政治活動の目的は政党の勢力拡大ではない

 非小沢の組閣、党内体制が功を奏したか、60%を超える高支持率のもと管内閣が船出した。そして、この人気が国会論戦で損なわれることを回避し、国会は16日で閉会。参議院選挙態勢に移行してしまった。新党さきがけで苦労を共にした私の知る菅直人氏は、決して論戦から逃げない、むしろ自ら論戦を挑む政治家だったはずだ。

 しかし、結局、国民に政権選択の判断材料を提供することなく、追い風が吹くうちに選挙がしたいとの参議院選候補者の都合が優先されてしまった。小沢氏が辞めても民主党の選挙至上主義は変わらないのか…、と残念である。

 民主党の参院選マニフェストの主題は、「強い経済」、「強い財政」、「強い社会保障」の一体的建て直しである。そのための手法として、公共事業でもなく、自由競争でもない、「第三の道」をめざすという。
 この「第三の道」とやらの正否はともかく(まさに「言うは易く行うは難し」であろう…)、管氏の揚げた三つの政策目標は、「たちあがれ日本」の与謝野氏の従来からの主張と全く同じだ。安定した社会保障制度、成長を目指すマクロ経済戦略、持続可能な行財政構造、これらは政権が代わっても維持しなければならない国家の基本戦略である。

 そういう意味で、総理が呼びかけた超党派の国会議員による協議の場=「財政健全化検討会議」の設置も重要になる。会議名が“財政健全化”とされているところに、「消費税率引き上げの責任を野党にも負わせよう」という姿勢が見え隠れはするが、国家の基本政策については、党派を超えて、冷静な議論を行わなくてはならないのも事実だ。

 社会保障制度や税財政などの基本政策は、数十年単位の長期安定が必要であり、数年の短期間で揺れ動いてはならない。これは、私も従来から強く主張してきたことであり、今後、各党が協議のテーブルに着くという点だけでも、選挙前になんとか合意して欲しかった。

 子ども手当のような愚策であっても、政府として始めてしまった以上、しばらくは継続せざるを得ない。スタートするまでに、しっかりとその正否を議論すべきなのだ。
野党自民党も、「我々から呼びかけたときには応じなかったのに‥‥」とか、「まず昨年のマニュフェストの誤りを認めろ」とか、議論の入り口でケチをつけるのではなく、政策の中身で堂々と論陣を張るべきではないだろうか。

 政治活動の目的は政党の勢力拡大ではないはずだ。政治の目指すところは国家の繁栄・国民生活の向上であり、政党の勢力拡大は目的を達成する為の手段でしかない。手段が目的化することは断じてあってはならない。

※参議院選挙の間(6/24~7/11)は公職選挙法によりHPでの意見表明は禁止されておるので、「日々思うこと」はお休みです。

帰ってきた「はやぶさ」

「はやぶさ」が大宇宙の旅から帰ってきてくれた!
この小惑星探査船が日本を発ったのは、2003年5月のこと。7年前、ちょうど私が2度目の文部科学副大臣を務めていた時期である。

 機体開発費約200億円のこのプロジェクトは、かつてアポロ計画や、この春、野口さん山崎さんが滞在した国際宇宙ステーションISSなど有人宇宙飛行に比べると確かに地味ではある。従ってこれまでメディアの扱いも小さかった。

 が、「はやぶさ」が残した功績は甚大だ。この機体には、日本の科学技術の粋、世界に先んじる最新の技術が詰め込まれている。その一つがイオンエンジン。従来型の燃焼型ロケットとは異なり、イオンレベルの粒子による作用反作用を活用したもので、格段に優れた省エネ航行を可能にする。火星や金星を巡る惑星間飛行には無くてはならない技術だ。

 もう一つは、自律型航行機能。ハヤブサが着陸した惑星「イトカワ」は地球から3億㎞の彼方。地球と火星の中間点で、電波による交信には十数分を要する。このため、地球からの指示に依存することなく、宇宙船が自律的に判断できる着陸制御装置が組み込まれた。

 このような我が国の最先端技術を実証した「はやぶさ」の航海ではあるが、その足取りは決して順風満帆ではなかった。姿勢制御装置の故障、イトカワ着陸時の転倒、電池枯渇による音信不通=行方不明状態、等々の苦難をその都度克服し、当初計画した飛行期間を3年あまりも超過しながらも、その目的を見事に達成したのだ。

