代表質問に思う

1月28日の安倍総理の所信表明演説を受け、30日から各党の代表質問が始まった。いよいよ本格的な国会論戦のスタートだ。野党としての本会議経験が欠落している私にとっては、見慣れた光景に思われた。しかし、3年余りの間、議場の反対側に追いやられ、民主党の所信表明、施政方針を聞かされてきた同僚議員には感慨深いものがあったようだ。

自民党は結党以来、ほんのわずかの時期を除き常に衆議院本会議場の半分以上を占めてきた。野党となった細川連立内閣時代といえども、比較第一党の地位は維持していた。それが、この3年間だけは民主党の半数足らずとなり、自ずと存在感も薄れつつあった。政権奪還を何よりも実感できるのは、この本会議場での議席占有面積だろう。

“野次は議場の華”といわれるが、与党議員が圧倒的に多いためか、民主党議員が意気消沈しているためか、安倍総理の演説や答弁に対して痛烈な野次や怒声が浴びせられることは殆どなかった。与党からの盛大な拍手を除けば、議場が思いのほか静まりかえっていることには、いささか驚いた。議席の前半分を占めている新人議員たちも、まだ議場での声を上げるタイミングを計りかねているのか、それとも大人しい人格の持ち主が多いのか、とにかく今のところは礼儀正しく質疑を聞いているようだ。

26年前、私も本会議場の最前列に議席を与えられていた。あの時は、何も分からないまま座っていた我々新人議員に、国会対策委員長から次々と指示ペーパーが回ってきた。そこには「野次り倒せ!」等々の文字が書きなぐられていたものだ。今は静かに座っている新人議員にも、いずれ同じような指示が出されるのだろうか…。

私が初めて当選したのは1986年7月7日の衆参ダブル“七夕選挙”だ。同期生は47名。今日まで一度も落選することなく活動を続けている代議士は、自民党の石破茂幹事長、維新の園田博之氏など5名だけだ。今回、私と盟友の三原朝彦氏、そして中山成彬(維新)氏が返り咲いたが、現時点で現職として活動している議員は、参議院に転じた鴻池祥肇氏と前田武志(民主)氏を加えても10名のみとなった。

「新党さきがけ」で行動を共にした武村正義さんや井出正一さんはすでに政界を引退されているし、武部勤さんや笹川尭さん、大野功統さんらは今回の総選挙で退かれた。民主党でも鳩山由紀夫元総理が引退、元総務大臣の川端達夫氏は落選された。すでに鬼籍に入られた方も数多くおられる。

来し方を振り返ってみると、初当選同期組は与野党の壁を越えて繋がり、語り合える仲間たちだ。既にベテランの域に入った我々だが、これからも10名の縁をさらに深め、国家のために尽くさねばならない。

そう言えば新人の頃、今回引退されたある長老議員から教えられた。「本会議場は普段会えない先輩に、何かとお願いし、教えを請う絶好の機会だ」と。
今、立場が変わって、自分は新人からお願いされる、教えを請われるに足る先輩たり得るのだろうか? そう言われるように、しっかりと襟を正して本会議に臨まなくてはならないと、決意を新たにしている。

国会の開会にあたって

 

新春の日本を揺るがしたアルジェリア・イナメナスの天然ガス関連施設襲撃事件。数百名の人質の無事を祈る我々の願いも虚しく、アルジェリア政府の軍事制圧により事態は悲惨な結末を迎えた。最後まで安否確認がとれなかった大手プラントメーカー「日揮」最高顧問の新谷正法さんの遺体が帰国したのは26日のこと。日本人の犠牲者の数は10名となった。

 

事件勃発以来、現地の惨状と邦人犠牲者に関する情報が次々と伝えられたが、その内容は混乱し、政府として有効な一手が打てなかったのは事実だ。犠牲となった方々はいずれも日揮の社員や関係者。ふるさとを遠く離れた途上国で、政情の不安定さを厭わず、地域の発展と日本の繁栄のために黙々と働く“企業戦士たち”の尊い命が失われたことは極めて残念だ。

