未来への責任

10月1日に臨時国会が開会した。
衆参ねじれの政治情況の中で、重要なポイントの一つは与野党協議である。
ねじれているからこそ、与野党対等な立場での協議環境が整うのだ。
菅総理も所信表明演説の中で何度も与野党の協議について言及している。

日本は今、景気の回復、社会保障の再構築、財政再建、日中関係など克服しなければならない課題が山積している。
まずは目の前の景気対策が必要という意味で、補正予算を巡っての協議が話題となっているが、より重要な課題は、いかにして持続可能な社会保障制度を設計するか(少子高齢社会への対応)だ。
この長期デフレを解決するためにも、国民の将来に対する不安を払拭し、安心して個人資産を消費に回す(=内需を拡大する)ことができる世の中を創ることが大事だ。

急速に少子高齢社会が進展する中で、与えられた時間はほとんどない。既に遅すぎると言っても過言ではない。
谷垣総裁は「まず国会で議論を。」、「マニフェストのばらまきをやめなければテーブルには着けない。」とも言われていたが‥‥。
この種の議論は結論を得るまで2~3年はかかる。だからこそ、一日も早く与野党協議をスタートさせなくてはならない。

協議会をスタートさせるにあたっては、
①安定した社会保障制度の確立を目指し、法律に基づく超党派の協議機関を設置する。
②協議会に於いては社会保障制度と税制改革の議論を一体的に行なう。
③協議テーマについては、人口構造の変化に係る年金・医療・介護・少子化対策を柱とする。
④今後、財源の裏打ちのない制度改正は行わない(=民主党はマニフェストを一時凍結する)。
以上の4点についてのみ、各党が合意すれば良いのだ。
政策の中身については、テーブルに着いてから主張し合えば良い。
党利党略を離れて、安心社会実現に向けた超党派の議論を展開して欲しいと心から願う。

それが「未来への責任」だ。

今を逃がせば次のチャンスはおそらく次回の総選挙後となってしまう。
それでは遅い。繰り返しになるが、与えられた時間はもうほとんどないのだ。

地方分権

今年もまた自宅のある曽根のまちがざわつき始めた。9月も末となり秋祭りまで20日足らず。自然とまちの気分が祭りモードになっていく。

この地方、播州の浜手は、10月初旬から20日頃まで太鼓の音と若者の歓声でわき上がる。進学や就職のために故郷を離れた若者たちも、盆暮れに里帰りしなくとも、秋の祭りには必ず帰ってくる。
親分子分、連中(※)といわれるこの地に特有の絆で結びつけられた結束力は強烈だ。

我がまち、曽根天満宮の秋季例大祭は、10月の13日と14日。約400年の間、この日付は変わらない。
一昔前、学校も工場も両日は強制休業だった時もあるらしい。操業しようにも、授業しようにも、誰も出てこないのだから仕方がない。
この町の人々の暮らしは、祭りを中心に回っていると言っても過言ではない。

外から見れば俄かに理解しがたいことかもしれないが、そういう地域固有の文化があっても良い。
八百万の神々を認めてきた日本なのだ。全国画一的に休暇を取る必要はない。
地域固有の休日をどんどん創ればよいのではないだろうか。例えば先日の敬老の日は、旧多可郡野間谷村(現多可町八千代区)が始めた「としよりの日」がその起源だ。

「地方分権」とか「地域主権」と言うと難しげだが、こういう単純なところから入っていけば理解しやすい。
東京と兵庫が同じである必要はないし、神戸と高砂が同じである必要もない。
誰もが難しい方程式を解ける必要はないし、誰もが疾風のように駆けられる必要もない。
そう思えば、画一的で無意味な競争から解き放たれ、自由にのびのびと持てる力を発揮できるのではないか。

個人も地方も、個性を生かすことに活路を見いだせば良いのだ。
個性は主観で決まる。思うところを行えば自ずと分権、自立の社会が拓けるのではないだろうか‥‥。

故郷の人々をそんな思いにさせてくれるオンリーワンの秋祭りが、今年ももうすぐやって来る。
祭りは、それぞれの地域性を発揮する最高の舞台だ!各地域で祭りに参加しよう!
そして都合が良ければ10月13・14日は曽根天満宮を訪れていただきたい。
そのついでに我が家にも立ち寄って下さい。

