地球の悲鳴

穏やかな新年の幕開けから比較的温かい日が続いた今年の日本列島。
各地のスキー場では年末年始の稼ぎどきに雪がなく、関係者からは悲鳴があがっていた。
一方、はくさい、だいこんなどの野菜はすくすく育ち例年を上回る出荷量、その安値に台所には喜びの声、生産者からは嘆きの声が聞こえた。
そんな暖冬ムードを吹き飛ばしたのが先週24日からの大寒波の襲来。

沖縄本島で観測史上初、奄美大島では115年ぶりの降雪。長崎では観測史上最高の17センチの積雪を記録した。数十年に一度の寒気に覆われた日本列島各地で「記録的」「観測史上初めて」とかの言葉が飛び交った。
首都圏では降雪が交通網を遮断し、例によって通勤通学や物流が大混乱。めったに氷点下を記録しない西日本では水道管の凍結、破損、断水といった事態が数多く発生し、市民生活を脅かしている。私ごとで恐縮だが、高砂の自宅でも配管が2ケ所断裂した。

この大寒波の原因は、北半球を西から東へ吹く偏西風の大蛇行らしい。アジアではシベリアのツンドラから日本列島の南にまで寒気を運び、北米ではアラスカの吹雪を首都ワシントン一帯にまでもたらした。暖房器具が普及していない台湾で58名もの方が寒さで亡くなり、アメリカの東海岸一帯の諸州では大雪で非常事態が宣言され、政府機関が機能停止した。

地球規模の損害をもたらした偏西風の蛇行の遠因となっているのは、東太平洋の赤道付近の海水温上昇、いわゆるエルニーニョ現象といわれる。2015年のエルニーニョは史上二番目の高温を記録している。

大型化する台風、頻発するゲリラ豪雨。異常気象が頻発する列島だが、我が国だけの問題ではない。アメリカ南西部の干ばつ、欧州やオーストラリア、インドシナ半島の大洪水等々、地球規模の気候変動に伴う大規模自然災害が毎年発生している。これまでもこのコラムで何度か言及したが、「地球が悲鳴をあげているのではないか」との思いが、再び脳裏をかすめる。

気候変動の最大の要因は地球温暖化。産業革命以降の化石燃料の大量消費は大気中のCO2濃度を高め、地球の温度を徐々に上昇させている。その対策には世界各国の協力、地球規模での対応が求められる。

だが対応の具体化は簡単ではない。その最初の取組であるのCOP3(第3回気候変動枠組条約締結国会議、1997年)でとりまとめられた京都議定書は、日本とEU等で統一した削減率と目標期間を定めたものの、米中露の三大排出国が参画しない不完全なものとなった。以来20年近く、世界各国が地球温暖化対策の必要性を認めながら、COPは混迷を続けてきた。

その転機が訪れたのが昨年12月。COP21で合意した“パリ協定”は、ついに共通の目標=「共通だが差異のある責任」を定めることに成功した。「すべての国は状況に応じて目標を設定して温室効果ガス削減に取り組み、5年ごとに目標値を改定する」とされた協定は、先進国から発展途上国まで196ケ国と地域が温室効果ガス削減を推進する法的枠組みを定めた歴史的なものである。ただし、具体的な削減目標値は各加盟国が設定することになっており、効果のほどは今後の加盟国の取組に左右される。

今年の5月26、27日には第42回先進国首脳会議”伊勢志摩サミット”が開催される。
世界中に模範を示すためにも、各国首脳が気候変動問題についても、ハイレベルな議論を行う必要があるのではないか。

*エルニーニョ現象:太平洋東部赤道付近、ペルー沖から西へ、太平洋の中心部までの海域において海面水温が局所的に異常に上昇する現象。アジア諸国、北米太平洋沿岸、豪州南部に温かい空気が流れ込み気候が著しく変化する。
日本全体は暖かく湿った空気で包み込まれ、大雨被害が発生しやすいと言われる。

