ウィンブルドン現象

「大鵬、巨人、卵焼き」と言っても、若い人にはピンと来ないかもしれない。私の少年時代、昭和30年代の子どもたちの3大好きなものと言われていた。
そのトップを飾る大横綱“大鵬”は、昭和35年に大相撲に入幕し、横綱在位58場所、通算872勝、幕内優勝32回という成績を残し、もう一人の名横綱“柏戸”とともに柏鵬時代と呼ばれる大相撲の黄金時代を築いたヒーローである。

彼は、太平洋戦争の開戦直前に、ウクライナ人と日本人のハーフとして樺太(サハリン)に生まれた。当時の樺太は日本領だったとはいえ、今ならば立派な外国人力士である。
だが、彼が外国人かどうか?などということは昭和の時代には、ほとんど意識されなかったし、意味をなさなかった。
日本の国技である角界は日本人であふれていたという証だろう。

その柏鵬時代から半世紀を経た今日。
先日の大相撲秋場所では、関脇琴奨菊が12勝3敗と健闘し、“日本人”としては久々に大関昇進を決めた。ということが話題になった。
優勝はもちろんモンゴルから来た大横綱“白鵬”。
調べてみると5年前、平成18年初場所の栃東を最後に、日本人力士の優勝は出ていない。日本人横綱に至っては、平成15年1月の貴乃花引退以降途絶えており、魁皇がこの夏の名古屋場所で引退してからは、大関以上の番付に日本人不在という状況に陥っていた。

それだけに琴奨菊の大関昇進は、相撲界にとって久々の明るい話題と言えるだろう。
それほどに、いつの間にか我が国の大相撲の世界でも、ウィンブルドン現象(※)が進んでいる。(※自国の競技場を他国のプレーヤーに貸し出すことの例え。全英オープンテニスの開催国であるイギリスの選手が、同大会で優勝できない様に例えられている。)

かの大英国では、テニスと時期を同じくして金融の世界でもウィンブルドン現象が進んだ。1980年代のサッチャー改革=規制緩和政策により、いわゆる「金融ビッグバン」が生じ、大航海時代から続いた歴史ある英国金融業者は一気に淘汰された。
今や金融取引の世界的拠点であるロンドンのシティで活躍するプレーヤーのほとんどは外資企業である。

だが、ポンドのシェア縮小、英国経済の地位低下にもかかわらず、ウォールストリートと並ぶ金融市場=ロンドン・シティは健在である。
それどころか、南欧の財政不安に端を発するユーロ通貨危機に際し、ポンドとシティの地位は向上しつつあるようにも思える。
自由競争による個々の切磋琢磨が、全体としての進歩を導く一つの証明だろう。

一方で、遅々として進まないのが日本経済の構造改革。
25年前の前川レポートの時代から、規制緩和と市場開放、内需拡大こそが貿易不均衡を解消し、国民生活の質の向上をもたらすということは定理のように唱え続けられている。
にもかかわらず、改革の痛みを避ける政治の弱腰が、「総理は年々替われども、国家構造は変われないニッポン」の弱点をさらしている。

経済構造と異なり、すっかり国際化が進んだ我が国の大相撲。ではあるが、「国技」と称する限りは、少なくとも、日本文化としての相撲道の伝統は守って欲しいし、日本人力士にも活躍して欲しい。
だが、もはや相撲市場を世界から隔離する道は選択できない。今や白鵬や把瑠都がいない大相撲なんて考えられないから…。

臨時国会

播磨地方にも甚大な被害をもたらした台風12号に引き続き、先週には大型台風15号が日本列島を縦断。東北の震災被災地をはじめ全国各地に大きな風水害の爪痕を残した。
被災された皆様に改めてお見舞いを申し上げたい。

春先の大震災もそうだったが、容赦なく人々の生活を破壊する自然災害の頻発に、改めて自然の力の恐ろしさを思い知らされた。少しでも災害に強い国土の形成に向けて、たゆまぬ努力を続けなくてはならないとの思いを改めて強くしている。
「コンクリートから人へ」というキャッチフレーズで、公共事業の大幅削減政策を進めている民主党政権だが、人命や国民生活を守る公共事業まで不要だとは言わないだろう。

さて、紆余曲折の末、会期を14日間延長した臨時国会だが、先週一週間は開店休業のまま、9月30日の会期末が迫ってきた。
今のところ予定されているのは26日からの予算委員会での審議のみで、継続審議となっている震災関連の二重ローン救済法案や原子力発電所事故調査委員会法案など、一日も早い成立が望まれる法案についても次期国会に先送りするという。