 

 

 

今回の一連の動きから、改めて、海外でのテロなどの緊急事態に際しての我が国の危機管理能力の不備が浮かび上がった。少なくとも今のままで良いと考える国民はいないだろう。邦人を保護、救出し安全に日本に輸送する術、その前提として、広範な情報を収集し、正確な評価、分析を行う力など、様々な能力を備え、新たな法制度と組織体制を構築しなくてはならない。

 

 

 

現在の自衛隊法では海外で活動する際は、「危険地帯を除き安全が確保されている」、「航空機および船舶の使用」、「武器使用時は正当防衛」といった制約が設けられている。今回のような内陸の事態では、まず、現地に足を踏み入れることができないし、戦闘現場に際しても隣で友軍が攻撃を受けても自分が撃たれるまで発砲できない。10名の尊い命を無駄にしないために、世界を舞台に活躍する企業戦士たちを支えるためにも、自衛隊法改正も含めた対応力の整備を急ぐ必要がある。

 

 

 

さて、第二次安倍内閣が発足してから1ヶ月余り。この間、内政においては、日銀と連携した金融緩和と24年度補正予算の編成を速やかに行い、円安と株高の基調を作った。ベトナム、タイ、インドネシアを歴訪する外交日程も精力的にこなし、ダボス会議では世界の賢者にアベノミクスの正当性を主張した。

 

総理が言うには、内政外交とも“ロケットスタート”を切ったことになるが、これからは、国会の論戦の場で力強い日本経済の再生を進める具体的な政策を打ち出し、国民に地道に訴え、理解を得ていくことが肝要だ。いよいよ第183回通常国会が始まる。28日には安倍晋三総理の所信表明がおこなわれ、論戦の火蓋が切られる。

 

 

 

私自身は、衆院の科学技術・イノベーション推進特別委員会委員長に加えて予算委員会にも所属することになった。自民党では、科学技術・イノベーション戦略調査会内に新たに設置される
“司令塔機能整備小委員会(仮称)”の委員長にも就任する。わが国は科学技術創造立国の早期実現を目指しているが、その国家戦略を遂行する党にあっての司令塔の役目を担いたいと考えている。

 

 

 

 

いま、わが国は政策を総動員して沈滞と閉塞感で覆われたデフレの20年から、全力をあげて抜け出そうとしている。そして、成長戦略の鍵を握るのが科学技術政策である。今後とも、そのスペシャリストを目指して、努力し研鑽を積んでいきたい。それこそが私の考える「未来への責任」を果たす最重要課題と確信している。

リハビリ?

新年会も成人の日までの3連休がピーク、今は松の内も明け、道を行き交う人々姿にも日常の営みが戻ってきた。
永田町の自民党本部では7日に仕事始めの会合が行われたが、今年は予算編成の仕切り直しが必要ということもあり、年始早々から連日熱心な議論が繰り広げられている。既に24年度補正予算は閣議決定し、今は25年度予算案や税制改正が主要テーマだ。

昨秋までは閑古鳥が鳴いていた党本部も、政権奪還により様変わりした。マスメデアの取材陣が激増し、政務調査会の各部会にも野党時代は全く姿を見せなかった各省庁の幹部が毎回出席するようになった。与党なのだから当然といえば当然だが、自民党本部にも活気が戻って来たと言えるのだろう。

ただ、私が党本部での議論に溶け込むには、暫しのリハビリ期間を要している。3年3カ月の月日はそれだけ長かったのだと、つくづく実感している。
むしろ、永田町の流れにすぐに馴染んでしまったのでは、充電期間の意義が薄れる気もする。私にとっての3年3カ月は、永田町という社会の外側に身を置き、改めてそのあり方を見つめ直す貴重な時間だった筈だ。
「永田町の論理」でなく「国民の目線」に立てというのは良く聞く常套句だが、現実に政界の渦中にあると、ついつい日々の仕事に忙殺され、理想が忘れられる嫌いがある。そうならないためにも、初心に返り、若葉マークを貼り直したつもりで議論に参加しようと思っている。

