大切なことば。

 最近気になっているTV コマーシャルがある。

 「時雨、五月雨、こぬか雨‥‥、日本には同じ雨にも色んな雨がある。」何のCMかは覚えてないが、こんなセリフのCMだ。

 たしかに日本語は表現が豊かだ。

 20年ほど前にケニアへ行った時、スワヒリ語の一日には夜と昼しかないことを知った。ケニアでは太陽が昇れば昼、沈めば夜。その二つだけで、朝や夕は存在しないのだ。

 限りなく水平に広がる地平線にオレンジ色の太陽が沈むと、またたく間に夜の暗闇が訪れる。だから二つの違いを表現する言葉があれば十分なのかもしれない。

 季節の変化も雨期と乾期の二つだけで、景色に至っては一年中ほとんど変化がない。ちなみに挨拶は朝でも昼でも夜でも「ジャンボ(Jumbo)」という一語ですませる。

 一方、日本語では同じ夜でも、宵の口、深夜、明け方と様々な言い表し方がある。
朝も、情景に応じて、あけぼのや夜明け、早朝と多様な言葉を駆使する。挨拶でも、朝昼晩と時間帯により使い分けなくてはならない。

 日本語の豊かな表現力は、わが国の気候や自然の多様性に起因するのだろう。

 四季に応じて気候が移ろい、美しい自然が姿形を変えていく中で、私たちの先人は豊かな語彙を生み出してきたに違いない。

 そんな美しい日本の自然、そして日本人の繊細な感性を、我々は大切にしていかなければならない‥‥。文明が進歩し、暮らしぶりが多少変化しても、四つの季節は必ず巡ってくるのだから。

 もうすぐ梅雨(つゆ)が訪れるが、何故〝梅〟と〝雨〟なのか‥‥。梅花咲き誇るのは早春2月のはず? では、梅の実りを呼ぶ雨の意か?

 TVのコマーシャルを見て改めて考えている。

シナリオ通りなのか・・・

 5月末の普天間問題決着期限を目前に、沖縄訪問、徳之島3町長との会談等々、政府の精力的な地元対応が大きな話題となっている。

 新聞やTVニュースも、この問題をヘッドラインに取り上げることが多い。

 しかし、いくら基地負担軽減という沖縄県民の悲願の実現に、必死に努力しているとしても、「腹案がある」と唱えてきた切り札の中身(政府最終案)が、辺野古くい打ち案だとしたら、県民には到底納得できないものだろう。

 しかも今になって「仰止力として沖縄の海兵隊が必要と分かった」と言う総理の説明はあまりにもお粗末だ。
おまけに「県外はマニュフェストにないから公約ではない、あくまでも私の考えだ。」というのだから話にならない。

 昨年の総選挙で沖縄では全ての小選挙区で与党が勝利した。
「できれば国外、少なくても県外」という言葉に沖縄県民は政権交代を託したのだ。

 総理は自らの発言の重さを分かっているのだろうか。今さらではあるが、自らの言葉は民主党を代表している、即ち公約だということを自覚すべきであろう。

 ところで先月25日の県民集会の光景を見て、私は2007年9月29日の沖縄県民11万人集会の光景を想い出した。集団自決を巡る高校の歴史教科書検定問題で沖縄県民の怒りが頂点に達した集会だ。

 その日から3ヵ月間、私は文部科学大臣として連日連夜この問題の対応に追われた。不用意な一言が誰かを傷つけることがないよう、記者会見や国会の審議では、一つひとつの言葉に細心の注意をはらったことは言うまでもない。

 1965年8月19日、故佐藤栄作総理が戦後初めて総理として那覇空港に降り立った時、「沖縄祖国返還が終るまで、我が国の戦後は終わらない‥‥」と言われた。

 その後、沖縄返還は1972年に実現した。だが、県土が戦場となった記憶は簡単には消えず、未だに基地に囲まれた生活を余儀なくされている。

 沖縄県民にとって、まだ戦後は終わってないのかも知れない。

 基地返還という沖縄の願いの実現、そして、我が国を含むアジア太平洋の安全保障の確立。どちらも日本政府が取り組むべき重い政策課題だ。

 しかも、それは一朝一夕に解決する問題ではない‥‥。

 今般の普天間基地を巡る場当たり的で不用意な発言の数々は、解決への道のりを険しく長いものにしてしまった。

信頼のない人たち

 民主党ツートップとも言える鳩山総理と小沢幹事長、二人を巡る検察審査会の結論が出た。

 秘書による政治資金規制法違反という犯罪構成は同じだが、鳩山氏は不起訴相当、小沢氏は起訴相当と、ある意味で正反対の結果となった。

 秘書の行為に対して、鳩山氏は関与がなく、小沢氏は関与がないことはあり得ないとの見解だ。

 この結果、鳩山氏の捜査は終結し、小沢氏の問題は検察が再捜査することになる。
ただ両者とも政治的・道義的には、しっかりと説明責任を果たすべきであり、世論もそれを求めている。