 あとはオーストラリアの沙漠に着地したカプセルの中から、太陽系45億年の歴史の謎解きに繋がる「イトカワの砂」が見つかることを願うのみである。

 カプセルは日本に持ち帰られ、間もなく分析が始まる。世紀の大発見の際には、「世界一の技術は必要ない」かのごとき発言をなさった某大臣にも、この「はやぶさ」の偉業、日本の科学技術の実力を世界にアピールして欲しいものだ。

選挙は人気投票ではない。

 先週水曜日(2日)の朝、永田町に激震が走った。
「続投の意志は固い」という前日までの報道に反し、意表を突く形で鳩山前総理が辞意を表明したからだ。

 鳩山氏が辞意を固める過程で何があったのかは次第に明らかになるだろう。だが辞任理由はともかく、問題は、1年交替の短命内閣が4代も続いている我が国政の体たらくである。このような状況では、多極化する世界政治のなかで、日本の地位が益々低下することは必至だ…。

 唯一とも言える鳩山氏のお手柄は、政権末期に社民党と袂を分かったこと、そして小沢氏を道連れに退陣したことだろう。これで、「政策不一致には目をつぶり、数の力を優先する」という与党の姿勢が多少ましになるのではないか。(そもそも民主党自体が異質な政策論者の集合体で、小沢氏が強引に束ねていただけとも言えるが…)

 辞意表明から2日後の金曜日、民主党は所属国会議員の投票により新代表に菅直人氏を選出、午後には国会で94代内閣総理大臣の指名を受けた。菅総理は(もう十数年も前のことになってしまったが)新党さきがけで苦楽を共にした旧友である。今は立場を異にしているが、まずは永年の努力に敬意を表し、総理就任をお祝いしたい。

 一連の人事で脱小沢を強調し、クリーンな民主党をアピールしたのが効を奏したのか、民主政権への支持率は前週の2割前後から6割前後へと大きく上昇した。

 この世論調査の結果は、国民が民主党に託した政権交代(=政治改革)の期待が根強く残っている証であるということを肝に銘じなくてはならない。確かに「誰がやるかより、何をやるのかが重要だ」という小泉進次郎氏の発言は的を射ている。しかし、国民の目線が自民党に戻って来ていないのも事実だ。

 今日(8日)発足した新内閣の政策方針と実力は、11日から来週にかけての所信表明・代表質問で明らかになる。外交力の安定は回復できるか?経済成長戦略に説得力はあるか?財源無視のバラマキ政策に歯止めがかかるか?社会保障制度改革の道筋は示されるか?破綻状況の国家財政をどう立て直すか?等々
 我が党同志には、堂々とした政策論戦を挑んで新政権の問題点を浮き彫りにして欲しい。

 余談だが、安倍・福田両氏の突然の辞任も、多忙な国会開会中の出来事だった。しかし、我が党はタイトなスケジュールのなか、あえて全党員参加の総裁選を行なった。

 開かれた政党である筈の民主党が、今、何故国会議員の投票だけで新代表を決めたのか…、考えてみると昨年の小沢から鳩山への代表交代も国会議員のみの選挙であった。

 それなのに地方議員や党員から不満や批判の声は聞こえてこない。これは民主党には確たる地方組織と支持者が存在しない証であり、逆に言えば、世論の風なしには戦えない民主党の姿を象徴している。

 選挙は人気投票ではない。来る参議院選挙こそは、党首の人気を競うのではなく、政党が掲げる政策の中身を競う選挙にしなくてはならない。

言い訳の果てに

 普天間基地の移設候補地は、大方の予想どおり、名護市辺野古に戻ってきた。辺野古案への回帰自体は、アジアにおける米海兵隊の役割と市街地にある普天間基地の危険性を考えると最善の選択である。

 しかし、8ヶ月に及ぶ鳩山政権の迷走が沖縄県民の心をかき乱し、亀井大臣をして「どうせ実現しない案なのだから…」と発言させるほどに、実現へのハードルを高くしてしまった。しかも、米国政府との信頼関係も完全に失墜している。

 外務大臣や防衛大臣は、昨年末から辺野古案での決着をほのめかす発言を繰り返していたと記憶している。混乱を8ヶ月に引き延ばしたのは、正に鳩山総理自身の不見識、政治家としての資質に欠ける言動である。