純粋な若葉マーク議員という意味では、我が党に119名の新人が国政デビューを果たした。私は彼等を自民党の財産だと思っている。部会で遠慮がちに挙手しながら、初々しい主張を発言する様からは、新しい自民党が見えてくるような気がする。
選挙の最中、私は「政治への信頼を取り戻すために、まず自民党が変わらなければならない」と、強く訴えた。既成概念に毒されていない新人議員の発想こそが、永田町に新鮮な風を吹き込み、自民党を変える原動力となる筈だ。

だからこそ彼等に「先輩議員に対する礼儀は必要だが、政策の議論では何ら遠慮することはない。政策議論に際しては全議員が対等であり、党内の全ての部会や調査会は基本的にオープンで、誰もが参加し自由に発言できる。それが自民党の伝統であり、我が党の優れたところだ。」とエールを送っている。

かつて私が初当選した時、中曽根康弘総裁は、我々新人に対して「政治家にとって最も重要な資質はしっかりとした歴史感・国家感を持っていることだ」と言われた。そして直後には「しかし、今の君達に最も大事な仕事は、次の選挙に勝つことだ。だからできる限り地元に帰って次の選挙に備えろ。」とも言われたのを、今も鮮明に覚えている。

今回の新人たちの中には将来の総理・総裁を担う人材が埋もれているかもしれない。しかし、その行く手には当選を重ねるという高いハードル群が待っている。初心を忘れず、試練を乗り越え、大きく育ってもらいたいものだ。

私もいつまでも新人のことにかまっている余裕はない、一日も早く政策立案と法案審議の仕事の感覚を取り戻し、リハビリ中のワッペンを剥がさなくてはならない。
月末には25年度予算案が固まり、通常国会も始まる。いよいよ論戦の始まりだ。

アベノミクス

政府は先週11日、事業規模で20兆円を超える緊急経済対策を取りまとめた。

大胆な金融政策、機動的な財政政策、民間投資を喚起する成長戦略の「三本の矢」を束ね、長引く円高・デフレ不況から一日も早く脱却し、日本経済が力強く再生する強い意志を示すものだ。

わが国の経済は1990年代初頭にバブルが崩壊して以来、長期のデフレ不況に陥り、15年間も所得が全く伸びていない。物価下落→売上減少→給与削減→所得減少→消費抑制→需要減少→物価下落が繰り返すデフレスパイラルの渦でもがき苦しみ、先進国中最悪の長期低成長に甘んじる姿は、人に例えれば瀕死の重症とも言える。

この深刻な症状に小出しの対策では二進も三進もいかない。あらゆる可能性を秘めた政策を機動的、弾力的に繰り出すことで経済再生を図ることが肝要だ。だからこそ安倍政権発足前から“アベノミクス”と名付けられた「金融政策と財政政策のパッケージ」を展開し、縮小均衡に向かうデフレの悪循環を断ち切り、成長と富の創出の好循環に切り替えようとしているのだ。

まず、金融政策では日銀に対して2%という明確な物価目標設定と、それが達成できるまで継続的な通貨供給の拡大を求め、そして物価の安定だけでなく雇用拡大をも日銀の責任の範疇とした。続いて、今回の大規模な財政出動で、復興の加速と防災・減災力の向上を軸に据えた公共事業を実施し、強靱な国土形成を進めるとともに巨額の有効需要を創出する。市場はこれらの日本政府の意志を好意的に受け止め、既に為替は円安トレンドに転換し、日経平均株価も1万円を上回る水準に回復した。

