百聞は一見に如かず

通常国会も会期末まであと一月足らず。平成25年度予算は成立したものの、審議中の重要法案は山積しており、まだまだ過密スケジュールで本会議、委員会が開催されている。
先週、その合間を縫って、国立劇場で文楽(人形浄瑠璃)を楽しませてもらった。といっても私に文楽鑑賞の趣味があるわけではなく、政界でもっとも親しい友人の誘いで観劇の機会を得たものだ。

出し物は「一谷嫩軍記(いちのたに ふたば ぐんき)」。須磨、一ノ谷で繰り広げられた源平合戦の有名な一場面。若き公達平敦盛と源氏の武将熊谷次郎直実の一騎打ちが素材だ。息子と同年の敦盛を討たざるを得なかった直実の悩みと出家の真相を扱ったもので、題名は敦盛と直実の一子小次郎、二人の若武者を若木の双葉にたとえている。
作品は史実とは違った観点で構成されているが、子を想う二人の母親の心情や武士としての生き方に無常を感じる直実の姿は、観る者の心を揺さぶる。

「退屈かもしれないが、せっかくの機会だから一度観てみるか」という軽い気持ちで、国立劇場へ足を運んだ私だったが、いつしか夢中で人形劇に魅せられていた。
抑揚をつけ朗々と語る義太夫、響き渡る三味線の音色、そして3人で操る人形遣い。
人形の綾なす姿(しな)は生身の人間以上、曰く言いがたい色気を感じた。退屈するどころか、ぐんぐん劇中に引きずり込まれていく自分がいた。やはり、本物を見なければ感動は伝わらない、臨場感(現場)を大切にしなければならないと、つくづく反省した次第だ。

文楽を巡っては昨年の夏、橋下徹大阪市長が「人形劇なのに(人形遣いの)顔が見えるのは腑に落ちない」とか観客動員の努力不足などを指摘し、文楽協会に対して市の補助金凍結を突然言い出し物議をかもしたのを覚えている方も多いだろう。
文楽は、文禄・慶長年間(1592~1615)頃から発展してきたと言われている。私は400年に及ぶ文楽の伝統はしっかり守っていかなければならないと思う。文楽だけではない、歌舞伎にしろ、能にしろ、我が国の伝統ある舞台芸術は、庶民の暮らしの中で娯楽として生まれ、それを芸として高めつつ、今日まで引き継がれてきた文化である。

この文化を私たちが後世に引き継いでいくために、今の文化行政のあり方を改める必要があるのかもしれない。とかく古典的な舞台芸術というと、「専門家でないと理解できない、解説がなくては素人にはわからない」、というように思いこまれている(私もその一人だった)。 しかし、芸術の素晴らしさは、一人ひとりの体感で感じるものだ。学者がすばらしいと言うから優れているのではない。
今回の初観劇を通じて、文楽は間違いなく守るべき伝統芸術であり、文化だと私は確信した。

芸術文化を振興するには、第一に、国民誰もが“本物”の芸術を体験できる機会を提供しなくてはならない、子どもたちが“本物”に触れる芸術体験教育を実施しなくてはならない。これも文部科学行政が取り組むべき、新たな分野である。
誰もが生き甲斐に満ちた成熟社会に向けて、政策課題は尽きるところがない。

ミスター

「ミスター」と言えば、今の若者達は韓国の人気女性グループKARAのヒット曲を思い浮かべるかもしれないが、我々団塊世代の誰もが連想するのは「ミスタージャイアンツ」、元巨人軍の長嶋茂雄さんだろう。現役時代、王選手とともにON砲と呼ばれ、日本シリーズ9連覇という巨人の黄金時代を築いた名プレーヤーだ。

彼は、現役時代のみならず、引退後もテレビ、週刊誌などのメディアを通して、数々の話題を提供してくれた。巨人ファンだけでなく、すべての野球ファンが、ミスタープロ野球とも呼ばれた彼のプレーに歓喜し、拍手を送った。プロ野球の世界にとどまらず、すべての国民が彼の人柄に惹かれ、好意をもって「ミスター」と称えた。

世代を超えて幅広い人気があるのは、プレーだけでなく真摯な態度や、彼の生き様によるものであるのだろう。
私の妻も一応は阪神ファンであるが、「私は長嶋ファンである」と公言して憚らない。多くの人にとって長嶋さんは特別の存在であるに違いない。

