、昨年の夏は猛暑で野菜の生育が悪く、価格が高騰して家計や外食産業を直撃した。
冬になってからも豪雪の影響で、葉野菜をはじめ野菜の価格は例年に比べて高値で推移している。鍋の白菜が大好きな私には、鍋が恋しい季節に白菜やネギが高いというのは困ったものだ。

鍋と言うと、若い時は牛肉(赤味)しか食べなかった私だが、ある時期以後豚肉の方がおいしいと思う様になった。
ステーキもヘレよりサーロインの方がおいしいと思う様になった。(もっとも健康を考えて最近はサーロインはなるべく食べない様にしているが‥‥)

話は変わるが、我々はとても幸せな場所に住んでいる。
明石海峡の早い流れの中で育った瀬戸内の魚は、最高にうまい。
私の地元には食肉センターがあり、うまくて安い肉も簡単に手に入る。
東京には全国各地から食材が集まるのでおいしい牛肉も手に入れることはできるが、とても高価である。

ところで地元名物の穴子だが、東京では焼き穴子より蒸し穴子が一般的だ。
どちらがうまいかは人の好みによるが、関西と関東では味付も料理方法も違う気がする。(東京の人は穴子の価値(値段)を過少評価している傾向がある。旨い穴子は結構高価なのだ。)

昔々の学生時代、初めて東京で暮らしたころ、「うどん」のつゆが真っ黒なことにショックを受け、「おでん」にショウガ醤油が付いて無いことを不思議に思ったことがある。
最近、「姫路おでん」が注目を集め、初めて気づいたことだが、「おでん」=「関東煮(かんとだき)」をショウガ醤油で食するのはこの播州界隈限定の風習のようだ。

永年慣れ親しんできた料理が、他の土地では全く知られていないことが多々ある。
いわゆるB級グルメブームが盛り上がるまで、高砂の「にくてん」も加古川の「かつめし」も、神戸ですら、その存在を知られていなかった。美味しいものを”B級”と称するのはいかがなものかと思ったこともあるが、ここまで定着したら立派なものだ。

B級グルメの発祥の地とも言われる富士宮市では、やきそば店めぐりの観光客にぎわっているらしい。地域のリーダーのご当地グルメに注がれた情熱が地域振興に繋がったのだ。
横手やきそば、八戸せんべい汁、甲府鳥もつ煮等々、今や、全国各地が食文化を生かした地域振興に励んでいる。

何でも東京発の情報文化に染められるのではなく、地域の人々が守り育ててきた固有の文化を誇り、競い合う中に新たな発展の芽が生まれるのではないだろうか。
八百万の神々が共存してきた日本の国。いろんな文化が共存し、切磋琢磨する姿こそがふさわしい。

歴史的に見ても、明治維新後100年余りの工業化の時代、全国画一で一律な経済発展の時代の方が、特異な時代であったような気もする。
キャッチアップの時代が終わったと言われて、もう30年。我が国、我が地方も独創力で生きる道を探らなくてはならない。

来年の秋には、姫路でB-1グランプリが開催される。日本各地の庶民の味を堪能するとともに、我らが「にくてん」はじめ播州グルメの健闘を祈りたい。

政権末期?

17日、民主党所属衆議院議員16人が、党に席を残したまま院内会派離脱願いを提出するという理解不能な行為に出た。遂に民主党は、内部から崩壊を始めたようだ。

16人は比例代表名簿の末位掲載者で、「政権交代」の風に乗って当選してきた方々であり、現在の党勢を考えると再選の可能性はゼロに近い。「決意を固めたメンバーの表情には、悲壮感が溢れていた」というのはもっともだ。

しかし、会派離脱の大義名分が「原点回帰」、総選挙の政権公約(マニフェスト)を実現しろと言うのはいかがなものだろうか?

何度もこのコラムで言及したが、民主党マニフェストの破綻は既に明らかであり、民主党自身も党大会で見直しを決定しているのだ。

本心で、破綻マニフェストの実現を考えているのであれば、日本の財政状況を全く理解されていない、政権与党の一員として失格と言わざるを得ないだろう。

仮に、これも「菅おろしのための“方便”」ということであれば、いいかげんにして欲しい。

政策理念なき党内抗争を繰り返し、私闘を国会の場に持ち込むとは言語道断の行為である。

報道によると、民主党内には「菅総理では政権は持たない」との声が広がりつつあるということだが、ではどうするのだろうか? 総理のたらい回しをくり返していては、国民の不幸が拡大していく。益々政治不信が広がるばかりだ。