この流れを加速し、短期間でのデフレ脱却を目指すためにも、15日に閣議決定する24年度大型補正予算案を早期に成立させ、執行に移さなくてはならない。さらに、引き続き編成する25年度予算と合わせた「15カ月予算」で切れ目のない対策を実施し、景気の底割れを防ぎ、成長軌道を確かなものとする必要がある。

今回の補正では、成長による富の創出の一環として5700億円の科学技術予算が盛り込まれた。規模もさることながら特筆すべきは、研究開発プロジェクトへの長期安定資金が用意されたことだ。

行政の予算は単年度主義が原則であり、科学技術分野も例外ではない。故にノーベル賞を受賞した山中教授の京大iPS細胞研究所でさえ、職員の大半は短期契約の非正規雇用と言う状況である。これでは長い懐妊期間を要する基礎研究にそぐわない。今般の制度改善では、iPS細胞を中心とした再生医療研究には、今後10年で1100億円規模の長期的支援を行うことが決定された。この新たな資金提供の枠組みは、日本の科学技術施策にとって大きな一歩であることは間違いない。

さらに科学技術創造立国の早期実現に向けて、各省庁が所管する科学技術政策を横断的に調整し、国家戦略として組み上げる意思決定システム(司令塔を含む)の構築、さらには研究開発の進捗状況を正確にグリップし、予算と比較した効果測定を行う組織体制の整備も急がなければならない。

言うまでもないが「三本の矢」は毛利元就が三人の息子に対して、国を守るために兄弟の団結と協力を促した逸話に由来する。三本の矢がそろってこそ力は発揮されるのだ。

経済再生に向けた「三本の矢」のうち、一の矢である金融政策、そして二の矢である財政政策は既に出そろった。だが、もう一本の成長戦略はまだ未完成な状態だ。民間投資を生み出し自律的な経済成長を促すためには、大胆な規制改革やアジアとの経済連携も急がれる。

公共投資偏重のかつての自民党が戻ってきたとか、先祖帰りとか揶揄されないためにも、24年度補正予算と25年度当初予算の成立に引き続き、法人税制のさらなる見直しや各種の規制緩和、エネルギー戦略の立て直し、アジアの活力を取り込む経済連携といった政策を迅速に展開し、日本経済再生への道筋をしっかりと描かなければならない。

日本経済の再生を世界に示すために、生まれ変わった自民党を国民に示すために、三本目の矢である成長戦略の実行力こそが“アベノミクス”の成否を問う試金石となると私は思う。

2013 年頭のあいさつ

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年末の総選挙により民意を踏まえた政権“再交代”が実現し、私も与党自民党の一員として議席を回復することができました。発足したばかりの安倍内閣は、実務的な内閣として山積する政策課題を着実に解決していかなくてはなりません。衆議院で圧倒的多数を占めるという数の力に傲ることなく、野党各党との対話と相互理解を基調に安定した国政運営に努めなければなりません。

第一は、デフレ経済からの脱却と成長戦略の推進です。

有効需要を創造するためにも防災減災投資を加速し、災害に強い強靱な国家づくりを進めます。併せて日本の知恵を生かした経済成長を実現するため、京やSACLAなどの先端科学技術基盤の産業活用を促進するとともに、研究開発費のさらなる拡大を図ります。

第二に、ほころびた外交通商政策を再構築します。

21世紀の成長センターであるアジア・太平洋の中核に位置する日本は、域内の投資と貿易のルール作りを先導しなくてはなりません。その礎となるのが安全保障政策です。日米同盟を基軸とした外交力を駆使し、アジア・太平洋圏域の経済連携強化を加速します。

第三には、安心して暮らせる健康長寿社会の制度設計です。

人口増大を前提とした社会保障制度は全面的に見直す必要があります。その第一歩が夏までに取りまとめる国民会議での議論。人口が減少しても持続可能な制度をめざし、自助と共助の発想を取り入れた公平な受益と負担の関係を築きます。

