年の瀬に思う

あと数日となった平成23年という一年は、歴史に名を残す年となるにちがいない。

まず第一に内外ともに歴史的な災禍の一年だった。
東日本大震災、新燃岳の噴火、台風による集中豪雨。海外でもニュージーランドやトルコの大地震、タイの大洪水…。未曾有の自然災害の数々は、私たち人類の文明のあり方に再考を求めているかのようだ。

何よりも東北を襲った大津波と福島原子力発電所の破綻は、我々に大きな衝撃を与えた。20世紀の科学技術により、避けられると思っていた津波被害、制御できると考えられていた核分裂。しかし、千年に一度の地の揺らぎの前にその想定は脆くも崩れ去った。千年と言っても46億年の地球の歴史からするとほんの一瞬。何度も繰り返された「想定外」という言葉は、技術者の言い訳としか言えないだろう。
被災地の一日も早い復興を願うとともに、故郷を離れ仮設住宅で生活を続けておられる方々に、改めてお見舞いを申しあげたい。

しかし、私たちはこの犠牲をも糧にして、未来への進歩を続けなくてはならない。そのキーワードは、「共生と絆」そして「日本人」ではないだろうか。

大震災の直後、すべてを波に流された東北の被災地で、冷静沈着に整然と耐え続ける被災者の方々の姿、共に助け合い歯を食いしばって避難生活を送られている被災者の姿は、世界に深い感銘を与えた。
これは私たち人類の本質であるべき社会性に根ざすものだ。仁義を重んじ、他者を思いやる心が、このような自制ある行動を導いたのだろう。

自然との関係も同じ。西洋的な近代文明は科学技術の力により、自然を制御し、山や川を鎮めることを是としてきた。しかしそのような発想では、自然の災禍から逃れられない。
水田農業を主たる産業としてきた私たち「日本人」は、太古より、自然への畏怖のこころを保ち続け、自然の一員として社会を営んできた。
多様性を認めあう伝統、すべての生命体との共生をめざす文化は、日本の強みとなるだろう。

私たちは今こそ、減災、防災の思想を重んじる「災害文化」を構築し、世界に発信しなくてはならない。災害による悲劇を胸に刻み、しっかりと伝承することが、次なる被を避ける、減災に繋がるのだ。
二度と「想定外」という言葉を使わぬように。「忘れた頃にやってくる」という格言を使わぬように、私たちはしっかりと記憶しなくてはならない。

暗いニュースの多かった一年の中で、国民に大きな感動を運んでくれたのが「なでしこジャパン」の快挙だ。厳しい環境の中で、幾多の困難を乗り越えて世界の頂点に登りつめたなでしこ達、「苦境に立っても決して諦めない」という彼女達のメッセージは、被災者の皆さんに大きな力と希望を運んでくれたに違いない。

一方の我が国の政治の混迷は一向に収まらない。政権交代から3度目の予算編成で、民主党は遂にマニフェスト政策から全面撤退した。社会保障制度改革の方向も見えないまま、国の借金は増え続ける。ダムも造り続けるし、高速道路の無料化はあきらめた。子ども手当てには中途半端な所得制限がつく。普天間基地問題も解決策が全く見えない。
約束違反のオンパレードで国民の期待を裏切り続けた結果、国民の間に閉塞感が広がり、政治不信は益々拡大している。政策の議論より与野党対立ばかりが目に付く国政状況が政治不信を更に増大させている。

「無信不立」との孔子の言葉が改めて心にしみる、そんな平成23年の年の瀬だ。

坂の上の雲

「坂の上の雲」と「南極大陸」。私が今注目している2つのTVドラマだ。

「坂の上の雲」は、言わずと知れた司馬遼太郎氏の代表作。近代国家(坂の上の雲)の建設に向けて、日本が懸命に駆け抜けた明治という時代を、旧松山藩出身の3人の生き様を中心に壮大なスケールで描いた歴史ドラマである。
ロマノフ王朝末期のロシアを再現する海外ロケに、旅順攻防戦や奉天大会戦、そして日本海海戦の戦闘シーンを描くとあって、さすがのNHKでも予算不足に陥り、3カ年にわたる制作、放映となったようだ。

