総理の発言

先週フランスでG8首脳会議(ドービル・サミット)が開催された。
今回のサミットでは、緊急的に原子力の安全問題が議題に追加され、菅首相は異例の取り扱いと言える冒頭スピーチの機会を与えられた。
原子力政策のあり方、世界のエネルギー政策を語り、首脳会議の議論をリードするチャンスを得たのだ。

世界のエネルギー情勢を考えてみよう。
経済成長を続ける新興国は、旺盛なエネルギー消費国でもあり、成長に不可欠なエネルギーの確保は喫緊の課題だ。一方で、チュニジアの革命活動に端を発する中東、北アフリカ産油国の政情不安(今回のサミットの本命議題)もあり、化石燃料の価格は高騰している。
電力不足で苦しんでいるのは、東電、日本だけではない。目覚ましい経済成長を続けているお隣の中国でも電力不足に陥っているのだ。そして、その解決方法の最右翼は原子力だ。

100基以上の原発を有するアメリカ、発電量の約8割を原子力で担うフランスのみでなく、世界各国が原子力の利用無くしてはエネルギー需要をまかなえない状況にある。ドイツが原発撤廃を宣言できたのも、いざとなればフランスから電気を購入できるという環境にあるからだ。もちろん長期的には再生可能エネルギーの利用拡大は必要だろう、しかし今必要なのは原子力発電の安全性確保だ。

という状況の中、先進各国が日本に期待したのは、「フクシマ事故によって失われた原子力の安全性の回復」。すぐには回復できないとしても、事故原因の究明、検証を通じて、「将来に向けた安全技術確立」を強く語ることだろう。

さて、菅首相のスピーチはどのような内容だったか?
報道によると、事故情報の提供と検証結果の公開など、通り一遍の言葉のあと、「日本は2020年代の早期に自然エネルギーの割合を20%にする」との内政方針を打ち出してしまい、長々と太陽電池の発電コストの引き下げについて力説したとのこと。
これは、「日本は危険な原子力から逃げる」と受け止められても仕方があい。

各国にとって、数十年先の日本の自然エネルギー比率がどうなろうと関係ない。しかも、裏付けのない思いつきの数値目標では、議論のしようもない。
結果、サミットの討議の中心は、欧州における債務超過国の問題となった。当然のことながら、超債務大国への道を突き進みつつある我が国の総理は、この話題に関して一言も発言できなかったようだ。

首脳宣言には、原子力安全について「IAEA(国際原子力機関)を中心に安全性を確保するための新基準を策定すること」が盛り込まれたものの、日本はサミットをリードする機会を逸してしまったと言えるだろう。いや、足を引っ張ってしまったのかもしれない。

しかも、原子力プラントの輸出は、我が国の経済成長を牽引する分野の一つであったはずだ。今回の発言は、日本がフランスやロシアとの国際受注獲得競争から撤退することを宣言したようなものだ。

何も自然エネルギー20%を目指すことを否定しているのではない。「太陽電池パネルを1000万戸の住宅に設置」できたら素晴らしい。しかし、あの場で発言する内容ではない。
そして、一国の総理が発言する国策であれば、しっかりと議論を尽くして、実現への手法を確立した上で、表明するのが筋だろう。
ところが、今回の発言案の作業は一部のスタッフだけで検討され、事前に与党内や政府内の調整は一切行われなかったらしい。エネルギー政策を所管する経済産業大臣との協議もなしで、政策目標を国際会議で表明するような行為は、国政を私物化するものだ。

そう言えば、鳩山前首相も就任直後の国連演説で、国内で議論が熟さない「CO2の25%削減」を宣言してしまった。そのつじつま合わせのために、原子力発電比率を50%に引き上げた計画もあったように記憶しているが、これはどうするのだろう???