憲法改正

新しい年が明けて早や半月が経った。今年の通常国会は、7月に行われる参院選の関係もあり、三が日明けの4日に召集され、早くも論戦たけなわである。

過去、阪神・淡路大震災のさらに1年前、平成6年にも正月はじめに国会のための上京を求められたことがあった。当時は細川内閣の時代、政治改革法案の早期成立に向け、前年から年末年始をまたいで臨時国会が開催されていた。通常国会の召集時期としては、今年が最速だ。

 

8日から27年度補正予算案を審議する予算委員会がスタート。14日には衆議院で可決され、参議院に送付された。

この間、平成29年4月の消費増税時に導入する軽減税率対品目や所得の低い高齢者への臨時給付金、TPP関連の農業を中心とした国内対策費など、主に経済政策を巡った議論がおこなわれたが、私が注目した質疑に、国会における政府答弁についての憲法解釈を巡るやりとりがあった。

 

憲法第63条には、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、両議院の一に議席を有すると有しないにかかわらず、何時でも議案について発言するために議院に出席することができる。又、答弁又は説明のため出席を求められたときは、出席しなければならない」と記されている。

 

民主党の階 猛議員はこの条文の後半部分の字句表現だけに着目し「国会に出席している理由は答弁または説明のためであって、我々(質問者)に対して批判するためではない」と解釈すべきで、安倍総理が(野党の質問者にたいして)反論するのはおかしいと主張した。同じようなことが昨年の安保法制特別委員会でもあった。質問に立った辻元清美議員は首相から発せられたヤジに、質問を遮ったり首相自身に答弁させろといった“答弁権は無い“と、自身のブログで断じている。果たして妥当な解釈と言えるのだろうか?憲法は政府側の反論を認めていないのだろうか?

 

私は総理が答弁した「国会の場で闊達な議論があるのは当然。もちろん答弁が中心だが、その中で事実を比較する場合もあるから、(中略)我々に反論したり批判したりすることは絶対だめだと言うことは、おかしのではないか」という解釈論に賛同する。

 

各種委員会での法案審議過程には多くの時間が割かれるのだが、答弁者が受け身の説明、答弁に終始しているだけでは、法案がめざす政策実現への理解は深まらず、実りある成果は望めない。国民が政策についての賛否を考える上での判断材料としても、不十分な情報提供にとどまってしまう。

 

議会制度の発祥国であるイギリスは、自由にして闊達な討論をおこなう議会風土がある。時折クエスチョンタイムの状況がTVに映し出されるが、そこでは現実の数字まで突っ込んだシビアな議論が展開されている。

 

これに倣って、両院に設けたのが「国家基本政策委員会」。いわゆる“党首討論”と呼ばれるもので、個別の法案についてではなく国の基本政策に関して議論を戦わせるものだ。が、残念ながら討議時間は、予算委員会等に比べれば、ほんのわずかである。

 

国会審議の活性化や充実を図るためにも、議論のあり方を再検討する必要があるのではないだろうか。

夏におこなわれる参院選を睨み憲法改正論議が浮上してきているが、我が憲法の弱点の一つは、英文で作製された原案を日本語に翻訳されたという点であろう。故に字面だけをなぞり、法の目的を見誤った強引な解釈論がなされる余地がある。今回の質疑のような法匪(※)のごとき解釈論を防ぐためにも憲法改正が必要なのではないだろうか。

 

※法匪(ほうひ):法律のうわべを絶対視して人に害を及ぼす、まさに賊徒(=匪)と評するべき役人や法律家。

年頭のご挨拶(平成28年)

新年あけましておめでとうございます。

昨年は、我が国を取り巻く安全保障の激変に対して、日米による“希望の同盟”強化や安保法制を巡る外交防衛問題、またTPPに象徴される通商貿易問題など、1年を通じて喧しい年でした。

さて、政権復帰してから早や3年が経過しました。

「もはや戦後ではない」と経済白書で高らかに宣言されたのは、60年前の昭和31年です。TV、冷蔵庫、洗濯機などの耐久消費財の一大消費ブームが興り、神武景気と称され日本経済は再生しました。