植民地拡大競争を繰り広げる欧米列強国。その仲間入りをすべく近代化を図る日本。その行き着く先は、朝鮮半島と中国大陸北部をめぐるロシアとの対立だった。結果、先進国の座をかけて、この超大国と雌雄を決すべく戦わざるを得なくなる。
ひたすら祖国の繁栄を願って、西洋の知識を吸収する若者の姿。国力戦力の差を埋めるべく、知力を結集して練り上げる戦術と冷静沈着な外交戦略。
国家の存亡を一身に背負い、ロシアと互角に渡り合った明治のリーダー達の気骨に、感動を覚えずにはいられない。

もう一作は「南極大陸」。第二次世界大戦後、廃墟から立ち上がった日本が国際社会への本格復帰をめざし、国の威信をかけた南極越冬に挑戦するドラマだ。
日本各地の都市が焦土となった状況から再出発して、わずか12年後(昭和32年)のことである。当時の国力を考えると、充分な装備を整えることは叶わず、南極大陸での越冬観測は、かなりのリスクを伴う挑戦だった。
実際、観測船「宗谷」は氷に閉じ込められ身動きがとれなくなり、ソビエトの「オビ号」(ドラマはアメリカ船となっていたが)に助けを求め、かろうじて氷海から脱出したのだ。

原作の題名が「南極越冬隊タロジロの真実」であり、最大の見せ場は、置き去りにされたアラスカ犬がたくましく真冬の南極を生き抜き、次期越冬隊と出会う感動のシーンだから、主役は犬達なのかも知れない。

しかし、この物語のもう一つの見どころは「科学技術分野でも先進国の仲間入りをする」という国家目標に向かって、南極という未知の大陸の国際共同観測に参加し、あらゆる困難にチャレンジする研究者たちの姿ではないだろうか。

二つのドラマに共通しているのは、日本という国家に対する先人達の熱い思い、そして、日本人としての誇りである。彼らの尊い「志」があったからこそ、今の日本がある。

学校教育では「日本史が軽んじられてる」との意見も多い。
事実、ゆとり教育と受験中心教育のなか、高校の履修科目で日本史は選択科目の一つになってしまっており、義務教育においても明治から昭和にかけての近代史教育は、特に内容
が薄いように感じる。

しかし、自国の歴史や文化を知らない主体性のない人物は、国際社会でも評価されない。日本史をしっかりと学ぶことは、国際化の時代だからこそ重要となるのではないだろうか。
なかでも明治から昭和への歩みには、先人により創られた教材として、誇りを持って学ばなくてはならない多くのメッセージがある。

国難といわれる今だからこそ、我々は歴史の中の先人の心に学び、この国の未来に責任を持たなければならない。
明治から昭和の時代には欧米先進国という明確な目標(坂の上の雲)があったが、今や先頭を駆ける一員となった日本には倣うべき先例はない。今はまず、「我々がめざすべき“雲”は何か」、そして「そこにたどり着くために何を為すべきか」について、しっかり議論することが求められている。

「今、この国の為に何ができるか?」昭和55年(1980年)大ヒットした映画「二百三高地」の新聞広告のキャッチコピーが、私の頭をかすめた。
国政を志す一人一人がこの問いに応えたなら、今の様な政治にはならない筈だが…。

国会閉幕…論戦を逃げるな

平成2年2月の総選挙、私にとって2回目の選挙は、前年4月から導入された消費税への反対の大逆風の中で行われた。
当時の野党第一党社会党は、85→136と大きく議席を伸ばし、自民党は何とか過半数は確保したものの300→275と大きく議席数を減らした。私も一度は落選の誤報が流れるほどの辛勝で、まさに冷や汗ものの選挙だった。

だからこそ、選挙で消費税引き上げを訴えることの難しさは、嫌と言うほど分かっている。それでも、先週も述べたとおり消費税増税は必要なのだ。団塊世代が高齢者の仲間に入る時期を目前にして、これ以上の痛みの先送りは許されないからだ。

「増税の前にやる事があるだろう」との主張がある。全く正しい意見だ。国民に負担を求めるのだから、徹底的な歳出削減が求められる。
しかし「無駄を削ればお金はある。だから増税の必要はない」との誤ったメッセージで国民に誤解を与えてはいけない。10兆円規模の財源の捻出がそれ程簡単ではないということは、民主党の事業仕分けの結果を見ても明らかだ。