総理が外交のために不在でも、衆参両院の委員会を開催し、閣僚の所信表明や質疑を行うことは可能だ。その方が、今後の3次補正予算審議の前さばきもできるだろうし、継続審議中の各種法案の審議も進めることができる。
これではせっかくの会期延長も効果半減である。ぜひとも会期を再延長し、実質的な政策議論を早くスタートさせて欲しい。

「与野党協力」と呼びかけながら、自前の案も提示せず国会審議から逃げ廻っている民主党の姿勢は、与野党の合意形成を難しくしていると言わざるを得ない。

確かに、迅速性がカギとなる災害復興対策や臨時的な景気刺激策、国家間の約束事となる安全保障政策や通商政策、長期安定性が必要な社会保障制度や基幹的な税制などについては、各党の短期的な党利党略を度外視して、しっかりと議論すべき課題だ。
ただ、議論の環境を整えるのは与党であり、その為にはまず党内意見を集約し、議論の素案を提示しなくてはならない。民主党には、まず、この責務を果たしてもらいたい。

議論を通じてどうしても一致点を見出すことができない部分については、各党が論点に関する方針を明確に掲げ、次の総選挙で国民の審判を仰ぐしかないだろう。
但し、先の民主党マニフェストのような無責任な公約は厳禁だ。
消費税の増税か減税かを問えば、当然減税が選択され、年金の増額か減額かを問えば、当然増額が選択される。しかし、それぞれの政策には財源が必要だ。

結果責任(実現不能の場合は政権の移譲や解散総選挙を行う)についてマニフェストで約束することを義務づければ、無責任な減税や給付増を公約にはできなくなる。
そういうルールがあれば、税制などが政争の具となることはなくなるだろうし、衆参ねじれのもとでも、与野党合意をさぐる知恵が絞られるはずだ。

日本は明治維新や戦災復興をはじめ幾多の国難と相対してきた。その度に先人は国内の対立を乗り越え、国民の力を総動員し、日本に進歩への道を拓かせてきた。

今、震災復興に向けて国民の心は一つになっている。にもかかわらず政治の対立ばかりが続く現状では国民の信頼はとても得られない。
スピード感を持って議論を重ね、政治を前進させ国難を乗り越えて行く。
それが今、与野党を問わず求められている「未来への責任」だと、私は考える。

正心誠意?

野田内閣発足後最初の世論調査は、軒並み予想外(?)の高い内閣支持率を示した。民主党の支持率も改善し、自民党を逆転している。
世論は、民主党内の混乱、与野党の対立など、不毛の政争に飽き飽きし、総理交代で何かが変わることに期待を抱いているのだろう。これまで2代の民主党政権とは異なる「党内融和優先」「与野党協議重視」の路線改革が評価されていると見るべきだ。
自民党も世論の意思を重く受け止め、単なる反対政党・抵抗勢力と言われないよう、与党政府の政策への対案の立案に心を砕く必要がある。

野田総理は、改革の第一歩として、早速、事務次官会議や経済財政諮問会議の復活に踏み切った。これらの会議の廃止は、誤った「政治主導」の象徴であり、事実上の復活により正しい「政治主導」になることを期待したい。

一方で、挙党態勢づくりの弊害が、相次ぐ閣僚の不規則発言だ。
「放射能を移してやろうか」という鉢呂前経済産業大臣の暴言は、子どもの悪ふざけの次元だし、一川防衛大臣の「素人が自衛隊を指揮するのがシビリアンコントロール」という趣旨の発言も言語道断だ。

臨時国会前の平野国対委員長の言葉=「今の内閣は不完全な状態で、十分な答弁はできない」(しばらく勉強する時間が欲しい?)というのは、事実であり、本音であるのかもしれないが…。
それ故に、臨時国会の会期を短期間(わずか4日間)とし、一問一答形式の予算委員会の開催を拒否するのは許されない。
大臣は任命されれば即時、各省庁の代表として臨戦態勢に入るのが宿命であり、内閣は組閣と同時に国家行政を司る合議機関となる。訓練時間や仮免許期間など与えられない。だからこそ適材適所の人材配置が必要なのだ。

しかも今は、有事対応の時期だ。スピードが求められるのは震災復興の3次補正予算編成のみではない。
「急速な円高と長期デフレ対策」「エネルギー戦略の再構築」「成長戦略の核となるTPP参加問題」「税と社会保障の一体改革」など、すべて早急な解答が求められている。

「政治に空白があってはならない」というのは、民主党の代表選前の言葉だ。だからこそわずか3日間という短期間で新代表を選出したのではなかったのか。
野党の強い反発に逆らえず、民主党も非を認めて臨時国会の会期を月末まで延長したが、山積する課題解決のために、国会は通年開会し、徹底した議論を尽くすという道もあったのではないのだろうか?