長期のデフレにより沈滞していた我が国経済は、アベノミクス三本の矢で解消に向かいつつあります。しかし、経済の好循環は列島全体に未だ浸透しておりません。

我が国の経済再生をより確かなものとし、長期にわたって成長させるために、新たな三本の矢“5年後GDP六百兆円、希望出生率1.8、介護離 職ゼロ”が掲げられ,国民一人ひとりが総活躍する経済社会システムの構 築が提案されました。経済界においても、3年連続のベースアップや設備 投資の増額など、積極果敢な経営に舵が切られようとしています。

社会全体としては失業率、倒産件数などが年ごとに低下し、若者の正社員が増えるなど、60年前と同じように経済再生の予兆が感じられます。

昨年私は、超党派による“播磨臨海地域道路整備促進国会議員連盟”の会長に就任しました。一日も早く、ふるさと東播磨の幹線ネットワークが整備されるよう、また地域の諸課題解決に向け全力で取り組んで参ります。

夏に参院選がありますが、活力ある我が国の未来を確実なものにするためにも、政権与党に引き続きご理解とご支持を賜りたく存じます。

今年も格別のご指導とご鞭撻をお願いいたします。

霞が関文学

私がライフワークと考えている科学技術政策。その基本方針は5年ごとに改定される科学技術基本計画で定められる。今年度はその改定の年に当る。

先週10日には安倍総理が議長を務める総合科学技術・イノベーション会議で、その素案が取りまとめられ、年明けには閣議決定される運びとなった。

 

今回の素案取りまとめに際しての焦点は、「政府の研究開発投資を対GDP比1%とする数値目標を計画に明示できるか否か」だった。近年、ノーベル賞受賞ラッシュに沸く日本の科学界だが、足元では活用論文数のシェア減少など活力低下が懸念されている。激しい国際競争の中で、世界一の科学技術力を維持するには持続的な基礎研究が欠かせない。

 

幸い素案では、現政権が目標として掲げるGDP600兆円を実現するためにも、より一層の科学技術予算の拡充を目指すと言及。5年間(2016~2020年)に総額約26兆円を投じることを明記することができた。

私が会長を務めている自民党科学技術・イノベーション戦略調査会でも、「世界で最もイノベーションに適した国を実現する」ことを目指し、18回に及ぶ議論の末、基本計画に「対GDP比1%」と「総額26兆円」の数値目標を掲げるべきと決議、関係大臣等にも積極的に働きかけてもきた。所期の成果は得られることとなり、まずは一段落と言うところだ。

 

ここに至る迄に様々な紆余曲折があった。最も困難を極めたのは、国の財布の紐を握る財務省との折衝である。

第1の関門は、言うまでもなく目標額の設定。

かつては、道路整備5ヵ年計画をはじめ将来の投資金額を明示した計画が多数見受けられたが、予算の硬直化につながるとの理由で次々と廃止された。今では科学技術基本計画のみが唯一の例外とされている。

 

第2の関門は、霞ヶ関文学と言われる難解な表現だ。

政策案を文章表現する際、一字一句が検討の対象となる。「充実」は良いが「拡充」はダメとか、「必要である」はダメで「となる」なら良いといった文言。数値表現を巡っては、「どうしても数値目標を記入するなら本文ではなく脚注で」とか、「括弧書きにして表現を弱める」といった塩梅だ。

一般国民から見れば差異が感じられない仔細な表現の違いでも、政府(官僚)の文章では大きな意味があるらしく、府省間で延々と協議が続けられるのだ。政治に携わってかなりの歳月を経るが、未だに理解に苦しむところである。

 

今回の目標額盛り込みにより、基礎研究に対する国家予算の減少傾向に一定の歯止めをかけることができる。だが、もちろん研究開発の成果は、投入する政府予算額の多寡のみで決定されるものではない。

