改革の決め手は国民目線

参議院選挙後、一時は秋の内閣改造が話題に上ったが、結果的には全閣僚が留任した。
政権が発足したのは昨年末。改造となれば大臣の在任期間は僅か10ヶ月となり、いささか短い(私の文部科学大臣在任は10ヶ月であったが…)。10ヶ月では充分に力を発揮することは難しいし、官僚支配と言われている状況にも陥りかねない。

当然のことながら、政権運営上問題がなければ、大臣はできる限り長期間務めるべきだ。一内閣一閣僚という、かつての民主党の主張は正しいと言える。(ただし結果的に民主党政権後半は閣僚ポストのたらい回しが行われたが…)
そして「改造見送り」という今回の選択は正しい判断だ。続投される閣僚の皆さんには、これまで以上の活躍を期待したい。

ただ、一方で、3年3ヶ月の野党時代のツケもあり、自民党内には閣僚適齢期の議員を数多く抱えている。政治の道を進むからには、誰もがポストを望むのも当然だ。閣僚も含めた人事は、政党運営上の難しい課題であり、総裁の腕の発揮しどころでもある。

この秋の一連の人事では、党三役をはじめ主な党幹部も留任し、いささか地味なものとなったが、副大臣や政務官(政府)、常任委員長や特別委員長(国会)については全面的に入れ替えが行われた。
その中で、私は「科学技術・イノベーション推進特別委員長」の任を離れ、新たに自由民主党の「党・政治制度改革実行本部長」に就くことになった。

科学技術政策は私のライフワークである。今後ともこの分野の政策決定に積極的に係わっていくことは言うまでもないが、当面は、党改革・政治改革の実行に全力で取り組む。

一言で党改革・政治制度といっても、テーマは広範に亘る。既に今年の2月に、逢沢一郎前本部長のもとで取りまとめられた実行本部の答申では、「総裁選公選規程の見直し」「候補者選定方法」「予備選挙の実施」「ネット選挙解禁への提言」「派閥問題」「政策立案能力向上対策」「政党助成金要件の改正」「党本部改革」などについて提言がなされている。

そのうち、「総裁選公選規程」は今年3月の党大会で改正が行われ、決選投票に地方票を取り入れる仕組みができた。「ネット選挙解禁」は4月に法改正も行われ、先の参議院選挙から実施されている。一方で、派閥や政策立案能力の問題は、長期間課題とされながら、未だに決定的な方策が見いだせていないテーマだ。

諸外国より「3周遅れ」といわれる国会改革の議論集約も急がれる。既に我が党では、効率的な審議システムへの改善策等を「新しい国会の在り方」として取りまとめている。今後、自・公・民・維新で構成する協議会をスタートし、議論を深める。スピード感を持って結論を得たい。

「民無信不立(民信なくんば立たず)」。課題は多くとも、政治改革の本質は孔子の時代から変わらない。そして、政治への信頼を得るためには、永田町の慣習にとらわれない国民目線に立った政(まつりごと)を行わなくてはならない。

昨年末の総選挙や先の参議院選挙で、我が党にも多くの新人議員が誕生した。これらの新しい議員が日本の政治に新鮮な空気を送り込んでくれるものと期待している。
そして私も、初心を忘れず。同士とともに「ユートピア政治研究会※」を結成した若き日を思い起こし、今一度、理想の政治を求めて改革に挑戦したい。

好天に恵まれた今年の秋祭りも終わり、いよいよ今日から臨時国会が始まる。緊張感を持って審議に臨みたいと思う。

※昭和63年、自民党の若手議員10名が政治改革に挑むべく結成した政策勉強会。

実りの秋 本番!

「これまでに経験したことのないような大雨」や「ただちに命を守る行動を」など、新しい気象予報用語が次々に発信された今年の夏。何よりも“これまでになかった猛暑”が日本列島に猛威を振るったが、まだまだ暑い日があるとはいえ、さすがに彼岸を過ぎると秋の気配も感じる今日この頃である。

実りの秋の到来とともに播磨路に祭りの季節がやってきた。これから約3週間、故郷は今年もまた祭り一色に染まる。すでに我が家(高砂市曽根町)では、夜な夜な屋台の太鼓の練習音が聞こえてくる。

