東日本大震災から3年

世界中を震撼させた大津波の日から早くも3年が経過した。改めて1万9千余の犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を期待したい。

しかしながら、被災地からは、未だに原野のような旧市街の映像や高台移転計画をめぐる課題が伝えられてくる。被災地の復興は遅々として進んでいないのではないか?というのが実感だ。
事実、世論調査によると77%の方々が「復興は進んでいない」と答えている。被災地の方々に限定すれば、この比率はもっと高くなるのではないだろうか。

このような遅れの要因の一つは、「復興庁」という大きすぎる政府組織と国主導の復興施策にあるのかもしれない。(政権与党の議員という立場を考えると私にも責任の一端があると言えるが・・・)

原子力災害の問題はともかくとして、地震動と津波により破壊された“まち”“むら”の復旧復興は地域づくりの課題である。もちろん中央政府の財政支援や制度的特例措置の必要性を否定するつもりはないが、どのような地域を再興していくかは自治の問題として取り組むべきではないだろうか。

私がかつて関わった阪神・淡路大震災の際にも、当初、復興院といった巨大な政府組織を設ける案も出されたが、結局、主役は兵庫県、神戸市をはじめとする被災自治体となった。国は省庁の連絡調整役としての復興本部組織と諮問会議としての有識者委員会を設けたのみだ。そのなかで結果的に現場主義が徹底され、地元から出てくる課題やアイデアに対して、各省庁が資金提供や新制度で支援するという手法が比較的うまく機能したと思う。(もちろん解決できなかった課題もあったが・・・)

例えば、①県と市が連携して9000億円規模の基金を造成し、その運用益で臨機応変に必要な対策を展開する「復興基金制度」、②迅速なまちの再生のために幹線道路等の主要施設を決定したのちに、住民参加でまちづくりを検討する「二段階の都市計画決定」、③早期の住宅提供のために自治体がUR等の住宅を転貸する「借り上げ復興公営住宅」など、前例のない制度運営が編み出され、後に全国的な制度として取り入れられたものも多い。

とにかく、スピードを重視して住まいの復興を進めなければ、仮設住宅の方々が被災地に戻ってこない。産業の再生を急がなければ若者たちは被災地から流出してしまう。阪神淡路の復興基金は被災後3ヶ月で設立、都市計画は2ヶ月で決定した。そして、柔軟に運用を変更し課題に答えてきた。

山を造成する高台移転に時間がかかりすぎるなら、既存の市街地を活用したまちづくりも再考してはどうか、リスクは避難手順の確立でカバーすることもできる。漁師町にとって高すぎる防潮堤が問題なら、地域住民の責任で切り下げを認めればよい。一度国が決めたこと、認めたことは変更できないような画一的な制度運用では、被災地のきめ細かい課題に機動的に対応することはできない。
既に支援制度メニューの数という点では施策は出そろっていると思われる。その制度運用を住民と自治体に大胆に委ねてはどうだろうか? 少なくとも機動性は高まるだろうし、自己責任の下で新たな課題解決策が生み出されてくるかもしれない。

来年3月には、第3回国連防災世界会議が仙台で開催される。平成17年に神戸で開催された第2回会議では「兵庫行動枠組」が決定され、その後の災害リスク軽減に向けた世界的な取組の行動指針となってきた。
一年後の会議までには、しっかりとした復旧復興の道筋を取りまとめ、新たな「行動枠組」に貴重な経験と教訓を盛り込むこと。それが私たち日本人に課せられた責務であり、犠牲になられた方々への何よりの追悼でもある。

感動をありがとう

連日連夜(日本では早朝)、遙か彼方のソチから素晴らしい知らせが届いている。
男子フィギュアスケートの羽生結弦選手は、日本中が待ちに待った金メダル、そして113名の選手団を率いる葛西紀明主将はジャンプラージヒルで銀メダル。渡部暁斗選手もノルディック複合で20年ぶりのメダルをもたらした。スノーボードハーフパイプの平野歩夢、平岡卓の両若手選手の銀、銅の活躍から始まったこの大会も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。