※曽根天満宮の氏子は高校生くらいになると友人(5~10人)で連中というグループを作り、一世代上のリーダーとの間で親分子分という絆を結ぶ。

【号外】国家主権

驚いたことに那覇地検は尖閣沖衝突事件で拘留中の中国人船長を釈放してしまった。

日本政府は、事件発生以来「国内法に基づき粛々と対応する」と言い続け、「東シナ海に領土問題は存在しない」との立場を堅持して来た。至極全うな主張であった。

一方、中国は日本の対応を激しく批難。次々と対抗措置をエスカレートさせ、日中関係が急速に冷え込みつつあったのも事実だ。

このような事態が続くことは日中双方にとって不幸を招くのみであり、一日も早い課題解決が迫られていたことも事実だろう。
だとしても、中国側の主張を丸呑みするかのような超法規的措置を、明らかに政治的判断による行為を、検察の独断であるかのような発表をされたのには理解に苦しむ。

次席検事は「日本国民への影響や今後の日中関係を考慮した」と理由を語った。そしてニューヨークでは菅総理が「検察が国内法に基づいて総合的に判断された。その対応を了とする」と発言されている。
しかし、「総合的な判断」とはいったい何なのか?
その中に政治的判断も含まれるとしたら、明らかに検察は本来の責務を逸脱している。

今回の醜態は、中国の脅しに屈した弱腰外交だ。いや、外交と言うにも足らない行為かもしれない。
各国のメディアも「日本は中国の圧力に屈した」と報じている。 

案の定、中国政府は図に乗ってさらなる強硬姿勢で、日本に謝罪と賠償を求めてきた。中国で拘束された4人の日本人は未だに釈放されていない。
これでは、日中関係をさらに悪化させるだけではないのか。

事は日本の主権に関わる問題だ。
菅総理は「検察判断」と責任転嫁するではなく、誰がどういう根拠で今回の判断を行ったのか、自らもっと分かりやすく説明をすべきだ。

それよりも、国連本部という格好の外交の舞台にいたのだから、同盟国の協力も得ながら、本当の外交交渉を繰り広げるべきではなかったのか。
外交が嫌いなのか不得手なのか知らないが、それが総理としての責務だろう。

第3の道は?

先週、第2次菅内閣が発足した。

報道では「脱小沢」路線を貫いた人事ということだが、もう政局ネタはほどほどにしてもらいたい。脱小沢でも親小沢でも、国民生活には関係ないことだ。
新閣僚の皆さんには国家の繁栄と国民の幸せのための政策実行に全力を尽くして欲しいと、国民の一人として思っている。

新内閣の現下の最大の課題は経済対策だろう。

菅総理は代表選の公開討論会の冒頭発言で「今一番重要な課題は、一に雇用、二に雇用、三に雇用」と自らの考えを述べた。
そして、代表選中に閣議決定した「3段構えの経済対策」では、第1段階の緊急的な対応として予備費を使った需要・雇用の創出。第2段階は補正予算の編成と、6月に決めた新成長戦略の推進。第3段階として税制改正や規制・制度改革を掲げている。

成長分野としては、介護・医療・環境・エネルギーなどが示されているが、そのなかで、介護や医療といった社会保障分野=官製市場分野を果たして成長分野と言うのだろうか?

需要はあるのだから「雇用に結びつけることが出来れば、消費にも結びつくし、税収も増加する」と言う説だが、話はそう簡単ではない。
確かに、超高齢社会に突入し、介護や医療分野の需要は年々大きくなっている。ただし、それは社会保障制度が整っているからだ。
介護や医療の市場は、単純な受益と負担の関係ではなく、社会全体で負担する保険料と税の投入で成り立っている。(受益者が受益額の0~3割しか負担する必要がない仕組みだ。)

これを成長させるとすれば、①官製市場の規模拡大=保険料・税負担の引き上げや、受益者負担の引き上げ、又は、②民間市場の創造=混合診療等のような保険外サービスを幅広く認める規制緩和、という選択が必要だ。

ただ、保険料・税負担にしても、受益者負担にしても、既に国民には負担感が強く、今以上の負担増を求めるのは容易ではない。
「増税しても使い方を間違えなければ成長に繋がる」と総理は言うが‥‥それは、20世紀に破綻した社会主義の計画経済システムの発想ではないか?