これらの政策実現の基盤となるのが、政治家への信頼の回復です。国民の信頼無くしては、厳しい構造改革の道を乗り越え、日本の再生をなし得ることはできないでしょう。

「信なくんば立たず」を肝に銘じ、痛みを伴う政策こそ、しっかりと国民の皆様に説明し、ご納得いただき、そして責任を持って実行していかなければなりません。

今年も格別のご指導とご鞭撻をお願いいたします。

年の瀬に思う

平成24年の辰年もあと一日。恒例の今年の世相を表す漢字はオリンピックの年らしく「金」が選ばれた。

7月末のサッカーから始まり17日間にわたり、日本中を睡眠不足に陥れたロンドンオリンピック。日本は金7・銀14・銅17の計38個という過去最高のメダルを獲得した。日の丸の誉れを背負って大活躍し、私たちに勇気と感動を届けてくれた日本選手陣に改めて拍手を贈りたい。それとともに、選手たちを育成し、裏方で支えたスタッフの努力も忘れてはならない。今回のメダルラッシュは、選手たちの頑張りとともに、科学的な選手強化を進めてきたスポーツ振興政策の成果でもある。

ナショナリズムの高揚を煽るわけではないが、日の丸を脅かす事件も数多く起こってしまった。7月にロシアのメドべージェフ首相が北方領土を訪問し、8月には韓国の李明博大統領が竹島に上陸、同じく8月に尖閣諸島に香港活動家が上陸した。それぞれ許せない行為ではあるが、日本政府の外交力の弱化と事件に対する稚拙な対応が、いたずらに感情的対立を深め、さらには経済関係の悪化をも招いてしまった感がある。特に尖閣諸島の国有化については、もう少し大人の対応が必要だったのではないだろうか。いずれにしても歴史をすることはリセットできない。日本人も領土に関する認識を新たにしつつ、隣国との関係改善も図らなくてはならない。

秋になると山中教授のノーベル賞受賞に沸き上がった。受賞対象となったiPS細胞は、細胞を受精卵のような状態にリセット(初期化)する技術。自らの細胞から臓器や神経を創り直す再生医療への道を拓く基礎技術だ。これが確立すれば、あらゆる治療が可能になる。新年には神戸の理化学研究所(発生・再生科学総合研究センター)で網膜の再生治療に係る臨床研究も始まる予定だ。12月の授賞式のあとで山中教授が話していた「日本は科学が国を支える柱、ぜひ多くの若者たちに科学者となって欲しい」との言葉は、そのまま私の願いでもある。ノーベル賞級の科学者を次々と輩出できるようになれば、科学技術創造立国という私の永年の夢も叶う。

この一年は、世界の有力国で次代の指導者が定まった年でもある。特にアジア太平洋では、中国、北朝鮮、韓国、アメリカ、ロシアで大統領選挙や政権交代が行われた。閉塞感が高まる日本の外交を建て直すためにもリーダーの交代を好機としたいものである。

そして日本でも年末の総選挙を経て政権が再交代し、自民党と公明党からなる第二次安倍内閣が誕生した。私にとっても自民党にとっても、臥薪嘗胆の年月がようやく終わり、本領を発揮する舞台が与えられた。

年が明けると自民党では各行政分野ごとの部会での政策議論が始まり、税制調査会の活動も本格化する。景気浮揚のためにも、東北の本格復興のためにも、未来への成長戦略のためにも、とにかく大急ぎで平成24年度補正予算、引き続いて25年度予算案を取りまとめなくてはならない。

私事ながら、特別国会で衆院科学技術・イノベーション推進別委員会委員長を拝命した。政治への信頼を取り戻すためにも、3年余りの充電を生かしてフル活動に向け決意を新たにしている年の瀬である。

