志(こころざし)

 先週末、新党「たちあがれ日本」が誕生した。
スローガンは「打倒民主」、綱領では憲法改正、財政再建、経済成長、安心社会実現を掲げている。

 この決起に対して、永田町やメディアの扱いは全般的に冷やかである。確かに結党メンバーは高齢で顔ぶれも新鮮とは言えない。69.6歳という平均年齢をとらえ「老人党」と揶揄する声も聞こえる。

 ただ私は少し違う見方をしている。

 厳しい反応が十分予想される中、このタイミングで新党を旗揚げした彼等の思いが痛い程分かるからである。それほどに、我が国の政治は日本没落に向けての迷走を続けている。

 会見で与謝野氏は、「時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」と語った。石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と檄をとばした。

 両氏の言葉のとおり、今、最も政治に求められているものは、日本の置かれた立場を正しく分析し、将来に向けて責任ある改革を成し遂げる強い志である。

 多くの政治家が尊敬する坂本龍馬。彼が、脱藩を決意し檮原の峠を越えるとき、心の中に確たる展望があったとは思えない。このままでは日本が外国に飲み込まれるとの危険感と、日本の国のために何かを為すべきとの強い思いが彼を脱藩に駆りたてたのだ。その思いは、ふるさと土佐や愛する家族よりも重かったに違いない。

 政治家や政党の責務は、選挙に勝つことではない。国の行く末をしっかり展望し、財源に裏付けられた責任ある政策を提言、論じあうことだ。選挙の勝敗はその結果でしかない。来年の財源も不明なバラマキ事業の数々、耳目を集めることが目的化した仕分けイベント、行く手が見えない郵政肥大化。民主党が目指した政権交代は、このような利権集約型政治の確立だったのか?

 民主党内にも、自民党内にも志を同じくする同士がいるはずだ。党派を超えて有志が呼応し、日本を衰退に向かわせている現政権の暴走をくい止めることを切に願う。

将来への責任感

与謝野元財務大臣が自民党を離党、新党結成を決意した。

文藝春秋の4月号の記稿で既に意見表明されていたので、今のところメディアの取り上げ方も冷ややかである。

永田町でも「政治ごっこ」とか「党内拡争」とか「理念なき野合」とか‥‥かなり厳しい意見も出されている。

ただ私は今回の氏の行動に強いシンパシーを感じている。
以前にも紹介したが、我が国の将来に対する氏の強い危機感を直接耳にしたからだ。

昨年来の日本の政治情勢。それは海図を無くし、舵を失いながら航海を続ける船のようだ。
このような国家運営が続けば日本は確実に衰退する。国際社会からは忘れ去られ、国民は豊かな生活を喪失するのは必定ではないだろうか。