 未だに「現行計画とは違う」「工法などを含め具体案は8月末までに詰める」と言い訳をされているが、北朝鮮を巡る昨今の情勢を鑑みると、さっさと米国政府と合意できる埋立案に戻し、早期決着を図りなさいと言いたくなる。

 誰にでも気を遣い、優しい言葉を返す鳩山総理をして、“いい人だ”と言う評価もあるようだ。しかしそのような、八方美人の対応しかできない人物に日本の舵取りを任せていて良いのだろうか。

 政治家の資質とは何か? かつてドイツの社会学者マックス・ウェーバーは、「職業としての政治」のなかでこう語っている。「政治家の行動については『善からは善だけが生まれる』というのは正しくなく、その反対に『善からは悪が生まれる』ことが多い…。これを知らない人は政治の世界では幼児のようなものだ。」

 普天間問題だけではない、高速道路料金でも、消費税引き上げでも…、政権交代後、我々の目前で展開される数々の迷走劇の原因は、真に鳩山総理の幼児性に起因する。

 ウェーバーは、「(政治家の責任は)自分の行為の責任を自分一人で負うところにあり、この責任を拒否したり転嫁したりすることはできないし、また許されない」とも述べている。

 28日の記者会見で「命がけでこの問題の解決に取り組む」と決意を語った総理だが…。つい先日まで、5月末の解決に「職を賭す」とまで言っていたことをまさか忘れたのではないだろう。

 今、総理がとるべき選択は、自ら総理の職を辞任するか、解散総選挙で国民の信を問うか‥‥そのいずれかでしかあり得ない。

失政追及を

 今国会の会期も残すところ一ヵ月を切った。
 しかし、現政権の目玉政策として閣議決定されたはずの多くの法案が、未だに成立の目処も立っていない。

 普通の発想であれば、会期を延長し審議時間の確保を図るべきだが、政策より選挙を重視する政府与党は、早々と“会期延長せず”との方針を決めたようだ。

 そのうえ6月16日までの会期中に少しでも多くの法案成立を図りたいのか、ここに来て与党の国会運営がかなり荒っぽい。

 衆議院の内閣委員会では国家公務員法改正案、環境委員会では地球温暖化対策基本法案が、委員長判断による質疑打ち切りにより強行採決され、両案とも衆議院を通過した。

 特に、2020年までに温暖化ガスを25%削減するという国際公約を盛り込んだ温暖化対策法案は日本の経済活動や国民生活に多大な影響を及ぼす。にもかかわらず、新エネルギーや原子力の活用、排出量取引、環境税などの具体策について何の議論もないまま、たった18時間の審議で力任せに押し切った形だ。

 小沢幹事長が特定団体に成立を確約してしまった郵政改革法案(実質は郵政国有・肥大化法案)の方は、全野党が欠席の中、深夜に衆議院本会議で提案趣旨説明と質疑が強行された。

 一方で、多くの国民が求めている〝政治と金〟についての首相と幹事長の説明責任の方は、全く無視されている。

 かつて自民党政権も強行採決を行ったことは否定しない。しかし、それは万策が尽きた後のやむを得ざる選択であり、これほど自己中心的な国会運営は私の記憶にはない。

 しかも、あれほど自民党の強行採決を批判していた民主党が、自民党幹部の政治資金問題を追求してきた鳩山首相が、ここまで豹変するとは信じがたい? 

 仮に参議院選挙の日程を7月25日とすれば、少なくとも2週間の会期延長は可能だ。それで十分かどうかはともかく、かなりの法案審議時間が確保できる。さらに言えば、北朝鮮を巡る安全保障問題や口蹄疫のまん延対策も、国会で審議すべき緊急課題ではないのか。

 新聞報道では「論戦回避」「法案処理より追及回避」とのヘッドラインが踊る。参院選は小沢幹事長の2回目の検察審査会の議決前がよいとか、第三極の支持が広がる前にとか言われている。