消極的選択

今回の総選挙の結果、自民党単独で衆議院過半数の294議席、自公では2/3を上回る議席数を獲得することとなった。

 一見すると大勝利のようだが、私自身は自民党が有権者から広く支持されたというよりも、民主党政権の失政に対する厳しい審判の裏返し、さらには第三極の多党化により票が分散した結果の漁夫の利を得たに過ぎないと分析している。また投票率の低調さも国民の政治への不信、“声なき意思表示”と捉えなければならない。

 この与えられた1期でどのように活動するか。私にとっても自民党にとっても正に正念場である。

 

 自民党にあっては、前回の政権担当時には、与野党対決法案が参議院で否決されても、衆院の2/3再議決制度を駆使して押し切ったが、今回はよほどの場合を除いてそのような強行策を弄してはならない。数の力に驕ることなく、対話と協調を基調に政策ごとに丁寧に対応し、安定した政権運営の下、国家国民にとって実りある政治を実現していかねばならない。また、地方を支える党員の意思が正確に伝わらない総裁選規定や、派閥などが関与しない適材適所の人事システムへの改革も断行する。つまり、“永田町政党”ではなく、真の国民政党、進歩する保守政党に脱皮していかなければならない。

私自身がまずやらねばならないことは、国家に何が必要であり、責任を持ってやり抜ぬかねばならないのは何なのかを政治家として国民に正しいメッセージを伝え、「政治への信頼を回復する」ことである。そして、日本を世界一の科学技術力を持った国家に再生し繁栄させ、そして日本人としての自覚と道徳を持った人材を育てていきたい。これらは必ず実現させる。なぜなら、政治家として私のライフワークであるからだ。そして、これらを実現させることによって、国家、国民、子供たちの「未来への責任」を果たしたい! ふるさとであり活動の基盤である“東播磨”の経済発展と暮らしやすい社会環境の構築に全力を傾注するのは言うまでもない。

 

政府与党の一員としての重い責任を改めて噛みしめ、新たな一歩を踏み出したい。

秋の夜長…part3…イソップ物語

自民党は、「年内解散の確約がなければ国会審議に応じない」という強行路線(北風路線)から、野田総理が解散の条件としている3課題の解決に協力する方向(太陽路線)に作戦を転換した。
総理が「近いうち」の次に掲げた解散時期の条件は、①赤字国債発行のための特例法案の成立、②衆院小選挙区「一票の格差」是正、③社会保障制度改革国民会議の設置の3課題が処理できたとき、である。「近いうち」が3ヶ月以上の期間を指すとは予想できなかったが、まさか、3課題をクリアしたら「実はもう一つ課題がある」と言われることはあるまい。(これまでの民主党の振る舞いを見ていると完全に否定はできないが…)

私はこのコラムで一貫して太陽路線を主張し、兵庫県第10選挙区支部長として、永田町の執行部に再三にわたり訴えてもきた。今回の自民党の路線転換を率直に歓迎したい。

民主党政権は、「野党が反対する。審議をボイコットする。だから、重要法案がたなざらしになって国民生活が犠牲になる」と主張し、自らの無策を野党に責任転嫁してきた。
政策実行の第一義的な責任を負っているのは与党である民主党である。それなのに重要法案成立に全く無頓着、何ら新提案を行う努力もせず、野党のごとく相手(自公)の批判を唱え続けるだけだ。
いつまでも野党時代の悪癖がとれず、自ら解決策を生みだす知恵が浮かばないのか? それとも、単にできるだけ衆院選を先延ばしして、保身を図りたいということなのか?