私も氏子の一人である曽根天満宮では、今年は国恩祭(※)の輪番になっていたため、ゴールデンウィークに続き2度目の屋台の練り出しとなるが、やはり盛り上がるのは秋祭りだ。
宵闇迫る境内で、一斉に各屋台の布団屋根にイルミネーションが点灯する。クライマックスの練り合わせでどの町の屋台が威勢よくて強いやら、13・14日の例大祭が今から待ち遠しい。祭り好きの仲間とともに今年も大いに楽しみたい。

さて、祭りが終われば15日からいよいよ臨時国会が始まる。
産業競争力強化法案をはじめ、成長戦略の実現を加速する新規政策群の創設はもちろん、国家安全保障会議設置法案や特定秘密保護法案、公務員制度改革関連法案などの重要法案の審議、加えて通常国会終盤の混乱で積み残した形の電気事業法の改正案の処理も急がなくてはならない。

私のライフワークである科学技術政策の分野でも、平成20年に制定した「研究開発力強化法」の改正法案を提出する方向で、党内議論を進めている。

安倍総理は「日本を世界で最もイノベーションに適した国にする」と繰り返し発言している。その実現への原動力となるのは、研究開発能力のさらなる充実による国際競争力の強化だ。産官学の連携を進める人材流動化、長期安定的な研究開発資金の提供、研究成果の実用化を進める規制緩和等の施策を推進しなければならない。財政当局や規制官庁の抵抗は強いが、その壁を打ち破り、改正法案を提出、成立に導きたい。

通常国会が閉幕したのが6月26日。参議院選挙と5日間だけの臨時国会があったとはいえ、実質的な法案審議は既に3カ月以上休止している。
この間、福島の汚染水問題がクローズアップされ、TPP交渉も年末の決着に向け最終段階に入っている。
課題は山積しているが、スピーディーな議論を展開し、決められる政治の実現に努力しなければならない。

※国恩祭…江戸時代末期の天保年間に起こった大飢饉(1830年代)に由来する。飢饉による人心荒廃を憂いた加古(旧・加古郡)と伊奈美(旧・印南郡)の神職が集まって、「祓講」という組合組織を結成して、郷土の繁栄と安泰を祈願する臨時の大祭をおこなったのが始まりと言われている。毎年5月に旧加古郡と印南郡の22の社が2社ずつ輪番で務め、11年に一度当番となる。

TOKYO 2020

8日の未明、数多の国民がTVに釘づけになっていたことと思う。
午前5時20分過ぎ、IOC会長のジャック・ロゲ氏が、投票結果が記されたボードを取り出し裏返した瞬間、「トーキョウ」のアナウンスとともに“TOKYO 2020”の文字が眼に飛び込んできた。ブエノスアイレスのIOC総会会場は勿論、夜を徹して日本各地で朗報を待っていた多くの応援団から大歓声あがった。

それにしてもハラハラ、ドキドキの一夜であった。
優位が伝えられながら敗退を喫した4年前の記憶があるだけに、1回目の投票後、スクリーンから「TOKYO」の文字が消え、マドリードとイスタンブールが同数と発表された時には、負けたと思われた方も多かったのではないだろうか。

正直、イスタンブールとの決選投票となった時、一瞬、不吉な思いが脳裏をよぎった。
イスタンブールの招致コンセプトは「ヨーロッパとアジアの架け橋」と、非常に分かり易く魅力的に思えたし、イスラム教国家で初めてのオリンピック開催もタイミングがよい。一方で、我が東京は、投票日を目前にしてフクシマの汚染水問題がクローズアップされていた。

決選投票の結果は60対36で東京の勝利。イスタンブール、マドリードの健闘を心から讃えるとともに、竹田招致委員会理事長をはじめ、招致関係者のチームワークに心から敬意を表したい。

今回の東京招致活動では、移動距離など選手に負担をかけない“アスリートファースト“を掲げ、安心で安全な成熟都市「東京」を強調した。そして、2回目の投票で逆転敗退した前回の結果を教訓に、IOC委員への緻密なロビー活動も行なうなど、地道な努力を積み重ねてきた。

何よりも素晴らしかったのが、投票を前にした日本のプレゼンテーションだ。安倍首相、猪瀬知事、太田選手、佐藤選手ら、それぞれのスピーチはしっかりと役割分担され、東京の、日本の魅力を様々な角度から余すことなく伝えていた。何よりも熱い心が伝わってきた。加えて、高円宮妃久子さまの震災復興支援への感謝のスピーチも大きな力となった。