産業界の関連研究を誘発し、技術革新を促すためにも、研究体制の縦割りを廃し、情報の公開と課題の共有を進める「社会に開かれた科学の形成プロセス」が求められる。今後は、基本計画が掲げる数々の目標が達成され、生産性を高めるイノベーションをもたらすよう、しっかりとフォローしていきたい。

 

今年も残すところあと半月。めったに風邪をひかない私だが、先月末からどうもスッキリしない。

気温変化の激しい折、皆さまも体調に気をつけて本年を締めくくって下さい。

北の湖逝く

20日夜、8時過ぎに地元での会合が終え迎えの車に乗った時、支援者の一人から携帯に電話が入り、日本相撲協会理事長・元横綱北の湖氏の訃報を聴いた。「渡海さんの大臣時代に浅からぬ関係があったと思ったので連絡した」と。

平成19年9月26日に福田康夫内閣が発足し、初入閣した私の文科相としての初仕事が北の湖理事長との面会であった。就任直後の29日、その年の7月に某部屋の親方や兄弟子による集団リンチで序の口の取的を死亡させた事件を受けて、理事長は監督官庁である文科省に説明と謝罪に訪れたのだった。

TVニュースで流れた映像では、理事長が反っくり返り、事情聴取のために呼びつけた私の方が頭を下げて謝っているかのようで、同僚や支持者から「大臣らしく、もっと毅然と対応しろ!」と、随分お叱りを受けた。国技と言われる日本相撲協会の最高責任者を呼び出したのだから、私としては丁寧に対応しなければと思っただけなのだが。

写真に撮られた理事長の傲岸不遜とも言える姿勢をスポーツ紙などは批判したが、お腹がつかえてあれ以上頭が下がらなかったのが真相だ。理事長は私の頭の上で、「この度は申し訳ございませんでした」と、何度も繰り返し謝罪しておられた。

立会いのかち上げから、素早く右上手を引いての豪快な投げや一気の寄りが代表的な取り口で、巨体に似合わない俊敏な巻き替えのうまさも定評があった。そのスピード出世は目を見張るものがあり、横綱昇進時21歳2ヶ月の最年少記録は今も破られていない。

優勝回数は24回、幕内での50場所連続勝ち越し、37場所連続2桁勝利。そして年間通算82勝は平成17年に朝青龍に超えられるまで27年間最高記録だった。

大鵬、千代の富士ともに戦後の昭和を代表する大横綱である。

横綱は抜群の強さの反面、バタバタ相撲もあったのだが、毎場所優勝争いに加わり第一人者としての重責を果たしている。そのふてぶてしい風貌と取り口から「憎らしいほど強い」と言われた北の湖関、強すぎた横綱ゆえに人気が伴わなかったかもしれないが、子供の嫌いなものの代名詞として「江川、ピーマン、北の湖」などと揶揄されたのはいただけない。

余談ではあるが、北の湖を見出したのは姫路市出身(当時は印南郡)の三保ヶ関親方(元大関増位山、戦後直後に在位)である。三保ヶ関親方は子息の増位山や北天佑を育てるとともに、ふるさと東播磨ゆかりの力士、大竜川や闘龍を育てた名親方である。

昭和60年(1985年)1月場所の引退後は、角界への絶大なる貢献に対して一代年寄「北の湖」を贈られ部屋を創設し、巌雄など14人の力士を育てた。そして、平成14年には第9代理事長に就任、平成20年、自らの部屋の力士による大麻使用事件の責任を取り一度は理事長を退任されたが、24年に異例の再登板を果たし、土俵の充実とファンサービスを掲げて人気が低迷する大相撲の改革に取り組んだ結果 “満員御礼”が続き、相撲人気復活まであと一息のところまで持ち直してきている。

今場所10日目の17日、栃煌山に繰り出した横綱白鵬の“猫だまし”を見て、理事長が「横綱の相撲ではない」と苦言を呈しているとニュースで報道され、お元気で活躍されていると思っていただけに、この度の訃報には驚いた。