とは言え、社会保障給付の減額や消費税増税の議論に入るには、政府が身を削る姿勢なくして、国民の理解は得られないだろう。公務員給与の引き下げや議員定数の削減は喫緊の課題である。

にもかかわらず、国家公務員給与引き下げ法案は、与野党合意目前で継続審議となってしまい、人事院勧告に基づく引き下げも行われなかった。また、本格的な議員定数の削減は、一朝一夕には実現できないとしても、せめて、違憲状態を解消するための定数削減法案くらいは先の臨時国会で処理できたのではないか。
いずれも野田政権の大きな過失だが、今は失政を追求するよりも通常国会での早急な処理を望みたい。

加えて増税の環境整備として、景気の回復が求められる。
そのためには、当面の円高対策や景気の刺激策が重要だ。第4次補正予算や新年度予算の緊急経済対策も思い切ったものにしなければならない。
相手は30兆円とも言われるデフレギャップである。目先の財源論に予算規模を縛られていては、中途半端な効果しか得られないだろう。
持続可能な社会保障制度の確立という中長期的な課題と、短期的な経済対策を同じ土俵で論じるのは間違いだ。

社会保障制度のあり方や消費税を含む税制の方向性をはじめ、国会で議論すべき課題はいくらでもある。にも関らず、臨時国会は延長されることなく閉じられてしまった。

「法案成立のめどが立たないから国会を閉じる」のではなく「法案を成立させるために会期を延長する」のが筋ではないか。
政府与党が延長を求めず、すぐ国会を閉じてしまうのでは、「またしても、国会閉会による逃げ込みか?」と言われても仕方がない。

国会が閉会中でも、常任委員会等での審議は可能だ。
民主党には、法案提出前の非公式協議の呼びかけよりも、まずは党内の意見を集約し、開かれた場所での議論を期待する。

党首討論に思う

先週、野田政権初の党首討論が行われた。
首相と谷垣総裁の間で、消費増税やTPP交渉を巡り、表向きは激しい論戦が展開された。しかし、私としては、空回りのムダな議論という感が否めない。

首相は「消費増税の大綱素案ができた際には自民党も協議に応じろ」と言うばかりで、現時点でどう考えているのかを示さない。
一方の谷垣総裁も「マニフェストに反する行為=消費増税を行うなら国民に信を問うべき」との趣旨を繰り返すばかりで、自民党ならどうするかの政策案がない。
双方とも相手の欠点を突き、問いを繰り返すばかりで自らの主義主張が見えてこない。

我が自民党が主張すべきは、既に明確になっている。
2009年総選挙で「年金制度の抜本改革については、法律によって超党派の協議機関を早期に立ち上げます」と、昨年の参議院選挙でも「消費税は当面10%とし、全額を社会保障費に充当する財源とします。」とマニフェストに掲げている。
ということは、政府民主党からの協議呼びかけに応じるのは当然。むしろ、我が党の増税案を掲げ、民主党に政府案の早期取りまとめに向けた協議を呼びかけてもおかしくない。

一方の民主党の立場は、そう簡単ではない。
2009年のマニフェストでは、「消費税増税に全く言及することなく、無駄遣いの削減などで16.8兆円の財源を捻出できると主張し、途方もない巨費が必要な最低保障年金制度を構築する」と掲げていたのだから、「協議に応じて欲しい」と言うならまずはその撤回=放棄を宣言し、国民に謝罪すべきだろう。
現実を見る限り、野田政権の政策はことごとく自民・公明連立政権時代の政策に回帰しているのだから…。
とは言っても民主党内は一枚岩ではない。消費増税への反対意見も根強く残っている。まずは大網素案に向けて党内の意見集約ができるか否かが課題だろう。

「団塊の世代」(平成22~24年生まれ)は間もなく65歳に達する。来年から毎年250万人以上の高齢者が生まれるのだ。
今さらこの世代の年金支給額削減や先送りは困難だ。さすがに来年から削減しますとは言えまい。
しかし、この状態=現役世代の保険料と所得税が高齢者を支える仕組みを放置すれば、世代間の負担格差がどんどん拡大していく。
だからこそ、消費税の増税が急がれるのだ。消費税はすべての世代に公平に付加される税であり、世代内での支え合いの幅を広げることができる。