再起を期する私にとって、解散総選挙は望むところではあるが、このまま政局が混迷すれば安心社会の実現は更に遠のくのではと気がかりでならない。

日本を取り巻く環境は激変しつつある。政治家の保身のために、いつまでも政策判断を先送りしている暇はない。

先日のG20でも、リーマンショック後の世界経済の安定をめざし、様々な方針が議論された。経常収支や財政赤字の相互監視ルール策定、中東の政情不安の引き金にもなった食料価格高騰対策、国際通貨システムにおける新興国の責任拡大等々‥‥。

多極化に向けて激しく揺れ動く国際社会のなかで、我が国はどのような発展方策を選択すべきか?

中央政府が果たすべき役割は、国家ビジョンの確立だ。

国会には、一日も早く本来の機能を回復し、目先の選挙対策ではなく、未来に向けて国家のあり方を議論してもらいたい。

余談になるが、先週末私は、自民党本部の総裁室で谷垣総裁に「解散が遅れても良いから、マニフェストの見直し、社会保障についての民主党案の提案が整えば与野党協議には応じるべき」と直言した。石破政調会長にも同じ趣旨の話をした。

残念ながら、民主党内がこのような状況では、マニフェストの見直し及び社会保障改革についての民主党案の取りまとめは絶望的だ。

いつまでたっても超党派協議会は実現せず、結果、国政の最重要課題が、また先送りされてしまいそうだ。

それでも私は最後まで可能性を諦めないで、党内外の友人に働き掛けを続けてゆきたい。

それが「未来への責任」を果たす為に、今私が唯一できる事だから。

党首討論

先週、菅内閣が発足して初めての党首討論が実現した。

民主党のマニフェスト違反に言及し「新たなマニフェストを提示したうえで国民に信を問うべきだ」と迫る、自民党谷垣総裁。

マニフェストの破綻は明らかであり、国民との契約違反だとして、「どのように責任をとるのか」と問いただした、公明党山口代表。

対して菅総理は「社会保障改革の与党案がまとまれば協議に応じるのか?」、「議論もしないでまず解散では、党利優先だ」と切り返した。

4月の統一地方選挙を目前に、相手を批難し、問い詰める戦術で自らをアピールしたいのかもしれないが、それが国民の期待する建設的な議論と言えるだろうか。

双方とも従来の主張の繰り返しに終始するだけで、これでは何度やっても歩み寄りは期待できない。

そもそも地方分権、地域主権の時代、国政と地方自治の役割は明確に区分すべきだ。

地方選挙を戦う候補者は、地方自治体が主体的に展開すべき政策や主張を掲げて戦うべきなのだ。現に先日の愛知県、名古屋市の選挙を見ても、国政とは争点が明らかに異なっている。

国会は国政の役割と責任をしっかり果たさなくてはならない。「今すぐに」である。悠長に統一地方選挙の終了を待っている時間的余裕はない。

「社会保障と税との一体改革」は国家の最重要かつ緊近の課題である。

自民党も公明党も既に与野党協議の必要性は認めているのだから、環境が整えば協議のテーブルにつくことに異論は無い筈だ。

与党民主党は早急に協議の前提となる原案を作成し、党内の意見集約をしなくてはならない。

原案作成を担う与謝野大臣や柳沢氏(社会保障集中検討会議メンバー)は、かつての自民党の重鎮で、税制のプロだ。予定されているヒアリングが終われば、原案(与謝野案)のとりまとめには、そんなに時間はかからないだろう。

しかし、百家争鳴の民主党の現状を見る限り、与謝野案が即座に民主党案になるとは考えにくい。

菅総理は、仮定の質問で相手を問いただすより、まず党内の意見集約にリーダシップを発揮するべきである。

そして一日も早くを政府与党案と呼べるものを確立したうえで、野党に協議を呼びかけたら良いのだ。

それでも野党が協議を拒否するならば、その時は国民の批判の矛先は野党(自民党?)へ向かうだろう。

実現不能の公約に敗れた身としては、「マニュフェスト破綻の責任論」に即刻ケジメをつけて欲しいのは山々だ…。

しかし、民主党のマニフェストに対する評価は、次の総選挙で国民の手によって下される。

今は、国会議員一人ひとりが国民の代表であるという基本認識のもと、党派を超えて自らの信念に基づき使命をしっかりと果たさなくてはならない正念場だと私は言いたい。

政策より政局?

