総裁選の行方

3年に一度の自民党総裁選は8日告示、20日投開票のスケジュールで行われる。 当初の予想では安倍総理の無投票再選が確実視されていたが、初の女性総理を目指していると言われる前総務会長の野田聖子氏が出馬への意欲を見せていると報道され、政局が流動化の様相を齎してきた。

野田氏は2日札幌市内で開かれた講演会で「自民党総裁は皆さんの審判(無投票)を受けずに首相になって3年間、この国の舵取りをする。皆さんとの絆をきちんと作っておく必要がある」と述べ、改めて選挙戦の必要性を強調した。野田氏はここ数日、総裁選出馬に必要な20人の推薦人確保に向け、「協力してくれる仲間にこつこつと呼びかける」努力を続けていると報道されている。私にも旧知のメディア記者からの問い合わせが喧しいが、告示前日の今日7日時点でも推薦人確保の目処は立っていないようだ。

一般論として、「総理大臣に直結する自民党総裁選は無投票ではなく選挙が行われるべきである」との主張は、ある面では正しい。

選挙期間中の街頭演説や各種の討論会は、テレビを中心としたメディアへの露出といった点で、我が党の政策を国民に広くアピールできるし、人材の層の厚さも知らしめることができる。政党として直に国民へアプローチできることは、我が党への関心と理解が育まれ、国民政党としての支持基盤拡大に大きく寄与すると思う。 だからと言って、野田氏が言う「無投票再選阻止」だけでは立候補の大義とはなり得ないのも事実である。

既に、党内7派閥をはじめ無派閥の各グループからも安倍支持が表明され、安倍総理の再選が確実視される情況も、野田氏の推薦人確保を困難にしていると思われる。 更には、総裁選スケジュールが現下の最重要法案である“平和安全法案”の参院での採決時期と重なり、選挙戦が法案成立に大きな影響を及ぼすことも野田氏には逆風だ。

山東派会長の山東昭子元参院副議長は3日「野田さんが意欲を燃やしているのは頼もしいが、平和安全法案は大事な法案だ。党内での戦いは時期が悪い」と言及したことは、党内事情を象徴的に語っていると言えよう。

今回総裁選が実施されれば、私が党・政治制度改革本部長として取りまとめた総裁選規程ではじめて行われる選挙となる。党員票と党所属国会議員票を同数に割り振り、より開かれた国民政党として党員の意思を反映する制度改革を目指したもので、私としては改革の成果を問う意味で選挙をやって欲しい気持ちもないではない。

このままの状況ではおそらく無投票再選になると予想される。党の総裁を自ら選ぶ党員の権利が行使されないことに、いささか申し訳ない気もするが…。

平和の誓い

今年もまた終戦記念日(8月15日)がやって来る。

先の大戦を実体験された方々は、年々少なくなっていくが、我々日本人は戦争の悲惨な経験、アジア諸国に与えた影響をしっかりと未来に引き継いでいかなくてはならない。そして、平和への誓いを新たに世界に発信する。終戦記念日はそんな一日としなければならない。

 

幸い、今でも8月になると大戦にまつわる報道やドラマなど、多くの特別番組が見られる。戦後70年の節目となる今年は、沖縄米軍基地問題や安全保障法制の国会審議とも相まって、過去を振り返るドキュメンタリーが例年より多数制作されているように思う。

なかでも「日本のいちばんながい日」。映画の宣伝をするつもりはないが、終戦の玉音放送にたどり着くまでの一昼夜、始めてしまった戦争を終わらせることがいかに難しいかを描いた秀逸な作品だ。

 

全国各地でも様々の追悼行事も行われている。6日には広島で、9日には長崎で原爆犠牲者を悼む平和祈念式典が行われ、多くの参列者が数多の御霊の鎮魂を祈り、平和への誓い新たにした。

 

私は10日に、地元加古川市の日岡神社で催された“戦没者慰霊祭・重巡「加古」慰霊祭”に、地域の皆さんと一緒に参加させていただいた。祭事は、日清戦争の戦没者を顕彰する「義勇奉公之碑」(明治29年建立)前で、厳かに執り行われた。

