教育委員会改革

先週の20日、安倍内閣の重要政策の一つである教育委員会制度改革を具体化する“地方教育行政法改正案”が、衆院本会議で可決され参院に送付された。今国会での成立は、ほぼ間違いない。
昨年末の「教育委員会改革に関する小委員会」委員長就任以来の長い道のりを振り返ると、苦労して育ててきた子どもが巣立っていくような感慨を覚える。

六十数年前の戦前の教育は、他の行政分野と同じく中央省庁が全国画一の制度内容を定め、地方の府県知事や市町村長は単に事務を執行する役割であった。
これを地方主体の自治システムに転換しようとしたのが現在の教育委員会制度のはじまり。昭和21年3月にまとめられた米国教育使節団の報告書をベースに、GHQの勧告で設置された教育刷新委員会で現行制度の原型となる学制改革案が提言された。こうして昭和23年に定められた教育委員会法により、初等・中等教育においての地方分権と教育への民意の反映を目的に、公選委員による独立性の強い教育委員会制度(後に現在の任命制となる)が設けられた。アメリカ方式の住民主体の行政委員会制度だ。

制定から60年、数次の制度改正はなされたものの基本形は維持されてきた。しかし、2011年に発生した“大津市いじめ自殺事件”に際しての教育委員会の無責任な言動や場あたり的な対応を契機に、迅速性に欠ける合議制の意思決定、名誉職化した委員選考、事務局の閉鎖性といった委員会制度の根幹に係る問題点がクローズアップされ、戦後教育の総決算ともいえる教育委員会制度の抜本改革が喫緊の課題となった。

改革案作成を諮問された中央教育審議会は、昨年12月、教育行政の最終権限を自治体の首長に移管する案と、従来どおり教育委員会に残す案の両論を併記する形で文部科学大臣に答申した。通常、このようなケースでは審議会の答申がそのまま改正法案の原型となる。しかし、今回は、案を一本にまとめきれなかったということだ。それほどに戦後教育の総決算は難しい。

一本化の作業工程は、政治の手に委ねられることとなった。法案提出に至るには、まず答申を踏まえた自民党案を作り、それを土台に公明党と調整して与党案を策定しなくてはならない。しかし、自民党内でも様々な意見があり、政高党低(官邸主導)に対する感情的な反発も含め、一筋縄ではいかない状況であった。

そんな状況下で、自民党文部科学部会に設置されたのが、先に触れた「教育委員会改革に関する小委員会」。即座に下村大臣をはじめ文教関係議員幹部から委員長就任要請があった。「文科大臣経験者で、ニュートラルな立場でこの件の取りまとめに臨めるのは渡海さんしかいない」と、何度も繰り返し要請されたのだ。

1月9日にスタートした小委員会は、甲論乙駁の議論が白熱したが、週1回のペースで議論を重ねるとともに、コアメンバーによる論点整理や新提案も繰り返し、2月19日には部会での了承を取り付けた。翌20日には、公明党とのワーキングチームの座長に就任し、与党案作成に向けた会合がスタート。3月12日になんとか合意に至った。

政府による法案作成を経て、4月15日の衆院本会議に上程された地方教育行政改正案の委員会審議は、42時間55分という異例の長時間審議を経て、5月16日に採決、そして冒頭の衆院通過となった。

法案の主な内容は、
①首長が教育長と教育委員長を一体化した新たな「教育長」の任免権を有する。任期は3年。首長の教育行政への権限強化と責任体制の明確化を図った。
②原則公開の首長が主宰する「総合教育会議」を新設し、教育行政の大綱や条件整備について協議・調整する。特に生徒の生命または身体保護等の緊急事態対応を含む。
③教職員人事や教科書の採択等の執行権限は、教育委員会が保持し中立性を保つ。
というもの。基調をなすのは、「教育行政の責任の明確化」「学校の危機に迅速に対応できる体制」である。