政権交代から既に1年9ヶ月が過ぎようとしている。民主党がこれからも政権を維持したいのであれば、せめて、首相の発言の重みくらいは学んでもらいたいものだ。

最近の永田町

今国会の会期末は6月22日、あと1ヵ月の審議期間が残されているというのに、早や会期延長の話題で永田町が騒がしい。
菅総理周辺に「(自己防衛のために)国会を早く閉じたい」という空気が漂っているからだ。議論すべき課題は山積しているのに、何故、通常国会を会期末で閉じようとするか…。全く理解できない。

23年度の赤字国債発行を認める特例公債法案をはじめ、多数の重要法案の審議が震災対応のため先送りされてきた。1ヶ月ですべての法案審議が尽くされるとはとても思えない。

被災地支援にしても、当面の生活支援や復旧に対応する第1次補正予算こそ成立したが、一日も早い復興に向けてさらなる予算措置や特例制度の創設が必要だ。
日々刻々と変化する被災地の実情に迅速かつ的確に対応するためにも、国会は臨戦態勢を維持しておくべきだろう。先行きの見えない避難所生活を強いられている方々に、「6月で国会を閉じる」などという論は通用しない。

被災地の復興のみならず、原発事故の検証や今後のエネルギー政策のあり方についても、早急に議論しなくてはならない。
デフレ対策や経済成長戦略の構築も必要だ。本来であれば、6月中にはTPPへの対応も決定するはずだった。

間もなく取りまとめられる社会保障制度と税制の一体改革案についても、二次補正も含め復興財源の根幹とも関わるのであれば、即座にその是非について審議をスタートさせるのが筋だろう。
震災前に行われていた度重なる総理の協力要請は、言葉だけのパフォーマンスだったのか?

そういえば昨年の今頃も、鳩山→菅と内閣が代わったにもかかわらず、参議院選挙を有利に戦うためか、予算委員会も開催することなく一方的に国会を閉じてしまった。
一部で報道されているように、政権延命のために会期延長はしないということなら、言語道断、無責任極まりないと言わざるを得ない。

大震災の発災以来、鳴りをひそめていた菅総理の退陣論も、再び顕在化し始めている。
先週には西岡参議院議長までもが「菅総理をG8サミットに出席させるわけにはいかない」と激しい退陣論を表明した。

普通であれば、このような国家非常事態の折りに、誰も政局騒ぎで時を費やすことは望まないだろう。にもかかわらず、与野党を問わず多方面から退陣を迫られる理由を、総理はどの様に受け止めているのだろうか?

「一生懸命やっている」と総理は言うが、先週各メディアが行った世論調査でも、内閣支持率は低迷を続けている。言葉だけで「野党の皆さんにも協力をお願いしたい」とくり返すだけでは何事も進展しない。

総理は、寄せられる批判をもっと謙虚に受け止め、自らにもその原因があると反省し、誠意のある協力要請をなすべきである。
どうしてもその発想に立てないのなら、貴方は「歩く風評被害」と言われても仕方ない。貴方が一刻も早く退陣を決意することが、救国への第一歩となるだろう。

和顔愛語

東日本大震災直後、企業のCM自粛を受けて、テレビやラジオで繰り返し流されたのが、ACジャパン(旧公共広告機構)のメッセージ。
余りの回数の多さに、放送局には苦情まで寄せられたらしいが、なかなか味のある作品がそろっていた。

言葉のやりとりを山彦に例えた、金子みすずの詩「こだまでしょうか」
挨拶から友だちの輪が広がる様で、こどもに挨拶励行を訴える「あいさつの魔法」。
引退後も車椅子の寄贈を続ける元盗塁王:赤星さんの「ボランティアは生涯現役」。
脳卒中時の対応のスピードの大切さをサッカーに例える「オシムの言葉」。

なかでも、私の一番のお気に入りは、思いやりの気持ちを行為に移すことの大切さを唱える「見える気持ちに」。

「こころ」は誰にも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」は誰にも見える

これは宮沢章二さんの「行為の意味」~青春前期の君たちに~と題する詩、中学生に向けて綴った77のメッセージの一節だ。
温かい心も、やさしい思いも、人に対する積極的な“行為”となることで、目に見えるものとなり、それこそが人が美しく生きることだ、と説く。

どんなに美味しい晩ご飯でも、「おいしかった、ごちそうさま」の一言が無くては、妻への感謝は伝わらない。難しい顔をして食べていたのでは、食卓の雰囲気も暗くなる。
仏教でも、「無財の布施」(=財産が無くても行える善行)として、「和顔愛語(わげんあいご)」の大切さを説いている。なごやかで穏やかな顔つきで人に接し、優しい思いやりのある言葉をかけることだ。
私たちは古来、人と人との絆、思いやりを重んじる文化のなかで命のリレーを続けてきた。
人を思いやる遺伝子は、そう簡単に損なわれるはずはない。