 確かに選挙は民主主義の原点ではあるが、それは議員を選ぶ手法にすぎないとも言える。国会審議よりも選挙準備を優先するという本末転倒はあってはならない。

 それが自らの失政追及を恐れるが故の論戦回避であれば言語道断だ。

大切なことば。

 最近気になっているTV コマーシャルがある。

 「時雨、五月雨、こぬか雨‥‥、日本には同じ雨にも色んな雨がある。」何のCMかは覚えてないが、こんなセリフのCMだ。

 たしかに日本語は表現が豊かだ。

 20年ほど前にケニアへ行った時、スワヒリ語の一日には夜と昼しかないことを知った。ケニアでは太陽が昇れば昼、沈めば夜。その二つだけで、朝や夕は存在しないのだ。

 限りなく水平に広がる地平線にオレンジ色の太陽が沈むと、またたく間に夜の暗闇が訪れる。だから二つの違いを表現する言葉があれば十分なのかもしれない。

 季節の変化も雨期と乾期の二つだけで、景色に至っては一年中ほとんど変化がない。ちなみに挨拶は朝でも昼でも夜でも「ジャンボ(Jumbo)」という一語ですませる。

 一方、日本語では同じ夜でも、宵の口、深夜、明け方と様々な言い表し方がある。
朝も、情景に応じて、あけぼのや夜明け、早朝と多様な言葉を駆使する。挨拶でも、朝昼晩と時間帯により使い分けなくてはならない。

 日本語の豊かな表現力は、わが国の気候や自然の多様性に起因するのだろう。

 四季に応じて気候が移ろい、美しい自然が姿形を変えていく中で、私たちの先人は豊かな語彙を生み出してきたに違いない。

 そんな美しい日本の自然、そして日本人の繊細な感性を、我々は大切にしていかなければならない‥‥。文明が進歩し、暮らしぶりが多少変化しても、四つの季節は必ず巡ってくるのだから。

 もうすぐ梅雨(つゆ)が訪れるが、何故〝梅〟と〝雨〟なのか‥‥。梅花咲き誇るのは早春2月のはず? では、梅の実りを呼ぶ雨の意か?

 TVのコマーシャルを見て改めて考えている。

シナリオ通りなのか・・・

 5月末の普天間問題決着期限を目前に、沖縄訪問、徳之島3町長との会談等々、政府の精力的な地元対応が大きな話題となっている。

 新聞やTVニュースも、この問題をヘッドラインに取り上げることが多い。

 しかし、いくら基地負担軽減という沖縄県民の悲願の実現に、必死に努力しているとしても、「腹案がある」と唱えてきた切り札の中身(政府最終案)が、辺野古くい打ち案だとしたら、県民には到底納得できないものだろう。

 しかも今になって「仰止力として沖縄の海兵隊が必要と分かった」と言う総理の説明はあまりにもお粗末だ。
おまけに「県外はマニュフェストにないから公約ではない、あくまでも私の考えだ。」というのだから話にならない。

 昨年の総選挙で沖縄では全ての小選挙区で与党が勝利した。
「できれば国外、少なくても県外」という言葉に沖縄県民は政権交代を託したのだ。

 総理は自らの発言の重さを分かっているのだろうか。今さらではあるが、自らの言葉は民主党を代表している、即ち公約だということを自覚すべきであろう。

 ところで先月25日の県民集会の光景を見て、私は2007年9月29日の沖縄県民11万人集会の光景を想い出した。集団自決を巡る高校の歴史教科書検定問題で沖縄県民の怒りが頂点に達した集会だ。

 その日から3ヵ月間、私は文部科学大臣として連日連夜この問題の対応に追われた。不用意な一言が誰かを傷つけることがないよう、記者会見や国会の審議では、一つひとつの言葉に細心の注意をはらったことは言うまでもない。

 1965年8月19日、故佐藤栄作総理が戦後初めて総理として那覇空港に降り立った時、「沖縄祖国返還が終るまで、我が国の戦後は終わらない‥‥」と言われた。

 その後、沖縄返還は1972年に実現した。だが、県土が戦場となった記憶は簡単には消えず、未だに基地に囲まれた生活を余儀なくされている。

 沖縄県民にとって、まだ戦後は終わってないのかも知れない。

 基地返還という沖縄の願いの実現、そして、我が国を含むアジア太平洋の安全保障の確立。どちらも日本政府が取り組むべき重い政策課題だ。

 しかも、それは一朝一夕に解決する問題ではない‥‥。

 今般の普天間基地を巡る場当たり的で不用意な発言の数々は、解決への道のりを険しく長いものにしてしまった。

信頼のない人たち

 民主党ツートップとも言える鳩山総理と小沢幹事長、二人を巡る検察審査会の結論が出た。

 秘書による政治資金規制法違反という犯罪構成は同じだが、鳩山氏は不起訴相当、小沢氏は起訴相当と、ある意味で正反対の結果となった。

 秘書の行為に対して、鳩山氏は関与がなく、小沢氏は関与がないことはあり得ないとの見解だ。

 この結果、鳩山氏の捜査は終結し、小沢氏の問題は検察が再捜査することになる。
ただ両者とも政治的・道義的には、しっかりと説明責任を果たすべきであり、世論もそれを求めている。