かつて、我々自民党が与党時代、理不尽な野党民主党の攻撃をしのぎ、政策を前に進めるため、懸命に知恵を絞り妥協策を提示してきた。
だが、今の民主党に与党としての振る舞いが期待できないのであれば、我々自民党は、たとえ野党であっても、我が方から解決策を提示する方法(太陽路線)で政局混乱の事態収拾を図るべきである。そのことにより、責任政党の手本を民主党に示すのが、永年政権を担ってきた自民党の採るべき選択であると強く思う。

「北風と太陽」は、ご存じのとおり有名なイソップ寓話の一つ。寓話の起源は、紀元前6世紀に遡ると言われる。それが西洋のキリスト教文化の中で受け継がれていくうちに、単なる娯楽的な物語から道徳観を示す教訓集としての意味合いも備えてきたようだ。
江戸時代初期には日本にも伝わり、「伊曽保物語」として普及した。明治以後には、修身教科書の素材として、童話として、広く親しまれるようになった。「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」など、誰もが知っている物語だ。

その一つに「オオカミ少年」がある。
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じてもらえない。常日頃から正直に生活することが必要な時に信頼と助けを得られる、という訓話である。
たとえ嘘をつく意図はなくとも、結果が得られない言葉が山積すれば、嘘をついたのと同じ効果が生じ、誰も発言を信頼しなくなる。

政治は結果責任だ。
民主党の議員諸君には、この寓話の意味するところを噛みしめて欲しい。
嘘を承知で前回衆院選のマニフェストを作ったとは言わないが、実現できないマニフェストに結果責任を感じ、猛省して欲しいものだ。
苦しい弁解をしているだけでは、政治の信頼回復は望めない。

それにしてもイソップ物語には、時を超え今の世にも通用する教訓が多いと改めて感じた。
今は読書の秋である。
秋の夜長、童心に返ってじっくりイソップ物語を読みふけるのも良いかもしれない。ただ、解散風が吹き始めた今、私にはそんな時間の余裕はなさそうだ。

秋の夜長…Part2

「いじめ」「殺人」「不況」など、社会的に暗い話題がおびただしいなかで、北海道から心温まる話題が届いた。
ばんえい競馬で活躍してきた“中高年の星”ゴールデンバージ号(15歳)の引退のニュースだ。馬の年齢は、人間の約4分の1という。競走馬がデビューする2歳は人間で言えば8~10歳、ゴールデンバージ号の15歳は60歳の還暦に当たる。ばんえい競馬では、もちろん現役最年長馬だった。

「ばんえい競馬」は、我々が普段目にしている競馬とはちょっと様相が異なる。出走する馬たちは、サラブレッドやアラブ系のスマートな馬ではなく、体重1トンにもなる農耕馬=ばん馬だ。そして、コースは全長200mの直線で、途中に二つの小山を越えなくてはならない。その障害コースを騎手と500キロから1トンもの重しを乗せた橇(そり)を曳いてスピードと持久力を競うのだ。ゴールインは、鼻面ではなく橇の末尾がラインを越えた時点である。この世界的に見ても類例のない形態の競馬は、かつて、北海道開拓期から農閑期の余興や催し物として道内で広く行われ、公営競馬場も数カ所にあったが、今や帯広市の「ばんえい十勝」が唯一の公式競馬場となっている。

話をゴールデンバージに戻そう。同馬のデビューは平成11年、以来8年間で31勝を上げたが、加齢による成績不振により11歳で一度は引退し、食肉として処分されそうになっていた。それを相馬眼のある調教師が同馬の持つ底力を見い出し、13歳にして競走馬として再登録した。“中高年の星”として人気を集めるようになったのは、この復帰後、普通であればとっくに競走馬としての峠を越えてから、5勝を挙げたためだ。
「ばんえい十勝」のHPには特設サイトが設けられ、専用のグッズも販売されている。
しかし残念ながら、競走馬にとって致命的な腱鞘炎(けんしょうえん)を患ったこともあり、惜しまれながらも10月28日が引退レースの日となった。

1,000人を超える声援を受けたラストランは、1番人気に支持されたものの、結果は最下位に終わった。声を嗄らして声援を送ったファンからは、「最後まで頑張って走り抜いた姿に感動した。自分もそういう人生を送りたい」「60歳とは思えない強さだった」と、絶賛するコメントが数多く寄せられたらしい。
“中高年の星”という地位を築き、ばんえい競馬の集客に貢献した成果により、殺処分されることなく、今後も牧場で暮らすことになるという。長年頑張ってきたご褒美だ。ゆっくり老後を過ごして欲しいと願うものである。