現代社会では、行き過ぎた個人主義により、ともすれば、自分さえ良ければいいという振る舞いが見られることもある。
しかし、一方で、被災地でボランティア活動に汗を流す数多くの若者の姿を見るにつけ、日本人も捨てたものではない、これぞ日本人らしさの発露だという思いを強くしている。
相手の立場を尊重し、他者を大切にする心で接すること。そしてお互いの思いやりに感謝する言葉のやりとり。成熟社会への針路は、そのような行為の積み重ねからこそ、描き上げることができる。

危機に際してのボランティア精神を日常生活でも発揮することができれば、多少、年金給付額が抑制されようとも、子ども手当てが減額されようとも、こころ豊かな生活を営むことができるだろう。
わずか半世紀ほど前、日本の国民所得は今の50分の1。家族や地域の絆のなかで、互いに支え合って暮らしてきたのだから。

いずれにしても、大切なのは他者を思いやる心をもった人材を育てること、“道徳”教育の重要性を再認識することだ。ACのCMに頼らなくても、私たち大人の日々の実践行動で、子どもたちの健全な心を育まなくてはならない。

原発事故調査会

一時期、ニュースのヘッドラインを独占していた福島第一原発をめぐる報道も、やや落ち着きが見られるよう思える。
もちろん、退避生活を強いられている方々の住宅確保や農水産業をはじめとする損失補償の早期支払いなど、課題は山積しているものの、原発自体は目下のところ安定的にコントロールされており、収束に向けての工程表(努力目標ではあるが…)も発表された。

そんな中、政府は、5月中旬にも事故調査委員会を設置する意向を表明した。
事故の収拾が最優先の課題であることに変りはないが、再発を防ぐための検証も急がなければならない。先延ばしすると、必要な情報が失われる恐れもある。
現場の作業に支障をきたさないよう配慮しながら、並行して検証に必要な情報収集を行うことは可能だ。

5月26・27日にはフランスで主要8ヵ国(G8)首脳会議が、6月20日からは国際原子力機関(IAEA)の閣僚会議も予定されている。
事故発生以来、内外から「日本政府の情報発信は不充分」とのそしりを受けている。これらの会議でも、福島第一原発の現状と収束の見通しはもちろん、事故原因についても情報開示を求められることは必至だ。
むしろ、我が国の名誉挽回の絶好の機会とし、積極的な情報提供により信頼回復を果たすべきだろう。

設置予定の事故調査委員会には、当然ながら独立性と透明性が求められる。
今回の事案では、電力会社の活動を直接規制する官庁である「原子力安全・保安院」はおろか、中立的な立場で保安院等の行為をチェックすべき「原子力安全委員会」までもが、検証の対象と言える。調査委員会はこれらの政府組織から独立した公正の判断ができる第三者機関としなければならない。

原子力に詳しい専門家の多くは、なんらかの形で電力会社や保安院、安全委員会などに関わってきた。それだけに委員の人選は難しいようにも考えられるが、検証作業には必ずしも専門家が必要という訳でもない。
米国のスリーマイルアイランド原発事故の原因を総合的に徹底調査するために設置された「TMI事故に関する大統領委員会」(通称ケメニー委員会)が大いに参考になるだろう。
この委員会は、ダートマス大学総長のケメニー博士(専門:インターネットサイエンス)を委員長とし、学界・労働界・地方自治体の代表者及び住民代表(主婦)から選出された12名の委員から構成されている。原子力の専門家は1人しか入っていない。

今回の調査委員会も、津波によって原発に何が起こり、その後どういう対処が為されたかの客観的な分析が重要である。特定分野の専門家の知見が必要な部分があれば、参考人として意見を求めれば良い。

検証作業の結果が世界中の原子力政策に影響を与える以上、国際的に開かれたプロセスも必須だ。IAEAなどの国際機関の参画を求めたり、検証結果について国際的な評価を受けたりすることも考えなければならないだろう。

とにかく、政府は国際社会が「フクシマ」に視線を注いでいることを忘れてはならない。
思いつきのごとく唐突に原発操業停止要請を発するのではなく、守るべき公益と私権制限の影響を熟慮し、論理的、客観的な根拠の下に必要な措置を講ずるべきであろう。