雇用環境を改善するには、やはり経済の自律的成長を促す戦略が必要である。
企業の活力を引き出し、国際競争力を高めるには、まず、国内市場の規制改革、EPAの促進による国際市場の統合が急がれる。
6月に閣議決定した新成長戦略の方向は間違っていない(自民党政権時代の戦略の焼き直しだから当然だが…)が、総理のこれまでの発言からは実現に向けての強いメッセージが伝わって来ない。

そんな事を考えていたら、友人の経営者から一通のメールが届いた。

「うさんくささ、マニフェストに固執など、いただけない点があるものの、現状打破してくれそうな剛腕小沢氏の勝利を期待(菅氏よりは という私の中での相対優位故に)していましたが‥‥、いずれがなっても経済政策面では頼りになりそうになく、企業は自助努力しかありません。生き残るために海外シフトを加速します。」

民主党の経済政策に不安を感じているのはどうやら私だけではないようだ。

余談になるが、英国のトニーブレア元首相は96年10月の労働党大会の党首演説で、
「政府の最優先課題を三つ挙げろと聞いてほしい。私はこう答える。教育、教育、教育だ」と言った

かつての「第三の道」という表現もそうだが、相変わらず菅総理はブレア元首相が大好きな様だ。

【号外】菅直人氏再選

猛暑の中、2週間の熱い戦いが終り、14日の民主党大会で菅総理が再選された。
新聞各紙では「菅直人(氏)圧勝」と報じているが、果たしてそうだろうか?
確かに、党員・サポーター票、地方議員票、国会議員票いずれも菅氏が勝利はした。
しかし、国会議員票は僅か6票差でしかない。

世論と永田町のねじれと言われているが、圧倒的な世論の支援にも拘らず、国会議員では五分五分の結果となったのは何故なのか?
世論の菅氏への評価は、首相としての任期の短さ故の恩赦、そして、金権疑惑が晴れない小沢氏と比較した場合の相対優位でしかないと言う理由もあったことを、菅氏は認識した方が良いと思う。

代表選が終わって焦点は党役員人事と組閣に移った。

世論の声に応え、党分裂の火種になりかねない脱小沢人事とするのか?
それとも挙党一致の美名の下に小沢氏に妥協するのか?
どちらを選択するかで、政策にも大きな影響がある。
いずれにしても菅氏には悩ましい選択になることだろう。

日本政府の混迷を予期してか、円高はさらに進んでいる。
尖閣諸島での漁船の領海侵犯を巡り、中国政府は強硬姿勢を崩さない。

23日からは国連総会も待っている。
我が国が国際的窮地を脱するには、絶好の機会にできるかもしれない。
ここは菅直人の外交手腕をじっくり見てみたい‥‥。

メディアジャック

このところニュースもワイドショーも民主党代表選挙にTVジャックされている感がある。

個人的には飽き飽きするほど同じような映像を見せつけられていささか辟易しているが、世間では「総理を3ヵ月で変えるのは良くない」との消極的理由も幸いし、「小沢さんより菅さんが総理にふさわしい」との風評が高まっている。

その効果なのか、これと言って特筆すべき成果もあげてないのに、菅内閣の支持率が上昇している。
世界各国が次々と景気対策を打ち出しているなか、我が国は、1ヶ月余り政府の機能を麻痺させてしまい、効果的な円高対策も講じられていないのだが…。

確かに、ここ数回の代表選と異なり、今回の民主党代表選は前世紀の自民党総裁選を彷彿させる血みどろの戦いが繰り広げられている。
菅・小沢というキャラクターの全く違う候補者の全面対決(一騎打ち)の構図が、メディアの、そして国民の興味をそそっているのだろう。

しかし、両者の発言からは、日本の将来像、国家戦略は全く見えてこない。そして、これだけの批難合戦を展開すれば、戦いの後の怨念もどうなることやら? 他人事ながら心配だ。

選挙が終わったとたんに、党内融和、挙党一致という具合にまとまるなら、まさにお見事なメディアジャック、代表選による党勢拡大作戦は大成功といったところか。

そんな中、ヘッドラインはとれなかったが、先週久しぶりに自民党の話題がニュースで流れた。
9日(木)の党新役員人事の決定だ。新三役は、幹事長に石原伸晃氏(53)、総務会長に小池百合子氏(58)、政調会長は石破茂氏(53、留任)。

偶然ではあるが、3人とも2年前の自民党総裁選に立候補し、麻生元総理と総裁の座を争った面々だ。

若返りとの報道もあるが、民主党の枝野幹事長(46)、玄葉政調会長(46)と比べると若いとも言えないし、知名度は高いがそれほど新鮮な顔ぶれでもない。
ただこれまでの自民党の役員人事なら、党内力学からしてもこのメンバーにはならなかっただろう。その意味では思い切った人選だとも言えるし、各人の経験も発信力も十分だ。

