和顔愛語

東日本大震災直後、企業のCM自粛を受けて、テレビやラジオで繰り返し流されたのが、ACジャパン(旧公共広告機構)のメッセージ。
余りの回数の多さに、放送局には苦情まで寄せられたらしいが、なかなか味のある作品がそろっていた。

言葉のやりとりを山彦に例えた、金子みすずの詩「こだまでしょうか」
挨拶から友だちの輪が広がる様で、こどもに挨拶励行を訴える「あいさつの魔法」。
引退後も車椅子の寄贈を続ける元盗塁王:赤星さんの「ボランティアは生涯現役」。
脳卒中時の対応のスピードの大切さをサッカーに例える「オシムの言葉」。

なかでも、私の一番のお気に入りは、思いやりの気持ちを行為に移すことの大切さを唱える「見える気持ちに」。

「こころ」は誰にも見えないけれど
「こころづかい」は見える
「思い」は見えないけれど
「思いやり」は誰にも見える

これは宮沢章二さんの「行為の意味」~青春前期の君たちに~と題する詩、中学生に向けて綴った77のメッセージの一節だ。
温かい心も、やさしい思いも、人に対する積極的な“行為”となることで、目に見えるものとなり、それこそが人が美しく生きることだ、と説く。

どんなに美味しい晩ご飯でも、「おいしかった、ごちそうさま」の一言が無くては、妻への感謝は伝わらない。難しい顔をして食べていたのでは、食卓の雰囲気も暗くなる。
仏教でも、「無財の布施」(=財産が無くても行える善行)として、「和顔愛語(わげんあいご)」の大切さを説いている。なごやかで穏やかな顔つきで人に接し、優しい思いやりのある言葉をかけることだ。
私たちは古来、人と人との絆、思いやりを重んじる文化のなかで命のリレーを続けてきた。
人を思いやる遺伝子は、そう簡単に損なわれるはずはない。

現代社会では、行き過ぎた個人主義により、ともすれば、自分さえ良ければいいという振る舞いが見られることもある。
しかし、一方で、被災地でボランティア活動に汗を流す数多くの若者の姿を見るにつけ、日本人も捨てたものではない、これぞ日本人らしさの発露だという思いを強くしている。
相手の立場を尊重し、他者を大切にする心で接すること。そしてお互いの思いやりに感謝する言葉のやりとり。成熟社会への針路は、そのような行為の積み重ねからこそ、描き上げることができる。

危機に際してのボランティア精神を日常生活でも発揮することができれば、多少、年金給付額が抑制されようとも、子ども手当てが減額されようとも、こころ豊かな生活を営むことができるだろう。
わずか半世紀ほど前、日本の国民所得は今の50分の1。家族や地域の絆のなかで、互いに支え合って暮らしてきたのだから。

いずれにしても、大切なのは他者を思いやる心をもった人材を育てること、“道徳”教育の重要性を再認識することだ。ACのCMに頼らなくても、私たち大人の日々の実践行動で、子どもたちの健全な心を育まなくてはならない。