今、注目を集める政策の一つである「教育委員会改革」の党内調整を任されている私は、連日の政調部会、小委員会コアメンバーとの論点整理やプレスへ対応等々、多忙な日々を過ごしている。それでも、宿舎に帰ったら深夜から未明にかけてテレビ画面を通じての応援についつい熱がこもってしまう、まだ暫くは寝不足が続きそうだ。

4年に一度のスポーツの祭典、オリンピックの舞台には魔物が棲んでいるとよく言われる。
大会前に“絶対金”と大本命視された選手がメダルを逃すことも珍しくない。必ずしも実力どおりの決着となるとは限らないのだ。大舞台特有の雰囲気や選手への過度の期待が、アスリートの精神面やフィジカル面に微妙に影響を与えるのだろう。
今大会の日本の目標メダル数は「1998年の長野五輪超え」。金5個メダル総数で10個だった。この目標が高かっただけに、大会半ばまで金メダルゼロの状況に日本列島に暗雲が漂い始めた。その空気を払拭してくれたのが、冒頭の若武者羽生選手の快挙だ。

ショートプログラム1位で臨んだフリー序盤、緊張からかジャンプのミスがあったものの、
疲労が重なる後半に加点に繋がるジャンプで持ちこたえた。プレッシャーをはねのけて自分に打ち勝ち、世界ランキング1位の誇りを守った演技に心から拍手を送りたい。
羽生選手は19歳、まだあどけなさが残る彼だが、歴史に残る大仕事を成し遂げてくれた。その活躍、そしてルックスから “氷上の王子様”なる冠が贈られたと聞く。

続いてもたらされたのが、7度目のオリンピック出場で41歳の古豪、葛西選手の大ジャンプの連続だ。一位との差はわずかに1.3ポイント、飛距離だけなら勝っていた。正に金に匹敵する見事な銀メダルだ。第一線で活躍する選手寿命の長さから、世界中のジャンプ選手から尊敬の意味を込めて“レジェンド”(伝説の人)と称されている葛西選手、「4年後8年後と、もっと向上すると思っている」との宣言に只々頭が下がる。

前回のこのコラムで「リケジョ」の小保方晴子さんの話をしたが、今回も少し自慢話をしてみたい。
先月末に自民党国会議員による稲門会(早稲田大学同窓会)が催され、その席上、鎌田薫総長からソチ五輪に出場する稲門の選手について報告があった。日本選手団113名のうち我らが後輩は13名。大学別ランキングではダントツのトップだ。なかでも羽生選手は金メダルに一番近いと評され、OB一同大いに盛り上がった。そして今、羽生選手の金、渡部選手の銀メダル獲得の朗報を聞いて、先輩として胸が震えている。

メダルを獲得し拳を高々と振り上げ歓喜のガッツポーズをする選手。実力を出しきれず無念の涙を流した選手。
それぞれの選手にはそれぞれの歴史があり、思いがあるのだろう。そしてアスリート達が繰り広げる熱戦には感動のドラマがある。自らの思いを胸に全力を尽くして戦い抜いた選手の皆さんに、その健闘を讃えて心から敬意を表したい。

数々のドラマを産んだソチ冬季オリンピックも、いよいよ後半戦に入る。引き続き日本選手の活躍を大いに期待したい。

リケジョ

先週来、“リケジョ(理系女子)”の話題がメディアを独占している。その渦中の女性、小保方晴子さんによる新たな万能細胞=STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)の作製は、山中教授のiPS細胞に続く世紀の大発見だと言われている。私にとって、ことさら喜ばしいのは、この生命科学を革新する研究成果が、神戸医療産業都市の理化学研究所「発生・再生科学総合研究センター(Center for Developmental Biology)」から発信されたこと。そして、彼女の出身校が我が母校でもある「早稲田大学理工学部」であることだ。