来春の統一地方選挙、そして来るべき総選挙は、この新三役の下で戦うことになる。党勢拡大、政権奪還に向けて、谷垣総裁とともに新しい自民党の姿を大いにアピールしてくれることを期待している。

民主党代表選 2

鳩山前総理による挙党一致に向けての調整は不調に終わり、民主党代表選は、菅総理・小沢前幹事長の全面対決となった。
1日の共同記者会見、2日の日本記者クラブ主催の討論会を通じて、両者の主張の違いがかなりはっきり見えてきた。

マニフェストの扱い、消費税、普天間基地移設問題、政治と金、国会運営などが主な争点である。

これまで何度も言及したが、民主党の衆議院マニフェストの破綻はこの1年間の政権運営で明白である。
故に私は、菅総理が現実に即した修正に言及されていることを評価する。「社会保障のあり方と財源問題を一体で議論をする中で消費税も含めた議論をする」という方向も的を射ている。

小沢氏の方は相変わらず「マニフェストは国民との約束だから実現しなければならない」「補助金の一括交付金化、国有財産の証券化で財源は捻出できる」と言われる。
にわかに信じがたいが、百歩譲って10兆円単位の財源が見つかったとしても、「約束だから」という理由で「子ども手当て」や「高速無料化」に充当して良いのだろうか? 今はマニフェストに掲げたバラマキ政策がなぜ必要なのかを改めて、しっかりと説明すべき時だろう。

もう一つ、二人の主張が激しくぶつかり合ったのは互いの政治手法だ。

小沢氏は菅総理の政権運営を「政治主導になってない」と指摘、概算要求基準のシーリング一律10%カットに言及し、「自民党時代と同じ」と批判した。
この指摘が正しいか否かについては見方の分かれるところだが、自らの政治手法こそが政治主導と自負してきた菅総理には、受け入れがたい発言だったと思う。

一方、小沢氏のめざす政治主導というのは、幹事長時代の密室、独裁システムのことだろうか? 昨年の予算編成過程では、地方自治体や各種団体の声は、すべて党幹事長室が窓口となって取り仕切り、行政への要望陳情は禁止された。
これを政治主導と呼ぶのも違和感がある。

政治主導とは非官僚主導という意味だろうが、それを実現するのは形式ではなく個々の政治家の資質だ。100人の国会議員を政府に送り込んだとしても、能力がなければ行政の現場を混乱させるだけだろう。逆に一人の大臣でも、政策の方向性をしっかり示し、必要な施策を選択する判断力があれば政治主導の行政運営ができる。

どちらが総理になられようと、官邸と党の妥協策の立案を官僚に求めると言った愚を廃し、本来の政治主導を貫いて頂きたいと思う。

政治とカネをめぐっては、菅総理が「小沢さんの政治手法はカネと数をあまりにも重視する古い政治」と言及、「クリーンでオープンな政治を目指したい」と指摘した。
これぞ民主党の実情を示す発言。パーティ内で党首を選ぶ議論とは思えない泥仕合の様相を呈している。

自民党も長年に亘る権力坑争の歴史を持つ。総裁選では多額の資金が多数派工作で使われたと言われる時代もあった。
しかし政策の違いや党運営をめぐる論争はあっても、公開の席での党内の同志への中傷ともいえるこの様な発言はなかった。
だから戦いが終った後は、挙党一致体制で長年に亘り政権運営を続けてこられたのだ。

まるで野党が政府を攻撃するがごとき菅総理の発言は、聞いていて違和感を覚えた。
「選挙が終った後はノーサイドで、挙党一致で」と言われているが‥‥本当に挙党体制が礎けるのだろうかと、他党のことながら気掛かりだ。

民主党の代表選は日本のリーダーを選ぶ選挙。両候補には政争ではなく、しっかりとした政策論争を、この国の将来像を論ずる骨太の選挙戦を展開してほしいものだ。

民主党代表選

 26日朝、大方の予想に反して小沢氏が民主党代表選への出馬を表明した。
 鳩山氏が菅総理と小沢氏の間で調整を続けていたが、成功しなかったのだ。

 小沢氏の出馬については厳しい見解が多い。一部で報道されているような「起訴を逃れる意図」があるとすれば言語道断である。出馬に際しては、自らの後援会の政治資金規制法違反事件について、国民にしっかりと説明することが最低限の責任だろう。