プロ野球の歴史は、数多くの名勝負、名場面で綴られているが、劇的と呼ばれるシーンに欠かせないのが長嶋さんだ。
昭和34年、昭和天皇・皇后両陛下が初めて観戦された天覧試合で放ったサヨナラホームラン、昭和49年の引退試合の挨拶「私は今日ここに引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」の名台詞は、今も鮮明に覚えている。

「メイク・ドラマ」「メイク・ミラクル」など、彼が作りだした新語・造語も数多い。

平成16年、脳梗塞で倒れ「自分の足で二度と歩くことは出来ないだろう」と主治医から宣告をされていたが、強い意志に支えられたリハビリで障害を克服、5月5日の授賞式後の始球式では片手でバットを振るまでに回復した。

闘志あふれるプレーで国民を熱狂させ、プロ野球を国民的なスポーツへと導いた「ミスター」。そんな長嶋さんに国民栄誉賞が贈られたのは当然の帰結である。

共に巨人の黄金時代を担った王さんが、35年も前に受賞していることを考えると、むしろ遅すぎたと言うべきだろう。

ミスターは、記念のボールやバットを自らの手元に留めないで、すぐ誰かにプレゼントしてしまうと聞いたことがある。今回の記念品である金のバットも誰かにプレゼントするのかなぁ?などとふと考えてしまう。
だが、金のバットを持とうが持つまいが、国民栄誉賞を受賞しようとしまいと、「ミスター」の称号は野球史上に燦然と輝き、永久に語り続けられるだろう。そして、その名にあこがれてプロ野球選手をめざす子どもたちが続出すること、ミスターの名を継ぐ名選手が次々と生まれることこそが、ミスターの最大の願いではないだろうか。

今回同時受賞し、ヤンキースファンに未だに愛される“ゴジラ”松井も、ミスタ
ーの後継者の一人と言って良いだろう。

スポーツ選手も含めて、多様な人材の育成。個々の才能を最大限に生かす人づくりに向けて、複線型の教育制度への改革が求められている。

国恩祭

町々村々の鎮守のお社で、盛大に繰り広げられるお祭りは、秋の播州路を彩る風物詩である。締め込みをキリリとしめて揃いの袖抜き、鉢巻、そして法被を身にまとった若衆が屋台を担ぎ、練りあわす。就職や進学のために故郷を離れている若者も、盆暮れに親元に帰省しなくとも秋の祭りには必ず帰ってくる猛者も多い。
意外と知られていないが、祭り好きの播州人は毎年5月にも祭事を営んでいる。旧加古郡と印南郡の22の社が、2社ずつ輪番で務める「国恩祭」だ。

今年は、わが町の“曽根天満宮”と隣町の“荒井神社”が11年に一度の当番で、ゴールデンウィークの5月3~5日の3日間、初夏の祭典が執り行われる。
国恩祭の歴史は古く、江戸時代末期の天保年間に起こった大飢饉(1830年代)に由来する。飢饉による人心荒廃を憂いた加古(旧・加古郡)と伊奈美(旧・印南郡)の神職が集まって、「祓講」という組合組織を結成して、郷土の繁栄と安泰を祈願する臨時の大祭をおこなったのが始まりと言われている。

11年毎の節目となる大行事ということで、各神社では当番が回ってくる年を見計らい、氏子の協力を得てお社の施設整備が行われる。ふるさとの中核施設が、住民の力で計画的に整備充実されていくことは、地域の縁を強め、活力ある社会を育むという意味でも、とても良い慣例である。
わが町でも、前回(平成14年)の国恩祭の際は、祭神である菅原道真公没後1100年目に重なったこともあり、各屋台とも布団屋根の衣装を変えるなど様々な趣向を凝らしていた。今回も前回に劣らず周到に準備が進められていることだろう。

恒例の屋台練りが行われる3日4日の両日とも、幸い晴天に恵まれそうだ。夏に向かうこの時期、担ぎ手にとっては気温が高くなりすぎると体力の消耗が激しくなるが、見物していただくには絶好の天気となりそうである。