国会が生産的な議論の場となるためには、野党側の意識改革も必要だ。
先の総理所信表明演説後の恒例の野党党首インタビュー。今回も相変わらず紋切り型の否定的なコメントしか聞こえてこなかった。
野党は英語でopposition party(反対党)と言われる。だからと言って、政府与党の言葉すべてを否定する必要はない。野党であっても単なる抵抗勢力であってはならないのだ。

意を同じくする部分には素直に賛意を表し、指向が異なる点は厳しく指摘する、そんなコメントがあっても良いと思うし、その方が国民にも論点が明確になり、双方の政策の違いも分かり易いと思う。
本格的な政権交代時代に入った今、与野党の政策が100%異なることはあり得ないし、あってはならない。ともに従来型の発想を転換し、これまでとは異なる政策形成手法、国会運営手法の構築が求められる。

本会議の代表質問ではひたすら安全運転に徹し、官僚が準備した原稿を読みあげる退屈な答弁をくり返した野田総理だったが、予算委員会や党首討論では、抽象的なスローガンでなく具体的な処方箋を自らの言葉で(正心誠意)語ってもらいたい。
そして、我が谷垣総裁も、より良い合意形成に向けた具体的な政策提案で応じて欲しいと私は考える。

9月11日に想う

この平成23年9月11日は、二つの面で大きな意味を持つ日だった。
一つは3月の東日本大震災から半年が経過した日として、もう一つはアメリカの同時多発テロ、アメリカ対イスラム過激派の開戦から10年経過した日だ。

東日本大震災からの半年の経緯については、週末にたくさんの特集番組が組まれていた。
報道だから、やや誇張されすぎという面も否めないが、「復旧復興が遅い」という感覚は、誰しもが抱いた感想ではないだろうか。
事実、阪神淡路大震災後の対応、私が政府与党の一員として携わった16年前の復興支援策と比較してみると、今回の政府の動きはずいぶんと遅い。

16年前は、4月(発災後3ヶ月)の段階で、復興のまちづくり計画が策定され、自治体の裁量で活用できる6千億円の復興基金が造成され、6月には仮設店舗がオープンし、仮設賃貸工場でも操業が始まっていた。
今、被災地で大きな課題になっているがれきの処分についても、2月には海上搬送による埋立処分が始まっていた(もっとも、完全な処理までには2年の月日を要した。)

この時間差の要因としては、被災面積の違い、原子力という特殊事象といったことが上げられるだろう。しかし、一方で阪神淡路の経験という参考書もあったのだ。

有事の際のリーダーシップは、トップダウンでなくてはならない。しかし、それは平時のボトムアップにより、リーダーに知識が蓄積されていてこそ発揮できるものだ。
前首相のリーダーシップ発揮手法は誤っていた(できなかった?)。“目立つ”ことのみを重視し、思いつきの発言を繰り返し、故に未だに復旧復興が停滞し、被災地からは政府不信の声が絶えない。

基本的に震災復興の手法は地元の自治体に任せ切るべきだ。中央政府の役割は財政支援と規制改革=裏方の支援に徹すればよい。3次補正予算編成のスタンスも、こうあって欲しいと思う。

一方、世界の関心は9.11事件を発端とするテロとの対立にある。
宗教観の違いによる文明の対立は、今に始まったことではない。
中世の十字軍遠征や第二次大戦のホロコースト、近年の隣国によるチベット迫害等々、歴史は多くの不幸を積み重ねてきた。

こういった対立を乗り越え世界平和を構築するためには、力による征服ではなく、相互の理解、互いの違いを認めあう社会の構築が必要だ。
塩野七生さんによると古代ローマの発展も、帝国の包容力=被征服国の自我、自治を認めたことによってもたらされたようだ。