半世紀前、昭和39年(1964)の東京オリンピック招致は、高速道路や新幹線等の交通基盤の整備を進め、今日の東京の原型を形作った。そして、経済効果は全国に波及し、日本の高度経済成長の起点となった。

今、日本は人口減少社会の入り口に立っている。行く手に待ち受けるのは世界が経験したことのない超高齢化の時代だ。
“TOKYO 2020”五輪・パラリンピック招致成功は、この時代の転換点に対応した新たな社会システムを構築し、成熟社会を切り開く起爆剤になることだろう。
単なる建設投資による経済効果だけではない。競技へのチャレンジを通じた若者のスポーツマンシップの育成。大会運営へのボランティア参加による協働精神、互助の心の醸成。世界との交流を基軸にした新たな経済関係の創造。様々な開催効果を日本の未来を創造する力にしなければならない。

短期的にはオリンピック景気が、安倍総理の政権運営にプラスになることは間違いない。
大幅な金融緩和、国土強靭化のための財政出動、そしてイノベーションによる成長戦略。これら三本の矢に続き、第四の矢とも言えるのがオリンピック招致決定だ。もうデフレ脱却宣言の時は目の前に迫っている。

144ゲームの価値

大きく引き離されていた巨人との差を5ゲーム差までに縮小し、8月26日から首都決戦に乗り込んだ我らが阪神タイガース。3タテなら一気に2ゲーム差、久方ぶりの“阪神優勝!”“逆転優勝!”の文字が阪神ファンの脳裏をかすめ、私も内心大いに期待し一人盛り上がっていたのだが…。
残念ながら東京ドームでの対巨人3連戦は全敗に終わり、久しぶりに甲子園に戻っての広島戦も負け越した。首位巨人の背中は再び遙か彼方の8.5ゲーム差に遠ざかり、優勝マジックも19まで減少してしまった。

いつか来た道、いつもながらの風景と言えなくもないが、私にとっての今年のセリーグペナントレースは終わったも同然だ。
かつて“死のロード”と言われ苦難を極めた高校野球大会中の長期遠征も、京セラドームを準ホーム球場としてからは昔話。今年は登り調子でロードを締め括り、甲子園に凱旋する予定であったが、至極残念である。
ここに至っては、クライマックスシリーズ(以下、CS)で勝ちを収めて日本シリーズに駒を進め、日本一を狙って欲しいと願うのみだが…。

そのCSについて、先日、ある野球解説者がその制度改善を提言されていた。私もペナントレースと日本シリーズの関連づけを考え直すべきだと思う。

数年前、ロッテがリーグ3位からパリーグのCSを制し、その余勢を駆って日本シリーズでも優勝を遂げたことがある。ルールに従ってそういう結果になったのだが、チョット違和感を憶えたのは私だけではないだろう。
今年のセリーグは、巨人・阪神が他の4チームを引き離している。現在3位の広島は借金を9つも抱え、残り25試合程度で勝率5割を確保するのは至難の業だ。
それだけチーム力に差があるということかも知れないが、勝負はやってみなければわからない。特に短期決戦ではラッキーボーイの出現やちょっとしたミスで流れが決まることがよくある。
つまり、リーグ戦で5割にも達しないチームが、リーグ代表となり日本シリーズに出場。そして、日本一になる可能性もあるのだ。

加えて、CSの1位と2位、2位と3位のアドバンテージの設定にも疑問がある。
現行ルールでは、いくらゲーム差がついていても上位チームのアドバンテージは1勝のみ、10ゲーム引き離してもゲーム差なしでも同じだ。これでは順位決定後のレギュラーシーズンは完全に消化試合になってしまう。例えば、リーグ戦での5ゲーム差はCSの1勝に置き換えるというような工夫が必要ではないかと思う。

「CSは日本シリーズ出場チームを決める手続きに過ぎない。レギュラーシーズンとポストシーズンは別物。」と言ってしまえばそれまでだが、本来、日本シリーズは各リーグのチャンピオンが競い、日本一のチームを決定するものではなかったのか? 144試合のペナントレースの結果を重視した日本一決定戦のルールを設けてもらいたいものだ。