この神社では、かつて戦陣に散った英霊を祀る慰霊祭を毎年行っていたという。昨年、途絶えていた祭事を再興するとともに、今年は「加古川」に由来する旧帝国海軍の重巡洋艦「加古」の慰霊祭も合わせて挙行された。その艦内には日岡神社から“日岡大神”が分霊されていた由縁でもある。

 

14日には安倍総理が「戦後70年談話」を発表することになっている。

この談話の原案をまとめるために有識者会議が組織され、すでに議論は終わり、報告書が提出されているが、私はその内容は全体的に評価すべきものと思う。

あとは、この原案をもとに、総理がどのような味付けをするか? 具体的な表現ぶりは発表当日までわからないが、歴史と真摯に向き合いその反省の上に立って、日本のこれからについて未来へのメッセージとなるものにして欲しい。

 

15日には日本武道館での「全国戦没者追悼式」に参加する。国政に参画する者の当然の責務との思いから初当選以来、機会を与えられれば(議席を有していれば)必ず出席してきた。節目の年に、改めて戦没者を追悼するとともに不戦と平和への誓いを新たにしたい。

 

※「加古」級の巡洋艦は船体の大きさの割に大砲、魚雷などが重装備で高速性能を有していたため、大正15年の建造時には、世界の海軍関係者を驚愕させた。一説では、当時世界一の海軍力を保持していた英国から設計図購入オファーがあったともいう。

「加古」は大東亜戦争当時には旧式艦と言わざるを得なかったが、開戦から奮戦をつづけた。だが、昭和17年8月10日、大戦果を挙げた第一次ソロモン海戦の帰路、米潜水艦の魚雷攻撃により沈没した。718名が乗艦していたが、うち戦死者68名を数える。

日本の夏

今年は台風の当り年かもしれない。7月までに13号も発生したのは26年ぶりのことだ。また、例年ならこの時期、中国大陸に向かうはずの台風が、11、12号と相次いで日本列島に上陸。梅雨前線上に停滞する雨雲とも相まって各地で豪雨被害を被った。なかでも岡山から鳥取にかけて横断した11号は、兵庫県下にも記録的な大雨をもたらした。

2つの台風が通過し、日本列島が梅雨明けするとともに、高気圧は北西へ移動し、日本列島の真上に居座り、列島各地で35度を記録する猛暑の日々が続いている。

地球温暖化の影響か、従来の“定説”が通用しない気象が世界各地で発生している。台風に限らず異常気象への備えを高めていかなければならない。当面は、南の海上で発生した台風13号の針路に注意しながら、適切な水分補給、無理な屋外作業を避ける等々、「熱中症」への備えにも気を配っていただきたい。

そんな暑い日本の夏には、夕涼みを兼ねた花火大会、夏祭りがよく似合う。東京では、7月25日に隅田川花火が催され、96万人もの見物客が約2万発の花火を堪能した。

東の隅田川と並ぶのが、西のPL教団の花火大会、こちらは1日に開催され、2万発と言われる花々が大阪の夜空を飾った。もう30年以上前のことになるが、サラリーマン時代に神戸のマンションからも遠望した花火も華やかだった。

ふるさと播州でも2日に加古川まつり花火大会が催され、夜空に舞う約5,000の花火に大いに盛り上がった。花火大会の前日の土曜日は夏祭りのピーク、加古川や高砂・加古郡の各所で夏祭りが行われ、私も出来る限り参加させていただいたが、盆踊りや手作りの夜店で賑わっていた。

ほとんどのイベント主催者は地域ごとの町内会連合会。そして担い手は、PTA、少年団や婦人会などの地域団体だ。住民自らが夜店や盆踊りの主体となり、そこに地域の方々がこぞって集う姿。これこそ “地方創生”の原点と言えるのではないだろうか。

今、全国各地の自治体で、人口減少に打ち勝つべく「地方創生戦略」の策定に向けた議論が繰り広げられている。先祖代々受け継がれてきた“ふるさと”の未来を拓くのは、地域住民一人ひとりの故郷を愛する心だ。国の示した指針どおりの画一的なプランは廃し、自らのアイデアで、個性あふれる、ちょっと変わった播州らしい発展方策を描いてもらいたい。