連休中にお時間のある方は、是非、曽根天満宮にご来訪いただきたい。

アベノミクスの効果で、日本経済は現代の大飢饉ともいえる平成デフレから脱却しつつある。このゴールデンウィークの旅行消費も、明るさを増す景況とともに大きく上向いている。特に高額の国内旅行の活況は内需を拡大し、GDPを牽引する力となるだろう。
連休が終われば国会は終盤の論戦を迎える。与党の一員として、アベノミクスの第3の矢である成長戦略をしっかり仕上げるため全力を尽くしたい。

六甲おろし

“春はセンバツから”春を告げる選抜高校野球大会を「球春」と呼んでいるが、正にピッタリの表現である。

高校野球の歴史は古く1915(大正4)年夏に全国中等学校優勝野球大会としてスタート、第二次世界大戦中の数年を除いて長い歴史を重ねてきた。1924(大正13)年からはセンバツとして春の大会もスタート、今年で85回となる。

文部科学大臣として私が甲子園のマウンドに立ったのは5年前、第80回大会であった。ただ、以前にもこのコラムで言及したが、私は考えるところがあって、自ら投球せずに高校球児の一人にボールを託し代わりに始球式をしてもらったのだが…。後日、私が球を投げると期待してTVを見ていた支持者の皆さんから大変お叱りを頂くこととなった。

ところで、甲子園は高校球児の聖地でもあるとともに、阪神タイガースファンにとってもかけがえのない聖地である。
しかし、プロ野球開幕の日程がセンバツと重なるため、タイガースの開幕戦はたとえホームゲームであっても他球場で行わなければならない。

今年は第4節の対巨人3連戦が、甲子園での開幕試合となった。 

そこに至るまで阪神は3勝5敗と少々出遅れていた。一方の巨人は開幕7連勝と最高のスタートを切っていた。
伝統の一戦、しかも9日(火)の第一戦で巨人が勝てば球団新記録(開幕8連勝)がかかった大一番である。阪神VS巨人戦はファンが待ちに待った甲子園での開幕戦と重なり、球場はいやがうえにも盛りあがった。ジャイアンツの原監督も「新記録を目指して甲子園に乗り込む」と、気合充分であったのだが・・・。

結果は阪神の2勝1分け、しかもジャイアンツにとっては「31イニング連続無得点(球団タイ記録)」、「対阪神3連戦無得点(新記録)」と新記録ではあるが、期待とは正反対の結果で終わった。タイガース打戦も必ずしも好調とは言えないが、投手陣が良く頑張ったということなのだろう。虎キチの私としては、この結果にはまずまず満足はしている。

これから阪神のホームゲームは、聖地甲子園での試合が基本となる。その甲子園で勝利の美酒に酔いながらスタンドに響く「六甲おろし」は、ファンの明日への活力である。
負けても勝っても球場に足を運び続ける多くのファン(虎キチ)の期待に応えて、シーズン終了まで楽しませてほしいものだ。

オウ オウ オウ オウ 阪神タイガース フレ フレ フレ フレ!

今年は何度「六甲おろし」が聞けるのか? 期待がふくらむ対巨人3連戦だった。

*13日の淡路島を震源とする地震におきまして、被害にあわれました皆様にお見舞い申し上げますとともに、今後もご余震等に注意くださいますようお願い申し上げます。

司令塔

年度末を迎えた国会では、予算委員会審議の合間を縫って日切れ法案(脚注1)の処理が行われている。また今国会は平成25年度予算の審議入りが遅れたため暫定予算が必要で、先週末には必要な社会保障費などを盛り込んだ50日分の予算も成立した。
私が委員長をしている科学技術・イノベーション推進特別委員会は、審議を急ぐべき法案は特にないものの、開催について野党民主党の筆頭理事との話し合いがつかず、未だに山本一太担当大臣の所信表明は済んでいない。

衆議院には常任委員会として文部科学委員会があるものの、科学技術創造立国を目指す我が国にあって、特に発明や研究開発の新機軸などに対して国として総合的な対策を樹立し強力に推し進める目的で、国権の最高機関である国会に平成23年9月に科学技術・イノベーション推進特別委員会が新たに設置された。
アベノミクスが提示している3本の矢の一つ新成長戦略は、科学技術を進展させイノベーション(脚注2)に開花させて、民間の成長を喚起しながら我が国の国民経済を活性化して行こうというもので、当委員会が依って立つべきところである。しかしながら、委員会が開かれず審議が行われないことは非常に残念だ。