原案どおり法案が成立すれば平成27年4月の施行となる。この制度改革は枠組みを作り直したに過ぎない。日々教育内容を見直し、現場で発生する種々の課題解決を図るのは、各地域の住民の方々と自治体の力だ。新たな枠組みのもと、地域の創意工夫で、理想の教育が形作られることを期待している。

播州平野

今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」は、いよいよ前半のクライマックス。有岡城幽閉から三木城攻略戦へと展開していく。しかし、この直前の東播磨諸城の戦いついては、準主役の“光”のふるさと志方城の落城があっさりと描かれたのみで終わってしまったのが少し残念な気がする。

ドラマでは当然ながら主役である官兵衛側の論理で播磨平定が描かれている。だが、加古川流域に暮らす住民からすれば、何の罪もない祖先のふるさとが織田軍に蹂躙された悲劇の時代とも言える。なかでも神吉城(加古川市東神吉町)は、わずか2千の兵(わずかと言っても当時の人口からすれば一大勢力)で織田信忠率いる3万の軍勢を良く防ぎ、20日も籠城戦を続けた後に、ほぼ全員が討ち死にしたという。

「播州太平記」によると、この善戦は城主神吉頼定の鬼神の活躍によることとされているが、その活躍を助けた要因の一つは加古川の流れだろう。当時の加古川は暴れ川で、神吉集落の南側は、三角州のような状態。多数の中小河川が複雑に蛇行しながら流れ、毎年のように流路を変える地域であったらしい。故に神吉の城は南を湿地帯、北は山地に守られた要害だった。いかに3万の大軍とはいえ、一斉に戦力を動員し、力責めをするのは難しかったのであろう。

この加古川の流れを現在の形に治める工事を始めたのは江戸時代の前半。姫路藩主榊原忠次の命により升田から船頭へと続く升田堤を築造し、流路を整えた。しかし、この堤防は明治時代にかけて何度も決壊し、加古川右岸は度々大水害に見舞われた。現在のような安定した堤となったのは昭和以降の話だ。
かつての暴れ川の歴史は、地名に残る。加古川左岸の中津、河原、粟津、右岸の出河原、岸、島、中島等々、今や町並みや田畑が広がる地域に水にゆかりの名前が続く。

加古川市・高砂市に限らず、日本の都市の多くは大河川下流域の沖積平野に広がっている。
つまり、豊かに思える我々の生活は常に水害の危険に晒されていると言うことでもあるのだ。加古川の河川整備基本方針が想定する水害は、明治時代以降のみ。150年に1回の大水害に耐えられる水準で整備が進められている。加古川の事業が遅れているわけではない。全国の多くの河川は、100年に1回の水害にも耐えられない。

3年前の東日本大震災の巨大津波ではないが、仮に播州地域が千年に一度の集中豪雨に見舞われ、加古川本流の堤防が切れるようなことになれば、濁流は加古川、高砂の平野部を呑み込む。市役所が作製しているハザードマップを見れば一目瞭然。別府川と法華山谷川で囲まれた地域の大半が0.5m以上の浸水域となっている。

避難が必要な災害は、津波だけではない。我々の都市は古来より水を治めながら拓いてきたということを常に認識し、万が一への備えを怠ってはならない。
400年前、圧倒的な織田軍団に、あえて戦いを挑んだ播州人。加古川の流れは変われども、故郷のためには強大な苦難にも立ち向かう播州人の気質は変わらない。

私にもその血が流れているのだ。国会終盤に向けて、TPP、安全保障問題等々、国政には課題が山積している。流れにさおさすことなく、時代潮流を自ら冷静に分析し 自説をしっかりと主張していかなければならないと、改めて思う今日この頃だ。

黄金週間

今年のゴールデンウィークは4月26日(土)から5月6日(火)まで。3日以上の連休は憲法記念日から6日までの4連休が1回のみと、ちょっと小粒のGWとなった。思い切って間の平日を休んでしまえば最長で11日間となるが…。皆さんはどのような黄金週間を過ごされているだろう。