6日からは高校球児の夏の祭典が甲子園で始まる。

今年は大阪の豊中球場で行われた第1回全国中等学校優勝野球大会から数えて、100周年となる記念すべき大会だ。地方大会を猛暑の中で勝ち抜いてきた球児達の熱い戦いに、ふるさとも熱い応援を繰り広げることになるだろう。

安保法制

第189通常国会の最重要法案であり、我が国が行使し得る集団的自衛権等の限界を定める“平和安全法制整備法案”が、先週16日の衆議院本会議で可決され、参議院に送付された。

私の安保法制に関する考えは過去にこのコラムでも言及している通り、「憲法改正が望ましいが、極めてハードルが高く時間がかかりすぎる。現在の日本列島を取り囲む情況や国際状況を見極めた時、国民の生命や生活の安全を保持するためには、まずは現行憲法の解釈変更によって限定的に集団的自衛権を容認し、抑止力を高めることが現実的だ」というもの。極めて政治的対応であるが、やむを得ないと思う。

とは言っても安全保障政策の大転換である。国民の理解を得る必要があることは言うまでもない。衆院特別委員会の審議を通じて理解が進むことを期待していた。しかし116時間に及ぶ審議は行ったものの、内容はすれ違いの口げんかに等しいやりとりの連続、国民の理解が進んでいないことは各種世論調査でも明らかだ。

いくら審議時間を確保しても、これだけ論点がずれてしまっていては、議論は深まらない。野党側の論点は総じて、「法案の合憲性」、「アメリカの戦争に巻き込まれる可能性」、「自衛隊員のリスク」といった漠然とした入り口論に止まっている。

一方で、法案で定めようとしているのは、集団的自衛権行使の合憲を前提としたうえで、「存立危機事態」「重要影響事態」といった武力行使や後方支援等の限度を具体的に定める用語の定義である。いわば日本が国際社会で責任を果たすための自衛隊の行動原則を定める規定である。

自衛隊の存在そのものを否定する政党はともかく、政府与党を経験した政党であれば、国際政治の中で日本の置かれている立場や果たすべき責任は理解されているはずではないだろうか? 日本一国のみで自国の安全を守ることができないのは自明であり、またアメリカといえども一国で世界の警察機能を維持することは困難な時代となっている。

一方で、海洋覇権を声高に主張する国家の存在や国際秩序を乱すテロ集団の活動など、対応すべき国際課題は目の前に山積している。闇雲に入り口論で反対を繰り返すのではなく、「日本は世界の中でいかに行動すべきか」、「それを担保する法制度はどうあるべきか」について議論を行うことが国政を委ねられた者の責任ではないだろうか。

アメリカのみでなく英独加豪の先進国、ASEAN諸国も今回の立法措置=日本の集団的自衛権行使に賛意を表している。我々はこの期待に応えなくてはならない。

自衛隊員のリスクを問う声があるが、そもそも命をかけて国を守るのが隊員の責務であろう。国防力と言う意味では集団的安全保障の輪に加わらない選択の方がよほどリスクを高めるのではないだろうか。隊員の死傷率を下げるべき努力はもちろん行う。そのためにも、武力行使等のルールを明確にすべきだ。

アメリカの戦争に巻き込まれることを懸念しているくらいなら、日本の意志=「どういった場合に我が国が武力行使に踏み切るか」を法令で明確に示せば良い。我が国は自らの意志で武力行使の要否を決定するのだから。その意味で、国会承認が重要な意志決定手続きとなる。

衆議院で絶対多数を占めている与党としては、その気になれば数の力で法案を成立させることもできる。が、それは最後の手段であり、我々が望むのは現実を踏まえた政策議論を行うことである。

議論の上、必要であれば法案の修正も厭わない。故に、先般、維新の党から行われた自衛隊法等改正案、国際平和協力支援法案、領域警備法案等の対案提示は歓迎する。もう少し早く提案されていれば、より深い審議ができたのではないかと悔やまれる。