政治家として最終章を迎えようとしている与謝野氏にとっても、何としてもそれだけは阻止したい、しなければならない‥‥との強い思いがある。

もちろん新党結成には、理念や基本政策が必要なことは言うまでもない。
そこは政策通の与謝野氏のこと、既に脳裏には新党のビジョンが描き上げられているにちがいない。

ただ、いくら素晴らしい理念や政策を掲げても強い情熱と志がなければ大業は成し得ない。

日曜日のテレビ番組では新党にエールを贈る石原東京都知事が「理念は大事だけど今必要なものは情念、国家に対する愛着や危機感だよ」と言っておられたが‥‥

まったくその通りだ。

甲子園では

球春、高校球児の熱い闘いがくり広げられている。

2年前、私は文部科学大臣として甲子園のマウンドに立った。

ただ私は自ら始球式を行う事を辞退し、

第一回大会優勝校高松商業の選手にボールを託した。

甲子園のマウンドに立つ事を夢見て練習に励んできた高校球児にチャンスを与えたいと考えたからである。

私が投げるものと期待してテレビを見ていた多くの皆さんからお叱りを受けたが、

私は今でも正しかったと思っている。

先週末からセリーグも開幕、阪神タイガースは2連勝と順調なスタートを切った。

ここで一揮にスタートダッシュ(3連勝)と期待もしたが‥‥、そうはならないところが阪神タイガースらしい。

今年も一喜一優のシーズンになりそうな‥‥

そんな予感がする。

国家の存立

自民党では鳩山邦夫元総務大臣の離党、

民主党では生方幸夫副幹事長の解任と、何かと話題の多い一週間だった。

これらの事件の影響か、

フジテレビ報道2001の調査によると、

自民(16.8%)・民主(20.8%)とも支持率を下げ、

支持政党なしの数字がついに5割を超えた。

政党政治、民主主義の危機である。

国民感覚を無視した永田町の振る舞いが、この数字となって現れている。

両党とも、この結果を重く受け止め、政治への信頼回復に早急に取り組まなければならない。

昨年の民主党マニフェストではないが、無党派層が増えれば増えるほど、

耳あたりの良い、無責任な選挙公約で有権者の関心を惹こうとするのが世の常である。

前回も指摘したが、日本の財政は危機的状況にある。

これ以上、どこかに打ち出の小槌が隠されているかのような、誤ったメッセージを送り続けることは許されない。

国と地方を併せてGDPの1.8倍にのぼる債務残高は先進国中最悪。

さらに22年度予算案を家計にたとえると、

給料が374万円なのに、106万円の貯蓄取り崩しと443万円の借金で、923万円の支出をしようとしている。

これが我が国の懐具合の現実である。

「信なくば立たず。(民無信不立)」

国家の存立には、食糧の充足よりも、軍備の充実よりも、

国民と政治家の信頼関係が重要と説く政治の根本…

多くの政治家が座右の銘としてきた孔子の言葉が2500年の時空を超えて今もなお生き続けている。

「警告」に思う

 文芸春秋の四月号に掲載された与謝野馨元財務大臣の寄稿、(さらには鳩山前総務大臣の新党設立発言)が大きな波紋を呼んでいる。

 ヘッドラインが「新党結成へ腹はくくった」、サブタイトル「谷垣総裁には失望した。私が決断を下す時が来た。」となっているのだから、波紋を呼ぶのは当然である。

 ただヘッドライン、サブタイトルとも必ずしも真意を正確に伝えていると私は思わない。

 与謝野氏は、日本が直面している状況の深刻さ、そして政治の危機感のなさを訴えるべく、警告を発したのである。

 少なくとも先日の有志の勉強会で、与謝野氏の口から直に話を聞いた同志は、その主張に共鳴し、危機感を再認識した。

 鳩山内閣の支持率は30%を切る直前、危険水域近くまで下落している。原因は、政治と金、総理の発言のぶれやリーダーシップの欠如、一向に見えてこない成長戦略など、色々考えられるが、一言でいえば、国民が政権交代に託した期待に応えていないからだ。

 いやむしろ、旧来型の金権誘導政治に後退している感さえある。

 しかし半面、本来なら新たな受け皿となるべき自民党への支持も盛り上がらない。党再生、そして現政権に対抗する政策方針の具体像が一向に見えて来ないからだ。

 与謝野氏の危機感はその様な現状認識に起因するものである。

 何よりも自民党が一致結束すべき時であるとの執行部の主張は正しいが、結束の為にも解党的出直しに再手しなければならない。厳しい議論を重ね、すべての党員が合意できる新しいビジョンを一日も早く示さなくてはならない。

 政策論を競い合うことをおそれてはならない。自民党の強みは、自由闊達な党風のもと、多彩な人材が主張をぶつけ合い、合意を得てきたことにある。

 谷垣総裁のリーダーシップのもと直ちに人心の一新を含め、新しい自民党の姿を明確に打ち出すべきである。

 参議院選挙を目前にして我が党に与えられた時間的余裕はない。そして、今の日本にもそれ程時間的余裕があるとは思えない。

仕分けの前に

 雪不足で開催準備が間に合うのかとの懸念もあったバンクーバー冬季オリンピックも大盛況のうちに閉幕した。

 人口約60万人(カナダ第3)の都市で開催されたということもあるだろうが、どの競技会場も多くの観衆で溢れていたのが印象的だった。

 日本の選手団は銀3銅2の計5個のメダルを獲得した。日の丸を背負って全力を尽くして頑張った選手の皆さんに心から拍手を贈りたい。

 今回の獲得メダル数が多いとみるのか少ないとみるのかは意見の分かれるところだ。しかし「参加することに意義がある…」と言いつつも、お隣の韓国選手団の大活躍を見て、競技スポーツ強化の必要性を感じた方も多いのではないだろうか。