先週、予算委員会の議論がスタートした。

メディア(特にTⅤ)では「政策よりも政局ばかりの国会」との報道が目につくが、果たしてそうだろうか? 私は必ずしもそうは思わない。

むしろ、メディアの報道姿勢の方が「政策より政局」に傾倒しているようにも思える。

確かに3日までの予算委員会で、自民党の質問は、「与謝野氏の大臣就任」「政治と金」「民主党の公約違反」を3点セットとしていたが、前2つ(政局問題)に費やした時間はそれ程長くない。

力点を入れているのは予算案の根拠となっているマニフェスト問題であり、予算委員会でこの問題を追及するのは当然のことだ。

しかし、2日夜のメインニュースで予算委員会の議論を取り上げていたのは一局のみで、他の局は政治のニュースすら報道されなかった。3日夜の政治ネタは、小沢問題対応の為の民主党役員会のみだった。

政治を批判するのもメディアの使命かもしれないが、政策の議論もしっかりと伝えて欲しいものだ。

ところで、これまでの国会審議を見る限り、残念ながら「税と社会保障の一体改革」に関する与野党協議への道筋は見えてこない。

政府与党は、まず社会保障費(100億)の約5割を占める年金制度について、明解な姿勢や具体案を提示すべきだ。そのためには、早急に民主党内の意見集約を図る必要がある。

自民党も「マニフェスト違反なら国民に謝罪し、改めて信を問え」と繰り返しているだけでは大人気ない。

「マニフェスト変更なら信を問うべき。」というのは確かに正論ではあるが、少なくとも来年度予算の審議が終わるまでは解散の環境は整わない。

これ以上、解散総選挙論を展開していても、解散カードは相手の手の内にあるのだから、事態は何も進展しない。

むしろ、今為すべきは、マニフェストの検証と修正を急ぐ様、強く迫ることだろう。

加えて、財政健全化責任法の成立を図り、これ以上の歳出増大に歯止めをかけるべきだ。

既に民主党の2009年マニフェストは歳入面で破綻している。

子ども手当てや高速無料化などの歳出面の政策の是非を議論するまでもなく、予算組み替えで捻出すると言っていた歳入の財源が見つかっていないのだ。

歳入を無視した歳出拡大は、当然、財政の破綻を招く。これ以上の財政赤字=借金拡大は子々孫々の負担を増大させることに他ならない。

各種世論調査を見ても、約7割の方々が民主党マニフェストの見直しを求めている。

菅総理も既にマニフェストの検証に言及しているのだから、苦しい言い訳やはぐらかしは止めて、マニフェストを一時全面凍結し、潔く良く謝罪すべきは謝罪し、その上で与野党協議を呼びかけるべきだ。

それにしても、「政治生命をかける」とまで言っていた菅総理の本気度が全く伝わって来ない。だから、謝罪や協議の呼びかけも言葉だけに見える。

「菅さんの延命工作に力を貸すつもりはない。」私の親しい野党議員の一人は、そう言い切った。

今の日本に残された時間は殆どないとのだ。

国政の現場に居られないことを、今程悔しく思うことはない。

未来を拓く日本の技術

無人探査機「はやぶさ」の帰還に感動したのは記憶に新しい。幾多の難関を乗り越え、太陽系の起源を探るカギを地球に届け、そして自らは燃え尽きたその姿。7年間の足跡をたどる映像に涙したのは我が妻だけではないだろう。

「はやぶさ」が命を懸けて地球に届けた惑星「いとかわ」の微粒子の分析がいよいよ始まるらしい。

「もしかして地球の起源が解明されるかも知れない」と思うと、今から心が踊る。

「はやぶさ」に続いて今度は、宇宙無人輸送機HTV「こうのとり」の活躍が始まった。22日に発進した2号機は、水80㍑と食糧、実験機材等総量6トンの物資を国際宇宙ステーションISSに届けた。

長年にわたり宇宙輸送を担ってきたスペースシャトルが今年中に退役することが決まっている。これからの輸送機は当分の間、日本の「こうのとり」が主役となる。

帰りの荷物は、ISSの廃棄物。荷物と言っても機体とともに大気圏突入時に燃え尽きる(焼却処理する)のが任務だ。

「こうのとり」を宇宙空間に送り出したH2型ロケットは、今回のミッションで成功率95%となった。

派手さこそないが、宇宙開発に関する日本の地位は着実に向上している。

はやぶさプロジェクトは、総額200億円。HTVは1機140億円。H2の打ち上げ経費は1回約150億円。ISS関係費は年額400億円。これらを安いと見るか、高いと判断するか。