解散権は総理にあるのだから、谷垣総裁がいくら解散を求めても、総選挙には追い込めない。いづれにしても、マニフェストの評価は、次の総選挙で国民により必ず下される。
今為すべきは、解決が急がれる政治課題に迅速に対処することだ。解決のための原案を各党が持ち寄り、前向きの議論を行うことである。

特に社会保障制度や税制の基本構成は、短期的に方向転換が行われるようなものではない。政権交代にも耐えられる、長期安定的な制度と超党派の運営システムを設けるべきだろう。
とにかく今は、与野党が一丸となって制度設計を急がなくてはならない。そのために、麻生内閣の末期に「社会保障の財源確保のために、平成23年度までに税制の抜本的な改革を行う法的措置を講ずる」という趣旨を法定したのだから。(平成21年法律第13号改正所得税法附則第104条)

党首討論の正式名称は「国家基本政策委員会両院合同審査会」という。
本来は、毎週水曜日に開催されるもので、英国のクエスチョンタイムと同様、政策形成に向けた国会論戦を行う場であり、決して、政党間が足を引っ張り合う場ではない。
残り少ない臨時国会。党首討論に限らず、あらゆる質疑において、党利党略ではなく政策第一の王道の政治論戦を期待したい。

旗日

先週11月23日の祝日=「勤労感謝の日」は、紅葉狩りを楽しむ方々で、行楽地がにぎわったようだ。
このような国民の祝日は、1月1日の「元日」から12月23日の「天皇誕生日」まで、1年間で15日定められている。かつては、「旗日」と呼ばれ、家々の玄関に日の丸の旗を掲げて祝ったものだ。
それもそのはず、祝日法の目的規定によると、「…日本国民は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築き上げるために、ここに国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日を定め、これを国民の祝日と名づける」とある。

この法律では、一つ一つの祝日の意義を記している。例えば、「建国記念の日」(旧紀元節)は「建国をしのび、国を愛する心を養う。」日であり、「昭和の日」(旧昭和天皇誕生日)は、「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日といった具合だ。

ちなみに「勤労感謝の日」は、「勤労をたっとび、生産を祝い、国民たがいに感謝しあう」日だ。元来、11月23日という日は「新嘗祭」=天皇家の収穫祭の日である。新嘗祭は天皇陛下が自らその年の収穫を神々に感謝される儀式で、宮中祭祀の中でも最も重要な行事だ。国民もこぞって、豊穣への喜びを表するべきだろう。
(今年は陛下がご病気のため、祭祀の専門職である掌典長が代拝した。今はしっかりお休みいただき、天皇誕生日にはお元気な姿を見せていただきたい。)

いつの間にか祝日が単なる休日になってしまった感があるが、我々日本国民は、もっと祝日の意義を知り、祝賀しなくてはならない。それは日本の伝統文化を尊重し、誇りを持つことに他ならない。

平成18年の教育基本法改正では、教育の目標に「愛国心の醸成」をどのように盛り込むかが大きな論点となった。結局「…我が国と郷土を愛する…態度を養うこと」という表現に落ち着いたが、要するに国を愛すること、先人が築いてきた伝統文化の尊重が大切であることを子どもたちにしっかりと教えなくてはならないということだ。
改正からまだ5年ではあるが、学校や家庭で、国と郷土を愛する態度はどのように教育されているのだろうか? いささか不安を感じざるを得ない。

マキャベリは、君主論のなかで「自らの安全を自らの力によって守る意思を持たない場合、いかなる国家といえども、独立と平和を期待することはできない。」と論じ、傭兵主体(=他人頼み)のフィレンツェの防衛体制を批判している。
都市国家が林立していた中世のイタリアとは時代背景が異なるとはいえ、国家、国民という概念がある限り、愛国という概念も存在するのが当然だ。それは、人類であれば誰でも備えている家族を愛する心、地域社会、故郷を愛する心の延長線上にある。