 かつ、気がかりなのは衆院選マニフェストについての小沢氏のスタンスだ。

 先週私は「この一年の政権運営で、マニフェストの矛盾点や問題点がかなり明らかになってきた。既に破綻している政策に拘れば、ただでさえ深刻な財政をさらに悪化させることは必定だ。これまでの政策実施状況を検証し、改めて“財源に裏打ちされた”新政策を提案すべきだろう。」と指摘した。

 小沢氏は「マニフェストは国民との約束だから実現しなくてはいけない」と主張している。「ムダな経費は何兆円も省ける。財源はある」とも言っている。

 本当にそうだろうか?
 そうでない事は既に明らかになっているのではないのか?

 ムダ探索担当である蓮舫行政刷新相でさえ、28日のTV番組で「『財源はある、お金はある』と(小沢氏から)直接何度もうかがったが、どこにあるのか」と発言している。

 そもそも、マニフェストによると今年から廃止されるはずだったガソリン税等の暫定税率を継続させたのは、前幹事長(小沢氏)の一声だったはずだ。

 私には、今になって、あえて衆院選マニフェスト回帰を主張する小沢氏の姿勢は、代表選のための戦術=大衆受けする政策を唱えているとしか思えない。本当に子ども手当てや高速道路無料化等を実行する気があるのなら、具体的な財源を見せて欲しい。

 確かに、民主党内の選挙だから、我々は結果を見守るしかない…のかもしれないが、バラマキ政策回帰論が、救国の取り組みである税制改革や社会保障の与野党協議会の設置に水をさすことも事実だ。
 一政党内の空虚な論争によって、日本の未来が危うくされることが許されるのか?と思っていたら、TV番組で石破茂自民党政調会長も全く同じことを言っていた。

 民主党所属議員やサポーターの賢明な判断を切望する。

 それにしても、鳩山氏は一体何を考えているのだろう。
 「総理を辞めた人が、あれこれ口出しするのは良くない」と政界引退まで表明していた筈が、仲介役気取りで菅総理と小沢氏の間を行き交い、挙げ句の果てに、一夜にして菅総理支持から小沢支持に変わった。

 自らの豹変を「私の一存で小沢先生に民主党に入って頂いた。その経緯から応援すること大義だ」と説明されている。「菅さんは理の人、私は情の人」とも言われている。

 が、全く理解に苦しむ。
 個人的な経緯は知るところではないし、政治には情も必要であることは否定しない。しかし、民主党の代表選は日本のリーダーを選ぶ選挙だ。
 支持する代表候補を変えるのであれば、感情的な想いではなく、国民が理解できる大義で説明して欲しいものだ…。

コップの中の嵐

 例年この時期になると、「朝夕に秋の気配を感じる季節となりました」と挨拶をしていたものだが、今年は8月も下旬に入ったというのに猛暑が収まらない。

 加えて、永田町でも民主党の代表選がヒートアップしているようだ。
 ニュースで流れている政治の話題も、(困ったものだが…)目の前の円高対策よりも、9月1日告示の代表選が主役を張っていると言っても過言ではない。

 毎日のように、○○グループが集まって菅支持を決めたとか、△△グループの会合で出席議員の多くが「小沢さんに出てもらいたい」と発言したと報道されている。
 「○○派」が「○○グループ」にすり替わったが、これまで自民党で見られた光景と全く同じだ。

 親小沢か反小沢かという分け方もあるようだが、ここへきて路線の違いも見えてきた。
 一方は、財政の現実に即してマニュフェストを修正していこうというもの、他方は、もう一度マニュフェスト原理主義に立ち戻ろうというものだ。

 しかし、マニュフェストに関わるこの論争は、政権構想論ではなく選挙戦術論でしかない。
 昨年の衆議院選挙のマニュフェストは国民に対する民主党の公約であり、誰が代表になろうとその成否に対する責任を負うことには変わりない。

 この一年の政権運営で、マニュフェストの矛盾点や問題点がかなり明らかになってきた。既に破綻している政策に拘れば、ただでさえ深刻な財政をさらに悪化させることは必定だ。

 民主党の代表は総理大臣になるのだから、立候補者はまず、日本をどんな国にしたいのかという自らの国家像を語って欲しいものだ。
その上で、これまでの政策実施状況を検証し、改めて“財源に裏打ちされた”新政策を提案すべきだろう。そうしなければ与野党協議の前提条件が整わず、野党自民党も協議に応ずることは難しい。