 総理は過日の予算委員会で約束したとおり、母上から贈与を受けた資金の使途について明らかにすべきだ。小沢氏も、「やましいことは何もない」と言われるのなら、自ら国会に出向いて説明すべきである。

 加えて民主党には速やかな自浄活動を求めたい

 私の選挙だけを考えれば、民主党の信頼失墜は、歓迎すべきことかも知れない。しかし、国民の政治不信がこれ以上広がると、議会制度、間接民主制自体が崩壊しかねない。

 以前も言及したが‥‥、「民無信不立」という孔子の言葉が今真に求められている。

Have a nice holiday!

ボタンの掛け違い?

 永田町では、「俺は聞いてない」のたぐいの話が実に多い。
ちょっとした「ボタンの掛け違い」が問題を大きくすることは日常茶飯事だ。

 防止策は、情報を正しい順序で段取りよく説明することに尽きる。霞が関の官僚にはそのノウハウが蓄積されている。故に、これまで重要政策の決定過程では、有力政治家へのご説明(いわゆる根まわし)は官僚に一任されていた。

 誰には誰か強いとか、信頼があるとかも見事に分析されている。少々の躓きがあっても、政治主導のもと役者を変え、攻め口を変えて火消しにあたり、次第に収束に向かっていった。

 ところで、政府の最重要課題(となってしまった)である普天間基地移転問題。連立政権内の意見調整どころか、閣内さえ無調整と思える無秩序発言が繰り返され、一向に解決の糸口が見えてこない。

 この問題も表面上は、ボタンの掛け違いのように見える。しかし、その淵源は単純な手順のミスではなく、総理の不見識にあるのではないか。国際的な安全保障関係への影響や、基地周辺の住民感情を考えず、場当たり的に発せられる軽いメッセージこそが、問題を深刻化させている。

 「命がけで」とか「職を賭して」といった総理の言葉の値打ちは、繰り返されるにつれ、どんどん軽くなる。「あくまで5月末までに‥‥」と言われても、今や、全く信憑性がない。

 普天間問題に限らず、その場しのぎの総理発言の数々が、国政の混乱を増幅させていることを総理自身が自覚されているのだろうか?

「このままでは日本は沈没する」と多くの政治家が発言しているが‥‥私もまったく同感である。

 現政権の暴走を一刻も早く停止させなければとつくづく思う

心のままに

 4月も半ばを過ぎ、春爛漫のはずの日本列島が真冬並みの寒波に見舞われた。
 
 平均日照時間も例年より短く、春野菜の価格が高騰している。

 キャベツやネギは去年の倍、トマトやキュウリ、ナス、ピーマン、レタス、ホウレンソウも高値という。

 家庭の台所も大変だろうが、文部科学大臣経験者としては学校給食が心配だ。限られた食材費のなかで、栄養士さんたちもやりくりに苦労されているに違いない。(こういった分野にこそ、子ども手当てを使えたら…。)

 クリーニング屋さんからは、「衣替えのシーズンなのに冬物のコートは例年の半分」という嘆きが聞こえる。こちらの方は、いずれ季節外れの特需があるのだろう。

 昨年夏の集中豪雨に冬の豪雪‥‥、地球温暖化の影響か?、ここ数年の気候はどうもおかしい。

 天だけでなく、地にも異変が起きている。チリ、ハイチ、チベットと巨大地震が立て続けに発生し、我が国も久々の津波に見舞われた。
さらに、アイスランドの大噴火は、欧州全域に粉塵をまき散らし、空の便を完全にマヒさせてしまった。

 利便性を追求し、自然との共生を忘れがちな、我々の日々の営み。それが、地球環境に少しずつ負荷をかけているのかもしれない。昨今の天変地異は地球の悲鳴のような気がしてならない。

志(こころざし)

 先週末、新党「たちあがれ日本」が誕生した。
スローガンは「打倒民主」、綱領では憲法改正、財政再建、経済成長、安心社会実現を掲げている。

 この決起に対して、永田町やメディアの扱いは全般的に冷やかである。確かに結党メンバーは高齢で顔ぶれも新鮮とは言えない。69.6歳という平均年齢をとらえ「老人党」と揶揄する声も聞こえる。

 ただ私は少し違う見方をしている。

 厳しい反応が十分予想される中、このタイミングで新党を旗揚げした彼等の思いが痛い程分かるからである。それほどに、我が国の政治は日本没落に向けての迷走を続けている。

 会見で与謝野氏は、「時には20歳の青年よりも60歳の人に青春がある。歳を重ねただけで人は老いない。理想を失うとき初めて老いる。」と語った。石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と檄をとばした。