今年のプロ野球は、密室で決定された「飛ぶ試合球」問題で物議をかもしたが、民主主義のルールづくりはオープンな議論が基本。政府では、先週、来春からの消費税の引き上げの是非について、60人もの有識者から意見を聴取し、「十分な対策を前提に、予定通り4月の引き上げを支持する者が大勢」と総括した。 
CSも含めたプロ野球のポストシーズンのあり方についても、ファンの声を聞き、大いに議論してもらいたい。(と言いながらも、今年に限れば、われわれ虎キチはCSでの大逆転を秘かに期待しているのだが…。)

8月15日

68回目の終戦記念日となった昨日の8月15日、日本武道館で挙行された戦没者追悼式に参列した。遺族以外の参列者は、総理大臣、衆参両議院議長、最高裁判所長官、各国務大臣、国会議員、都道府県知事・議長などに限られるから、私としては4年ぶりに参列がかなったということになる。

先の戦争でひたすら国家と家族の安寧を願い敵弾に倒れ散華された尊い命、また、空襲の犠牲となって尊い命を失われた多くの国民に哀悼の意を表するのは、日本人として当然のことであり、政治家としての責務だと考えている。
だから私は国政に携わる身となってから、参列資格がある限り(=国会に議席を有する限り)、この式典に必ず出席してきた。

今でこそ「日本人として当然」などと偉そうなことを言ってはいるが、正直に告白するとサラリーマン時代の私は、8月15日を今ほどの特別な思いで迎えてはいなかったと思う。
しかし、日本の舵取り一端を担う立場となれば、その日の重みは大きく増す。国益を守る最終手段とも言える「戦争」、敵味方を問わず数多くの犠牲者が避けられない「戦争」、その行為を始めるのも終えるのも政治の責任だ。先の戦争では310万人もの国民の命が失われた。今日の日本の繁栄は、その政治決断の結果による尊い犠牲の上に成り立っていることを忘れてはならない。

今さら当時の政治家の責任を問うているのではない、すべては結果論である。
列強各国が軍事力を背景とした帝国主義に走り、領土拡張を目指していた20世紀初頭。日本の力でアジアを米英仏蘭から解放し、大東亜共栄圏を構築するため、戦争を“国是”とする大きな歴史の流れが、日本を飲み込んで行ったのは事実だ。

ある番組のインタビューで、終戦当時20歳だった女性が許婚を戦場に送り出した時を振り返り、「当時は国全体が戦うのは当然と考えていた。そんな時代だったから彼は何の疑問も持たず旅立ったし、そんな彼を私も静かに見送った」と答えておられた。
大学を繰上げ卒業し陸軍主計少尉として大陸へ渡った父も、「国全体が戦争に向かって一丸となっている時、戦地へ赴くことに何の疑問も持たなかった」と語っていたが…。
一般国民としては、それがごく普通の考え方だったのだろう。

ただ、その歴史の流れを創るのも人なのだ。

米英から石油の輸出を止められては、武力で応じざるを得なかったのかもしれない。一方で、独伊ではなくソ連と組み、粘り強く交渉すれば活路が見いだせたかもしれない。
開戦は避けられなかったとしても、終戦をもっと早く決断していれば、空襲による犠牲は少なくてすんだかもしれない。

逆に、あの時点で、8月15日で、戦いを終えていなければ、本土決戦の美名のもとに日本国は完全に消滅していた可能性もある。
その時々の国政課題への決断を行うのが政治の役割である。その結果は、日本の針路を定めることになり、国民生活の将来を左右することになる。

さて、先日行われた参議院選挙で“衆参のねじれ現象”は解消された。安倍政権の支持率も依然として高い。しかし、消費税、TPP、社会保障改革など行く手には多くの困難な課題が山積している。

「今この国の為に何ができるか?」「何を為すべきか?」
この国の歴史を振り返り、先人の思いを顧み、未来を担う子どもたちの将来にも心を馳せ、「未来への責任」を果たしていきたい。
「8月15日」を意味ある記念日にするためにも。

ゲリラ豪雨

昨夜(8月4日)地元の加古川で開催された花火大会、一昨日のみなと神戸花火大会は、ともに無事に開催され大勢の見物客で賑わったが、今年は全国各地で打ち上げ直前直後の花火大会中止が相次いでいる。犯人はゲリラ豪雨だ。
突如として黒雲が広がり、バケツをひっくり返したような土砂降りに見舞われ、30分もすると何事もなかったように晴天が戻る。そんな熱帯のスコールを思わせる、局地集中豪雨が多発している。