その代わりではないが、安倍総裁の成長戦略構想を受けて自民党政務調査会内に“科学技術イノベーション戦略調査会”が設けられ、その傘下で私は政策の方向性を決定する「司令塔機能整備」小委員長として、1月末以来この2ヶ月間はほぼ週1回1時間の定例会と、毎日レクチャーを受け、取りまとめに励んだ。
講師として産業界からは第一線経営者、学会からは気鋭の学者を招き、我が国の科学技術イノベーション進展のあるべき姿を、またどのような提案をし、リードしていくべきか熱心な議論を基に、3月27日に中間報告ではあるが我が国の科学技術政策をリードするための“司令塔強化”提言を、党として政府に申し入れをおこなった。

以下に提言の骨子を記す。
①科学技術創造立国を国是としている我が国が科学技術イノベーションを強力に推進するために、司令塔機能強化を大きく分けて「官邸のリーダーシップを発揮するための機能強化」と、「総合科学技術会議の機能強化」の2つの視点で捉え、これらを確実に実
施できる体制・機能を措置することを最重要課題と位置づける。

②安保・外交、経済・財政・規制改革等の総合戦略として科学技術イノベーション政策を位置づけ、官邸のリーダーシップを発揮することが重要である。特に、福島第一原子力発電所事故対応の教訓を踏まえ、政治決定と科学的助言の機能強化を図る必要がある。

③総合科学技術会議の司令塔機能を強化するため、毎年度の予算編成時に科学技術イノベーションのための特別予算枠(仮称)(以下、「特別枠」という。)を設け、総合科学技術会議の課題設定に基づき、一元的に実施すべきである。
これらの提言を実現するためには更なる調整が必要となるが、政府内での動きと進捗状況を合わせる意味もあり、今回中間報告として方向性を示したものである。

アベノミクスの3本目の矢は新成長戦略。新成長戦略の柱は短期的には規制改革、中長期的には科学技術イノベーションが誤りのない政策といわれ、日本の未来がかかっている。今後もしっかりと党内議論を重ね、間違いのない針路を提言したい。
それこそが、いま私に与えられた「未来への責任」だと思うから。

脚注1)特定の期日までに成立しないと国民生活に影響を与える法律案で、年度終了とともに失効したり廃止となる時限立法などが相当する。
脚注2)イノベーションの概念は、技術的な革新に留まらず、世の中に普及する新しい概念全般を指す。古くはワットの蒸気機関や自動車、近年ではインターネットやカーナビ、携帯などのイメージ。

TPP

「寒さ暑さも彼岸まで」とはいうものの、東京では先週末から桜が開花しはじめたかと思えば、今日はお花見日和どころか、真冬の寒風が戻ってきた。
「彼岸」とは元々サンスクリット語のパーラミータ=「彼岸に至る」に由来し、悟りを開き浄土に至ることを指す仏教用語だ。しかし、仏教発祥の地であるインドや中国には、春分の日と秋分の日に彼岸の法要を行う習慣はない。年に二回、太陽が憧れの西方浄土である真西に沈むことから始まった日本独自の仏教文化らしい。

これは一例だが、日本は歴史的に世界から技術や文化を取り入れ、和流に加工し、熟成させて、我がものとするのが得意だ。日本語そのものが、ひらがな、カタカナ、ローマ字と、漢字やアルファベットを加工して使っている。主食であるコメづくりも、そもそもは揚子江下流域から伝来した水稲栽培にあり、永年の品種改良により耕作地を徐々に北上させていった。高度経済成長を牽引した自動車産業の隆盛は、米国から導入した流れ作業にカンバン方式という在庫管理システムを加え、Just In Timeの生産技術を実現したことによる。

日本という国は、世界とのつながりの中で発展し、繁栄してきた。決してガラパゴス島の生物群のように、孤立して独自の進化を遂げてきたわけではない。これからも日本は世界の国々との財、サービスの取引を活性化することにより、諸国とともに発展していく道を目指すべきだ。

先週金曜日、安倍総理はTPP交渉への参加を決断し、「国家百年の計、今がラストチャンス」「守るべきものは守り、攻めるべきものは攻める」と国民に決意を発信した。
以前から国際的な通商ルールづくりへの積極的な参画を主張してきた私としては、この判断を全面的に支持している。そして、民主党政権下で遅々として進まず、2年間も迷走してきた難題を、2ヶ月半で党内意見を集約し、決断まで持ってきたプロセスこそ、責任政党、プロの政治家集団である自民党の実力を示すものだ。