生前の功績を称え、心よりご冥福をお祈りしたい。

あれから一年

政治の世界では、政権は解散(勝利)で求心力を得ると言われる。

ちょうど一年前の11月9日(日)、 “消費増税先送りなら解散”との見出しで、某有力紙から早期解散説が発信された。当時、女性2閣僚の辞任騒動はあったものの、与党は衆院480議席中325議席を有し、政権運営上の支障は殆ど無いと言えた。衆議院は常在戦場とは言っても、前回の総選挙から2年も経過していない。

当初、永田町でも「よもやこの状況で解散は無いだろう」という声が支配的だった。

ところが総理の外遊中に流れは一転、政局は一気に解散・総選挙モードへと動き出し、あれよあれよという間に、21日には衆議院は解散となった。

 

野党は“大義なき解散”と喧伝したが、「解散は政権党にとって最も有利なタイミングでやるもの。理由は何とでもなる」とする金言もある。

直接の解散理由は、「消費税10%の引き上げを延期する。“景気回復、この道しかない”」とし、アベノミクスの成果を国民に問うというもの。これが“大義”といえるかどうかは後世の歴史の判断に任せるとして、選挙結果は与党の圧勝。475議席中、326議席(自民291、公明35)を獲得した。

 

小選挙区制は二大政党(一対一の対決)を想定して設計された制度であり、小さな政党が乱立する状況での意見集約には適さない。我が党が小選挙区の得票率48%で76%の議席を獲得したことが示すように、小政党からの多数立候補は死票を多くするだけだ。

 

中小政党は、まとまって大きな集団にならなければ、小選挙区では勝てない。まとまる過程では、当然、政策のすり合わせ、妥協点を見出すための努力が行われる。その結果、極端な主張は排除され、政権を担当できる穏健中道的な集団が形成されていく。

そうなるべきだった。そうなって政権担当力のある二大政党が、現実的な政策議論を行う政治の実現が、私が“さきがけ”の同志とともに目指した政治改革の基本だった。

 

しかし、実態は厳しい。一度政権与党を経験すれば、現実的な政策運営論が身につくものと期待していた民主党は、野党になったとたんに再び、与党批判の主張に終始するようになってしまった。先の通常国会の安全保障をめぐる議論のように、前向きな対案提言を放棄し、なんでも反対を繰り返す姿はとても責任野党とは言えない。

 

今、民主党と維新の党の間で、統一会派結成、政界再編、選挙協力といった動きがみられるが、民主党の中で意見が割れているようだ。選挙の勝利(候補者調整)だけを目的とせず、きちんと政策のすり合わせ行い長続きする新党・協力関係を作ってもらいたい。

 

“大義”の有無が問われるような解散、求心力を高める恣意的な解散をさせないように政権与党を縛るのは、いつでも政権交代できる責任野党の存在しかないだろう。国会を政策創造の場とするためにも、本物の“影の内閣”の存在が望まれる。次の総選挙までに国民のみなさんに選択肢と言える二つの政策方針が示されるか?

一強多弱の政界にあって、来年の参院選が野党協力の試金石となる。

 

自民党はこの15日に結党60周年を迎えた。引き続き政権を担当するには、驕ることなくしっかり党内議論を深めていかなければならない。

国会改革

安保法案の審議のために95日という長期の延長となった今年の通常国会、9月27日の閉幕から早や一カ月が経過しようとしている。

10月7日には第3次安倍改造内閣も発足、副大臣や政務官、恒例の政策調査会をはじめとする自民党内の一連の人事もほぼ一段落した。永田町もいささか閑散とした感がある今日この頃だが、水面下では臨時国会の開催を巡って与野党の駆け引きが繰り広げられている。

 

民主、維新、共産、社民、生活の野党5党などは21日、憲法53条に基づく臨時国会の召集要求書を提出した。要求書ではTPP(環太平洋経済連携協定)について大筋合意に至った経緯の説明や、内閣改造で新たに起用された閣僚の所信表明と質疑などが必要と主張されている。