ちょうど、同時多発テロが起こった頃(と記憶しているが)、「千と千尋の神隠し」という宮崎駿監督の映画が大ヒットし、ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。
この作品が西洋人になぜ受けたか? それはきっと、八百万の神々が「油屋」(温泉旅館)で共に楽しむ姿が共感を呼んだのではないだろうか。
日本は多神教の国である。神道をベースにしつつも、仏教も、キリスト教もむしろ異なるものを取り込み、融合化してしまう不思議な包容力をもっている。この力を世界の平和構築のために発揮すべきだ。

発足早々から閣僚の失言が多発し、早くも組み替えが必要となった野田政権であるが、13日からの臨時国会で、そして、22日からの国連総会、11月のG20では、総理自らの言葉で、日本のあり方を堂々と語ってもらいたい。

新政権に望む

関西をゆっくりと横断していった台風12号は、各地に大きな傷跡を残した。播磨地域でも道路の冠水や家屋の浸水が相次ぎ、10万人規模の大規模な避難勧告も発令される事態となった。被災された方々には、心からお見舞い申しあげたい。

先週来の集中豪雨は記録的といえるもので(私自身、日曜未明のような降り方は経験がない)、紀伊半島では年間降水量の7割をわずか3日間で記録した地域もあるという。
今後、東海から北海道にかけての広域で大雨が予想されており、被災地の復旧復興のための補正予算措置は、発足したばかりの野田新政権の新たな課題となりそうだ。

さて、民主党代表選後、挙党体制の確立に腐心した野田首相は、まず親小沢の輿石氏を幹事長に配置し、かつての自民党を思わせるような派閥均衡型の閣僚人事を行った。結果、「適材適所」とは行かなかったようだが、少なくとも外見上はノーサイドの党内融和体制が整ったと見るべきだろう。

野田首相が掲げたもう一つの方針が与野党協力。その姿勢の表れが、組閣前という異例の時期(9月1日)に行われた、谷垣自民党総裁、山口公明党代表との会談だ。
首相は「震災の復旧・復興」「税制改正」「総合経済対策」の3つの実務者プロジェクトチームを提案するとともに、自民党が求めた協議の前堤である「民自公3党合意の順守」について「私が約束したわけだから信用してほしい」とも明言した。

ここまでの流れを見る限りでは、鳩山・菅内閣とは異なり「挙党一致」「与野党協力」に向けた現実路線が期待できそうに思える。少なくとも菅氏のような独善的な亡国行為はなさそうだ。
しかし一方で、外から見ているだけでも、民主党の舵取りはそんなに簡単ではないことがわかる。

ねじれているのは国会だけではない。民主党という政党そのものが、ねじれを内在しているのだ。
「3党合意の順守」とはマニフェストの見直しだが、民主党内ではマニフェストの見直しに反対する小沢・鳩山グループが多数を占めている。また、復興財源や社会保障財源についても、増税反対の意見が数多い。

そもそも、民主党には党の綱領、結党の理念がない。「政権交代」、すなわち自民党政権を倒すこと以外に共通の目標がなく(だからこそ社会主義者から旧自民党右派まで飲み込むことができる。)、今や目標を失った集団なのだ。
綱領を持たない政党を政党と呼べるかどうかはともかく、少なくとも野田首相には、マニフェストの総括を早急に行い、与野党協議の前提を整えてもらわなくてはならない。
さもなければ、またしても、国会の長期空転が始まってしまう。

先の総選挙から2年が経過したが、この間、野田首相で早や3人の総理大臣の誕生だ。
かつて首相は著書(※)で自民党の総理交代劇を批判され、「民意の裏付けのない政権が、国の舵取りをし続けるということでいいはずがない」と述べ、「総理、総裁が交代するときには総選挙を行うべき」という主張をされている。

ご説のとおりである。2009年民主党マニフェストの破綻も加味すれば、まさに今、政権の正統性について、国民に信を問うべき時期にある。
喫緊の課題である第3次補正予算が成立し、東日本大震災の本格復興対策に道筋がつけば、もはや総選挙の足かせはない。

この2年間に拡大した政治不信を回復するためにも、まずは野田首相のリーダーシップのもと、TPPなどの経済成長戦略、社会保障の給付抑制策、国防と安全保障政策、国家財政と国民負担のあり方等々について、早急に民主党内の意見を統一されることを願う。
そして、首相が嫌いな“ポピュリズム”を廃した真のマニフェストが再構築されたら、総選挙で我が自民党の政策と雌雄を決しようではないか。
日本は、「政権交代が可能な国」なのだから。

※民主の敵 ~政権交代に大義あり~(新潮新書)