花火の中止はまだしも、災害につながる例も数多い。神戸の都賀川では5年前、数分のうちに急増水した激流が河川敷でバーベキューを楽しむ人々を飲み込んだ。先月末、山口、島根をおそった集中豪雨は、1日で1ヶ月分の雨を降らせ、多くの浸水被害を引き起こした。被災された方々に、心からお見舞いを申しあげる。

ゲリラ豪雨に限らず、九州南部や奄美諸島の異常小雨、東北の長梅雨と低気温、連日35℃を超える太平洋側の猛暑等々、経験したことがない気象現象が増加している。個人的な感覚からしても、地球の温暖化が進み、日本が熱帯化しつつあるのは事実かも知れない?
しかし、「観測史上最高の」「経験したことがない」と言ったところで、その物差しは我々人類の歴史が始まってからのこと、地球自体が経験してきた歴史や経験ではない。誕生以来45億年以上の地球史では赤道も含めて地球全体が凍結したり、マントルの大量噴出(スーパープルーム)で生物がほとんど絶滅したこともある。

地球はこの数百万年の間、約10万年単位で氷期と間氷期を繰り返しており、現在は間氷期にあるという。氷期には世界の気温は6~7℃低下し、氷河がカナダや中国北部まで拡大する。その一方で、世界中の海面は100メートル規模で下がり、北海道はシベリアと陸続きになるのだ。
これに対して、人類の歴史は未だに20万年程度、文字を使いこなす四大文明が始まってからはわずか五千年ほどである。地球の大きな気候変動を体感したとはとても言えない。

我々人類がいかにして地球環境の変化に対処するか。
まず、短期的な自然災害対策だが、一つは、従来型のハード中心の国土強靱化だろう。河川堤防や岸壁の強化で氾濫を防ぎ、砂防ダムで土砂崩れを止める。都市部では雨水の一部貯留施設(地下タンクや校庭貯留)を整備し、舗装の透水化を進める。まだまだ公共事業の役割は大きい。
二つ目はソフト面の強靱化。強靱化は英語では「resilience」としている。弾力性、柔軟性の意味だ。直撃をかわすしなやかさ、被災した場合も復元力を高めなければならない。地域全体の安全性を高め、有事の復旧復興計画や支援協定を被災前に設定しておくことも有効だろう。

一時あれ程熱心に議論された地球温暖化対策は、福島の原発事故以来エネルギー確保の問題に心を奪われ、忘れられた感があるが再強化に取り組まなければならない。要するに急激な気温上昇を避けるための努力だが、具体的には化石燃料の消費量を減らしていくしかない。この意味において、原発がほとんど休止し、旧式の石油、石炭火力発電所がフル稼働している現状は最悪といえる。京都議定書で定めた1990年比6%削減が達成できないどころか、排出量が増加してしまう可能性もあるのではないだろうか。バランスのとれたエネルギー戦略を早急に定めるとともに、国民一人ひとりが最大限の省エネ努力を行うことが肝要だ。

さらには超長期的には地球の変化に逆らわず、順応することだ。(ここからは半ば仮定と空想の世界ではあるが・・・)
直近の氷期は1万年前に終わったばかりという。つまり10万年単位の変化のサイクルから言えば、今後数万年は地球は温暖化に向かう可能性が高いと思われる。と言うことは、海面上昇や熱帯化に備えて、高台へ、北部へと移住することが、今後の都市計画のポイントかもしれない?

8月に入り、これから一年で最も暑い時期を迎える。気象庁の長期予報では全国的に晴れる日が多く、平年を上回る暑い日が続くといわれている。巷では千年に一度の暑さという予想もある。
まだ暫くは我慢の日々が続きそうだ…。

日本人は「春・夏・秋・冬」、列島の四季の移ろいに寄り添い、美しい自然と共生するなかで歴史と素晴らしい文化を育んできた。しかし異常気象の前には、この文化も廃れざるを得ないのか?
いや、日本の長い歴史の中で根づいた季節の文化を守っていくために、我々は最大限の努力を惜しんではならない。

ねじれ解消の先に

既にご承知のとおり、参議院議員選挙は自民党の圧勝に終わり、自公の与党は参議院でも安定過半数を確保することとなった。アベノミクスの成果を、国民の皆様が高く評価していただいたと言えるだろう。