 日本の選手強化費は国費ベースで27億円。対して14個のメダルを獲得した韓国は100億円、30個のメダルを獲得したスポーツ大国ドイツは275億である。

公務員制度改革

 今国会で私が注目している法案の一つが国家公務員法改正法案である。

 私がこの法案に特別な思いを持つのには理由がある。

 昨年の通常国会で、同法案の与野党協議の窓口役を担っていたからだ。4月の提案から3ヶ月の協議を経て、残る課題は労働基本権(スト権・団体交渉権)の記述方法のみ、あとは民主党内の調整を待つのみとなっていた。

 にもかかわらず、結局、野党の不信任決議案の提出で全ての審議はストップ、3ヶ月の労苦は水泡に帰した。 既に解散総選挙の日程が決まっていたにも関わらず、何故不信任案を提出されたのか…。北朝鮮の船舶検査法も成立見込みとなっている情況で、何故審議拒否する必要があったのか、私は非常に腹立しい思いだった。

 今、政府与党となった民主党は、「政治とカネの議論よりも、政策議論が優先」という主張を繰り広げている。その説を否定はしない。しかし、声高に叫ぶのは、自らの過去の行いを深く反省してからにしてもらいたい。

 さて、今回提出された国家公務員法改正法案では、中央省庁の人事を内閣人事局に一元化し、降格も含め幹部人事を政治主導で行なえる内容となっている。

 基本的な理念は昨年の修正案と同じであるが、人事局が扱う対象者が事務次官から部長級までと広がった結果、約600人の人事を扱うことになる。

 各省庁の幅広い行政分野、様々な職種にわたる約600人もの人物評価、業績評価が一括して公平に行えるのか?はなはだ疑問である。

 それ以前に、このような人事システムに一気に移行することが可能なのだろうか?アメリカやイギリスのような猟官制度は、その人材供給源となる政策シンクタンクが多数存在するからこそ成り立っている。

 ある意味で、政策立案を霞ヶ関の官僚の能力に(少なくとも当分の間は)依存せざるを得ないわが国には、ちょっと不適合、機能不全を生じるのではないか。

 将来的には、政党の政策立案能力に磨きをかける必要があることは言うまでもない。
 
 しかし、民主党新人議員は言うまでもなく、ベテラン議員と言えども(官僚OBはさておき)、法律案を自ら作成し、複雑な税制を自ら動かせる人材は希である。

 今は、政治主導にこだわるよりも、官僚が誇りを失う事なく省益を超えて、国家のために仕事ができるシステムを構築すべきではないだろうか。

 政治家に必要な資質は、有能なスタッフの能力を十分に惹きだし、有効な政策を立案、実行させることである。

 原案どおり可決されるのであれば、恣意的な人事を防ぎ、公平な評価で、官僚のモチベーションを高める制度運用を国会の議論で明らかにするべきである。

消費税の議論を先送りするな

 14日のテレビ番組で管財務大臣が「消費税の議論は2011年度以降」との方針を軌道修正して、3月からの議論開始を打ち出した。

 これに対して鳩山総理は「議論を行うことは結構だ」と言いつつ、「議論は早過ぎる」とも発言し、相変わらず国民を混迷させている。
 与党内も混乱し、「4年間引き上げないものを議論しても仕方ない」、「参議院選前に消費税の議論を行うのは自殺行為」といった声もあがっている。