 

これに対して政府は、安倍首相の外交日程が立て込んでいることなどを理由に年内召集を見送る方針だ。TPP等の報告・審議については、予算委員会の休会中審査を開催することを検討していると言われているが、私はこれらの方針には賛同できない。

野党の臨時国会開催を求める趣旨は極めて妥当なものであり、その要求を拒否することは政治的に正しい選択と言えるのか否か、慎重に検討する必要がある。

 

憲法53条は「いずれかの議員の総議員の四分の一以上の要求があれば、内閣は、その召集を決定しなければならない」と規定しており、召集期限は定めていない。つまり、年内の臨時国会を見送り、来年の通常国会の召集時期を早めるという対処を行っても憲法違反とはならない。だが、国民には極めて分かりにくい処置ではないだろうか。

 

安保法制についての違憲論争の余韻も消えていない現在、「自民党は憲法を軽んじている」と悪宣伝に利用されるおそれがあるし、「政府は政策議論を逃がれている」と言われても仕方がないだろう。

無投票再選により党内基盤を固め長期政権も視野に入っている安倍総理には、野党の開催要求に応じて、堂々と論戦を挑んで欲しい。

 

ただ、野党も国会審議に対する態度を改めるべきだ。

これまでの様に首相に過度の国会出席を求めていては、国政が停滞しかねない。民主党の高木国対委員長も「首相の外交日程は配慮する」と言っているのだから、これを実践してもらいたい。各委員会での審議についても、副大臣対応を広く認めるなど効率的な運営手法の導入を進めるべきだろう。

 

短期間とはいえ、政権を担当した民主党議員の皆さんは、過度に閣僚を拘束し、政府の日程を縛る国会運営の現状を体感し、改革の必要性を理解されている筈だ。万年野党をめざされるのであればともかく、責任野党を名乗るのであれば共に改革を進めて欲しい。

 

まずは、この晩秋の臨時国会対応。

野党から改めて、政策議論重視の効率的な審議運営への協力を提案し、その上で政府与党は臨時国会の召集を受け入れる。召集したからには、閣僚のスキャンダル探しといった政局論争に時間を浪費することなく、国民生活に係る政策実現に必要な議論を堂々と行う。これこそ国民が求める国会の姿だろう。

 

政治の信頼回復のためにもこの臨時国会を国会改革のスタートとすべきだ。

日本の誇り

ラグビーのワールドカップで“桜ジャージ”が南アフリカとサモアに快勝!

スコットランドには敗れたものの、今までラグビー弱小国と評価されていた日本が、世界ランキング3位で優勝候補の南アに歴史的大金星を挙げ、フィジカルで圧倒的な差があるサモアにも圧勝したことで、俄かラグビーファン(私もその一人だが)が国民の間で一気に広がった。

 

4年後、2019年のワールドカップは日本で開催される。この大会を大成功に導くには、地元日本のラグビーが強くなり、国民の人気が高まることが第一。惜しくも決勝トーナメント進出は逃したものの、明日(12日)のアメリカ戦でも選手たちが大活躍し、勝利を得ることが、強さの証となりファンの拡大と定着につながるだろう。

 

そんなイングランド発のラグビーニュースで盛り上がる日本に、ストックホルムからも朗報が連続した。二人の日本人科学者のノーベル賞受賞である。自然科学分野の医学・生理学賞に大村智氏、物理学賞に梶田隆章氏が栄誉に輝いた。

 

大村氏は、細菌の発見とそれによる感染症治療の医薬品を開発し、河川盲目症と呼ばれる風土病から症状の悪化や感染を防ぎ、多くの人々を失明の危機から救ったことが評価された。

梶田氏の授賞理由は、物質を構成する最小単位である素粒子の一つ、ニュートリノに重さがあることを発見、物理学の常識を覆したことだ。

 