これで当面、日本の政治は安定する。逆に言えば、我々与党は政策決定においてねじれ国会を理由にすることはできなくなるということだ。これからは、6年あまりの間、迷走を続け、先送りされてきた政策判断を一つ一つ責任を持って下していかなくてはならない。

まず目前に控えるのは23日から正式に参加するTPP交渉。今は懐かしい菅総理時代に参加を表明してから3年弱を経てようやくスタートラインに立てた。失われた時間は今更どうすることもできないが、全力を挙げて情報収集し、グローバル社会を先導する経済ルールづくりに取り組まなくてはならない。併せて農業分野への影響もしっかり把握し、競争力強化を図る必要がある。

消費税率の引き上げ判断の期限も、あと数ヶ月だ。こちらはアベノミクスの成果で順調にGDPが伸びつつあり、安心して推移を見守ることができる。むしろ、政策課題は税率引き上げ時の混乱回避ではないか。取引に関する付加価値対して課税し、流通の諸段階で広く薄く公平に負担するのが消費税だ。円滑な転嫁を妨げる行為がないようにしっかりとした監視体制、ルールを定めなくてはならない。将来的には、社会保障・税番号(マイナンバー)制度を活用し、より、公平で透明な課税システムを構築していきたい。

8月に結論を出すはずの社会保障制度改革の方は難問山積だ。国民会議の議論は行われてきたものの、まだまだ制度改正案といえるレベルにはない。しかも、どちらかというと少子対策や年金に関する給付充実策の議論が目立ち、肝心の給付抑制、財政負担軽減策については理念にとどまっている。厳しい判断になるが、与党としてしっかり議論をリードし、家族のあり方地域社会のあり方を含めた、制度設計の抜本改革が必要になるだろう。

周辺諸国との外交、安全保障政策いついても、失われた時間の回復が急がれる。

領土問題を巡ってこじれてしまった日韓、日中の外交は一日も早く正常化しなくてはならない。今の状況は双方にとって、失うものが大きい。まず政府間の関係を正常化した上で、草の根レベル、国民レベルで歴史を共有する努力が必要だ。

普天間問題に端を発する日米安保問題は、国防を考える一つの好機とすべきかもしれない。もちろん当面は、現行の日米合意に沿って辺野古への移転を進めるが、中長期的には我が国の防衛力を高め、米軍を代替することも考えるべきではないだろうか。

このほかにも政策課題は数多い。日本が決められる政治を取り戻したことを内外にアピールするためにも、スピード感を持って党内議論をこなし、山積する課題に的確に対処し、6年間のねじれのロスを取り戻していきたい。

一方で、今回の選挙を通じて、残念なことが二つある。

一つは、投票率の下落傾向が止まらなかったことだ。全国の投票率は52%。前回比で5ポイント下回り、歴代3番目の低さだ。話題になったネット選挙解禁も空振りに終わり、国民と政治家の議論は深まらなかったということか。

以前にもこの稿でも触れたが、低投票率は有権者の政治不信の現れだ。今回の圧勝劇も、投票率をみるとその価値が半減しまう。

もう一つは二大政党の崩壊だ。あまりにもあっけなく民主党の地位が数ある野党の一つになってしまった。私は若き日、「ユートピア政治研究会」の一員として政治改革を目指していた頃から、政権可能な二大政党制こそが、健全な民主政治の基本であると信じている。その体制がいつまでたっても確立されないことは残念だ。

野党が再編され、我々与党としっかり政策議論できる主体が構成されることを期待したい。

日本という国の将来像は、日本国民が定め、一人ひとりの活動で創りあげるもの。政治はそのための手法である。我々政治家と有権者の皆さんをどうつなぐか。

難しい課題だが、これからも理想の政治制度を求めて挑戦していきたい。

あべぴょん

第183回通常国会は6月26日に閉幕した。
150日の会期で、政府提出法案75本に対し63本が成立。与党の自画自賛ではないが、“ねじれ国会”にしては、まずまずの成立率だったのではないだろうか。

ただ会期後半、参議院議員選挙が迫ってくるとともに、与野党とも政局重視の態度が強まり、いつもの醜態が繰り広げられた。衆議院議員選挙制度の本格改正については全く議論がかみ合わず、社会保障制度改革を巡る自公民の三党協議も実りがないまま決裂した。
そして、ついに会期末には参議院で安倍総理に対する無意味な問責決議まで可決され、そのあおりで、本来は可決されるはずだった電気事業法改正案をはじめとする重要法案が廃案に追い込まれてしまった。