一方、先の総選挙で自民党は「“聖域なき関税撤廃”を前提にする限り、交渉参加に反対する」という公約を掲げた。私は公約を守ることを表明し、誓約書にサインしている。すべてを市場原理に委ねることにより、我が国の食料安全保障を損なったり、地域経済を崩壊させたりする自由化は避けるのが当然だ。だからこそ、我が政権は早々に米国と折衝し、首脳会談でセンシティブ品目の存在=TPPの関税にも聖域はあることを確認したのだ。
一部で懸念が表明されている国民皆保険や、遺伝子操作品目の表示なども守るのが当然であり、むしろ日本のルールを諸国に採用させる攻めの交渉が必要な分野だろう。TPPは関税のみを定めるのではない。知的財産の保護による海賊品の蔓延防止、途上国の政府調達の自由化による商機拡大など、攻めの交渉が必要な分野は数多い。

先日、日比谷野外音楽堂に集まった4000人の農家の方々を前に、我が党の石破茂幹事長は「米、小麦、乳製品、サトウキビ、牛肉・豚肉などの重要農産品目の関税は、必ず死守をしなければならない」と明言した。参加時期の大幅な遅れにより、日本には厳しい関税交渉が待ち受けているだろう。三桁の高税率を課している品目については、引き下げが必要な事態も予想される。ただ、死守すると言った限りは、守らなければないのが政治の責任だ。そして、何よりも世界の市場で勝負できる強い農業の育成を急がなくてはならない。国内人口が減少していくなかで、農業も輸出産業にしなくては成長できないのだから。

当然のことだが、国際交渉の内容は、交渉に参加し、当事者とならなくては見えてこない。「国益を損ねる場合は即時撤退」という意見もあるが、むしろ、交渉の主体として「国益を損ねるような結論をもたらさない」ことが政府の責務である。
アベノミクスによる円高の是正が、輸出産業の業績改善をもたらし、それが日本株全体の急上昇をはじめとする経済の回復につながっていることは、我が国にとって自由貿易体制がいかに重要かを示すものだ。

TPP交渉参加を契機に、我が国が主導権を担い、アジア太平洋諸国が共存共栄する経済連携の構築を加速する。それこそが日本の国益を叶える道筋である。そして我々にはその力がある。
秋の彼岸、APECまでには、新しい国際ルールのひな形が見えてくる。日本の成長、世界の繁栄をもたらす有意な交渉に全力を投入し、短期決戦に挑まなくてはならない。

季節労働者

施政方針演説への衆参両院での代表質問に引き続き、先週木曜日(7日)から衆議院予算委員会で25年度当初予算案の審議が始まった。全閣僚が出席し、度々テレビ中継も入る予算委員会は、党首討論と並び国会審議の花形である。が、その委員は永田町では「季節労働者」と呼ばれている。予算審議中は、月曜日から金曜日まで終日国会に拘束されるが、予算が成立してしまえば全く暇になるからだ。科学技術・イノベーション推進特別委員長と同時に予算委員でもある私も、これからしばらくの間(例年なら約1ヶ月)、連日朝9時から夕方5時まで、一日中委員会に出席しなければならない日々が続く。

とは言っても、党本部での会議等のため、どうしても席を外さなければならないケースもある。そういったときには、代わりに席に座ってもらう代役を自ら調達するのが慣例だ。当初予算案という重要案件を空席のまま審議するのは、国民の皆様に対して不謹慎だし、代役を指名された者にとっても、予算審議への参画は名誉なことだからだ。
差し替え要員は、新人をはじめ若手議員にお願いすることが多い。私も若かりし日には、代理出席要員として出席し、国の舵取りを定める基本政策の論点、鋭く問いただす質問の技法、それを受け返す答弁の話法など、与野党の先輩の質疑から多くを学んだ。

8日の審議では、維新の会からTPPと道州制の是非を問う質問があった。総理はTPPについて「我々日本はルール作りを待つのでなく、作る側になって中心的な役割を担う」と力強く答え、道州制については「地域経済の活性化をめざして国のあり方を根底から見直す改革だ」と前向きに応じた。TPP交渉には民主党政権が浪費した2年の歳月を取り戻すためにも一日も早い決着が必要であり、道州制をはじめとする地方分権は霞ヶ関を解体する意気込みで取り組まなければならない。