そのためにも、スピード感を持って検証作業を進め、正確な現状報告とデーターの開示を行って欲しい。
被災地の方々に安心をもたらし、世界のエネルギー政策の明日を拓く、そんな検証活動と成果を期待したい。

統一地方選をふり返って

4年に一度の統一地方選挙が終わった
とはいっても、東日本大震災により一部の被災地では選挙が延期され、また、他の地域でも被災者への配慮から街頭演説や選挙カーの活動を控えるなど、自粛ムード一色の異例の選挙戦となった。
そして、その結果を見ると、民主党の不振を強調される報道が目立ったが、かといって我が自民党が躍進した訳でもない。

確かに、民主・自民両党が対決した東京、北海道、三重の3知事選挙では民主党系候補が全敗し、道府議会選挙や政令都市の選挙でも、民主の党勢は拡大しなかった。
後半戦の市区町村選挙でも、直接対決型の10市区長選挙で、民主は3勝7敗の大幅な負け越しだ。
このほか候補者の擁立もできず、不戦敗に終わっている例も多い。いわば国政与党の失政に足を引っ張られる形で、全国的に民主党の名では浮動票が獲得できない状況にあったといえる。

一方、このような民主自滅状態にもかかわらず、自民党は前回勢力をほぼ維持した程度にとどまった。ひいき目に見れば、今後の政権戦略に一定の道筋をつけたとも言えるが、必ずしも国民の自民支持が回復したと自信をもてる結果ではない。
むしろ、自民や民主といった既成政党への失望感が広まっているのかもしれない。

その証拠の一つが地域政党の隆盛だ。
橋下大阪府知事が率いる「大阪維新の会」は府議会で過半数を獲得、大阪・堺市議会でも第一党へと躍進した。吹田市長選でも維新の会新人が現職を破り、キャッチフレーズの「大阪都構想」の実現間近(?)の勢いである。
中部圏では、2月の愛知県知事選挙、名古屋市長選挙で、川村名古屋市長の「減税日本」が旋風を巻き起こした。(ただし、今回の統一選挙では無理な“減税”という化けの皮がはがれた形で伸び悩み。)

成熟社会の国民ニーズは多様かつ複雑だ。高度成長期のような効率重視の全国画一的政策では応じきれない。自ずと地方自治の重要性が高まり、中央政府と地方政府の役割が分立してくるだろう。
その際に、国政を担う政党と地方政治を担う政党が同一である必要性はない。むしろ、地域ごとに個性ある主張を唱える政党が林立し、特色あるまちづくりを進める動きは、地方の自立・独立の時代にふさわしい姿かもしれない。

しかし、個人的な人気に過度に依存した政党、減税といった大衆迎合的公約のみの政党というのは、ちょっと考えものだ。
さらに、既成政党への失望や政治不信が、地域政党の人気につながっているという現状もいただけない。

政党たるもの、本来、確とした政策理念を綱領として掲げ、その下に志を同じくする者が集うべきものだ。民主党のように綱領もなく、選挙で当選することを目的に集まった烏合の衆では、やがて党内抗争により自滅するのは目に見えている。

一方、我が自民党は、昨年綱領を改変し、「健全な保守政党」として出直しを図っている。勤勉を美徳とする、自立を誇りとする、家族や地域の絆を持つ、公への貢献と義務を果たす、等々の方針を掲げ、「日本らしい日本の確立」の実現をめざしている。
しかし、まだまだ、この立党の理念が党員、国民に浸透しているとは言いがたい。より、かみ砕いた言葉と、具体的な政策提案による情報発信が求められる。

明日、5月3日は憲法記念日。国家のあるべき姿を描き、国民に示すことは政治家、政党の大きな役割だ。地方自治のあり方も含めて、国のかたちを大いに論じ、「日本らしい日本の姿を示し、世界に貢献できる新憲法の制定」をめざして行かなくてはならない。

首相退陣論

東日本大震災への配慮から、一時、鳴りを潜めていた菅首相退陣論だが、震災対応のあまりの稚拙さから、堰を切ったように再燃し始めた。統一地方選挙での民主惨敗も、この動きを加速している。