万能細胞の有用性は、今さら言うまでもない。数十兆個の細胞からなる人間も、1個の受精卵が分裂を繰り返して成人の身体を形成する。成人の体細胞をその起源である1個の万能細胞に人工的にリセットできれば、理論的にはすべての組織を再生できることになる。どんな病気も部品を取り替えるように治療できるということだ。
この再生医療の分野では、同じ神戸のCDBでiPS細胞を利用した「網膜再生医療研究プロジェクト」が既に臨床研究の段階に入っている。

遺伝子を解析し、生命の構造を探求する発生・再生科学は、総体的には典型的な基礎研究ではあるが、万能細胞の研究は医療福祉分野のみならず畜産などへの応用も考えられ、実用科学としての発展が期待される。一方で命の尊厳に関わる分野でもあり、倫理的な観点も含め研究を縛る制約も多い。
今回の小保方チームの研究はマウスによる実験成果だが、報道によるとハーバード大学では、同様の実験がすでにヒトの細胞を対象として実施されているという。論文の発表という点ではCDBが先んじたが、研究内容では後れをとっている可能性もある。

我が国の科学技術の発展を加速するためには、基礎研究を地道に支えていくシステムが必要だ。今回の理化学研究所のような「柔軟な発想が可能な若い(女性)研究者の登用」、昨年度の補正予算から取り組んでいる「長期的な研究資金の提供」、そして「研究開発の制約要因となる規制の緩和」。
カジノや法人減税の特区もさることながら、研究開発を促進する規制緩和特区による科学技術創造立国の実現こそが日本の成長戦略にもっとも相応しいのではないだろうか。

神戸医療産業都市には、CDBのほか、分子イメージング科学研究センター、計算科学研究機構(京コンピュータ)、生命システム研究センターといった理化学研究所の機関が設置されている。兵庫県内という意味では、さらに放射光科学総合研究センター(SPring-8)、高輝度光科学研究センター、X線自由電子レーザー施設(SACLA)がある。これほど国関係の研究所が集積する地域は他に例がない。この資源をフルに活用し、さらなる飛躍をめざすためにも3月にも予定されている「国家戦略特区」の指定に尽力したい。

科学技術創造立国に必要なもう一つの資源は、女性の力ではないだろうか。先に触れた網膜再生プロジェクトの研究を担っているのも女性研究者、高橋政代さんだ。
文部科学省では十数年前から女性研究者の活躍機会拡大への取組を指針に示しており、その対象は、採用段階や昇進プロセスはもちろん、出産育児への配慮にも及んでいる。
今日の女性陣の活躍はその成果かもしれない。

早稲田大学理工学部でも、パウダールーム完備の女子トイレ等の施設改修のうえ、「WASEDA Rikoh girls」のHPで先輩女子の活躍をPRしている。我が学生時代、華やかな文系キャンパスから「早稲田大学附属戸山工科大学」と揶揄されていた頃とは隔世の感がある。ただし、私が所属していた建築学科の成績優秀者トップ5は、なぜか5人しかいない女子学生で占められており、設備面がどうであろうと早稲田ウーマンは昔から優秀であったとも言えよう。
科学技術の分野だけではない。人口が減少するなかで、日本がこれまで以上の成長を獲得するには女性の活躍が欠かせない。女性の豊かな発想力をフル活用する社会づくりを急がねばならない。

今年の党大会

昨年の党大会は政権移行の関係で3月にずれ込んだが、今年の第81回自由民主党大会は従前どおり通常国会前の昨日1月19日(日)に開催された。
幹事長による党務報告や優秀党員等の表彰、そして友党代表と経団連会長の来賓挨拶に続いて、安倍総裁と石破幹事長による「日本を元気にする!」を前面に出した熱のこもったスピーチが繰り広げられた。特に2020年の東京五輪・パラリンピック成功に向けての強いメッセージが印象的だった。