1月から審議に追われてきた大臣たちにとっては、国会から解放されるこの期間は正しくゴールデンウィーク。1年を通じても数少ない、まとまった時間が確保できる季節である。そもそも国会の拘束時間が長い日本の閣僚は、諸外国のカウンターパートナーと接触する時間も自ずと少なくなり、相互の信頼関係の確保にも苦労している。そのハンデキャップを跳ね返すためにも、この時期に閣僚の外遊が集中することになる。

私も文部科学大臣就任時には教育担当大臣の国際会議に出席するためにベルリンを訪問したが、往路でサウジアラビアに立ち寄り、教育分野での日・サウジ協力について担当大臣との会談も行った。
グローバル化が進展する中で、閣僚が外国訪問や国際会議への出席など海外に出張して、わが国の考えや政策スタンスをアピールしなければならない機会は益々多くなっている。

それにも関わらず、我が国会では過去の慣例や与野党間の駆け引きが、閣僚を永田町に縛り付けてしまう。例えば、日本の首相は党首討論や本会議、各種委員会など年間127日も国会に出ている。これでは外交等の仕事に割く時間が充分とは到底言えない。同じ議員内閣制でもイギリス首相は36日、ドイツの首相は11日、フランスは大統領制ではあるが12日しか国会に出席しない。

現在、国会ではこのような硬直的なルールの見直し議論が行われている。例えば、首相の委員会への出席を予算委員会に限定する、各委員会での答弁は副大臣や政務官が担当するといった案が提案されている。
二度の政権交代により、ほとんどの政党が与党と野党を経験した今、もっと機動的で柔軟な国会運営ルールが必要なことは、与党経験者の誰もが理解しているだろう。旧態依然とした国会運営を改革することで、各閣僚に時間的な余裕ができ、より充実した政策テーマの遂行や国益に沿った外交の展開が可能になる。

話を目の前のGWに戻すと、今年の閣僚外遊は特に大型だ。安倍首相が欧州6カ国を歴訪するほか、全18閣僚のうち15人が海外に出かける。中国や韓国の反日キャンペーンに対抗する意味合いもあり、訪問国は欧州からアフリカ、中央アジアまで、のべ40カ国にも及ぶ。日本の積極的平和主義を世界にアピールするとともに、成長戦略の要となる経済連携の強化の面でも大きな成果を期待したいところだ。

一方でこの大規模外遊、少々気になる点もある。これだけ大量の閣僚が一斉に海外に出ている最中に、有事が発生したらどうするのか?と言う点だ。国家安全保障会議の主要9閣僚のうち、我が国に残るのは、官房長官と国家公安委員長のみになる時期もある。お隣の国では核実験を行う姿勢をみせており、自然災害はいつどこで発災するかもしれないだけに心配だ。今は、なにも起こらないことを祈るのみだが、万が一に備えるという観点から閣僚外遊の調整が必要かもしれない。

5月中旬から再開する国会論戦では、首相の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」からの提言をベースに、いよいよ集団的自衛権の議論が本格化する。昨年策定した「国家安全保障戦略」に基づく具体的政策展開に向け、先週の二つの選挙(衆院鹿児島補選、沖縄市長)の勝利におごることなく、より謙虚な姿勢で政権運営をしなければならない。

「勝って兜の緒を締めよ」。今はまさにその時だ。

入学式に想う

今週、小学校から大学まで全国各地で入学式が執り行われ、喜びあふれる初々しい笑顔がニュースで流れた。
千葉県の木更津市ではアクアラインの値下げ効果で児童数が激増し、33年ぶりに新設小学校が開設され児童の元気な声が響いた。その一方で、淡路市の釜口小ではたった1人の入学式も行われたという。
いろいろな門出があったようだが、ぴかぴかの小学1年生がお父さんお母さんと記念撮影する光景は、いつものことながら微笑ましい。