 代表選の最大の焦点は、小沢さん本人が出馬するか否かといわれている。
 政治資金の問題がクリアされてないと言われるが、小沢氏本人は「疾しいところは何もない」と言っているのだから、出馬するか否かは小沢氏自身が判断されることだ。

 ただ政治と金について、国民への説明責任はまだ果たされていない。立候補されるなら、まず選挙を通じて国民に説明をすることが最低限の責任と考える。
 いずれにしても影から政権を操るような政治はもう国民が許さないだろう。

 与党民主党が代表選にうつつを抜かし、政府が政策決定能力を失っているうちに、気候だけでなく日本経済もおかしくなってきている。

 円は15年ぶりに84円/ドルを割り込み、日経平均も遂に9000円を割った。円高・株安によって、さらなる景気悪化が懸念されている。既に4月から6月のGDP成長率は年率換算+0.4%と大きく低下している。
 すべては、日本政府と日銀の無策のなせる結果。世界中が、民主党代表選が終わるまでは、日本に政策決定能力はないと判断しているのだろう。

 今こそ政治主導を見せる局面ではないのか。何故、政府が日銀をリードし、迅速に金融緩和、為替介入に踏み切らないのかと苛立たしい。

 民主党も政務調査会が復活したのだから、一年生議員の囲い込み合戦よりも、緊急経済対策や中長期の社会保障、財政運営について、早急に議論すべきである。
 政府も与党もあまりにも危機感が欠けている。

8月15日に

 今年もまた8月15日がやって来た。戦後65年、65回目の終戦記念日である。
 毎年のことであるが、この時期のTV番組には第二次世界大戦に因んだ特集が数多く見られる。

 14日(土)、私は「歸國(きこく)」というドラマを見た。

 終戦記念日の平成22年8月15日、深夜の東京駅に幻の軍用列車が到着、戦争で玉砕したはずの兵士の「英霊」たちが降りたった。夜明けまでの数時間、現在の日本をさまよい歩いた英霊たちは、今の日本に何を見たのか‥‥というストーリーのドラマである。

 戦後65年、日本は世界に類を見ない発展を遂げた(90年代初期からはいささか停滞しているが‥‥)

 しかし、ドラマの中で英霊の一人は昔の婚約者に語りかける。
 「日本は本当に幸せになったのか?」と
 「日本はものすごく豊かになったわ。だけど幸せなのかどうかは分からない。確かに豊かになったけど、日本人はどんどん貧しくなってる気がする。」と婚約者は答える。

 夜明け前の東京駅から南の海に帰って行く英霊たちは「今の様な日本を作る為に我々は死んだつもりはない。」という言葉を残していく。

 先の大戦で散っていった英霊達は我々に何を託したのだろうか?
 どんな日本を創ってほしいと思っていたのだろうか?

 そう言えば、しばらく靖国神社に行っていない。
 今度上京する際には、ぜひ参拝する時間を作りたい。ひょっとしたら彼等の声が聞けるかも知れないから。

 私たち政治家は、常日頃から、日本の礎を築き上げてきた先人の心に思いを馳せ、そして、
 彼らの期待に応えられているのか否か、自問を続ける必要がある。

 それが、先人への責任を果たす第一歩になるのだから‥‥。

 ところで、政治には時間軸でみると3つの責任があると私は考えている。
  ・この国を築き上げてきた先人に対する責任(過去への責任)
  ・今を生きる国民に対する責任(現在への責任)
  ・最後に未来を創る子ども達への責任だ。(未来への責任)

 8月15日は、もちろん「過去への責任」を考えるべき日だが、
 今の私には、「未来への責任」の方が気になってならない。

 持続可能性が疑われる社会保障制度、GDPの2倍近い借金を背負った財政構造。
 正に日本丸が沈むかも知れないという危機的な状況下にあって、今の政治は「未来への責任」を果たしていると言えるのだろうか? 疑問を持たざるを得ない。

 今は党利党略を捨て、胸襟を開いて超党派で議論し、国家的課題(経済・税財政・社会保障)について、一日も早く結論を導き出すことが、「未来への責任」を果たす唯一の道だと私は考える。

 その議論のプロセスは、過去と現在への責任を果たす上でも不可欠な仕組みになるだろうから。