参院での安保法制審議においては、野党からの対案も含め、しっかりと法案の中身についての議論が行われ、国民の安全保障政策への理解が深まるように丁寧な審議が求められる。

セ・界情勢

中東におけるISISの跳梁跋扈、EUにおけるギリシャの債務問題、東南アジアでの領土領海紛争等々、洋の東西を問わず世界情勢は混沌としている。

これらの動向に歩調を合わせたわけではあるまいが、今年のセリーグ(セ界)ペナントレースも混沌としている。

我らが阪神タイガースは中日を相手に開幕3連勝を飾りスタートダッシュを決めたものの、その後は一進一退で負けが先行していた。セパ交流戦前5月24日の順位は21勝25敗、勝率0.4565の借金4の5位。

交流戦は10勝8敗で冴えなかったものの、セ・リーグのトップを独走していたDeNAが3勝11敗、巨人も7勝11敗で、なぜかタイガースがセントラルの1位だった。

そしてついに、7月3日(金)のセ順位表で、俄かには信じられない異常事態が発生した。1位ヤクルトは37勝38敗1分、タイガースは2位で36勝37敗1分。つまり、1チ-ム140試合のリーグ戦の過半を消化しオールスターが近づいている時点で、セで勝率5割をキープしているチームが不在、前代未聞のことだ。

その後、阪神タイガースは藤波の活躍などで首位に再浮上し、そのタイガースのみが5割(0.507)を超えている。ただし、ただいま首位と言ってもその内容を見るといささかお寒い内容である。

まず、7月5日現在の防御率3.85はリーグ最下位で得失点差は断トツの▲71、チーム打率も最下位の巨人に次ぎ5位である。盗塁数においてもタイガースは断トツの最下位、ホームラン数も4位と破壊力もない。こんな状況で首位に立っているのは、ベンチワークが優れているのか?、いや、それよりも甲子園のファンの皆さんの力にちがいない。

思えば初の日本一に輝いた1985年も戦力が高いとは言えなかった。クリーンナップの甲子園バックスクリーン3連発の豪快さのみが鮮明な記憶として残っているが、実はオールスターまでのタイガースは出塁するとバンドで進塁させて、掛布、バース、岡田でランナーを還させる。そして最後は投手リレーで逃げ切るといった地味な試合運びが必勝パターン。そして1985年もお折り返しのオールスター前は首位であった。

得失点差ダントツで防御率最下位である現時点のチーム状況は、30年前と何かオーバーラップするものもある。こじつけかも知れないが大いに期待!する。

決戦の8、9月に向けて今年も虎キチは「優勝」の2文字に思いを馳せる。

さて、国政の舞台では、党の若手議員の勉強会で不適切な発言により一時国会審議が紛糾した。応援団のつもりだったのかもしれないが、言論の自由を否定するような発言は言語道断である。

安全保障関連法案は、国民の生命と安全、生活を守るのみならず、日本が世界平和の一翼を担う礎ともなる法案である。今一度襟を正して、国民の理解を深めていく必要がある。

なでしこジャパンワールドカップ準優勝、連覇のプレッシャーの中で頑張った彼女達は偉い。心から拍手を贈り健闘を称えたい!

会期末

日本年金機構の個人情報流出問題で審議の日程が大きく遅れた「労働者派遣法改正案」。紆余曲折を経て先週末19日(金)の衆院本会議で自民、公明などの賛成多数で可決され、参院に送付された。

同日、本会議場で委員会審議の結果を報告する渡辺博道厚生労働委員長の首には、コルセットが痛々しく装着されていた。ご承知のとおり10日の委員会室入室時に繰り広げられた格闘の証である。民主党の徹底抗戦による大混乱のシーン、腕力で委員長の入室を阻止しようとする様は、今や懐かしい55年体制、昭和の時代を想起させた。

あの様子を観た国民の皆さんは、どの様に受け止めただろうか?