沖縄の米軍基地問題の根源もこのあたりにあるのかもしれない。
仮に「愛する我が国土の防衛は自衛隊が責任をもって成し遂げる。アジアの安全保障も任せてもらいたい。故に米軍基地は不要である。」という理屈であれば、米国も納得せざるを得ないだろう。

しかし、今の日本にその覚悟はなく、米軍の協力なしでは日本の防衛は成りたたないのが現実である。(もちろん、沖縄に多大な負担をかけている現状は改善しなければならないが…)にもかかわらず、米軍基地を一方的に迷惑施設扱いするのはいかがなものであろうか。
防衛は米国頼り、基地の存在も拒否、でも平和は欲しいという虫の良い願いは、そう簡単には叶わない。

何も自衛隊の増強を主張しているわけではない。通商交渉や領土交渉などの外交も一種の戦いであり、そこに臨むには「愛国」という意識が不可欠である。
誰もが故郷の伝統文化に誇りをもち、誰もが日本を愛する心を持てるように、まずは、祝日に国旗を掲げる運動から始めるのも一つの方法かも知れない。

アジアとの絆

先週、ブータン王国のジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王とジェツン王妃が、日本に爽やかな、ほほえみの風をもたらした。
夫妻は先月結婚されたばかり。結婚後はじめての外遊に新婚旅行も兼ねて日本を選ばれたという。日本にとっても、東日本大震災後初めての国賓の受け入れとなった。

インドと中国の間のヒマラヤ山嶺に位置するブータンの面積は九州とほぼ同じ、人口はわずか70万人の小国だ。
だが、国の豊かさは面積や人口や経済力で決まるものではない。どんなに経済規模が大きくても、住民一人ひとりが日々の暮らしに満足し、生きることの幸せを感じていなくては、豊かな国とは言えない。

ブータンは、そういった心の豊かさを重んじ、国民総幸福量(GNH)という尺度を作りあげた国として有名だ。
自然環境と共生し、伝統文化の遵守を重視する政策は国民に浸透しており、ブータン政府が実施した国勢調査では、「貴方は今幸せか」という問いに、国民の96%が「幸福だ」と答えているという。(あやかりたいものである。)

この国は大の親日国でもあり、国連等での決議において常に日本を支持してもらえる友好国でもある。皇室との関係も深く、昭和天皇がご逝去された時には、国民全員が喪に服したともいわれている。
親日の心は、17日の国王の演説からも強く感じられた。国家元首の国会演説を拝聴する機会は何度かあったが、今回ほど心に響く演説はなかった。

国王は日本人について、「名誉と誇り、規律を重んじる国民、誇り高き伝統を持つ国民、不屈の精神、断固たる決意、そして秀でることへの願望をもって何事にも取り組む国民、知行一致の国民、兄弟愛や友愛、揺るぎない強さと気丈さを併せ持った国民であると認識してきました」と述べられた。

さらに、「卓越性や技術革新を体現する日本、偉大な決断と業績をなしつつも静かな尊厳と謙虚さを兼ね備えた日本国民、そして他の国々の模範となる国から、この世界が非常に大きな恩恵を受けるであろう」とつけ加えられた。そして、
「日本がアジアと世界を導き、また世界情勢における日本の存在が日本国民の偉大な業績と歴史を反映するに際して、ブータンは、皆様を応援し支持して参ります。」とも語られた。

この賛辞は、外交辞令などではない。日本人が歴史と伝統の中で育くんできた精神的価値に対する、心からの賞賛なのだ。東日本大震災の被災者の皆さんの姿を目にして「神話でなく現実だ」と思われたとも。
私たちは、この小さな美しい国の期待に応えなくてはならない。

ブータンに限らずアジアには、日本に好感を持つ国々が数多い(中国や北朝鮮はともかく…)。それは、我が国が欧米の支配を受けず近代化を果たし、アジア諸国に進むべき道を示してきたからに他ならない。

今回の演説から、アジアとの絆を尊重し、アジア全体の利益を極大化するリーダーとして、日本の役割と責任の重さを改めて自覚させられた。
それとともに思い出したのが、私たちが経済成長のなかで忘れかけてきた自然との共生、調和を重んじる「和の心」の大切さだ。

