シナリオ通りなのか・・・

 5月末の普天間問題決着期限を目前に、沖縄訪問、徳之島3町長との会談等々、政府の精力的な地元対応が大きな話題となっている。

 新聞やTVニュースも、この問題をヘッドラインに取り上げることが多い。

 しかし、いくら基地負担軽減という沖縄県民の悲願の実現に、必死に努力しているとしても、「腹案がある」と唱えてきた切り札の中身(政府最終案)が、辺野古くい打ち案だとしたら、県民には到底納得できないものだろう。

 しかも今になって「仰止力として沖縄の海兵隊が必要と分かった」と言う総理の説明はあまりにもお粗末だ。
おまけに「県外はマニュフェストにないから公約ではない、あくまでも私の考えだ。」というのだから話にならない。

 昨年の総選挙で沖縄では全ての小選挙区で与党が勝利した。
「できれば国外、少なくても県外」という言葉に沖縄県民は政権交代を託したのだ。

 総理は自らの発言の重さを分かっているのだろうか。今さらではあるが、自らの言葉は民主党を代表している、即ち公約だということを自覚すべきであろう。

 ところで先月25日の県民集会の光景を見て、私は2007年9月29日の沖縄県民11万人集会の光景を想い出した。集団自決を巡る高校の歴史教科書検定問題で沖縄県民の怒りが頂点に達した集会だ。

 その日から3ヵ月間、私は文部科学大臣として連日連夜この問題の対応に追われた。不用意な一言が誰かを傷つけることがないよう、記者会見や国会の審議では、一つひとつの言葉に細心の注意をはらったことは言うまでもない。

 1965年8月19日、故佐藤栄作総理が戦後初めて総理として那覇空港に降り立った時、「沖縄祖国返還が終るまで、我が国の戦後は終わらない‥‥」と言われた。

 その後、沖縄返還は1972年に実現した。だが、県土が戦場となった記憶は簡単には消えず、未だに基地に囲まれた生活を余儀なくされている。

 沖縄県民にとって、まだ戦後は終わってないのかも知れない。

 基地返還という沖縄の願いの実現、そして、我が国を含むアジア太平洋の安全保障の確立。どちらも日本政府が取り組むべき重い政策課題だ。

 しかも、それは一朝一夕に解決する問題ではない‥‥。

 今般の普天間基地を巡る場当たり的で不用意な発言の数々は、解決への道のりを険しく長いものにしてしまった。