民主党の長妻代表代行は報道番組で、「数を背景に強行に審議を推し進めようとする巨大与党に対抗する為には、ああするしかない。やむを得ないこと」と言及していたが、果たしてそうだろうか? 言論の府において、あのような暴行が正当化できると考えているのなら、大きな勘違いだ。

国会では一定の期間内に議論の結論を得るために、それぞれの国会に会期を定めている。今回の通常国会の会期は1月26日から6月24日までの150日。そして、原則として会期終了と同時に審議中の議案はすべて廃案となる。

このため従来から会期末が近づくと、野党の戦術として、政府案を廃案に追い込むため、または政府与党から譲歩を引き出すために様々な手法が駆使されてきた。消費税導入や年金制度の改正など、与野党が激突した法案の採決時には、必ずと言って良いほど議事妨害が行われた。ある意味、国民の皆さんに野党の存在意義を示すための演出として、抵抗のための抵抗を行うのが常態化していたとも言える。

委員会室前でのピケ(入室妨害)や、採決投票時の牛歩(投票に著しく時間をかける)や牛タン(フィリバスター:演説を長時間続け審議を妨害する)といった行為だ。時に乱闘(見える?)と思える場面もなかったとは言えないが、今回の様に負傷者が出るような案件は体験したことがない。

私自身も若い頃に何度か乱闘場面に巻き込まれた(国対の命により参加させられた?)こともあったが、当時はけが人を出すようなことは決してなかった。乱闘を是認するわけではないが、一種、国会審議に花を添える演出のような行事として、当事者間に暗黙の了解があり、自制力が働いていたのだ。

しかし今回の事案は様子が違う。現に負傷者を出してしまい、さらに公党の責任ある立場の者が暴力沙汰を恥じない物言いを行っている。谷垣自民党幹事長が、「言論の府が力をもってそれを封じようとするやり方」を「旧態依然だ」と言っておられたが、全く同感である。

与党=自民党と野党=社会党が長期固定化していた55年体制は遠い昔。今や与野党の政権交代が実現する時代である。政権を担う意志がある責任政党は、日本の課題を解決するための現実的な政策を“提案”し、“議論”することにより政策実行力を証明しなくてはならない。自党の存在を示すための「反対のための反対」は許されず、ましてや「暴力行為」はもっての外だ。

今週24日には第189回通常国会の会期末を迎える。多くの重要法案を審議未了で廃案にすべきか? 会期を延長し、しっかりと議論を重ね成案を得るべきか? 国民への責任を果たすために選択すべき道は自明だろう。

今日22日には会期延長の手続きが予定されている。すでに19日、自民党国対は各議員に月曜午後からの “禁足令”を出した。野党の対応次第では長い夜になるかもしれない。

町村信孝先生

「前衆議院議長、町村信孝先生が急逝された」。

1日の夕刻、上京された生嶋高砂市議会議長と「地方創生に関する勉強会」についての打ち合わせの最中に、その訃報が届いた。

町村先生は、日比谷高校、東大を通じラガーマンとして鳴らし、ゴルフ、テニスとスポーツ万能と言われていた方だったのだが病魔には勝てなかった。衆議院議長を僅か4ヶ月の在任で無念の辞任を決断されたのが4月21日。それから僅か一ヶ月余り、健康回復にむけ頑張っておられると思っていたのだが・・・。残念でならない。

翌朝、ご自宅に伺いお顔を拝見させていただいたが、特にやつれた様子もなく、今にも目を覚まされるようなお姿。奥様の「渡海先生ですよ!」と耳元で何度も呼びかけられる声に、私は込み上げてくる思いを抑えることができなかった。

町村先生との出会いは、初当選した1986年(昭和61年)に遡る。清和政策研究会(通称:清和会、当時の福田派)の1期上の先輩で、兄貴分として公私にわたって随分お世話になり、可愛がっていただいた。

当時の清和会の1期先輩には、中川昭一(故人、元財務相)、尾身幸次(元財務相)、北川正恭(元三重県知事)さんなどがおられたが、その錚々たる先輩方の中でも町村先生は一際秀でた論客で、聴衆を魅了する演説に定評があり、「将来の日本国社長(総理総裁)候補」の一人と早くから目されていた。通産官僚の経験で培った実務能力を発揮され、文相、外相、初代文科相、官房長官などを歴任、党内随一の政策通として長らく国家運営の中枢を担われてきた。