国王からは、「友愛」や「謙虚さ」等々を日本の美徳として褒め称えられたのだが、これらの道徳心はむしろブータン国民から学ばなくてはならないのだろう。
雨中の金閣寺訪問で、有馬住職に寄り添い、やさしく傘を差し出されたご夫妻の姿。あのような自然な美しい立ち居振る舞いを、私たち日本人も再認識して身につけなくてはならない。

国賓をおもてなしする宮中晩餐会よりも、身内の政治資金パーティを優先する閣僚がいたことは、残念でならない。
「国民は一流でも政治は三流」と言われないよう、心しなくてはと思う。

誠心誠意

TPP参加に向けての政府の意思決定は、予算委員会の審議を避けるかのように一日先送りとなり、「TPP交渉参加に向けて、関係国との協議に入る」との表現で結着した。
大和言葉では玉虫色の解釈がなされているが、APEC首脳会議での英語による表現は明瞭(「decision to join talks on establishing the TPP」?)であろう。(残念ながらこの原稿記載時点では正確な表現は不明…)。
前号で“参加を是”とする意見を表明した私としては、一定の評価をしたいと思う。この判断が、アジア太平洋の新経済秩序を築くための第一歩となることを期待したい。

それにしても、民主党のTPP反対派の往生際の悪さはいかがなものか? 菅直人前総理がいつ辞めるのか、辞めないのかを巡って繰り広げられた、初夏の内紛が思い出される。
これで、同一の政策目標を掲げる一つの政党と言えるのか? 非常に疑問である。

加えて、民主党政府がTPP問題を初めて取り上げたのは、もう1年も前。横浜でのAPECを前に、前総理が唐突に参加協議開始を表明してからだ。それから1年間、何の説明も、吟味もないまま無為に時間を過ごし、会議直前になって大騒ぎとは…。
東日本大震災が起きたとは言え、政権与党として大いに反省すべきだろう。

TPP参加問題がひとます落ち着いた今、次なる最重要課題は税と社会保障の一体改革だ。

先週、生活保護受給者数が過去最大の205万人を記録したとの発表があった。これはこれで大変な問題だが、生活保護費の給付額は3兆円強である。これと比べて年金は50兆円、医療保険は30兆円、介護保険は10兆円だ。(いずれも概数)しかも、年々兆円規模で増大している。

総理は11月4日のG20で、国際社会に消費税率の10%への引き上げを表明されたが、そのサミットで議論の中心となったのは、ギリシャやイタリアの財政構造である。
もちろん増税で収入額を確保することは必要不可欠だが、支出面=社会保障給付額の増嵩を放置していては、財政構造の改善は覚束ない。

国政を担う者の責任として、消費税増税と社会保障改革の具体的手順を一日も早く国民に示し、早急に議論を始めなくてはならない。
そして改革に向けた与野党協議に入るためには、財政構造の実態を無視した民主党マニフェストの総括(国民への説明)が必須だ。

にもかかわらず、先日の予算委員会における論戦。茂木政務調査会長が、この夏まとめられた「民主党マニフェストの統括」の問題点を鋭く指摘した質問への答弁を聞いても、政府民主党はいまだに理由にならない言い訳(税収減、ねじれ国会、東日本大震災)を続けている。

いいかげんに、かつての自己主張の正当化をあきらめ、素直に「野党だったから情報不足で見通しが甘かった」と認めれば、与野党協議は大きく前進する筈だ。
野田総理は、マニフェストの総括について正面から向き合い、党代表として改めてケジメをつけるべきだ。

それが「誠心誠意」ということだと、改めて私は言いたい。

TPP

TPP交渉への参加の賛否を巡る議論が政界を揺さぶっている。
正式名称は環太平洋経済連携協定(trance-pacific partnership)。要するに太平洋を囲む国々が、今後の経済連携のあり方、貿易や投資のルールをどう組み立てていくかという交渉だ。
既に米国、チリ、ペルー、シンガポール、マレーシア、ベトナム、ブルネイ、オーストラリア、ニュージーランドの9か国で交渉が始まっている。この議論に参画することを巡って、賛否が真っ二つに割れている。

人口が減少し、国内需要が縮小する我が国が成長を続けるためには、グローバル経済のなかで新興国の活力を取り込むことが不可欠である。その前提となるのが、自由で公平、公正な市場ルールの構築であることは論を待たない。