今年の党大会は私にとって特別の意味があった。
“党・政治制度改革実行本部長”の初仕事として取り組んできた「総裁公選規程の改正」が議事の一つとなっていたからだ。
従来の規程では、総裁選は「国会議員票と一般党員の都道府県票(300票)」で競い、過半数の票を得た者が当選する。過半数に達する候補がいなかった場合は、上位2候補による決戦投票を「国会議員による投票」で行うというもの。
5人の候補によって競われた一昨年9月の総裁選では、一回目の投票で一般党員の圧倒的な支持を得ていた石破氏が決戦投票で敗れた。ルールとは言えこの結果に、党内はもとより多くの国民やマスメディアから、「自民党は広く門戸が開かれた健全な国民政党であると言いながら、果たして党内民主主義が円滑に働いているのか?」という疑問が投げかけられた。

これに応じた当面の改善として、1年前の党大会で決戦投票に地方の声を反映させるために、都道府県支部に各一票を配分することを決めた。
加えて問題となってきたのが国会議員票と都道府県票のバランスだ。喜ばしいことではあるが、前回の総裁選の後、2度の国政選挙を経て、国会議員数が198人から407人へと倍増している。一方の地方票は300票。今後も国会議員数の増減が繰り返されることを前提に、バランスのとれた議員票と地方票の配分のあり方やカウント方法への改正が求められていた。

新しい自民党総裁公選規程は、開かれた国民政党に相応しい「よりフェアで、分かりやすい、安定した」制度としなければならない。私自身が課したこのコンセプトのもと、数次にわたり党内ヒアリングを繰り返し、意見を集約した結果、

①都道府県ごとに党員投票の得票数を集計し、党本部選挙管理委員会が算定する。そしてその得票数の総数をドント方式で各候補者に分配し、

②党員投票に基づく算定票は党所属国会議員数と同数(1:1、現在は407:407)とする

案を取りまとめた。

党意思決定への民意反映の第一歩であるこの案はそのまま承認され、次回の総裁選から適用される。しかし、党・政治制度改革のゴールは遙か彼方にある。二院制の是非や定数配分などの選挙制度改革、政治とカネをめぐる政治資金規制や政党助成のあり方、国と地方を通じた分権型統治機構の制度設計等々、我々の目前には課題が山積している。

チャーチルは「民主主義は最悪の政治体制である。ただし、これまでに試されたすべて体制を除けば」と語っている。一人ひとりに意思がある限り、すべての民意を完全に反映した政治というのは不可能だ。ただ、彼はこうも言っている「向上とは変化である。完全になるとは、しばしば変化することである」
社会は常に変動している。制度は定めたときから陳腐化が始まる。党改革も各種の政治制度改革も不断の見直しを続け、「民無信不立」を信念に理想の政治を求めていきたい。

2014 年頭の挨拶

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

第二次安倍内閣の発足から1年。アベノミクス効果により日本の景気は着実に上昇を続け、デフレ脱却まであと一歩の段階に達しました。人口が減少する中で、この成長軌道を確かなものとするためには、大胆に経済構造を転換し生産性を高めていく必要があります。TPPによる通商ルールの革新と、先の臨時国会で成立した国家戦略特区法や産業競争力強化法を突破口に規制改革を実現し、アジア太平洋、そして世界経済を牽引する力強い日本経済を再興しなければなりません。

社会保障制度改革も待ったなしです。年々増大する年金・医療保険・介護保険給付に歯止めをかけなくては、持続可能な制度の維持は叶いません。我が国に続き成熟社会を迎えるアジア諸国の模範となるためにも、負担を先送りすることなく、社会保障制度改革プログラム法に基づき、一つひとつ課題を解決し、高齢社会の安心の基盤を築きます。

一方、世界の情勢に目を向けると、ユーロ圏の財政危機は一息ついた感はあるものの、アラブ諸国の民主化は未だ定着せず、宗教・民族間の対立状況が続いています。さらに東アジアにおいても領土問題をめぐる拡張主義の台頭により、地域の混乱が懸念されます。
我が国も靖国神社に関する諸外国の誤解の解消を急がなくてはなりません。私たちは日本のために命を捧げた先人への感謝の念を込めて参拝するのであり、先の戦争を肯定している訳ではありません。
 