5日午前に青山斎場で営まれた自民党・町村家の合同葬儀で、葬儀委員長を務めた安倍総理からは、「私にとって兄のような存在だった。常に国家の屋台骨を支えてきた偉大な政治家を、私たちはまた一人失った」と、気持ちのこもったお別れの言葉があった。志半ばで逝った先輩を思う無念さがひしひしと伝わってきた。

私自身も福田康夫内閣で文科相として初入閣した当時、官房長官の重責を担っておられた先生から、“大臣としての気構えや姿勢、組織運営の要諦”など、親身になってご指導いただいたこと。また、町村先生ご夫妻と私ども夫婦4人で北アフリカのモロッコ、チェ二ジアを旅行したことなど、走馬灯のごとく脳裏をよぎり、改めて胸の詰まる思いが込み上げてきた。

町村先生の持ち味は、豊富な知識と経験に裏付けされた論理的実践的な思考だった。そして、今国会の開会式では「内政、外交の各般にわたり、すみやかに適切かつ充実した審議を行い、国民生活の安定向上に万全を期す。」「諸外国との相互理解と協力を一層深め、世界の平和と繁栄に寄与していかなければならない。」と語られていた。

しかるに今国会、衆院・平和安全保障特別委員会の審議は、あいも変わらず神学論争に終始し、政府側の答弁も論理が一貫しない場面も見受けられる。4日に開催された衆院・憲法調査会では、時計を1年巻き戻すかのような参考人質疑もあった。

国運を左右する課題に対して、与野党が真正面から、“誠実”に“ベストを尽くし”丁寧な議論を繰り広げ、決めるべき時は決める政治を実現しなければならない。

安保法制論戦スタート

今日、5月26日、今国会最大の争点である安全保障法制を巡る論戦が火蓋を切った。国際平和支援法案(多国籍軍の後方支援を可能にする恒久法)と平和安全法制整備法案(武力攻撃自体法や自衛隊法など10本の現行法を改正)、いわゆる平和安全法制関連2法案の審議である。

現行の安全保障体制の原型が創られたのは、昭和35年の日米安保条約改定時である。当時は戦後15年、主権回復からは僅かに8年。高度成長が始まっていたとはいえ、我が国の経済力は弱小であり、世界は資本主義対共産主義の東西対立の時代であった。

それから半世紀余、国際環境は大きく変動し、国家間、民族間で多様な価値観が併存し、時には対立する複雑な様相を呈している。日本の国力も55年前とは異なる。GDPは世界3位、先進国の一角を占めて久しい。今や米国に庇護される立場に甘んずることは許されず、国際社会で一定の責任も求められていると言っても過言ではない。

軍事バランス的にも米国が世界の警察として、一国で国際平和の維持を担うことは期待できない。国際社会は各国が協調して紛争を解決し、予防する時代を迎えている。このような状況にあっては、いかなる国も平和と安全に対する役割を果たすことが求められる。日本に対する諸外国からの期待は大きい。もはや、個別的自衛権の殻に閉じこもっていては、各国の信任は得られないのではないだろうか。

だからこそ、我が自民党は過去2回の総選挙と一昨年の参院選で、「集団的自衛権の行使を可能とする」と公約し、国民の皆さんに明確に主張してきた。

ただし、そのために「憲法を改正するのか」それとも「憲法解釈の変更にとどめるのか」といった手法については明確に触れてこなかった。解釈変更する場合でも具体的な法案整備に際して、「安全保障基本法」制定といった包括新法形式もあれば、今回の閣議決定のように個別法の改正で対応する手法もある。

この手法論に関する私の基本スタンスは「憲法改正が本筋」というものである。憲法といえども法の一種であり、法は社会規範の集大成であるべきだ。社会状況の要請があれば憲法改正に踏み切るべきである。しかし一方で、現行憲法改正のハードルは余りにも高い。衆参両院の2/3以上の議員の発議により国民投票に付され、過半数の賛成が必要となる。その見通しが全く立ってない現況、切迫する日本列島周辺の情況を考えると解釈変更もやむを得ないと思う。