 菅大臣は消費税について「逆立ちしても鼻血も出ないという位の歳出削減をしてからでないと国民の理解は得られない」と言っていた。

 なぜこの時期に方針を転換したのか…。疑問は残るが、私は、管氏の豹変を歓迎したい。

 増税論議の前にムダを削減というのは、小泉政権の方針でもあった。しかし、ムダ撲滅は永遠の課題でもあり、これ以上悠長にムダ探しだけをしている余裕はない。

 財政収支の均衡とそのための収入拡大は、それほど重要な課題だ。

 これまで鳩山政権が実施してきたマニフェストに基づく政策には、2011年度以降はさらに大きな歳出増が見込まれる。

 政府の長期債務残高は650兆円、国民一人あたりで割ると500万円(赤ん坊まで含めて)となる。しかも、現状を放置すれば、人口減少と高齢化により、税収の減少と社会保障費の増嵩は不可避である。

 金融危機は小康状態にあるとはいえ、ギリシアやドバイのように国家の巨大債務が経済危機を招くと言う現象も起こっている。わが国の財政赤字はこれらの国より悲惨な状況にあるのだ。

 また、将来の財政不安は、社会保障制度への不信となって、消費を冷え込ませる。これがデフレの一因となっていることも否定できないだろう。

 もちろん財政がこのような状況に陥った責任は過去の自民党政権にもある。
しかし、今、過去の政権を批難していても始まらない。現政権がなすべきは、将来に向かって、国家財政の立て直しを急ぐことだ。今すぐに。

 今年は参議院選挙の年、選挙を前にして増税議論はタブーと言われるが、選挙を理由に消費税の議論を先送りする余裕は、今の日本にはない。
 むしろ、参議院選で税制の在り方を問うべきではないのだろうか。そのためには、6月までに与野党ともあるべき税制の姿を(せめて骨格を)描き上げ、国民に提示しなくてはならない。

マニフェストより大切なことは

 衆議院予算委員会の審議で民主党のマニフェスト違反が焦点になっている。

 私は、現実の政策立案、予算編成に当たっては、必ずしもマニフェストを厳守する必要はないと考えている。ガソリン税等の暫定税率維持などはマニュフェスト違反であっても、厳しい財源不足に対応した正しい選択と考える。

 ただし、国民と約束した以上、それを変更せざるを得なくなった場合は、理由を明確に説明し、国民の理解を求めなければならないのは当然である。内容の重要性によっては、改めて信を問うことも必要だろう。

 22年度政府予算には、子ども手当、農家の戸別所得補償、高校授業料の無償化、高速道路の無料化(社会実験)など新規政策が盛り込まれた。

 これらの個々の政策の是非についてはここでは言及しないが、制度導入にあたって財政規律が無視されていることが最も大きな問題ではないか。国民は、「子ども手当や高速無料化のためなら、いくら借金をしても良い」とは言っていない。

 昨年の夏、我々自民党が民主党の諸施策の財源手当について問い質した際、彼等は「無駄をなくして予算を組み換えれば財源はある」と断言したはずではなかったか。マニュフェストの工程表でも、初年度である平成22年予算では、7.1兆円の新規財源を捻出できると明示していた。

 しかし、ムダの掘り起こしのため盛大に行われた事業仕分けにおいても、発掘された金額は1兆円に満たない。百歩譲って時間が限られているから仕方なかったとの言い訳を認めるとしても、財源の見通しなしに制度改正を行うことはあまりにも無責任ではないか。

 「無駄づかいをなくすことで借金を減らし、未来の子供達に負担を残さない」と言っていた主張とは明らかに矛盾する。

 昨年の夏、「皆さん、財源はあるんです」と街頭で絶叫していた鳩山総理のあの演説は何だったのか…と、腹立たしく思う。

 自民党政権時にも確かに多額の国債を発行していたが、一方で経済財政諮問会議による財政再建目標も維持していた。

 今や財政立て直しの指標を失った日本。6月に策定予定の中期財政計画には、借金削減の明確な数値目標が盛り込まれ、これ以上わが国の信用力失墜を食い止められることを願う。