総理は、みんなの党からの北朝鮮の南北不可侵合意破棄についての問いについて「官邸で内閣危機管理監のもとに対応する体制を組んだ」と、国民の安全を守る覚悟を示した。北朝鮮や中国の不穏な行動に対しては、我が国の国防体制を改めて構築するとともに、同盟国との絆も深める必要がある。

維新の会とみんなの党との質疑は、それなりに建設的な政策論が繰り広げられたと思う。それに対して少々物足りなかったのが、民主党とのやりとりだ。
7日の質疑での問いは、海江田代表が「公共事業重視は自民党の先祖帰り」「原発事故対策が進んでいない」「原発ゼロのエネルギー政策をなぜ撤回するか」を、細野幹事長が「選挙制度改革の遅れ」「消えた年金への責任」を批判するものだった。

いずれも、つい数ヶ月前まで与党であったことを忘れているかのような問いだ。デフレ下で公共事業を過剰に削減し有効需要不足に陥れ、原発事故対策では迷走を繰り返し、エネルギー政策では非現実的な原発ゼロを打ち出し諸外国の失笑を買ったのは民主党政府だ。衆議院選挙の違憲状態を1年半も放置したのも前政権だし、消えた年金に至っては(社会保障制度国民会議の議論が始まっているのに)今更何を言っているのか?と感じた。

以前にもこのブログで言及したが、野党がしっかりしないと与党も緩む。
だからこそ野党第一党であり、政権与党を経験した民主党には、しっかりと建設的な政策論議に参加してもらいたいのだ。確かに、3月末で期限切れが到来する税制関連法案について今月中の審議処理に合意するなど、かたくなに反対を繰り返す以前の民主党との違いは見られる。
もう一歩踏みだし、我が党と伍する責任野党を目指すのであれば、自民党に「先祖返り」と注文をつけるまえに、自らが政権批判を繰り返す「無責任野党に戻っていないか?」をまず問いただしてもらいたいものだ。

年末の政権交代という事情により、今年の予算審議は大幅に遅れている。もはや暫定予算は避けがたいが、予算委員会の一員として一日も早い本予算の成立に向けて尽力したい。それが震災復興の前進を心待ちにする東北の方々の支えとなり、デフレからの離陸を始めた日本経済を加速する力となるからだ。
野党の皆さんも思いは同じだろう。春季のうちに審議が終わるよう、共に建設的な審議を行いたいものだ。

ネット選挙解禁

いよいよインターネット選挙の解禁が近づいてきた。現在公職選挙法では選挙期間中に配布できる「文書図画(とが)の数」(要するにチラシ、はがきの類い)を厳格に限定しているが、それをホームページやブログ、ツイッター、フェイスブック等のSNSにも拡大しようというものだ。昨年の総選挙直後から総理が解禁をめざす方針を宣言していたが、既に改正法案の与党内調整も概ね終わり、野党とも解禁への方向性では合意している。後は夏の参議院選挙からの施行に向けて法改正の国会審議を待つばかりとなっている。

スマートフォンの登場もあり、インターネットの利用はここ数年で飛躍的な拡大を遂げてきた。ネットも携帯も生活の一部として、もはや必要不可欠な存在となっている。新聞を取らず、テレビを持っていない若者でも、携帯は必ず身につけている。

そんな中での先の総選挙、既にネット選挙が解禁されているのかのような状態であったことは否めない。法規制の網をかいくぐりツイッターを駆使した候補者もいた。公正公平な選挙の執行という観点からも、この脱法状態(というか規制の空白状態)を何とかしなければならいとの社会的要請も高まっている。米国はもちろん韓国でもSNS選挙が常識化していることを考えると、むしろ、政府の対応が遅きに失したと言えるかもしれない。

そもそも公選法が「文書図画の数」を限定するのは、選挙の公平性を確保するため。仮に無制限であれば、多額の資金を有する候補ほど、多種大量の広報活動が可能となり、有利に選挙戦を進めることができる。要するにカネのかかる選挙の原因となるからだ。