ただし、解釈変更であっても国民の皆さんの理解を得る必要がある。少なくとも過半の国民が支持しているという状況を生み出さなければならない。直近の世論調査では、安倍内閣支持率は安定的に50%を維持しているものの、集団的自衛権の行使を可能にする関連法案の今国会成立に賛同するは25%で、8割が政府の説明は不十分とのことだ。それだけに平和安全法制関連2法案の審議に際しては、政府の説明責任は重い。具体的な事例に即した、わかりやすい議論が必要となるだろう。

かつて、安倍総理の祖父岸信介氏が担った安保条約改定プロセスでは、1月の条約調印時に「6月のアイゼンハワー大統領来日までに承認する」という米国との約束を果たすために、与党自由民主党が単独強行採決に走った。その結果はご承知のとおり、国政の大混乱を招き、大統領の来日は中止となり、岸内閣は条約成立と交換に退陣を余儀なくされた。

この悪しき先例のようなことを二度と起こさないよう、必要な会期を設定し、十分な質疑を行わなくてはならない。もちろん私も与党の一員として法案に責任を持ち、あらゆる機会に説明責任を果たしていきたい。

異常気象

桜の開花とともに始まった統一地方選挙が終わった。昨日投開票された地元の姫路、明石、芦屋の市長選挙ではいずれも現職がその座を維持。前半の知事、政令市長選も通じて首長選挙は(都構想の風が吹き荒れる大阪は例外として)現職優位の傾向が確立しているように思える。いずれにしても、選挙が終わればノーサイド、昨日までの敵も味方も力を結集して、ふるさとの繁栄に向けた地方創生戦略づくりに全力を尽くしていただきたい。

今回の統一地方選で特に気にかかったのは投票率の低下だ。兵庫県議選40.5%、姫路市長選47.4%など過去最低を更新するケースが続出した。半数以上が棄権する状況で民意を反映していると言えるのだろうか? 国政選挙も含めて、「選挙権の行使は民主主義の基本ルールである」と言う意識の醸成、そのためにも有権者の政治への関心を高める努力が求められている。

「低い」と言えば、この4月の日照率の低さも記録的なものだった。

3月末に一斉に開花した国会周辺の“ソメイヨシノ”は4月1日からの豪雨で一気に散らされ、8日には寒波が襲来し雪まで降った。さらに20日には羽田で瞬間風速20mという台風並みの突風が吹くなど首都の4月は荒れに荒れた。

これは東京に限った話ではなく、東日本から西日本にかけて、菜種梅雨というには少々長く、激しすぎる荒天が続いた。これに伴い4月中旬までの日照時間は平年の半分程度。上旬だけを見ると四国で24%、近畿31%、関東39%という史上初の惨状らしい。逆に降水量は東日本1.63倍、西日本1.83倍など各地で平年を上回っている。

この天候不順により、白菜の卸売価格は平年比232%、レタスは168%、きゅうりは215%といったように野菜の価格は軒並み上昇している(東京都中央卸売市場)。日照不足による生育不良が解消し、供給が回復するには、相当時間がかかる。我々の食卓の野菜不足もさることながら、生産地=農業の現場では収穫のみならず、果樹の生育、夏野菜の作付け等々への幅広い影響も懸念される。

気象庁によると4月の異常降雨の原因は、偏西風が南に蛇行したことと太平洋高気圧が例年より強かったことという。今回の状況説明は、こういうことかもしれないが、昨夏広島を襲った集中豪雨や、12月に中四国に豪雪をもたらした寒波など、この数年記録的な事象が多発している。本来温帯に属する日本列島を熱帯化と寒帯化の波が襲っているようにも思える。

異常気象は日本だけの問題ではない。アメリカ南西部の干ばつ、アメリカ北部の寒波、ヨーロッパやオーストラリア東部、インドシナ半島の大雨洪水等々、大規模自然災害が毎年どこかで発生している。このような気候変動の激化は、人為的(=炭酸ガスの増加)な地球温暖化が影響していると言う説を否定することはできない。

これまで大量の温暖化ガスを排出してきた先進国として、CO2排出量削減技術を有する国として、日本は世界に責任を果たし、貢献しなくてはならない。

昨日(26日)から訪米している安倍総理は、29日(=昭和の日)に米国議会での演説に臨む。TPPや歴史認識をめぐる発言に注目が集まっているが、演説の詳細内容は未だ定かでない。地球温暖化対策も日米が協調して対処すべき課題のひとつに取り上げられるだろうか?