選挙戦という戦いを目前にすれば、各党の主張が対立するのはやむを得ないとも言える。しかし、国会の本来の機能は法案審議であり、政党の主張を繰り広げるパフォーマンスの場ではない。今回もまた、国会が自らの存在意義を貶めるかのごとき運営が繰り返されてしまったことは、本当に残念だ。国政を担う一人として責任を感じる。

この会期末の顛末を見る限り、国政の安定のためには、来る参議院選挙に圧勝し、“ねじれ”を解消するしかないのだろう…。

さて、その通常国会で可決された法案の一つが公職選挙法の改正案だ。2月にもこの稿で取り上げた、いわゆるインターネット選挙解禁法案である。
今夏の参議院議員選挙から適用され、一定の制限はあるものの、これまで全面的に禁止されていた選挙期間中のネット活用が可能となった。候補者や政党等、そして有権者もブログやツイッターなどを利用して候補者の応援等ができる。

制限の一つがメールの発信主体で、候補者と政党に限られている。
私の場合も今回の選挙については候補者ではないので、メールでの選挙運動はできない。ゆえに、このメールマガジンも参議院選挙が終わるまでは、 “李下に冠を正さず”、しばらく配信を控えさせていただく。

代わりにではないが、我が自由民主党の政策や候補者情報の収集については、従来のホームページに加え、先月26日に公表したスマートフォン向けアプリ「自民NEWS」もご活用いただきたい。加えて同時デビューのゲームアプリ「あべぴょん」でも、安倍総理を参議院選の大勝利に向けてジャンプアップさせていただきたい。

都議選が終わって

23日に投開票が行われた東京都議会議員選挙は、事前の予想どおり国政与党の自公の圧勝に終わった。両党とも候補者全員が当選し、過半数の64議席を大きく上回る82議席(自民59、公明23)を獲得する結果となった。候補者全員が当選するのは都政史上初めてのことで、前代未聞の勝利と言えるだろう。

都議選の結果は、直後の国政選挙の先行指標になると言われる。12年前の平成13年(2001)の6月には、4月に誕生した小泉政権のブームにあやかった自民党が、改選48議席から5議席伸ばして53議席を獲得した。その余勢を駆る形で臨んだ7月の参院選でも、改選121議席に対して自民単独で64議席を獲得するという大勝利を果たした。

逆に、前回平成21年(2009)7月の都議選では、(当時は日の出の勢いであった)鳩山代表率いる民主党が改選前プラス20増の54議席を獲得、初めて都議会第1党に躍り出る大躍進を遂げた。我が自民党は改選議席を大きく下回る38議席に留まり、大敗北を喫する。2カ月後の8月に行われた総選挙でも民主党の勢いは衰えず、自民党は結党以来の大惨敗を蒙り、政権を譲ることとなった。

今回の首都決戦で、昨年の衆院選に続き、都市型政党の典型といわれる民主党を打ち負かしたことは、我が自民党にとっては来月の参院選に向けた明るい材料と言える。
が、政治の一寸先は闇といわれている。決して気を緩めることなく、緊張感をもって参院選に臨まなくてはならない。

ただ気がかりなのは投票率の下落傾向だ。ネット選挙時代のスタートを飾るように思えた今回の都議選だったが、投票率は43.5%にとどまった。歴代ワースト2だそうだ。この著しい投票率の低下は、有権者の政治不信のメッセージと受け止める必要がある。

決められない政治の根源である衆参のねじれ状態を解消し、政治の安定を実現するには、来るべき参院選で与党である自民・公明両党が勝利しなければならない。しかし、その勝利が国民の信任を得るに足らない低投票率がもたらすものであれば、勝利の意味も半減する。

明治23年(1890年)の第一回衆議院議員選挙の投票率は93%。初の普通選挙であった昭和21年(1946年)の総選挙でも73%である。
国民が政治に参画する意欲を持ってこそ、このような高投票率が実現する。自分の一票で政治が変わるという期待がもててこそ、その票を託す政治家を選ぶ気概が生まれる。

アベノミクス効果で経済には明るい兆しが出てきた。とは言っても、本格的な成長戦略の実行はこれからだ。さらに日本の未来を拓くには、人口減少に負けない社会保障制度の再構築が必要であり、行財政構造の改革も不可欠である。