人生の最終コーナーをどのように生きるか?
数多の人々は想い、悩みそして若い者に任せ、やがて時代の表舞台から去っていくが、政界では80の齢を超えて、自ら先頭に立ち新党結成に走る猛者もおられる。様々な反応が寄せられているが、私はその志を是としたい。

「七十にして、心(こころ)の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
有名な論語の為政の一文だ。
自由気ままに行動しても、決して人の道を外れることはない。孔子のようには行かないかもしれないが、そんな理想の老人格を形成したいものである。

しかし、これから勝負に挑もうとする私が、こんなことを考えるのは少々早いのかもしれない…。などとも思う秋の夜長だ。

秋の夜長に

先週、石原慎太郎東京都知事の国政復帰発表が、膠着状態にある国政に一石を投じた。
石原新党結成は、これまで幾度となく浮上しては消てきた話題であるだけに、予想されていたこととも言える。それでもこのニュースは政界に大きなインパクトを改めてもたらしそうだ。

まず、自民、民主両党に対抗する保守勢力(日本維新の会、みんなの党など)の連携・連合による第三極の構築。そして、それらを起爆剤とした合従連衡による政界再編成への道筋も視野に入ってくるかもしれない。近視眼的には、迷走する民主党の離党者の受け皿となり、臨時国会で内閣不信任案が可決される可能性もある。

何故このタイミングでの旗揚げなのか?
尖閣問題が自らの手を離れたこともあるかもしれない。一部で報道されているように、ご子息の伸晃氏が自民党総裁選に敗れ、目前の総選挙で親子対立の心配が無くなったことも一因だろう。

会見で80歳という年齢について問われ、「まさしく80歳なんだ。何でオレがこんなことをやらなくちゃいけないんだ。若いヤツ、しっかりしろよ!」と語気を強めた。
そう言えば、平成22年の“たちあがれ日本”の結党記者会見でも同じようなシーンがあった。党名の名付け親で発起人の一人として、そして自称・応援団長として出席した石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と、記者団を前に檄を飛ばしておられた。
国政の現状に危機感を禁じ得ないという、氏の強い思いがそんな言葉になったのだろう。

今回の石原氏の決起については様々な反応が出てくると思われるが、沈み行く祖国日本の姿を眼前にし、手をこまねいているわけにはいかないとの気持ちが、氏の決断の原動力になったことは間違いない。
「命あるうちに最後のご奉公したい」という言葉には、氏の祖国への思いを垣間見ることができる。少年期に敗戦を迎え、占領下でアメリカンナイズされていく日本に強い憂いを持ち続けて多感な青春時代を過ごした石原氏。彼等の世代に共通した国家観なのかも知れないが、日本的価値観を標榜し、人一倍国を愛する思いの強い石原氏らしい。

一方で、世界に類を見ない経済発展のド真中で、学生運動に情熱を注ぐ青春時代を過ごしてきた団塊の世代は、どんな国家観を育んできたのだろう?
もう高齢者の仲間入りを始めた我らの世代だが、石原氏から見れば「若いヤツ」の範疇に入るのかもしれない…。

「君は今この国の為に何ができるか?」30年以上前に見た映画「二百三高地」のキャッチコピーが私の脳裏を過ぎる。

日本は1980年代、その技術力、そしてその成長力において世界№1の国であった。
しかし、バブル崩壊後の国力は“失われた20年”と言われるように、ますます逼塞し展望が拓けない情況下にある。

政治家は、この国に生きる子々孫々に対して責任を有する職業である。その言動、一挙手一投足は、健やかな未来社会を築く礎とならなければならない。
「今この国の為に何ができるのか? 何をすべきなのか?」
“若いヤツ”の一人として、秋の夜長に、改めてじっくりと考えてみる必要があるのかも知れない。