一方の我が国内は先週末から実質的なゴールデンウィークに入った感がある。天候は4月前半の日照を取り戻すかのごとき晴天だ。願わくはGW期間中を通じてこの好天気が続き、観光客を招き、景気浮揚を加速してもらいたい。白亜の姫路城や淡路の花畑には青空がよく似合う。ついでに湿りがちの我が阪神タイガースの打線にも火をつけ、上位浮上への力を与えて欲しい。

 

*25日(土)昼前(日本時間午後3時過ぎにネパール中部を震源とする大地震が発生し、数多くの方々が被災され死者も3千名を超えるに至っています。お見舞い申し上げますとともに、謹んで哀悼を表します。

地方統一選挙

4月3日(金)、41の道府県議選と17の政令市議選がスタートを切った。
先に告示された10道県知事選と5政令市長選と合わせて、いずれも4月12日に地方統一選前半戦の投開票が行われる。

今、地方政治に求められていることは、まず、景気の回復、経済の好循環を全国津々浦々で実現しなければならない。次に、人口減少対策、産業育成による若者雇用の確保と医療福祉の充実による安心基盤の確立が大切になる。

これらを推し進めるのが“地方創生戦略”だ。各自治体が自らの個性を生かしながら日本一、全国初の政策を掲げ、アイデアを競ってもらいたい。

正に“地方創生元年”である今年。政策立案の担い手を定める地方選挙の重要性は、増している。だが、国民の関心は思ったほど高まっていないというのが実感だ。

その証拠には、近年の地方議会選挙の候補者数は激減している。全国的に無投票選挙区が増え、中には定数に満たない市町村議会選もある。

私の地元高砂市の県議選でも今回から定数が2名から1名に減員されたにもかかわらず、無投票となった。兵庫県議選全体では、40選挙区、87議席のうち、17選挙区18議席が無投票で埋まった。

このような候補者不足に加えて、昨年の号泣会見に端を発する地方議会への不信感の高まりも、国民の無関心を招いているのだろう。もちろん政務活動費の不正支出や過剰な旅費支給は直ちに改善すべきであり、既に兵庫県議会でも様々な改革が行われている。

「まだまだ、改善、改革が足りない」と言う声があるかもしれない。しかし、新たな制度を作り、改革を実行するのは議員自身である。まずは、選挙で、号泣するような議員を選ばないこと、潔癖で政策実現に全力で取り組む候補者に一票を投じること、投票所に足を運び有権者としての責務を果たすことが大切である。現に、住民の負託に全力で応えてくれる議員(候補者)はたくさんいる。

全国的には低調と言われる統一選のなかで、注目を集めているのが大阪の府議と市議のダブル選だ。5月17日に予定される「大阪都構想」の住民投票の前哨戦の様相を呈し、激しい戦いが繰り広げられている。

しかし、こう言った一つの争点のみ、行政の統治機構の形式をめぐる論点のみで、これから4年間の地方議員を選んで良いのだろうか?大いに疑問を感じる。しかも、前回2011年選挙では、橋下氏個人への期待が大きく膨らみ“維新”への風が吹き、候補者一人ひとりの人物像がよく見えなかった感もある。(某号泣議員も「西宮維新の会」を名乗ったことが当選に繋がったことは否定できない)

今回の大阪府議、市議選挙は、大阪都構想の可否のみを定める選挙ではない。大阪の有権者の方々には、冷静な目線で各候補者の政策と人格を見極めていただきたい。

投票日前の9日には平成27年度予算も成立し、ようやくながら27年度事業の実施準備が整う。そして、いよいよ安全保障、エネルギー・温暖化対策など、長期的な政策課題に関する議論が本格化する。

後半国会を優位に進めるためにも、この統一地方選にまず勝利することが求められている。