歴史を振り返れば私たちの日本は「和」を重んじる国。八百万の神々のもと、仏教をはじめ多数の宗教を受け入れ融合させてきました。相手の立場を思いやり、融和する優れた力を備えていると言えるのではないでしょうか。

今年2月には平和の祭典「冬季オリンピック」が開催されます。古代ギリシアの時代からオリンピックの期間中は、いかなる争いも停戦するのが国際慣例です。この機会をとらえ、我が国が世界平和への対話をリードし、そして東京オリンピック・パラリンピックの大成功につなげたいものです。 

難局への対応力こそが未来への扉を開く鍵になります。国民の皆様の信頼を第一に、内外に山積する課題に立ち向かい、自由で活力ある日本の未来を切り拓くべく更なる努力を重ねて参ります。今年も格別のご指導とご鞭撻をお願いいたします。
年初にあたり、今年1年の皆様方のご健勝とご多幸をお祈り致します。

Japan is back

平成25年もあとわずかで幕を閉じようとしている。この1年、久々に国政の第一線に復帰させていただいた私にとっては、本当に充実した365日だったと思う。

ちょうど1年前の12月26日に発足した第二次安倍内閣は、最優先課題として日本経済の長期デフレ脱却と景気回復を掲げ、“3本の矢”で日本を再生することを高らかに宣言した。
しかし、当時、産業界はもちろんのこと、メディア、労組、そして多くの国民も「言うほど簡単にデフレの現状を打破できるのか、本当かな?」と半信半疑の視線で見られていたのではないだろうか。

あれから1年。先日公表された「社長100人アンケート」では、来年4月の消費増税で一時的に需要が落ち込むものの、設備投資の下支えと個人消費の早期回復で、半年後の9月には国内景気は今より更に上昇するとの回答が6割に達していた。
「景気の“気”とは、人々の気持ちの持ちようだ」とはよく言ったものだ。景気の好循環が始まっていると考える経営者の増大が、設備投資や雇用を呼び起こし、さらなる景気拡大につながっていく。

今年の漢字“輪”を象徴する出来事である「2020東京五輪・パラリンピック招致決定」が国中に歓喜を巻き起こしたのも、“気”の改善に大いに寄与した。五輪招致はスポーツ関連施設整備や観光需要創造の契機ともなり、「第四の矢」として経済成長のブースターとなるだろう。

まだまだ予断を許さないが、「第一、第二の矢」が絶大な効果を発揮し、円安進行による輸出産業の業績改善、重点的な公共投資による国内需要拡大が、景気回復に大きく寄与しているのは事実だ。東証指数はバブル期にも例がないほどの伸びを示し、1年間で1.5倍以上になっている。これこそがアベノミクスの最大の成果と言えるだろう。

私自身もこの1年、微力ながらアベノミクスを後押しする政策形成に携わってきた。
その第一は「研究開発力強化法」の改正。日本の長期的な成長力の基盤となる基礎研究能力の充実を図るための法改正だ。我がライフワークである科学技術の振興は「第三の矢」である成長戦略の一翼を形成すると言っても過言ではない。
iPS細胞の研究をはじめ基礎研究は成果が花開くまで長期間を要する。今回の法改正は、それに対応して労働契約の特例を設け、研究者との長期契約を可能とするものだ。前科学技術・イノベーション推進特別委員長である私は、議員立法のとりまとめ役となって法案を作成し、先の臨時国会に提案、成立させた。

二つ目は、推進議連幹事長を務めるスーパーコンピュータの開発。今、世界一の座を懸けた競争は神戸にあるスパコン“京”の100倍=エクサ級(一秒に1兆の100万倍回の演算能力)のレベルが舞台となっている。この1000億円以上の巨大プロジェクトの初年度予算として12億円を獲得した。開発整備は“京”と同じくポートアイランドの医療産業都市エリアで進められることとなるだろう。このエリアは成長戦略の核となる国家戦略特区の候補地としても名乗りを上げている。地域指定に力を尽くしていることは言うまでもない。