民主党代表選挙

先週金曜日(26日)、菅首相は民主党両院議員総会で正式に代表辞任を表明した。
後継を選出する選挙は27日に告示され、29日には新代表が誕生する。

立候補したのは、前原、野田、鹿野、馬淵、海江田氏の5氏。当初立候補に意欲を見せていた小沢(鋭仁)、樽床の両氏は、前日になって辞退したものの、政策不在の乱立と呼べる状況であろう。

民主党の代表選は事実上、日本の総理大臣を選ぶ選挙である。よって本来は、国家の未来をどの様に舵取りするのかを争点とすべきだ。
しかし、選挙戦の構図は、全ての候補が表向きは「挙党体制」を唱えつつ、実質的には「親小沢(元代表)」か、「脱小沢」かを巡り、多数派工作が展開されているようだ。

そもそも小沢元代表は、政治とカネをめぐり強制起訴され、民主党の党員資格を停止されている身である。
そういう人物が選挙で大きな力を持っている姿は、三十年前の自民党。刑事被告人となり、離党した田中角栄氏が自民党総裁選のキャスティング・ボードを握り、闇将軍と呼ばれていた姿と重なる。
今回の代表選は、派閥力学、数の論理に支配されていた古い時代の自民党の総裁選そのものだ。そんな自民党政治を変えるために、政治改革を唱え、民主党を作ったのではなかったのか?

短い期間であっても各候補者は、内向きの議論に終始することなく、自らの目指すべき国家像を明確に示して欲しい。
原発政策や復興財源などが論点となっているが、社会保障政策のあり方、短期的な円高対策や中長期の経済成長戦略、そしてTPPをはじめとする通商外交やアジアの安全保障など国家の基本的な政策についても、候補者は自らの考え方をはっきりと表明するべきだ。

私が最も気になっている争点は、民主党2009年マニフェストの取り扱いである。
このマニフェストが掲げた「支出を拡大し、収入(税)は現状維持」というのは、あり得ない、実現不可能な政策だ。これは2年間の民主党政権で実証された。

子ども手当てに象徴されるバラマキ施策は、いわゆる「大きな政府」に繋がるものであり、その修正に否定的な小沢グループや鳩山グループの支援を受ける海江田氏は、米国の民主党や英国の労働党のように、財政再建を先送りしても、社会保障給の維持拡大を重視するということだろう。
一方で、前原氏や野田氏は、マニフェスト見直し派と思われる。つまり、特例公債法案可決の前提となった民・自・公 三党合意を遵守し、ある程度政府支出を抑制しつつ、増税を含む財政の再建に取り組むということだろう。

民主党という政党は、どちらに向かうのか? 民主党の理念は何なのか?
今回の代表選を通じて、それをはっきりと示してもらいたい。

もう一つ、我が自民党もはっきりと政策方針を示さなくてはならない。
私は、その第一の柱として、持続可能な財政の確立を掲げたい。社会保障給付の抑制、国民負担の増大という痛みを伴っても、未来の日本のためにこの大方針は譲れない路線だ。
仮に民主党の新代表がこの方針と相反する政策方針を掲げる=いわゆるバラマキを継続するのであれば、遠慮無く三党合意は破棄するべきだと考える。

候補者の公開討論会が行われると言っても、今回の代表選挙は、所詮民主党の内輪の決めごとだ。
今は、民主党所属国会議員の良識ある選択を信じて、月曜日の選挙結果を待つしかない。

過去への責任

政治には「過去」「現在」「未来」への責任がある。

まず「過去への責任」。
建国以来、数多の先人の手によって、積み重ねられ、形作られてきた日本の伝統と文化。これを守り抜き、我々の一歩を加え、次世代に引き継いでいく責任だ。
優れた人材を育成する教育政策、日本の個性を発信する文化政策において特に重要な視点となる。

次に「現在への責任」。
今、現在、我々が直面している様々な課題に、迅速かつ的確に対処する責任だ。安全安心な国民生活を維持し、経済の発展と福祉の向上を実現しなくてはならない。
言うまでもなく現下の最重要課題は未曾有の津波災害からの早期復興だろう。加えて世界的なデフレからの脱却と成長をめざす経済戦略、さらにはエネルギーの安定確保や安全保障政策なども今日的課題と言える。