何もTPPで無くとも良い、バイラテラル(bilateral二国間)のEPA(economic partnership agreement経済連携協定)、FTA(自由貿易協定free trade agreement)でも構わない。とにかく、新興国との自由貿易のルールの確立無くして日本の経済成長は、覚束ないだろう。(まさか、今さら鎖国的政策により、国内に縮み込むとういう選択はあるまい。)

世界の工場の座は、既に中国、東南アジア諸国に譲った。これからは量よりも質で勝負する時代、我が国経済のよりどころは、知的財産権の確立と活用だ。
強烈な円高に打ち勝つためにも、他の追随を許さない技術、知恵を磨くとともに、その価値を世界共通のものとして確立しなくてはならない。

TPPで米国と日本が連携し、ルールを作りあげれば、それは世界経済の4割を占める原則となり得る。
我が国の強力なライバルとなった韓国は、既に開国政策に積極的に取り組み、米国やEUと自由貿易協定を締結している。
出遅れを挽回し日本がアジアのリーダーとして世界と勝負するには、TPPを通じて、国際ルールの構築に積極的に参加するべきである。

決して受け身になってはならない。ルールを作れるのは、ルール作りの場に参画した者だけなのだ。
既に遅きに失した感はあるが、最終リミットは11月12日からハワイで開催されるAPECだ。この機会を見過ごせば、我が国は、他人が作ったルールを飲むか飲まないかの選択しか許されなくなる。

農業に従事される方々もおそれることはない、安全安心な日本のコメや野菜はアジアの市場で高値で取引されている。良質の農作物を作れば、農業も新たな輸出産業となることができる。
TPP協議への参加をピンチでなくチャンスと捉え、競争力のある強い農業への構造改革を目指すべきであり、政府はその為のあらゆる政策を講ずるべきである。
まずは、バラマキ所得補償制度を再構築し、かつての自民党政権時代の路線のように大規模専業農家の育成をめざすことだ。

今回のTPPに関する議論は、政府からの情報提供があまりにも少なく、国内に多くの不安をもたらしている。関係者の不安を払拭するためにも、政府はしっかりと説明責任を果たさなければならない。

残された時間は限られている。攻めの通商政策、攻めの農業政策を立案することこそ、国益に通ずる。
アジア太平洋の発展のために、TPPへの早期参画を契機に、日中韓のEPA、ASEAN諸国も含んだ広域自由貿易体制を早急に確立しなくてはならない。
その為にも、今週から始まる予算委員会で政府は説明責任を果たし、国民の不安を取り除いて欲しい。
野田総理の本気度をしっかり見極めたいと思う。

タイ大洪水

いよいよバンコクの水没が始まってしまった。
タイの水害報道は夏場から伝えられていたが、まさか、このように長期をかけて徐々に被害が広がり、一国の首都が為す術もなく機能麻痺に陥るとは考えても見なかった。

アユタヤ地区の工業地帯は、既に半月以上も機能を停止している。最終組み立て工場自体が水没していなくても、部品供給網がズタズタに切り裂かれ、機能回復には相当な時間を要しそうだ。
1985年のプラザ合意による円高以降、タイ国に日本工業村ともいえる産業移転を続けてきた日本企業群には、ユーロ危機に伴う円急騰に続く大打撃だろう。

東日本大震災の大津波や紀伊半島を襲った台風12号の局地豪雨もそうだが、大自然は我々の想定を遥かに超えたレベルで近代文明を襲う。まるで、人の知恵の浅はかさや科学技術の無力をあざ笑っているかのようだ。

タイ大洪水の原因探究は事態が安静化してからじっくりと取り組んでもらいたいが、少なくとも異常気象のみが引き起こした災害ではないだろう。むしろ、多くの部分は人災=地形への配慮を無視した急速な都市開発にあるのではないだろうか。

チャオプラヤ川河口付近のデルタ地帯は、元々広大な低湿地が続く地形だ。372㎞の河川延長で高低差はわずか25m、日本の河川では考えられない低勾配だ。
その沖積平野に大都市を作ってしまった。もちろん、水害に備えるための運河や地中配水管は設けられていたようだが、今回の災禍には焼け石に水だった。
上流部における工業団地造成のための森林伐採は、自然の保水力も低下させてしまったことだろう。
海に向かっての勾配がないだけに、堤防で水を防ごうとすればとてつもない規模の堤防と排水ポンプが必要となる。