18日の参議院予算委員会では、自民党の脇雅史氏が「常に言い訳しかできない。あなたは首相にふさわしくない。一刻も早くやめて欲しい。」と退陣を要求。公明党の加藤修一氏も「首相の不用意な発言が多すぎる」と。たちあがれ日本の片山虎之助氏は「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれだ。復興の道筋をつけたら首相を辞めるのも選択肢の一つだ。」と詰め寄った。

民主党でも、反首相派の小沢一郎氏が、「(政府の対応は)非常に遅いし、不足している。」と批判するのは驚かないが、閣内の桜井財務副大臣までもが「菅首相は何か言われると必ず正当性を主張する。交代させると言う声が出てくるのは当然だ。」と暗に退陣論に加勢する発言をしている。

元新党さきがけのメンバーで菅首相とは旧知の仲でもある田中秀征氏も、「無心にならなければいけない。明日辞めてもいいという気持で職責を果たして欲しい。辞めない前提でやっているからダメだ。よこしまな気持があってはいけない。」と指摘している。

自らの非を一切認めようとせず、国難の時にあって野党が政府・与党に協力するのは当然だといわんばかりの菅首相の態度では、大連立など望むべくもない。それどころか、与党内からも愛想を尽かされ始めているのではないだろうか…。

首相は予算委員会の答弁で「政府の対応は一定の評価を得ている」と答えているが、最近の各種世論調査では、多くの国民が首相の指導力不足に懸念を示している。
「一生懸命やっている。政権の評価は歴史が証明する」という言葉も良く使われるが、被災者には歴史の評価を待つ時間的余裕などないのだ。

自民・公明両党内では、「嫌菅」の空気が支配的になってしまい、現政権の延命に利用されかねない大連立は、菅首相のままではもはやあり得ないだろう。メディアからは「民主党がすぐに見直すべきは4Kから5Kになった」との論も流れている。

すでに手遅れかもしれないが、菅首相はもっと誠実かつ謙虚に、自らのクビを差し出す覚悟で野党に協力を要請すべきだ。
それができなければ、自らが与野党から集中砲火を浴び、政界で惨めな姿をさらすことになるのみでなく、被災地の復興の歩を大きく遅らせ、日本の衰退を招くということを認識してもらいたい。

このままの姿勢で貴方が今の地位にしがみつくのなら、これまで野党攻撃に好んで使われた「国家の歴史への反逆者」と言う言葉は「菅首相にこそ当てはまる」と私は言いたい。

復興事業

先週、ようやく政府の復興構想会議が始動したが、既に被災したまちの復興をめざす提言が乱立気味だ。
「山を削って高台の住宅に住む」「海岸沿いの土地をかさ上げして人工地盤をつくる」「海岸沿いに防潮堤機能を持たせた工場を並べる」等々…。いずれも一考に値する。
が、忘れてならないのは我が国の財政は既に危機的状況にあることだ。それに、いくら安全で良好な住環境を創造しても、産業がなければ人は住み着かない。

仮設住宅の整備やがれきの撤去など、被災地の生活再生につぎ込む緊急的な資金を惜しんではならず、スピード第一で被災者を支援すべきだ。
しかし、次の段階の復興をめざす事業には、持続可能性の観点が必要になる。
財政運営に対する国際社会の厳しい要請もある。既にIMFも日本の復興政策に中長期的な財政再建策を盛り込むべきと指摘している。だからといって、即、復興増税と言うのでは能がない。

復興プロジェクトの立案に際しては、一つ一つの投資が将来どの程度の富を生み出すかを念頭に置いた事業計画を描き、資金調達を考える。いわゆるプロジェクト・ファイナンスの発想で進めなくてはならない。
30年、50年かかっても一定の経済成長がもたらされ、産業創造や雇用増進を通じて、広い意味で投資資金が回収できるなら、その事業は“適切”である。

今こそ、PFI(Private Finance Initiative=民主導の公共事業)制度と総合特区(規制緩和エリア)制度をフル活用して、民間の知恵と資金を生かした震災復興を進めるべきではないだろうか。資金調達の面では、復興のための投資ファンドを広く世界から募ることも有効だろう。

世界から集めた資金と民間の知恵で、安全安心基盤の確立と東北の基幹産業である一次産業の再生を進める。例えば、海水をかぶった農地と集落を対象に区画整理(=農地大規模化と土壌改良と宅地の台地化)を行い、さらに農業経営の効率化、販路の開拓等を民間の知恵で行う。
漁港や漁船、水産加工施設の再整備、漁業経営規模の拡大も同様だ。農水産業の経営規模が拡大し、就労環境が整えば、若者の就労も増えるのではないか。その結果、海外の一次産業と互角に戦う競争力も備わる。