昨年に続く今回の受賞ラッシュは、大いに国民を勇気づけてくれた。街頭インタビューで最も多かったのは「日本人として誇りに思う」との言葉。今世紀に入ってから自然科学部門の受賞は16人となり、アメリカに次ぐ第二位だ。我が国の基礎研究力の層の厚さを実証している。科学技術政策の推進をライフワークと考えている私にとっても、これほど嬉しい知らせはない。

 

科学技術政策の基本方針は、1995年制定の科学技術基本法に基づく科学技術基本計画で定めている。私自身も毎回この計画の策定に深くかかわっている(現在第5期計画策定中)が、2001年に定めた第2期計画では「ノーベル賞に代表される国際的科学賞受賞者を欧州主要国並みに排出すること。50年間でノーベル賞受賞者を30人程度輩出」という数値目標を掲げた。当時は「大胆で意欲的な目標」と言われたが、今やクリアして当然の通過点のような気がしてきた。

 

ただ少し心配なことは、“子どもの理系離れ”や最先端科学分野への“留学生の減少”である。基礎研究は成果の発揮までに非常に長い時間が必要となる。教育は国家100年の計といわれるが、計画的な人材育成無くして科学の発展はあり得ない。一連のノーベル賞受賞が若者たちの探求心に火をつけ、我が国の科学技術振興に追い風となれば幸いである。

 

偉業を成し遂げたにもかかわらず謙虚な姿勢で記者会見に臨んでおられる受賞者の二人の姿は、私たちに日本人としての誇りを感じさせてくれた。桜ジャージをまとい一団となって戦い、君が代を歌う日本代表の選手達の姿も然り、日本への“誇り”こそが、ふるさとの明日を拓くのかもしれない。

塩爺逝く

去る9月19日、「塩爺(しおじい)」の愛称で親しまれた元財務大臣、塩川正十郎先生が、93年と11か月の人生を終えられた。24日の告別式には、小泉元総理をはじめ政財界から2000名もの方々が参列され、故人の功績を称え、冥福を祈った。

 

私は、23日の通夜に伺い、恩師とのお別れをさせていただいたが、御霊前の朗らかな遺影を前に30年前の光景が脳裏によみがえった。この方の行動がなかったら私が政治の道を歩むことはなかったのだった。

 

父・元三郎は昭和58年(1983)、11回目の衆議院議員選挙で初めて敗戦を喫し、二年後の60年5月、捲土重来の思いを抱いたまま他界した。その直後から、父の支持者から私に対して、次期総選挙への出馬、東播磨の保守の議席奪還を求める声が数多く寄せられた。父が師事していた福田赳夫元総理など、今思えば錚々たる方々からもお声がけをいただいた。しかし、当時の私には政治の道に進む意思は全くなかった。

 

その気持ちを動かしたのは、当時勤務していた日建設計の社長の言葉。「お世話になったお父さんの支持者の期待に応え、世のため人のために仕事をすることも一つの人生の選択だ。我が社は大会社だ。君一人居なくなっても大きな影響はない。」と強く背中を押されたのだ。そして、社長に擁立話を持ち掛け、私への説得を要請したのが、塩川先生だった。

 

春風駘蕩を思わせるその風貌に、独特の大阪弁でユーモア溢れる語り口。テレビ画像で見ると非常に温厚そうに見えるが、その裏に隠された短気で怒りっぽい実像を表すニックネームが“瞬間湯沸かし器”。

私も若手代議士の頃、「君は何を考えてんねん!」と、大きな声でよく叱られた。ただ、怒るのはその瞬間だけで次にお会いした時は、おとぼけなのかすっかり忘れている素振り。後に残らない「さわやかな」怒り方だ。故に与野党を問わず広く人望を集めることができたのではないだろうか。

 

40年以上にわたる政治生活のなか数々の要職を歴任されたが、誰もの記憶に残るのは平成13年(2001)からの財務大臣時代だろう。小泉総理のサプライズ人事で、79歳の長老財務大臣に就任され、第一次小泉内閣の看板大臣として構造改革の旗振り役を務められた。