最後に「未来への責任」だ。
今日の平和と繁栄の果実を子どもや孫たちも末永く享受できるよう、持続可能で安定した社会システムを維持する責任だ。
社会保障制度と税制の一体改革、借金漬けの財政構造の再建、数十年先を見据えた科学技術政策などが「未来への責任」の中心になる。

私がこのコラムを「未来への責任」としたのは、①ライフワークとしての科学技術政策、②10年来取り組んで来た財政再建、③税と社会保障の一体改革、この3つがこれからの政治活動の中心的課題となると考えたからである。

もちろん、「過去」「現在」「未来」の責任は全て密接に関連している。
政治の現場では、ともすれば現在の政策課題に捕われがちだが、政治家は常に歴史の流れの中で現在を位置付け、「過去」に想いを馳せつつ「未来」を見つめながら事に当る必要がある。

“8月”という月は、古来、祖先の霊を祀るお盆の月であるが、六十余年前の敗戦からは、改めて戦禍の犠牲になられた方々に想いを馳せるべき月となった。
当然のことながら、毎年、この時期のTV番組には第二次世界大戦に因んだ特集が数多く見られる。
国民全体が「過去への責任」を考える上で、これらの映像は大きな意味を持つ。

一年前の8月14日に「歸國(きこく)」というTVドラマを見た。
終戦記念日の平成22年8月15日、深夜の東京駅に幻の軍用列車が到着、戦争で玉砕したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。夜明けまでの数時間、現在の日本をさまよい歩いた英霊たちは、今の日本に何を見たのか…というストーリーのドラマだった。

ドラマの中で英霊の一人は昔の婚約者に語りかける。
「日本は本当に幸せになったのか?」と
「日本はものすごく豊かになったわ。だけど幸せなのかどうかは分からない。確かに豊かになったけど、日本人はどんどん貧しくなっている気がする。」と婚約者は答える。
夜明け前の東京駅から南の海に帰って行く英霊たちは「今の様な日本を作るために我々は死んだつもりはない」という言葉を残していく。

東日本大震災から早や5ヵ月余、被災地の復旧復興が急務であることに変わりはない。
ただ、目の前の物質的な復旧復興に邁進するのみでなく、時には立ち止り、過ぎ去った数十年前の日本に思いを馳せ、先人の声に耳を傾けることも必要ではないだろうか?

震災直後、東北の被災地の方々は、地域の絆で育まれた秩序ある行動で、ニッポン人の素晴らしさを世界に発信してくれた。都市への人口集中と核家族化の過程で失われていった住民相互の絆が、被災地のコミュニティには残っている。
“豊かさ”とは経済的、物質的な尺度のみでは測れない。三陸海岸の津々浦々で営まれている地縁社会こそが、日本らしい豊かな暮らし(日本のあるべき姿)なのかもしれない。

8月は私にとって毎年のことながら「過去への責任」について考えさせられる、そんな日々である。

大震災発災から5ヶ月

「震災復興に一定のメドがついたら若い世代に引き継ぎたい」という決めセリフで、菅直人と鳩山由紀夫の茶番劇が演じられたのは、6月2日のこと。
当時は今すぐにでも退任するかと思われた菅首相は、次々と思いつきの懸案を語り続け、まだまだ総理の椅子を手放そうとはしない。
今や、「一定のメドがつくまで」という言葉は、「いつのことか定まらない将来」を指す意味のように使われている。

この間、与党執行部があの手この手で自らの党首に総理退陣を迫る茶番、閣議で調整されない「脱原発宣言」を発表する首相記者会見など、言語道断の振る舞いが繰り広げられている。これらが示すのは、強すぎる総理の権限、暴走する独裁者“菅直人”に振り回される日本の姿だ。

2ヶ月の間、与野党間のみならず、与党・民主党内でも総理の退陣に向けて、様々な駆け引きが行われてきた。
しかし、被災地の復興は具体的に進んだのだろうか? 景気回復をめざす政策は打ち出されたのだろうか? 社会保障政策の方向性は議論されたのだろうか?
このままでは、日本は退化を始め、経済的な縮小を余儀なくされる。 

首相周辺が退陣の条件としている「再生可能エネルギー特別措置法案」と「平成23年度公債特例法案」の成立。
だが、前者が成立しても太陽光エネルギーなどの定額買い取り制度が導入されるのみで、即座に発電所が建設できる訳ではない。一方、太陽光発電所が急激に増えてくると買い取りコストも上昇し、電気料金が値上がりすることになる。
そもそもこの法案の目的は温暖化対策であり、提案された2月時点の状況では、再生可能エネルギーは原子力を補完する地位(原子力で稼いだ利益で、再生可能エネルギーを拡大する)であったのだ。孫さんをはじめ発電所設置者は儲かるのかもしれないが…、このような未熟な法案を熟議なしに通す必要があるのか?

