大連立

先週金曜日、臨時国会が閉幕した。
補正予算は成立したものの、政府提出法案37本のうち成立したのは14本。38%という成立率は過去10年間で最低だ。中身を見ても、成立したのは予算関連と事務処理的な法律ばかりで、郵政改革や地域主権など政策論を争う法案は、まともな審議すらなされなかった。

このような有様にも関わらず、会期の延長を主張したのは国民新党だけだった。本来ならば政府与党は会期延長をしてでも提出法案の成立に努力するのが当然だ。
「野党が審議拒否をしている以上、会期を延長しても意味がない」と岡田幹事長は言うが、審議拒否のタネをまいたのは民主党であり、参議院で問責された仙谷・馬淵両大臣が関係する法案以外は審議可能だったのではないか。

会期末になって菅総理の就任以来、初めての党首討論の実施が俎上にあがったが、結局、両大臣の出欠問題でこじれ、実現しなかった。
会見で総理は「私としてはやりたかった」と最近ではめずらしい笑顔で答えておられたが、いかにも白々しい。本当に「やりたかった」のなら、両大臣を欠席させてでも開催すれば良かったのではないか。あの笑顔は残念と言うよりも喜んでいるとしか見えない。

野党も両大臣の出席拒否に固執する必要があったのだろうか?両大臣が出席したとしてもどうせ座っているだけで答弁はしない。むしろ論戦の場に居てくれた方が、メディアに大写しに撮影され、責任を追及しやすい。
せっかくの好機、政府の無策を追求し、我が党の政策をアピールする機会をみすみす放棄してしまったような気がする。

政策そっちのけで、政権争いの駆け引きだけが目立つ永田町の現状に、国民もうんざりしていると考えるべきだ。
政治と国民の距離が又遠くなるのではと気がかりだ。

年明けの通常国会こそ、熟議を期待したいところだが、現状からは何の展望も開けてこない。それどころか民主党内の不協和音も聞こえ、予算編成、税制改正の政府原案が年内に策定できるのかどうかさえ疑わしい。またしても空転必至の国対が待っているのか…。

ところで一部のメディアで大連立の話が提唱されている。
経済・財政・外交安全保障など、今の日本に山積する課題を解決するために残された時間はほとんどない。だとすれば、この際政治は与野党の垣根を越え大道団結して国難に当るべきだという主張だ。

私はこの意見に賛意を表したい。

そもそも政治の目的は、国家と国民の幸せにある。
かねてからから主張しているとおり、安定した社会保障制度の再構築やその安定財源としての税制改革(消費税率引き上げ)・外交安全保障などは、長期安定の制度、政策設計が必要だ。政権交代の度に方向転回するべきものではなく、それ故に制度制定までに超党派の議論が必要なのだ。

もっとも福田内閣時の大連立構想崩壊を見ても、現行の衆議院小選挙制度の下では、二大政党の大連立は非常に困難だろう。しかし、せめて超党派の協議会は設置すべきではないか。
(再起を期して頑張っている私にとって、選挙が遠のく要因になる与野党接近は、悩ましい話ではあるのは事実だが‥‥。)

今の様な政治情況が長引けば長引く程、日本の政治は益々混乱し、この国は確実に劣化する。
日本の未来を拓くためには、多少解散が遠のこうとも、長期安定の政策方針を早期に決するべきだ。