一般会計が懸命の経費削減努力に取り組む最中、特別会計では従来どおりの放漫財政が続いていることを揶揄し、「母屋でお粥をすすっている時に、離れですき焼きを食べている」との表現は名言として語り継がれている。

 

平成15年(2003)、政界を引退されるにあたって、「人生(終了)のホイッスルが鳴るまで若干のロスタイムがあると思うので、大事に使いたい」と語られた。

その言葉どおり、引退後は東洋大学総長、関西棋院理事長を務められる傍ら、10年にわたり政界のご意見番として大所高所からのご提言をメディアに発信された。

 

今の政治の情況を見て、塩川先生ならどの様な発言をされるだろうか。

あのダミ声がもう聞けないと思うと寂しい気もするが、今はただ、大先輩のご冥福をお祈りしたい。

安保法案成立

今国会の最重要課題であった“安全保障関連法案”(平和安全法制整備法と国際平和支援法)が、19日(土)未明に成立した。

5月26日に審議が始まって以来、衆院116時間30分、参院103時間32分、合計220時間もの時を費やした。しかし残念ながら審議内容は深まらず、合憲違憲の入り口論に終始し、平和憲法の下での集団的自衛権行使の限界、国際平和協力の在り方といった本質議論には至らなかった。そして終局はご承知のとおり、3昼夜を要した参院の攻防の末に、ようやく成立に至った。

16日の地方公聴会以降の委員会審議は、民主党を中心とした野党のなりふり構わぬ行為をきっかけに混迷を呈した。まずは、鴻池委員長を閉じ込めるために理事会室前をピケ占拠。17日には理事会の開催場所をめぐる紛糾、委員長不信任動議の提出、その否決直後の質疑打ち切りの動議、と続き、総括審議が行われないまま法案の採決が行われた。怒号と揉み合いで騒然となった委員会室の情況は、報道のとおりである。

法案に反対する野党の一連の徹底抗戦に対して、高村副総裁は「野党の行き過ぎた抵抗」等と言及されていたが、同感である。

問責決議の連発、ピケ、フィリバスター(長広舌)等々、野党は様々な手段で法案成立阻止を試みたが、採決時の乱闘シーンは見るに堪えないもの、首絞め、委員長席へのダイビングなど、とても子どもには見せられるものではなかった。海外メディアにも「先進国で、民主主義国家の日本」の乱闘騒ぎと紹介された。恥ずかしい限りである。どうにかならないものか。

1951年の講和条約締結、60年の日米安保改定、そして今回の安保法制の整備は、戦後の我が国の安全保障政策にとって大きな転換点となる。

私のこの問題についてのスタンスは7月の衆院通過時のコラムでも言及したが、「憲法改正が望ましいが、極めてハードルが高く時間がかかりすぎる。我が国を取り巻く状況や国際情勢を見極めた時、国民の生命や生活の安全を保持するためには、憲法解釈変更によって限定的に集団的自衛権を容認し、抑止力を高めることが現実的な選択だ」とするもの。

中国の一途な海洋拡張路線や北朝鮮による大都市ミサイル攻撃の恫喝は、40年前の北東アジアには存在しなかった。9月3日の天安門での軍事パレードを観て、軍事バランスが大きく変化しつつあると懸念される。一方で日本が安全保障を依存してきた米国は、もはや世界の警察としての役割和果たす国力を失っている。

この現実に対応するための選択が、現行憲法下で行使しうる集団的自衛権等を定める安保法制の整備である。

ただ、法案審議の過程で、憲法論争があおられ、戦争法案、徴兵制導入説といった暴論が主張されたこともあり、多くの世論調査が示しているとおり新法制の趣旨が国民に理解されているとは言いがたい。

第189国会はまもなく幕を閉じるが、与党の議員は地元に帰ってからも一人でも多くの有権者に対して説明責任を果たし、理解者を得る努力をしていく責務がある。