後者は、本来、3月末に当初予算案と一緒に成立していなければならない法案だ。それがここまでずれ込んだ直接の要因は衆参のねじれ状況だが、本質的な原因は民主党マニフェストの財源見通しの甘さにある。
そもそも、予算関連法案の審議がストップするリスクは、昨年の参議院選挙で衆参ねじれ現象が生じた時点で分かっていたことだ。

何回となく繰り返された与野党協議を経て、先週、漸く民・自・公3党は子ども手当についての修正合意をした。バラマキ色をやや薄めた、所得制限付きの児童手当の復活だ。
岡田幹事長をはじめ政府与党幹部は民主党2009年マニフェストについて、「見通しが甘かった」と言及し、不十分ではあるがマニフェストの破綻を認め国民に謝罪もした。

民主党内ではこの発言を巡って、「マニフェストは民主党の魂、子ども手当の撤回は自殺行為」(鳩山前首相)との批判もなされている。しかし、「無駄を無くせば財源はあるんです」と選挙カーの上から絶叫されていた演説を、鳩山さんはよもや忘れられてはいまい。

一方、自民党内でも公債特例法案の対応については意見が分かれている。この法案を盾にとり、あくまでもマニフェストの全面撤回を求め、解散を迫っていくか? それとも、今年度財政の早期正常化を進めるか?
私が選択するのは、後者だ。
残されたバラマキ3K(高校、コメ、高速)については、論点を整理し年度内に引き続き議論することとすれば良い。今は、多少の妥協をしても政治を少しでも前に進めることが求められている。

マニフェストが国民との約束(契約)である以上、民主党は野党よりも国民に対して説明責任を負っている。いずれにしても民主党政権の功罪は自民党が追求しなくても次回の総選挙で民意により裁かれるのだ。

大震災発災から5ヶ月、週末には犠牲者の初盆を迎える。
数多の御霊もふるさとに帰って来られるが、帰るべき家を失った方々も多い。
遅々として進まない被災地の復興の光景を見たら、御霊も安らかな想いにはなれないだろう。
あらためて政治が果たすべき責任を考えさせられる。

科学技術の力

2か月ほど前になるが、島津製作所の田中さんが今回の原発事故を顧みて、「科学技術に携わる者として、もっと貢献できることがあったのではないかと悔やむ思いの一方で、科学技術にはまだやるべきことがたくさんあると痛感した。…日本の科学技術はダメだと落ち込むよりも、新たな課題を与えられたと思い、再出発の起点とすべきだ。」と述べておられた。

さすがはノーベル賞受賞者の言葉だ。だからこそ科学は進歩できる。
事故は事故としてしっかりと受け止め、原因を分析しなくてはならない。だが、事故にひるんで全面撤退してしまえば、これまでの努力は無に帰する。

今、日本全国が原子力エネルギーに否定的な見解に傾いてしまっている。しかし、原子核が生み出す高効率エネルギーを放棄してしまって良いのだろうか?
すべての命の源である太陽の光を生み出しているのは、水素原子が合体してヘリウム原子となる核融合反応だ。
地球上でこの核融合炉を安全に実現できれば(※1)、我々は半永久的なエネルギー源を手にすることになる。
その実現を目指し、米国、EU、中国など7か国の国際共同研究が進んでいる。もちろん日本もその一員だ。夢の実現を目指して、研究を前に進めたいものだ。

古い話になるが、放射能(Radioactivity)の名付けの親で、2度もノーベル賞を受賞したキュリー夫人。彼女が、ラジウムから発せられる青白い光に期待したのは腫瘍治療への有効性だ。
ラジウム発見後も放射性物質の研究を続け、レントゲン撮影機の改良や放射線治療の研究に貢献した彼女は、やがて長期間の被ばくによって白血病に倒れる。(残念ながら当時、放射線被ばくの危険性は認識されていなかった。)しかし、その研究成果は、CTスキャンやガンの放射線治療に繋がっている。

