いよいよインターネット選挙の解禁が近づいてきた。現在公職選挙法では選挙期間中に配布できる「文書図画(とが)の数」(要するにチラシ、はがきの類い)を厳格に限定しているが、それをホームページやブログ、ツイッター、フェイスブック等のSNSにも拡大しようというものだ。昨年の総選挙直後から総理が解禁をめざす方針を宣言していたが、既に改正法案の与党内調整も概ね終わり、野党とも解禁への方向性では合意している。後は夏の参議院選挙からの施行に向けて法改正の国会審議を待つばかりとなっている。
スマートフォンの登場もあり、インターネットの利用はここ数年で飛躍的な拡大を遂げてきた。ネットも携帯も生活の一部として、もはや必要不可欠な存在となっている。新聞を取らず、テレビを持っていない若者でも、携帯は必ず身につけている。
そんな中での先の総選挙、既にネット選挙が解禁されているのかのような状態であったことは否めない。法規制の網をかいくぐりツイッターを駆使した候補者もいた。公正公平な選挙の執行という観点からも、この脱法状態(というか規制の空白状態)を何とかしなければならいとの社会的要請も高まっている。米国はもちろん韓国でもSNS選挙が常識化していることを考えると、むしろ、政府の対応が遅きに失したと言えるかもしれない。
そもそも公選法が「文書図画の数」を限定するのは、選挙の公平性を確保するため。仮に無制限であれば、多額の資金を有する候補ほど、多種大量の広報活動が可能となり、有利に選挙戦を進めることができる。要するにカネのかかる選挙の原因となるからだ。
コストという意味では、ホームページへの文書画像の掲載や電子メールの送信は、印刷や郵送よりもずっと安価であり、カネのかかる選挙の防止という意味では望ましい手法だ。しかもSNSは候補者の主張を一瞬にして大量の有権者に届け、そして意見を聞き取ることもできる。候補者と有権者の意見のキャッチボールは、一方通行の文書発送と比べ、飛躍的に政策の理解を深める。有権者の誤解を正し、主張を正確に伝えることができるだろう。それだけに、候補者側が何を発信するかが問われることになる。
その意味で避けなければならないのは、誹謗中傷等の怪文書の発信や、なりすましによる偽情報の発信といった悪用だ。電子媒体は匿名性が強いだけに、悪用の可能性も高まる。検討中の改正法では、これを避けるため、ネット選挙の発信主体は政党と候補者に限り解禁されることなりそうだ。
もう一つ、醜いネガティブキャンペーンも防止したいものだ。完全に自由なネット選挙が行われている米国では、先の大統領選挙でもすさまじいネガティブキャンペーンが繰り広げられた。“やられたらやりかえす”方式の誹謗中傷は確実に有権者の政治離れを招くだろう。この防止は発信者の良識、道徳観に頼らざるを得ない。
いずれにしてもネット選挙の解禁は若者の政治参加を促し、選挙の風景を大きく変えるだろう。しかし、ネットは媒体に過ぎないということも事実だ。何を伝えるか、コンテンツ(=政策)の質は我々政治家の手腕にかかっている。
「ネット選挙の解禁が、民主主義の充実に、政治文化の成熟に繋がった」と後世の国民に語られるよう我々、今を担う政治家がしっかりと政策形成能力、そして情報発信能力を磨かなくてはならない。