コストという意味では、ホームページへの文書画像の掲載や電子メールの送信は、印刷や郵送よりもずっと安価であり、カネのかかる選挙の防止という意味では望ましい手法だ。しかもSNSは候補者の主張を一瞬にして大量の有権者に届け、そして意見を聞き取ることもできる。候補者と有権者の意見のキャッチボールは、一方通行の文書発送と比べ、飛躍的に政策の理解を深める。有権者の誤解を正し、主張を正確に伝えることができるだろう。それだけに、候補者側が何を発信するかが問われることになる。

その意味で避けなければならないのは、誹謗中傷等の怪文書の発信や、なりすましによる偽情報の発信といった悪用だ。電子媒体は匿名性が強いだけに、悪用の可能性も高まる。検討中の改正法では、これを避けるため、ネット選挙の発信主体は政党と候補者に限り解禁されることなりそうだ。

もう一つ、醜いネガティブキャンペーンも防止したいものだ。完全に自由なネット選挙が行われている米国では、先の大統領選挙でもすさまじいネガティブキャンペーンが繰り広げられた。“やられたらやりかえす”方式の誹謗中傷は確実に有権者の政治離れを招くだろう。この防止は発信者の良識、道徳観に頼らざるを得ない。

いずれにしてもネット選挙の解禁は若者の政治参加を促し、選挙の風景を大きく変えるだろう。しかし、ネットは媒体に過ぎないということも事実だ。何を伝えるか、コンテンツ(=政策)の質は我々政治家の手腕にかかっている。
「ネット選挙の解禁が、民主主義の充実に、政治文化の成熟に繋がった」と後世の国民に語られるよう我々、今を担う政治家がしっかりと政策形成能力、そして情報発信能力を磨かなくてはならない。

国際交渉

日本のお家芸とも言えるレスリングがピンチだ。2020年のオリンピック大会の競技種目から除外される可能性が高まったという。
昨夏のロンドンオリンピックでは、三連覇を果たした吉田沙保里選手をはじめ多くのメダリストを生み出した種目であり、来たるべき東京オリンピックをめざしてトレーニングに励む若者も多い。吉田選手ら関係者も「考えられない、信じられない」との言葉を連発しているが、どうやら遅きに失した状況のような感がある。

20世紀終盤からオリンピック大会といえども、運営収支を無視できなくなり、年々採算性に重きを置く傾向が高まっている。なかでも重視されるのは有力な収入源であるテレビ放映権であり、その大きな要素は世界的な視聴率である。これに伴い、世界での人気に着目した競技種目の入れ替えが頻繁に行われるようになった。我が国の得意種目であった野球・ソフトボールが除外されたのは記憶に新しい。

今回のIOC(国際オリンピック委員会)の選考基準は「人気、国際性、男女の選手の比率」にあるという。確かに世界的に見るとレスリングの競技人口は少なく、また勝敗の判定基準はわかりにくい。ただ、正直なところ、テコンドー等のライバル競技も五十歩百歩といったところである。実質的な判断基準は、IOCの理事の力関係、継続を願う競技団体のロビー活動(政治的な取引活動)の多寡にあったという説が真実に近いのではないだろうか。古代ギリシア時代からの歴史と伝統に頼っていても誰も守ってくれない。自らの発言と行動が必要だったということだろう。

国際的なルール作りには、積極的に交渉に参画し、自らの考えをアピールしなければ権利を勝ち取ることはできない。同じことが通商交渉でもいえる。
同じ加工貿易国家の隣国、韓国と比べて、日本の貿易自由化は大幅な後れをとっている。TPP参加を巡っても、入り口論で既に3年間も議論が停滞している状況だ。

経済再生を一丁目一番地の政策に据える安倍内閣にとって、経済成長の要となるこの課題への対応は正に内閣の命運を賭けるものである。我が国の通商戦略のポイントは2点。一つは巨大な経済力をもつ中国に普通の国際ルールを守れる国になってもらうこと。もう一つは米国の行き過ぎた市場原理主義に対抗できるアジアのルールをつくることだろう。

もう2年ほど前になるが、中国政府は尖閣問題への対抗措置としてレアアースを禁輸するという措置を執った。また、彼の国は未だにコピー商品天国である。このような横暴を許さないため、知的所有権を尊重する国になってもらうために、国際ルールの範を示し、受け入れを迫ることが必要だろう。そのためにはもう一つの経済大国である米国の力が不可欠であり、米国も世界三位の経済力をもつ日本にTPP参画を求めている。
一方で、日本には90年代の日米構造協議をはじめ、過去の二カ国交渉で米国に煮え湯を飲まされ続けてきた記憶がある。その轍を踏まないためには、多国間(マルチ)の交渉で米国に対する主張を貫き通す手法が有効だ。