使い方を誤れば、一瞬にして数多の命を奪う放射線も、リスクをしっかり認識し、被爆線量を制御して使いこなせば、人類に多大な恩恵を与える平和の技術となる。

光と言えば、この春、播磨科学公園都市に完成したX線自由電子レーザー施設「SACLA(サクラ)」が、6月7日に波長1.2Å(オングストローム※2)という世界最高レベルの“上質で強力な光”を発振することに成功した。
この装置を使えば、原子レベルの一瞬の動きをとらえ、創薬の基礎となるタンパク質の構造解析やナノテクノロジーの発展に貢献できる。先日取り上げた「京速コンピュータ」と並ぶ、日本が誇る国家基幹技術の一つだ。

双方とも、計画段階から深く関わった愛着あるプロジェクトだが、ともに民主党政権の「事業仕分け」で、一つ間違えば計画に大きな影響がでた可能性もあった。とにかく、無事に初期の性能を達成できたことを心強く思う。

政治家が政策選択を誤れば、未来を拓く科学技術の可能性をつみ取ってしまうことも多々考えられる。
それは科学技術創造立国を目指す日本にとって、致命的な損失に繋がりかねない。
場当たり的な人気取りのパフォーマンスが政治だと思っているような方々には、国政を任せるわけにはいかないと、改めて思う。

※1 残念ながら、兵器としては水素爆弾が既に存在する。
※2 オングストローム:長さの単位、100億分の1メートル。原子の大きさは約1Å。

なでしこジャパン

「見て、空がまっ赤よ」。7月18日の早朝、夜明け前から“なでしこジャパン”の激闘を観戦していた妻が、東の空を見て叫んだ。
窓の外に目を向けると日本(ひのもと)の勝利を暗示するかのように、まっ赤な朝焼けが空一面に広がっていた。

試合の結果は、ご承知のとおり。“なでしこ”たちは二度も先行されながら劣勢を跳ね返し、PK戦を制して見事に勝利、世界の頂点に立った。
欧米の選手たちと比べると平均身長が10㎝以上も低いというハンディ。それを克服したのは細かいパス廻しの技術と身体を張った勇気あるディフェンス力、そして何よりもメンバーの信頼関係、友を信じるチームの結束力だろう。

彼女たちは試合終了後、東日本大震災に寄せられた世界中からの支援へのお礼の横幕「Thank you for all people of the world. Thank you for your support」を広げ、日本国民を代表してピッチを一周していた。
まさに「大和撫子」と呼ぶにふさわしい、清らかで美しいその姿は、東北の被災者の皆さんのみならず日本中に元気を与えてくれた。

世界一という快挙を成し遂げた“なでしこ”たちも、日頃のプレー環境はなかなか厳しいものがある。
男たちのJ1に当たる「なでしこリーグ」の一試合平均の入場者数は900人ほどだという。この数字が示すとおり、リーグを構成する9チームのうち、浦和や市原などJリーグとおなじ母体が運営する4チーム以外は、非営利(NPO)のクラブだ。

澤選手や海堀選手をはじめ7人の日本代表が所属する神戸レオネッサも、そんなクラブチームの一つ。プロ契約の選手は一握りで、ほとんどの選手は仕事とサッカーを両立させている。24日、そのレオネッサとジェフ市原のゲームが、神戸ホームズスタジアムで行われた。観客数はリーグ“過去最高”の1万8000人。
今の“なでしこ”ブームを考えると当然とも言えるかもしれないが、この人気をこれからも維持、拡大してもらいたいものだ。

「スポーツ振興」という政策分野も、なかなか難しいものがある。昨今の大相撲をめぐる問題のように、興行面が行きすぎると競技スポーツらしさを失う。だからといって、資金獲得無くしては、選手の育成、ファンの裾野拡大が進まないのも事実ではある。
野球が代表かもしれないが、我が国のアスリート育成は学校のクラブ活動に大きく依存している。確かに知育・徳育・体育の言葉のごとく、中学高校の教育の一貫として身体を鍛えるのは大切なことだが、例えば女子サッカーなどについては指導員不足から、必ずしもすべての中学高校にクラブが存在するとは限らない。
競技人口が一部の種目に偏らないようにするためには、国家予算による支援措置も必要だ。

このようなスポーツ振興予算にも、事業仕分けの大なたを振るって、削減してきたのが民主党政権だ。
19日の首相官邸での“なでしこジャパン”優勝報告会の際、「今から間に合うか分からないがチームの統率力を勉強したい」との総理発言の後、総理へのアドバイスを求められた澤穂希主将はきっぱりと「ないです」と答えたそうだ。
さすがは、世界のMVP。その誉れを改めて称えたい。