だが、かつてとは様相を異にする入学式風景もある。大学の入学式である。最近は大学までも両親が付き添うケースが増えているのだ。報道によると某大学では新入生8,000名に対して1.5倍の12,000名の保護者が出席し、用意した席数だけでは足りずに立ち見状態になったらしい。満面に笑みを湛え「孫の晴れ姿を一目見んと同道した」と、インタビューに応じられる祖父母の姿も放映されていた。

どの大学でも入学式後に保護者を対象としたキャンパス説明会が開催され、多くの方々が参加されると聞く。子どもたちがどんな環境で学生生活を過ごすか、確認しておきたいという親心であろうか。筑波大学では遠くに住んで入学式に参加できない親御さんのために、インターネットで完全中継を動画サイトで配信し好評を博したようだ。

我々の時代は小学校の入学式でさえ父母がそろって出席することは稀であった。私の場合、父の仕事も関係したかと思うが、母の姿さえも入学式や卒業式で見かけた記憶がまったくない。もっとも当時はそのことを何とも思わなかったが、最近の入学式風景を見るにつけ時代の変化を感じる。

大学に入学する18歳という年齢は、かつての感覚で言えば「立派な大人」だ。江戸時代以前の武士の時代であれば、とっくに元服を迎えていただろうし、昭和の初期でも高等小学校、中学校を卒業する10代半ばで就業するのが当たり前だった。(今でも生産年齢人口は「15歳」から65歳である。)

親の子に対する愛しむ心こそが、子の親に対する孝行心の源であり、我が子に捧げる愛情を否定する気は全くない。しかし、必要以上の保護、甘やかしは子どもの巣立ちを阻害する要因ともなる。親の子離れも、子育ての大切な要素ではないだろうか。

今や、子どもの就職活動への口出しはもちろん、入社後に会社にまで様子を見に来る親もいるらしい…。婚活さえも、まず親同士の代理見合いパーティが流行しているとか…。
親の恩愛は有り難きものだが、事ここに至るといかがなものかと想う。

一方、国会では憲法改正手続きの一つである国民投票の投票権年齢を18歳に引き下げる法案が審議入りし、今国会で成立する見込みである。
この権利を行使するに相応しい、「自立心あふれる若者の決起」を期待したい気もする。

集団的自衛権

先日、自民党総務懇談会が開催された。この会議は、党内で見解が分かれる問題について、時間をかけて忌憚なく意見を述べ合い、意見集約を図っていくもので、開催は実に9年ぶり。郵政民営化をめぐる論戦以来となる。

議題は、「憲法解釈の変更による集団的自衛権行使容認に向けた閣議決定への進め方について」。我が国の安全保障のあり方、ひいては国運を大きく左右するものだ。

 

一般的に集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されていなくても、自国が攻撃されたと見なして反撃する権利」であり、国連憲章によりどの国にも認められている。

我が国も当然この権利を有しているが、政府見解として、必要最小限度の武力行使の範囲を超えるので、“憲法上行使は許されない”という解釈がなされてきた。

 

この永年の呪縛を取り除き、集団的自衛権行使を容認することは、我が自民党の2012年総選挙、昨年の参院選の選挙公約であるが、問題はその手法だ。

 

公約集には、「政府において、我が国の安全を守る必要最小限度の自衛権行使(集団的自衛権を含む)を明確化し、その上で『国家安全保障基本法』を制定する」と明記されている。

ここに“憲法改正”という文言が無いのだから、「解釈変更を前提に、それを明示する新法を定める」という読み方ができないことはない。

しかし、本質的な手続きとしては、憲法を改正し、その中で集団的自衛権を含む国防や安全保障の概念を明確に定義すべきだ。

 

今回の会議は“論戦”ではなく“意見表明”の場として運営されたため、対立紛糾するようなことはなかったが、積極的な解釈変更容認論から立憲主義的立場から憲法改正を本義とする慎重論、更なる丁寧な議論の継続性を求める意見まで、幅広い意見が提起された。

 