私は安いと考えている。科学技術立国こそが、日本の生きる道であり、経済成長のカギを握っているからだ。

今年は神戸でスーパーコンピュータ「京」(※)が稼働をはじめ、播磨科学公園都市でX-FEL(自由電子レーザ)が完成する。

※京は兆の上の数の単位。1兆×10000P=1京

こういった世界規模の巨大実験装置はアジア全体の研究者が注目している。

基礎研究の価値は素人には分かりにくい。一年や二年で実績が上がるものでもない。しかし、20年、50年後に花開く大研究のためには、日々の地道な実験、研究の積み重ねが不可欠だ。

昨秋ノーベル化学賞を受賞した根岸さんと鈴木さんが「クロスカップリング反応」の研究に勤しんだのは1960~70年代のこと。科学技術振興のためには、大胆で息の長い支援が必要なのだ。

科学技術重視という点については、菅総理も私と同じ考え方だと信じたい。

来年度予算案の科学技術関連予算は、全省庁の合計で約3.6兆円。事業仕分けで減額された今年度予算から約750億円、2.1%増額された。

これからも、予算原案策定時に科学技術費の上乗せを指示した心を(一過性のパフォーマンスと言われないよう)持ち続けて欲しい。

先週の代表質問に続き、いよいよ今週から来年度予算案の審議が予算委員会でスタートする。

今国会から「科学技術イノベーション推進特別委員会」も設置された。

日本が元気になる科学技術の議論が活発に展開されることを切望する。

【号外】代表質問を聞いて

国会では26日から3日間、総理の所信表明に対する代表質問が行われた。

23日の自民党大会で、谷垣総裁から支持率低迷の反省の弁を聞き、今国会での議論に大いに期待していた私だが‥‥、総裁の代表質問にはある種の違和感を覚えた。

野党として政府の姿勢を正すのは当然であるが、いささか「解散」という言葉が強調されすぎている。

論点は正しくても、あれでは政局中心としか聞こえない。

そして、いくら「解散」を繰り返し主張しても、そのカードを切る権利は相手にあるのだ。

「公約の過ちを認め、有権者にお詫びしたうえで、信を問い直すべきだ」との要求も気になる。正論ではあるが、これでは「次の総選挙前には与野党協議には参加しない」と言っているのと同じだ。

私はこのコラムで「与野党協議の前提は、民主党マニフェストの一時凍結」と何度も言及してきた。大連立さえ肯定した。

TPP参画に、消費税率引き上げなど、山積する課題解決のために、我々に与えられた時間は殆どないのだ。

一日も早い協議の場を実現するために、与野党とも知恵を出し合わなければならない。

国債格下げをめぐる総理の失言を追及するよりも(確かに財務大臣経験者の言葉とは思えない失言ではあるが…)、財政再建への具体的な歩みを進めなくてはならない。

総理はダボス会議に出席されるが、会議に集まる世界のリーダーたちに日本の針路をしっかりと示すべきである。

来週からは予算委員会での相方向の議論がスタートする。自民党の皆さんには政局優先と言われないように、我が党の対案を堂々と提示し、政権担当能力のあるのは自民党であると証明して欲しい。財政健全化責任法案の再提案もその第一歩になるだろう。

我が党の主張に国民の支持が寄せられれば、自民党復権への期待も大きくなり、「解散」を求める世論も高まる。

その結果として「政権奪還」への道が開かれると私は思っている。

「タイガーマスク運動」に思う

それは昨年のクリスマスに、群馬県中央児童相談所(前橋市)に贈られたランドセル10個から始まった。

その後「タイガーマスク運動」は北海道から沖縄まで全国各地に広がり、贈り主にも様々なキャラクターの名が登場している。

加古川市でも児童養護施設に「明石の伊達直人」さんから肌着や靴・文房具が入った箱が届けられたということだ。

この施設の施設長は私の親しい方だが、「ありがたいこと。(施設の子に)何かしたいが、どう切り出していいのか分からない人がたくさんおられたのだと、今回感じた」と話しておられる。

贈られた品々が生活支援に役立つのは言うまでもない。しかしそれ以上に、福祉施設で暮らす子どもたちにとって、「贈り主の温かい心」こそが何よりのプレゼントだろう。

「タイガーマスク運動」は子どもたちに、「世の中に自分を思ってくれる人がいる」という希望を運んでいるのだ。

寄付者の実名を明かさない「匿名」という奥ゆかしい手法も、いかにも日本的で美しい。寄附と言う行為を名誉を得るための道具として使わない、日本が誇るべき素晴らしい文化ではないだろうか。