地元の長年の懸案である「播磨臨海地域道路」の整備計画も、ようやく前向きに動き出した。ここ5年ばかり国交省と掛け合ってきた思い入れの強いプロジェクトである。
加古川・姫路バイパスの交通量は一日10万台。設計時の2倍に達し、渋滞が慢性化、重大事故も多発している。播磨地域の強靱化には新たな幹線の整備が不可欠だ。すでに近畿地方整備局で先行着手区間の選定に向けた検討も始まっている。我が国を代表するものづくり拠点である“ふるさと播磨”を支えるために、早期着工・完成をめざしていきたい。

矢継ぎ早に放たれるアベノミクスの矢。今、その政策効果で日本経済は好循環へと向かいつつある。
12月の日銀短観では、中小企業・非製造業の景況感が約22年ぶりにプラスに転じた。景気回復が幅広く浸透しつつある証左と言えよう。
第三の矢である成長戦略を具体化する法制度、予算案も整った。あとは実行あるのみだ。
20年の景気低迷を打ち破り、日本経済が力強くよみがえる日=“Japan is back”は近い。

会期末のドタバタ

10月15日から始まった第185回臨時国会が閉幕した。
アベノミクス第三の矢である成長戦略を具体化する国会のはずだったが、終盤は特定秘密保護法案をめぐり与野党が激突。担当大臣、国家安全保障特別委員長の問責決議案、さらには内閣不信任案までも提出されるなど、またしても法案審議を度外視した茶番劇が繰り広げられてしまった。

会期不継続の原則(会期中に議決されなかった議案は廃案となる)の弊害だが、このところ国会の会期末には必ずと言って良いほど、法案の廃案をねらった無意味な審議引き延ばしが見られる。これに対抗する手段として行使せざるを得なかった強行採決。今回については、いささか強引で稚拙であったかと思わないでもないが、ギリギリになって時間稼ぎの修正案を提出した民主党の対応にも辟易するものがある。

ただ、混乱はあったとしても、成長戦略実行の二本柱となる国家戦略特区法と産業競争力強化法は成立し、日本経済の飛躍に向けた布陣は整えられた。デフレ脱却を確かなものとするために、今週末にも編成する補正予算案とともに早期の執行に移していきたい。

今国会冒頭の所信表明で訴えたもう一つの重要政策が、世界の平和と安定に寄与する「積極的平和主義」を唱える外交政策である。就任1年で、すでに25か国を歴訪した安倍首相。とりわけASEAN加盟10か国はすべて訪問し、激変する北東アジア情勢をにらみ外交・安全保障上の布石を着々と打ってきた。

昨今の東アジアを取り巻く最大の懸念事項は中国の領土拡張政策だ。我が国の固有の領土である尖閣列島を中国領と主張し、海洋進出を名目に度重なる領海を侵犯する。先月には一方的に尖閣諸島上空に防空識別圏まで設定した。同様の強引な拡張行為はフィリピンやインドネシア海域でも行われている。
また、罪なき民を拉致し、あまつさえ核とミサイルによって隣国に軍事的恫喝をおこなう北朝鮮。そして本来同盟国であるべき韓国までもが、我が国が領有を主張している竹島を占拠し、反日外交を世界各地で展開している。

これらの行為に対抗する手段が、新たに安全保障の指令塔となる日本版国家安全保障会議(NSC)であり、その活動基盤となる特定秘密保護法である。
アメリカの上院外交委員会で「日本はスパイ天国」と証言されたこともあるように、我が国は、外交上の機密情報が漏れやすいと指摘されている。
今回の法制で、外交、防衛、スパイ活動防止、テロ防止に関する秘密保全のルールがようやく整備された。首相、外相、防衛相、官房長官の4者を基本とするNSC設置と相俟って、インテリジェンス(情報収集、分析力)は格段に高まるだろう。