従来の復興政策のように、公共事業一辺倒では経済成長は期待できない。高度成長期と異なり、今や公共投資の乗数効果は薄く、財政には資金負担に耐えうるスタミナがないのだから。
国全体の財政力向上の見地から、社会保障制度と税制改革も急がなくてはならないが、この問題と復興財源論=増税論は切り離すべきだろう。
復興プロジェクトの成否は財源ではなく、経済成長戦略に依るところが大きいのだ。むしろ、世界との結びつき、経済連携協定(EPA)の強化が急がれる。

菅首相率いる政府は、震災復興を金科玉条に積み重なった諸課題を先送りしようとしている風体だが、むしろ、今こそ、TPP参画を前提とした農水産業の大改革を実現し、世界と対等に競争できる一次産業の基盤づくりを進めるときではないのか。
東北の農水産業の復興は、その先頭に立つ成功モデルとしなければならない。

政治主導とは

与野党の一部で議論された震災復興大連立論は、結局、谷垣総裁が拒否したことで一旦決着を見た。小泉元首相の「健全な野党として、協力すべきは協力し、批判すべきは批判する」という論が決め手となったようだ。
私が大連立論を唱えるのは、「民主党を批判できるかどうか」というような次元ではなく、「国難の時にあってスピード感を持って事に当たるべき」ということなのだが…。総裁の決定であり、また、統一地方選挙の真っ最中であったことを考えれば、仕方があるまい。

確かに、連立を呼びかける菅首相の姿勢にも問題が多い。これまでの言動からは、「この時期に連立を断ったら、自民党が批判されるだろう」「自民党から復興担当大臣が入閣すれば政権の延命にも撃がる」といった意図が見え隠れする。

かつて、自社さ連立政権を立ち上げた際、自民党は少数党であった社会党の村山委員長に首相の座を託した。真摯に連立を望むのであれば、せめて「夏までに復旧復興の道筋をつけ、総理の職を辞する」くらいの心意気で呼びかけるべきだったろう。
いずれにしても、民主党は、破綻したマニフェストを取り下げる格好の機会(理屈)を見過ごしたのではないだろうか?

さて、国難に迅速かつ的確に対応すべき政府を混乱に導いている原因の一つは、民主党政権の「誤った政治主導」にある。
霞ヶ関の官僚機構は日本最強のシンクタンクである。それが、民主党政権の誕生とともに萎縮してしまい、この危機に際しても全く能力を発揮できていない。
政務三役(大臣、副大臣、政務官)中心の行政運営を強調するあまり、各省庁の官僚による政策立案を否定し、排除してしまったからだ。しかも、事務次官会議という省庁間の官僚トップの連絡調整会議も廃止されてしまった。だから、十分な横の連携もとれなくなっている。

この結果、有能な官僚たちが自ら考え、行動する意欲を失い、指示待ちとなってしまっている。聞くところによると、今回の有事に際し、各省庁の官僚は即座に様々な対策を検討し、早い時期から政策案を準備していた。しかし、官邸が動かず、政務三役も指示を出すことができず、生きた案とするのが非常に遅くなったようだ。

阪神・淡路大震災の際、我々は発災から1ヶ月あまりで5000億円の補正予算と10本余りの特例法を成立させた。今回は、16年前の先例があるのに未だにゼロだ。
これは、衆参のねじれが招いたものではない。民主党政権が官僚機構を使いこなせていないだけだ。

各省庁の情報網で災害の全体像を把握し、担当ごとに為すべきこと(施策)を抽出する。そして、施策を持ち寄り調整のうえ、優先順位を加味して、行程表を作成する。うまくいかなければすぐに軌道修正をかけ、再度、選択肢を提案する。
こういう仕事は官僚機構が最も得意とするところで、十分なノウハウも蓄積されている。
政治家は、官僚の提案の中から最も適切な案を選択し、その実行に際しての全責任を負う。それが政治主導のあるべき姿だ。