日本の国に閉塞感が充満している今、この運動の広がりは、全国の国民にほのぼのとした温もりをもたらしている。

思えば16年前のこの季節。阪神・淡路大震災の被災者に救いの手をさしのべるべく、全国から兵庫に続々とボランティアの方々が集まった。その数は延べ160万人を超え、後に、平成7年は「ボランティア元年」とも呼ばれるようになり、NPO法(特定非営利活動促進法)の創設を加速する力ともなった。

今回の「タイガーマスク運動」も一過性のものに終わらず、新しい寄附文化として日本に定着することを願う。

一方で、民主党の目玉?施策である「子ども手当」。

こちらの方は、所得の如何を問わず(大金持ちのお孫さんでも)まんべんなくばらまかれるシステムだ。逆に、実の親と切り離されて暮らす児童養護施設の子どもたちには、手当が届かないケースも多いと聞く。

当初案では、そのために必要な財源は5兆円余り、これは政府の教育科学振興予算総額(文部科学省の予算総額)に匹敵する巨費である。

総理の唱える「最小不幸社会」がいかなるものか不明だが、政府が税を徴収して福祉の名の下に現金を配分するよりも、一人ひとりの国民が愛情を込めて恵まれない方々に奉仕する方がずっと効率的で、効果も高いはずだ。

身の回りには、奉仕活動の機会はいくらでもある。

そして、思いやりと絆を大切に、「仁愛」を尊重してきた日本人には、それを実行できる心があるはずだ。

いよいよ、通常国会が開会した。

冒頭の予算審議では、持続可能な財政の確立に向けて、社会保障改革や税制改革も主要テーマになるだろう。

アジア諸国の範となる制度をめざし、互助の精神に基づく「日本らしい社会政策のあり方」について大いに議論がなされるべきだ。

第2次改造内閣・サプライズ

先週末、第2次菅改造内閣が発足した。

新任は4人と規模は小幅の改造だが、総理代行格であった仙谷官房長官が退いたのだから、質的には大改造と言って良いだろう。

参議院で問責を受けた仙谷氏の退任は、おおかた予想されていたが、「たちあがれ日本」を離党し入閣した与謝野薫氏の入閣はサプライズだった。

昨年の今頃は自民党に所属し、民主党の政策を的確かつ痛切に批判していた人物を閣僚として登用するというのだ。しかも、与謝野氏の主たる役割は、この内閣の命運を握る「社会保障・税一体改革」である。

自民党枠で比例復活当選しながら、離党し、さらに今回は民主党に協力するという与謝野氏の行動については、厳しい批判が寄せられている。

しかし、小泉政権の後半から経済財政諮問会議を取り仕切り、麻生内閣では財務大臣も兼務。官僚とも対等に渡り合う政策能力は、多くの民主党議員とは格段の差がある。この人物なら政治主導の政策決定も現実のものとできるかもしれない。

昭和13年8月生まれ、今年8月には73歳になる与謝野氏。

残された政治人生を、永年の主張である財政再建、社会保障改革と税制改革(消費税率の引き上げ)を実現させるために、まさに死力を尽くされる決意の選択であろう。

ただ、改革実現には国民の理解と信頼が不可欠だ。

今回の行動が私欲によるものでなく、国益のためであることを明示するためにも、国会議員の身分を捨てて入閣してもらいたかった。(国会で一票でも多くの賛成票が欲しい民主党が、それを許さなかったのかもしれないが…。)

このままで、氏の言葉がストレートに国民に伝わるのか?大いに疑問だ。

それ以上に問題なのは、菅総理の言行不一致の姿勢だろう。

相変わらず「有言実行」「熟議の国会」とくり返してはいるが、内閣改造は「問責を受けたからではない」などと、無理に自己を正当化する発言はやめた方が良い。屁理屈の意地を張り続けていては、与野党協議もままならないだろう。