かといって、毎年このような水害に見舞われてはたまらない。
「国を治めんとすれば水を、水を治めんとすればその上を治めよ」というのは豊岡市出身で、治水・砂防の神様と呼ばれた赤木正雄博士の言葉だ。
古から急流に挑んできた日本の治水技術、河川土木工学の出番かもしれない。明治以来、我が国の公共事業は安全安心の基盤づくりのために尽力してきた。
産業投資のみではなく、このインフラ技術と理念も積極的に輸出してはどうだろう。

そして、もう一つ大切なのは、人類は自然の中で生かされているという道徳観ではないだろうか。西洋的な発想=科学技術の力で自然を制御するというのは20世紀の思考だ。
東北の津波被災地では、高台移転作戦が大々的に論じられている。確かに自然の高台があるところ、古の民が貝塚を作った高台があれば、そこに住まいするのも良いだろう。

ただ、無理に山を切りひらいて高台を築くと、津波は避けられたとしても山の神の怒りに触れるかもしれない。
これからのまちづくりは、自然への畏敬の心を基本に、災いを避ける発想で進めなくてはならないのではないかと私は考える。

政権復帰への道

国民が政権交代を選択した平成21年の夏から、早くも2年余が経過した。
与党として政権運営に携わるのを常としてきた自民党ベテラン議員にとっては、とても長い年月だ。力を発揮する機会のない野党暮しに、フラストレーションが溜まりに溜まっている。

その結果が「解散総選挙に追い込め。追い込めない総裁は駄目だ」との強い意見となって表面化している。
心情としてはよく分かるし、一日も早く議席を回復したいとの思いは私も同じだ。
しかし、今は解散を求めるべき時だろうか?

震災復興、経済対策、財政再建、社会保障制度改革など、今の日本には至急に解決策を講ずるべき政策課題が山積している。いや、これまでの政治の無策故に、積み上がってしまったと言った方が正しいかもしれない。

国民は有効な政策の実行を求めているのであって、政治家の空疎な権力闘争を望んでいるのではない。
それにいくら「解散」を声高々に叫んだところで、解散をするしないは民主党代表である総理が決めるのだ。

政策立案への関与は、総理の座を奪わなくとも可能だ。野党であっても、法案の提出はできるし、国会での創造的な議論を通じて法案、予算案を修正することもできる。

確かに、2年間の民主党政権の政策運営が見るに堪えないのは事実だ。
普天間基地問題で日米安保体制が傷つき、中国やロシアに領土問題でつけ込まれる。経済成長戦略はお題目だけで、TPPへの対応も中途半端。子ども手当てをはじめとするバラマキ施策群は財源が見つからず方針が二転三転。さらに東日本大震災からの復興や原発事故対策は遅々として進まない…。もう一つ、政治資金疑惑への対処もすっきりしない。

失政を追求するネタに事欠かないのは確かだが、今は我慢の時。日本の行く末を左右する重要課題の解決を急ぎ、この国の閉塞感を取り除くことが先決だ。
そのために、自民党も自らの政策案を積極的に提示し、与野党が前向きに議論を行わなくてはならない。

民主党政権の度重なる失政にも関らず、自民党への支持は一向に回復していない。
世論調査では「自民党の出直し、再度の政権復帰を期待する」という意見は、2年前には6割を超えていたが、今は3割にも満たない。
従来の野党の戦法=かつての民主党のような与党批判一辺倒では、「政権復帰」の見通しは立たないということがはっきり数字に表れている。

今こそ責任政党である自民党が、自らの政策立案能力を磨き、新時代の“野党”の姿を示すべきときだ。そして、政策論議を通じて、この国の舵取りは自民党に委ねるべきだと国民から評価されなければならない。
回り道のようだが、それが政権再交代への近道となるだろうと私は考える。

先週20日から臨時国会がスタートした。野党が自らの政策をアピールするチャンスだ。
建設的な議論を展開して、大いに野党・自民党の存在感を示して欲しい。