法案審議の最中、戦前の治安維持法になぞらえたメディアの喧伝が行われたが、首相が「一般国民が特定秘密を知ることはあり得ない。ゆえに処罰されることはあり得ない」と答弁したとおり、法の趣旨は国家機密を知り得る立場にある政治家や官僚の行動を縛るものであり、一般国民が処罰の対象となることは基本的にはあり得ない。
アメリカ、英国、ドイツ、フランスなど、民主主義の先輩国も同様の国家機密保護法制を有している。これらの国で言論の自由が棄損されているだろうか。
戦後、国民が育んできた民主主義国家が全体主義国家に後戻りすることなど、あり得ない。ここに断言しておく。ブログ読者の方々には、まずはご安心いただきたい。

しかし、法案審議の過程で、政治に対する国民の不信感が増大してしまったことは、重く受け止めなければならない。法施行まで最大1年の猶予期間がある。政府はより丁寧に法の趣旨を説明し、国民の疑念や不安を解消しなければならない。
国会議員も一人ひとりがその責務として、国家安全保障に係る特定秘密をどのように限定し、特定秘密指定権限の濫用をいかにしてチェックするか、更なる議論を深めて行く必要があると思う。

ケネディ

11月23日は“勤労感謝の日”。戦前は “新嘗祭”(にいなめさい)と言われ、新穀の収穫を天皇と国民が一体となって八百万の神々に感謝するだった。
ちょうど半世紀前のその日、翌年(1964年)の東京オリンピック開催を控えて、日米を繋ぐTV衛星中継の初めての実験放送が行われた。

今や全世界が通信ネットワークで結ばれ、あらゆる事象を茶の間のTVやタブレットで見ることができる。地球の裏側ブエノスアイレスから届いた「2020 TOKYO」オリンピック・パラリンピック開催決定の郎報を、現地と同時刻に感激を味わうことができたのは、記憶に新しい出来事だ。

しかし、わずか50年前。「日本に居ながらアメリカのライブ映像を見られる」ということは考えがたい偉業だった。日本中が大いなる関心と期待を持って、宇宙を経由して彼方から送られてくる映像を待ち、白黒テレビに注目した。高校一年生だった私もその一人だ。

その歴史的な衛星放送で映し出されるべき画像は、ジョン・F・ケネディ第35代アメリカ大統領のスピーチのはずだった。が、現実に目の前に流れたのは、世界の英雄JFKがパレード中に狙撃、暗殺される場面。世界を暗闇におとしめる悲報だった。
「輝かしい日米テレビ中継のテストであります。その電波にこのような悲しいニュースをお送りしなければならないのは誠に残念に思います」。これが海の向こうから届いた第一声である。

当時、新しい時代を切り開く若きリーダーJFKは、政治を志すか否かを問わず我々団塊の世代の憧れの存在であった。

東西冷戦下、1961年は“ベルリンの壁”建設によるベルリン封鎖危機を大空輸作戦で突破。1962年にはソ連が米国の喉元キューバに核弾道ミサイルを配備したことに対し、海上封鎖を断行。米ソ核戦争の瀬戸際の状況から、フルシチョフ書記長との交渉でミサイルの解体、撤去を勝ち取る。
宇宙開発では、1960年代に人類を月に送り込むニューフロンティア“アポロ計画”を指し示し、偉大な国家アメリカの建設に邁進した。

長身で颯爽とした風貌に、聴衆を魅了する名スピーチ。その在任期間は3年足らずであったが、その政治家としての輝く足跡は米国民のみならず世界中の人々に今なお影響を与えている。私も初出馬時のアンケート調査で尊敬する政治家は?との問いに対して、迷わず「ジョン・F・ケネディ」と答えたものだ。