民主党流の“政治主導”が導入されるに至った一因は、官僚側の過去の悪しき習わしにある。永年の野党暮らしで、菅首相に強い官僚不信(官僚性悪説)が染みついているのも事実だろう。
しかし官僚にも、公に奉ずる使命感がある筈だ。いや、難しい採用試験を突破し公務員という職を選んだのだから、国家の為に尽くしたいという強い志もある筈だ。

今からでも遅くない。菅首相は誤った政治主導を改め、霞が関という我が国最大かつ最強のシンクタンクが、自信を持って、自律的に活動できるようにシステムを改善すべきだ。
政権交代後の民主党の行いは、国民の支持を得てはいない。昨年の参議院議員選挙結果が、そして、昨日の統一地方選挙の結果がそれを如実に物語っている。

挙国一致の大連立へ

菅首相得意のパフォーマンスとも思える唐突な入閣要請を谷垣総裁が拒否してから2週間。「大連立論」が再び浮上し、自民・民主両党の執行部で地道に、前向きに検討されている。
先週の自民党各派の会合でも、古賀元幹事長が「与野党の枠を超え政治の信頼回復を果たすべきだ」と指摘。 町村信孝元官房長官も「災害復興には全面協力していくスタンス、大連立を否定はしない」と語った。

一方で、自民党内には、「首相の政権延命に利用されるだけ」との警戒感も根強く、「菅首相の退陣なくして連立はできない」との声も多い。

しかし、日本は今、未曽有の国難と相対している。
ただでさえ、社会保障制度の見直し、税制の抜本改革と財政の立て直し、デフレギャップの改善、国際経済連携(貿易自由化)への対応等々、年度前半で解決すべき喫緊の課題が山積していた。
その上に、世界最大規模の大津波災害と人類未経験の原子力事故である。

この時期に、政局論争や政権交代手続きを行っている暇はない。国家の総力を挙げて、難局打開に専念すべきだ。
これまでの菅首相の政権運営や危機管理対応には数多く疑問があるが、今は、協力せざるを得まい。いや、民主党の人材のみでは、日本を滅ぼしかねないからこそ、各党の総力結集体制が必要なのだ。

自民党が選択しうる現実的な対応として、私は、期間を限定したうえでの大連立を選択すべきだと考えている。

閣外協力では充分な情報の共有はできない。情報の共有ができなければ効率的な議論とはならないし、スピード感を持って有効な対応策を打つこともできない。
「責任政党」として政府に協力するのであれば、入閣をためらう理由はない。
むしろ、閣内で我々の主張を展開し、政府の政策として実行していくことが、責任政党にふさわしい選択だと私は考える。

もちろん連立内閣を組むのであれば、事前の政策のすり合わせは必要だ。
その際、お互いの従来の主張に拘っていたのでは、一致点を見出すことはむずかしい。
我が方とすれば、少なくとも4K政策(子ども手当て、高校無償化、高速無料化、戸別所得補償)は撤回してもらいたいところだが、民主党内がまとめ切れないのなら、一定期間棚上げと言うことで、妥協すべきだろう。

一定期間とは、概ね9月までが一つの目安となる。
被災地の応急復旧のための一次補正予算と特別立法は4月中に施行する必要がある。その次に、中長期的な復興を支援する法制度と第二次補正予算を7月頃には制定・編成しなくてはならない。同時期にTPPへの対応も決断を迫られる。そして、税制改革の方向も含めて、来年度予算編成の大枠を定めるのが9月だ。

この時期まで、9月までは、政治休戦ということにする。
政治休戦というからには、双方ともに大胆に歩み寄る必要がある。というよりも、過去のわだかまりを捨て、党派を問わず最強の人材を結集して難局に当たるのだ。

仮に9月の時点で、各党の協調が強固になっていれば社会保障制度と税制改正の完了まで連立を維持する道が開ける。逆に何らかの路線対立が鮮明化すれば、連立を解消し、論点を明確にした上で国民の判断に委ねればよい。
いずれにしても、最低限、被災地復興の目処をつけるまでは、政治休戦を維持したい。

統一地方選挙が終れば、大連立の環境は整う。補正予算の編成前に挙国一致の政治体制(大連立)を作り上げ、あらゆる課題について超党派で議論し、最短距離で結論を得る。現下の国難を乗り切る術は、これしかない。