来月早々に始まる参院選では、先に決定した「骨太の方針」に基づき、未来への進路を示す「選挙公約2013」をしっかりと打ち出し、国民の選択を迫らなくてはならない。そして、ネット選挙の利点をフルに活用し、政策を訴えなくてはならない。一人でも多くの方々に、我々の政策に賛同いただいてこそ、強い政治が実現できるから。

第三の矢

アベノミクス第三の矢である「成長戦略」は、与党内調整も終わり14日の閣議決定を待つばかりの状況だ。「骨太方針2013」と成長戦略の一丁目一番地といわれる「規制改革に関する答申」についても、同日に決定する。

安倍首相は4月19日に日本記者クラブで会見し、成長戦略の第一弾として「女性の活躍」を中核に位置づけた。日本では働く女性の約6割が第1子出産を機に離職する傾向がある。働き盛りを目の前に戦線離脱しているのだ。この流れを変えるため、2年間で20万人、5年間で40万人の保育環境を整え、20歳代後半から30歳代の女性就業率を改善する。こうして女性の能力をフル活用すれば、自ずと国内総生産(GDP)も押し上げることができると訴えた。

先月17日には第二弾として、今後10年間で「農業・農村の所得倍増目標」を新たに掲げ、農地の集約や大規模化、農産物の輸出を推進する方針などを表明した。TPP交渉入りを控え、守勢に回りがちな農業だが、品質で競えば世界の産地にも太刀打ちできるはずだ。

5日に公表した第三弾は、電力小売りの完全自由化やPFI(民間資金を活用した社会資本整備)によるインフラ整備、医療分野の規制改革などを進め、民間投資を喚起する成長戦略を提起した。これら出揃った成長戦略の完遂により、10年後に1人当たりの国民総所得を150万円以上増加させようとしている。

しかしながら、この三本目の矢に対するメディアの反応は必ずしも良いとは言えない。
「世界と比べ高すぎる実効法人税率(40%→世界標準は20%台)や雇用流動性を妨げている過剰な労働者保護制度が放置され、企業活動の活性化につながる踏み込んだ改革がない」、「多くの数値目標が掲げられたものの、その達成に向けた具体的な政策が示されていない」といった指摘がなされている。

確かに今回の戦略には、4月に日銀が示した“黒田ショック”(大胆な金融緩和)のような劇的な内容には欠けるかもしれない。だが、今後日本経済が目指すべき方向性はしっかり示されており、この点については誰も異論を唱えていない。
具体性に欠けるのは、これから予算編成や税制改正を通じて施策の立案を進めるのだから、当然のこととも言える。今後、夏から秋にかけて、示された工程表に従い、しっかりと施策の肉付けをし、計画を実行に移すべきだ。

安倍首相も9日のNHK番組で「秋には思い切った投資減税を決めたい」とも明言した。また菅官房長官は、「企業が国際競争を勝ち抜くためにも環境を整備するのが政府の役割」とし、法人税率引き下げを示唆している。経済戦略の目的は言うまでもなく「日本経済再生」であり、そのためには日本を世界で一番企業が活動しやすい国にしなくてはならない。その目標に向けて、考え得る手だてを総動員し、スピード感を持って政策を打ち出し、実現していくことである。

去る8日、私が主宰する新世紀政経フォーラムを姫路で開催した。講師は安倍内閣の経済政策を担う甘利 明・経済再生担当大臣だ。大臣は講演のなかで「この秋に、国家戦略特区を選定する。全国で三つか四つ、せいぜい五つの地域を選定する。大阪から神戸の阪神地区は有望な地域だ。そこでは思い切った投資の減税や規制緩和を徹底的にやっていく」と宣言した。

長期にわたるデフレと景気低迷、いわゆる“停滞の20年”から日本経済を復活させるには、我が国の総力を発揮しなくてはならない。その主役は、民間企業であり、地方の活力である。中央政府の政策を待つのみではなく、企業や自治体がアイデアを競い、必要な具体的政策や規制緩和を政府に提案する。政府はそれにしっかりと応え、政策判断を下さなくてはならない。

思い切った政策を決断するためにも、安定した政権が必要だ。その為には7月21日に予定されている参議院選挙には、必ず勝利しなければならない。