あれから半世紀。その節目の年に、大統領の愛娘キャロライン・ケネディ氏が駐日大使として着任された。初の女性アメリカ大使である。
先週19日、皇居・宮殿で行われた信任状奉呈式に2頭立て儀装馬車で参内するケネディ氏を一目見ようと、沿道には人々が溢れた。新大使も、この歓迎に応えるように、普天間基地の移設に意欲を示し、東北の被災地を訪れるなど、精力的な活動を始められている。

ケネディ大使を巡っては、政治、外交経験の乏しさを懸念する声も聞かれる。しかし、父を始め名政治家を輩出する血統の裏付けは確かであり、オバマ大統領やケリー国務長官との太いホットライン、そして、この一週間で示してもらった行動力は心強い限りだ。
3年3ヵ月続いた民主党政権のドタバタ国政運営で、一時期、日米同盟が大きく傷ついた。その間隙をつかれた形で、中国の拡張戦略が強まり、アジアの安全保障が揺らいでいる。我が国が直面する外交政策は課題山積だが、新大使の活躍によって日米の絆を更に強め、日米協調のもとアジア太平洋の未来を拓いていきたい。

11月14日

昨年の今頃、私は来るべき総選挙に向け日夜地元で活動を続けていた。
朝の駅立ちから始まり、日中は街頭でマイクを握り我が党の政策をアピール。夜は引き続き後援会の会合や地元のイベント参加と、返り咲きを目指し多忙な日々を過ごしていた。

平成21年の政権交代から3年が経過し、その間、鳩山、菅、野田と3代の民主党内閣が誕生していたものの、国を運営するにあたり外交、内政とも能力不足、経験不足、胆力不足を露呈し、山積する内外の諸問題に対処できず、数々の失政を重ねた。
当時の野田政権は衆参のねじれ国会によって何事も決めきれないと揶揄されていた。財政再建を一枚看板に消費税増税、つまり“社会保障と税の一体改革”を掲げ、「近いうち解散」を国民に約束し、民・自・公による3党合意を取り付けたまではよかった。だが、民主党内の激しい抗争により離党者が続出、一方、自民党でも次期首班に直結する総裁選が9月に実施され、夏から秋にかけて政局は解散含みで大きく揺れ動いた。

私自身は長年培ってきた与野党の同僚からの情報で、年内解散総選挙の可能性がかなり高いと予想していたが、解散の主導権を握る政府・与党民主党のなかでは世論調査動向の分析を通じて厭戦気分が広がり、総選挙は早くとも年明け、通常国会冒頭との見方が永田町では支配的だったように思う。

政界では「一寸先は闇」とよく言われるが、その言葉を絵に書いたような事態が昨年の11月14日に起こった。
その日の播州地方は穏やかな小春日和で、稲美町の六分一交差点での街頭広報活動を終えて、午後3時から始まった国家基本政策委員会での党首討論に聴き入った。

カーTVの映像は安倍自民党新総裁がゴールドストライプの勝負ネクタイを締め、高揚感溢れ気味に「(消費税増税法案成立で)私たちは約束を果たした。あとは勇気を持って(解散を)決断してもらいたい」と詰問。それに応える形で野田首相は、「消費税を引き上げる前に国民の皆様に約束して欲しい。特例公債の発行。そして一票の格差是正と国会議員の削減。定数削減は来年の通常国会で成案を得る。それまでは議員歳費2割削減する。約束していただければ、16日に解散をします。やりましょう、だから」と、逆提案。
「いま、首相、16日に解散する(と言った)。約束ですね。よろしいんですね。よろしいんですね」と、いささか興奮気味の安倍総裁。解散総選挙の流れは一気に決した。

光陰矢のごとし、あれから早や1年が経過しようとしている。アベノミクス効果もあり景気指数は回復し出した。今のところ内閣支持率は高く自民党支持率も安定している。
永年のデフレから脱却することが、安倍内閣と連立与党にとって第一の命題である。正に、これからが正念場だ。

昨年の我が党の選挙公約は“「日本を取り戻す」。”
その公約を実現し、もう一度日本を世界のなかで輝く国にしなければならない。
それが「未来への責任」だと、改めて思う今日この頃である。