それが今、政治に求められている「国家と国民への責任」だと私は考えている

原発事故

東日本大震災の死者は1万人を超え、さらに1万7千人(届け出分)もの方々が行方不明となっている。建物被害などの把握は、まだ緒に就いたばかりだ。
地震発生から2週間が過ぎたが、未だに巨大津波の被害の全体像はまだ確定できない。

一方で、福島の原発事故は今なお厳しい状況が続いている。
炉心溶融による原子炉格納容器の崩壊という最悪の事態は避けられたものの、放射能汚染物質の流出は続き、被害の範囲を定めるどころではない。
事故現場では命がけの作業が続いているが、汚染水の漏水をはじめ、次々と新たな課題が生じている。風によって拡散する放射性物質は、東北から関東にかけて広範囲の農作物や飲料水を汚染し、風評も含めた放射能被害は拡大の傾向を見せていると言わざるを得ない。

考えられる課題としては、汚染発生源の封鎖、健康被害の防止、農水産被害への対処、さらに中長期も含めたエネルギー問題等々。これらの課題に総合的かつ計画的に取り組まなくてはならない。

まず、第一の「汚染発生源対策」。
原発事故の対応の鉄則は「止める」「冷やす」「閉じ込める」の三つだ。
今回の大地震に際し、各地の原発は正常に「止まった」(この点が、炉心が制御不能だったチェルノブイリとは異なる)。 しかし、大津波による浸水で電源を失った福島第一では「冷やす」機能を喪失したために異常事態が発生してしまった。
事故後、全力で冷却機能の回復に向けた作業が行われ、あと一歩のところまで来ているが、高い放射能を帯びた汚染水で作業は難航している。昼夜を問わず連日の作業に当たっておられる関係者に、改めて敬意を表したい。

電源と真水の供給が確保され、すべてのポンプが動き出せば、放射性物質が増産されることはない。 次は、汚染物質が散らばらないように「閉じこめる」段階に移ることができる。
既にシナリオの検討は始まっていると信じたいが、大破した4つの原子炉と発電タービンについては、燃料棒を取り出した上で、最終的には建物ごと厚いコンクリート壁で遮蔽格納せざるを得ないだろう。

次に原子炉冷却後の「健康被害対策」は、散らばってしまった放射性物資の影響を早急に正確に調査することから始まる。土壌汚染が農作物や飲料水にどの程度影響するのか? 海洋汚染が水産食品に影響するのか? それより先に居住可能エリアはどこまでか? 集落移転が必要となるのなら財産補償に加え、雇用の場の確保も必要だ。

三つ目の「農水産物の被害」については、出荷停止措置に伴う逸失利益の損失補償は当然。それ以前に、風評被害も相まって深刻な経営状況にある農家の方々へのつなぎ資金の供給が急がれる。さらに、(想定したくはないが)仮に農地の放射能汚染が広範囲かつ長期化する場合は、首都圏の食料供給体制にも大きな影響が出ることになる。

第四の「エネルギー問題」に関しては、首都圏の電力供給力不足が当分継続することは不可避だ。夏の需要拡大期に向けて、現行の“無計画な”計画停電を改め、需給見通しと利用制限策を建て直さなくてはならない。この国難に際し、正確な情報に基づく公平な措置であれば、国民も節電への協力をいとわないだろう。

中長期的には、我が国のエネルギー政策の見直しも迫られる。今回の事故を契機に欧州では原発廃止論が高まっているようだ。しかし、エネルギー自給率が2割未満という日本にとって原子力は不可欠。 化石燃料の枯渇を考えると、世界的にも原子力を放棄する道はあり得ないだろう。むしろ、この事故を反面教師とし、より安全な管理技術の確立に向けて、科学の進歩の糧とすべきと考える。

以上、「原発問題の当面検討すべき課題」について私見を述べたが、今後私はこの分野で仲間とともに私なりの努力を続けて行きたいと考えている。
今は国民一人一人が自ら考え行動すべき時。
私も一人の国民として、出来ることをやって行きたい。

今日もテレビからはお互いに支え合いながら頑張っておられる被災地の皆さんの姿が伝えられている。お年寄りの肩を揉む子供達の笑顔も伝えてくれている。
被害地でのボランティアの活動も本格化しつつある。
復興に向け自ら動き始めた人々の姿も報道されている。

「悲しみを乗り越えて被災地は必ず復興する、日本は必ず甦る」