 総理は過日の予算委員会で約束したとおり、母上から贈与を受けた資金の使途について明らかにすべきだ。小沢氏も、「やましいことは何もない」と言われるのなら、自ら国会に出向いて説明すべきである。

 加えて民主党には速やかな自浄活動を求めたい

 私の選挙だけを考えれば、民主党の信頼失墜は、歓迎すべきことかも知れない。しかし、国民の政治不信がこれ以上広がると、議会制度、間接民主制自体が崩壊しかねない。

 以前も言及したが‥‥、「民無信不立」という孔子の言葉が今真に求められている。

Have a nice holiday!

ボタンの掛け違い?

 永田町では、「俺は聞いてない」のたぐいの話が実に多い。
ちょっとした「ボタンの掛け違い」が問題を大きくすることは日常茶飯事だ。

 防止策は、情報を正しい順序で段取りよく説明することに尽きる。霞が関の官僚にはそのノウハウが蓄積されている。故に、これまで重要政策の決定過程では、有力政治家へのご説明(いわゆる根まわし)は官僚に一任されていた。

 誰には誰か強いとか、信頼があるとかも見事に分析されている。少々の躓きがあっても、政治主導のもと役者を変え、攻め口を変えて火消しにあたり、次第に収束に向かっていった。

 ところで、政府の最重要課題(となってしまった)である普天間基地移転問題。連立政権内の意見調整どころか、閣内さえ無調整と思える無秩序発言が繰り返され、一向に解決の糸口が見えてこない。

 この問題も表面上は、ボタンの掛け違いのように見える。しかし、その淵源は単純な手順のミスではなく、総理の不見識にあるのではないか。国際的な安全保障関係への影響や、基地周辺の住民感情を考えず、場当たり的に発せられる軽いメッセージこそが、問題を深刻化させている。

 「命がけで」とか「職を賭して」といった総理の言葉の値打ちは、繰り返されるにつれ、どんどん軽くなる。「あくまで5月末までに‥‥」と言われても、今や、全く信憑性がない。

 普天間問題に限らず、その場しのぎの総理発言の数々が、国政の混乱を増幅させていることを総理自身が自覚されているのだろうか?

「このままでは日本は沈没する」と多くの政治家が発言しているが‥‥私もまったく同感である。

 現政権の暴走を一刻も早く停止させなければとつくづく思う

心のままに

 4月も半ばを過ぎ、春爛漫のはずの日本列島が真冬並みの寒波に見舞われた。
 
 平均日照時間も例年より短く、春野菜の価格が高騰している。

 キャベツやネギは去年の倍、トマトやキュウリ、ナス、ピーマン、レタス、ホウレンソウも高値という。

 家庭の台所も大変だろうが、文部科学大臣経験者としては学校給食が心配だ。限られた食材費のなかで、栄養士さんたちもやりくりに苦労されているに違いない。(こういった分野にこそ、子ども手当てを使えたら…。)

 クリーニング屋さんからは、「衣替えのシーズンなのに冬物のコートは例年の半分」という嘆きが聞こえる。こちらの方は、いずれ季節外れの特需があるのだろう。

 昨年夏の集中豪雨に冬の豪雪‥‥、地球温暖化の影響か?、ここ数年の気候はどうもおかしい。

 天だけでなく、地にも異変が起きている。チリ、ハイチ、チベットと巨大地震が立て続けに発生し、我が国も久々の津波に見舞われた。
さらに、アイスランドの大噴火は、欧州全域に粉塵をまき散らし、空の便を完全にマヒさせてしまった。

 利便性を追求し、自然との共生を忘れがちな、我々の日々の営み。それが、地球環境に少しずつ負荷をかけているのかもしれない。昨今の天変地異は地球の悲鳴のような気がしてならない。