 両氏の言葉のとおり、今、最も政治に求められているものは、日本の置かれた立場を正しく分析し、将来に向けて責任ある改革を成し遂げる強い志である。

 多くの政治家が尊敬する坂本龍馬。彼が、脱藩を決意し檮原の峠を越えるとき、心の中に確たる展望があったとは思えない。このままでは日本が外国に飲み込まれるとの危険感と、日本の国のために何かを為すべきとの強い思いが彼を脱藩に駆りたてたのだ。その思いは、ふるさと土佐や愛する家族よりも重かったに違いない。

 政治家や政党の責務は、選挙に勝つことではない。国の行く末をしっかり展望し、財源に裏付けられた責任ある政策を提言、論じあうことだ。選挙の勝敗はその結果でしかない。来年の財源も不明なバラマキ事業の数々、耳目を集めることが目的化した仕分けイベント、行く手が見えない郵政肥大化。民主党が目指した政権交代は、このような利権集約型政治の確立だったのか?

 民主党内にも、自民党内にも志を同じくする同士がいるはずだ。党派を超えて有志が呼応し、日本を衰退に向かわせている現政権の暴走をくい止めることを切に願う。

将来への責任感

与謝野元財務大臣が自民党を離党、新党結成を決意した。

文藝春秋の4月号の記稿で既に意見表明されていたので、今のところメディアの取り上げ方も冷ややかである。

永田町でも「政治ごっこ」とか「党内拡争」とか「理念なき野合」とか‥‥かなり厳しい意見も出されている。

ただ私は今回の氏の行動に強いシンパシーを感じている。
以前にも紹介したが、我が国の将来に対する氏の強い危機感を直接耳にしたからだ。

昨年来の日本の政治情勢。それは海図を無くし、舵を失いながら航海を続ける船のようだ。
このような国家運営が続けば日本は確実に衰退する。国際社会からは忘れ去られ、国民は豊かな生活を喪失するのは必定ではないだろうか。

政治家として最終章を迎えようとしている与謝野氏にとっても、何としてもそれだけは阻止したい、しなければならない‥‥との強い思いがある。

もちろん新党結成には、理念や基本政策が必要なことは言うまでもない。
そこは政策通の与謝野氏のこと、既に脳裏には新党のビジョンが描き上げられているにちがいない。

ただ、いくら素晴らしい理念や政策を掲げても強い情熱と志がなければ大業は成し得ない。

日曜日のテレビ番組では新党にエールを贈る石原東京都知事が「理念は大事だけど今必要なものは情念、国家に対する愛着や危機感だよ」と言っておられたが‥‥

まったくその通りだ。

甲子園では

球春、高校球児の熱い闘いがくり広げられている。

2年前、私は文部科学大臣として甲子園のマウンドに立った。

ただ私は自ら始球式を行う事を辞退し、

第一回大会優勝校高松商業の選手にボールを託した。

甲子園のマウンドに立つ事を夢見て練習に励んできた高校球児にチャンスを与えたいと考えたからである。

私が投げるものと期待してテレビを見ていた多くの皆さんからお叱りを受けたが、

私は今でも正しかったと思っている。

先週末からセリーグも開幕、阪神タイガースは2連勝と順調なスタートを切った。

ここで一揮にスタートダッシュ(3連勝)と期待もしたが‥‥、そうはならないところが阪神タイガースらしい。

今年も一喜一優のシーズンになりそうな‥‥

そんな予感がする。

国家の存立

自民党では鳩山邦夫元総務大臣の離党、

民主党では生方幸夫副幹事長の解任と、何かと話題の多い一週間だった。

これらの事件の影響か、

フジテレビ報道2001の調査によると、

自民(16.8%)・民主(20.8%)とも支持率を下げ、

支持政党なしの数字がついに5割を超えた。

政党政治、民主主義の危機である。

国民感覚を無視した永田町の振る舞いが、この数字となって現れている。

両党とも、この結果を重く受け止め、政治への信頼回復に早急に取り組まなければならない。

昨年の民主党マニフェストではないが、無党派層が増えれば増えるほど、

耳あたりの良い、無責任な選挙公約で有権者の関心を惹こうとするのが世の常である。

前回も指摘したが、日本の財政は危機的状況にある。

これ以上、どこかに打ち出の小槌が隠されているかのような、誤ったメッセージを送り続けることは許されない。

国と地方を併せてGDPの1.8倍にのぼる債務残高は先進国中最悪。

さらに22年度予算案を家計にたとえると、

給料が374万円なのに、106万円の貯蓄取り崩しと443万円の借金で、923万円の支出をしようとしている。

これが我が国の懐具合の現実である。

「信なくば立たず。(民無信不立)」

国家の存立には、食糧の充足よりも、軍備の充実よりも、

国民と政治家の信頼関係が重要と説く政治の根本…

多くの政治家が座右の銘としてきた孔子の言葉が2500年の時空を超えて今もなお生き続けている。