レスリング協会はオリンピック競技の生き残りをかけて、アメリカ、イラン、ロシアと手を組み、ヨーロッパ諸国や韓国に対抗するという。
今、TPP交渉参加国の経済力を比較するとアメリカ一強の状況にある。この強敵に対抗するために、アジア諸国と手を組み日本の主張に沿ったルール作りを進めるべきだ。

最悪の事態は日本が何も言わないうちにアジア太平洋の取引ルールが決まってしまい、それを受任せざるを得ない状況となることだ。

21日から安倍総理が米国を訪問する。オバマ大統領との会談の議題は、北朝鮮を巡る北東アジアの安全保障、円ドル相場を含めた金融政策のあり方等々多岐にわたるだろうが、おそらくTPP交渉参加問題も議題の一つになるだろう。
まず交渉の席に着くこと。そして守るべき聖域を相互に容認する言質をとり、国益に沿ってしっかり交渉していくことが、いま求められていると思う。

論戦?

2月14日、緊急経済対策を盛り込んだ総額約13兆1000億円の平成24年度第2次補正予算案が衆院本会議で可決され、参院に送られた。予算は衆院の議決が優越するため、参院で否決されても成立はする。しかし、一刻も早く成立させ、執行に移すことが国会の任務だろう。衆参の権限が等しいため、国会同意人事をめぐり民主党の一部からまたしても反対のための反対をするような声が聞こえてくるが、野党の諸君にも国家利益を重んじた真摯な審議姿勢を求めたいものだ。

そんななかで、今回の補正予算採決で自民、公明両党に加えて日本維新の会が賛成に回った。安倍政権にとっては、政権運営の選択肢が広がったのではないだろうか。

6日から開かれた予算委員会は、安倍政権発足後初めての本格的な与野党の論戦だった。
2日間の総括質疑に加えて安倍政権の政治姿勢を質す集中審議が1日と、いずれもNHKテレビで全国放映。日頃、露出の少ない野党にとっては国民にアピールし、存在感を示す絶好の機会であったのだが…。予算委員の一人として3日間ほとんど席を離れることなく生の論戦を聴いていたが、極めて盛り上がりに欠けたと言うのが率直な印象だ。

まず、前原誠司、原口一博、長妻昭、辻元清美氏など、知名度の高い論客(?)を揃えてきた野党第一党の民主党だが、質問も質問者もとにかく元気がない。与党ボケとの評価もあるが、3年3ヶ月に及ぶ政権運営の後の総選挙で歴史的な大敗を受け、党が存続する可否すら話題になっている現状を考えると、「無理もない」と、分かるような気もする。

次に、予算案で賛成に回った日本維新の会。
“首長タイム”と銘打って中田宏・前横浜市長、山田宏・前杉並区長、そして真打登場は石原慎太郎・前東京都知事。「浦島太郎のように18年ぶりに国会に戻ってきた暴走老人です」と自己紹介した後、憲法改正などについてとうとうと持論を展開するばかりでほとんど質問することなく、論戦にはなっていない。
首長タイムに触発されたわけではないだろうが、民主党の2巡目はサバイバータイムと称して、政権交代選挙で当選した143人の新人議員から、今回再選を果たした5人の中の2人が質疑に立った。なにか茶番のように思えた。

予算委員会と言えば、各党のエース級の論客が火花を散らした花形委員会である。
そこでの論戦は、我が国の行く末が委ねられていると言っても過言ではなかった。国民の注目度は極めて高い。だからこそ、政治家はマスメディア、特にテレビ画面を通して国民に政策や心情をもっともっとアピールしなければならないと思うのだが、今回の予算委員会は国民の目にはどのように映ったことであろうか。

ライバルは切磋琢磨しながらお互いに技量を磨き、それぞれが向上していく。つまり、野党第一党の民主党が頑張らないと、自民党にとっても決してよい影響をあたえないし、延いては我が国の政界が活性化されないと思う。今週は野党が過半数を占める参議院での論戦が始まる。国民の注目が集まるような活発な議論が展開されることを期待したい。