ましてや、「野党が議論に参加しないのは、歴史への反逆行為」といった逆ギレまがいの発言はもってのほかだ。

「今回の二大臣の更迭はスムーズな国会運営のため」「与謝野氏と藤井氏の官邸入りは、現実的な政策運営への方向転換のため」と素直に語った方が、国民にも分かり易い。

党大会では「これまで民主党がやってきた事は方向として間違ってない。もっと自信を持とう」と言われたが‥‥

本気でそう思っておられるとしたら、勘違いもはなはだしい。

マニフェストの見直し(与野党協議の前提)も先行きが暗いと言わざるを得ない。

ネットのインタビューでは「色々と頑張っているのに分かってもらえない」とも‥‥

これでは辞任の記者会見で「国民が聞く耳を持たなくなった」と言われた鳩山氏と同じ事になる。

政治家は結果に対して責任を負わなくてはならない。自らを顧みて反省しない態度は、私には自己保身の為の言い訳にしか思えない。

国民の政治不信・政治離れはピークに達している。

24日に開会される通常国会を、政治の信頼回復に資する政策議論とするためにも、片意地を張らず、より謙虚な姿勢が必要だ。

過ちては則ち改むるに憚(はばか)ること勿(な)かれ (論語より)

間違ったことに気づいたら、改めるのに躊躇してはならない
→誰にでも間違いはあるが、問題は間違いに気づいた後だ。上に立てば立つほど、自分の体面を気にするようになる。素直に間違いを認め改めれば、傷は小さくてすみ、しかもさらに成長できる。

拝啓 菅総理大臣殿

新年も早や10日が過ぎ、日本列島にも徐々に日常が戻りつつある。

新春交歓会での年頭挨拶では、「今年も内外ともに厳しい情況の中での幕明け」との話しが多いが、政治家としては「今年こそ明るい年にする」との決意が必要だ。

近年、「お正月らしさがなくなった」とも言われるが、初詣の長い列を見る限り、日本人にとって、お正月はやはり気持ちを切り換える絶好の機会なのだと思う。

菅総理も心機一転されたのか4日の年頭記者会見はじめ、強気の発言が目立ち始めた。

貿易自由化促進と農業再生、社会保障制度と税制の抜本改革、小沢氏を巡る政治とカネ、内閣改造と党役員人事等々。

その中で私が注目しているのは、「しっかりした社会保障を確立していくために、財源問題を含めた超党派の議論を開始したい。」という発言だ。

かねてより私はこのコラムの中で「社会保障制度改革には超党派の議論が必要だ」と繰り返し主張してきた。その意味で、総理の一歩前進を支持したい。

ただ与野党協議の実現には大きな障害がある。一昨年の衆院選における民主党のマニフェストだ。

総理は7日のインターネット番組で「マニフェストはもう1回見直さなければならない。折り返し地点(衆議院任期)の2年目あたりには行ないたい」と言及された。しかし、私にとってこの発言は「超党派の議論はそれ以降」と言われたのと同じことだ。

マニフェストに示されていたムダ削減による財源捻出は、23年度予算案の編成過程を見ても、既に破綻している。

子ども手当てや高速道路無料化等に対する国民の政策評価も高いとは言えない。

こんなマニフェストをそのままにしていては、野党も協議に乗れないだろう。(私をはじめ多くの同志が机上の空論である民主マニフェストに敗れたのだから…。)

小沢政治と決別した総理なのだから、「マニフェストは国民との約束だから、守らなければならない」と主張する小沢一派への配慮は、もう必要ないだろう。党の総意として、早急にマニフェストの棚上げ、又は見直しを決定してもらいたい。

報道によると、玄葉国家戦略担当相も、訪問先のウランバートル(モンゴル)でマニフェストの見直しに言及したとのこと。民主党政調会長でもある玄葉氏だけに、今後の言動に注目していきたい。

一方の自民党も、このところの衆参の選挙で「社会保障についての超党派の協議を」と公約してきたのだから、条件が整えば協議を避ける理由はない。

今、国民が政治に求めているのは政局より政策の議論だ。

「政局重視の自民党」と言われないためにも、党利よりも国益を優先した賢明な判断が必要なときだ。

あと数年で団魂の世代が、生産年齢層(~65歳)から高齢者層になだれ込み、社会を支える側から支えられる側に回っていく。

若い世代に過度の負担をかけないためには、人口拡大と経済成長を前提とした現行システムのすべてを再設計しなくてはならない。党派を超えて!今すぐに!

それが、政治が果すべき最も重要な「未来への責任」だ。

総理は、「政治生命をかけて、覚悟を決めてやる」とも言われたらしいが、全く同感だ。この課題は「総理の職を賭すに値する」。

「有言実行」が言葉だけに終わらないよう、腹をくくって取り組んでほしい。

これまでもくり返し言及してきたが、「残された時間はほとんどない」。