私自身はこれまで「憲法改正が筋である」との立場をとっている。

しかし、尖閣南沙諸島をめぐる中国の軍事圧力、北朝鮮の核と弾道ミサイルの脅威、あるいはウクライナ情勢を巡るロシアの軍事的復調など、世界の軍事的緊張は東西冷戦時以上に高まりつつある。

このような状況、米軍と自衛隊の共同作戦がいつ求められてもおかしくない状況のなかで、改憲議論や手続きに長時間を費やすことが許されるのか? 平和を維持し国民の生命を守るという政治の使命を果たすためには、解釈変更もやむを得ないのではないか? 大いに悩むところであり、正直言って心は揺れている。

 

(少々古い例だが)最高裁は1959年の砂川事件判決(※)で、「わが国が自国の平和と安全とを維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは国家固有の権能の行使であって、憲法は何らこれを禁止するものではない」としている。

これは、集団的自衛権が“必要な自衛のための措置”であれば、現行憲法はその行使を認めるということ(=解釈変更が可能と言うこと)である。

 

仮に閣議決定により政府見解を変えるとしても、国民の理解を得るための丁寧な説明が必要なのは言うまでもない。集団的自衛権とは何か、その行使としてどのような事案が想定されるか、仮に行使しなければどのような弊害が生じるのか。様々な局面を想定し、具体的なケーススタディを行い、国民に示さなくてはならない。

 

アメリカが世界の警察官として君臨する時代は終焉し、世界は多極化、無極化の時代を迎えようとしている。我が国の平和と安全を維持するために何が必要か、世界の安全保障のために我が国が果たすべき役割は何か、いま日本の政治家一人ひとりに難しい判断が求められている。

 

 

 

※砂川事件=1955~57年。東京都砂川町で起こった米軍立川基地拡張工事に反対する闘争で流血事件に至る。基地内に入ったデモ隊のうち数名が刑事特別法違反として起訴された。日米安保条約と憲法の適合性が初めて法廷で争われた。

東日本大震災から3年

世界中を震撼させた大津波の日から早くも3年が経過した。改めて1万9千余の犠牲者の方々のご冥福をお祈りするとともに、被災地の一日も早い復興を期待したい。

しかしながら、被災地からは、未だに原野のような旧市街の映像や高台移転計画をめぐる課題が伝えられてくる。被災地の復興は遅々として進んでいないのではないか?というのが実感だ。
事実、世論調査によると77%の方々が「復興は進んでいない」と答えている。被災地の方々に限定すれば、この比率はもっと高くなるのではないだろうか。

このような遅れの要因の一つは、「復興庁」という大きすぎる政府組織と国主導の復興施策にあるのかもしれない。(政権与党の議員という立場を考えると私にも責任の一端があると言えるが・・・)

原子力災害の問題はともかくとして、地震動と津波により破壊された“まち”“むら”の復旧復興は地域づくりの課題である。もちろん中央政府の財政支援や制度的特例措置の必要性を否定するつもりはないが、どのような地域を再興していくかは自治の問題として取り組むべきではないだろうか。

私がかつて関わった阪神・淡路大震災の際にも、当初、復興院といった巨大な政府組織を設ける案も出されたが、結局、主役は兵庫県、神戸市をはじめとする被災自治体となった。国は省庁の連絡調整役としての復興本部組織と諮問会議としての有識者委員会を設けたのみだ。そのなかで結果的に現場主義が徹底され、地元から出てくる課題やアイデアに対して、各省庁が資金提供や新制度で支援するという手法が比較的うまく機能したと思う。(もちろん解決できなかった課題もあったが・・・)

例えば、①県と市が連携して9000億円規模の基金を造成し、その運用益で臨機応変に必要な対策を展開する「復興基金制度」、②迅速なまちの再生のために幹線道路等の主要施設を決定したのちに、住民参加でまちづくりを検討する「二段階の都市計画決定」、③早期の住宅提供のために自治体がUR等の住宅を転貸する「借り上げ復興公営住宅」など、前例のない制度運営が編み出され、後に全国的な制度として取り入れられたものも多い。

とにかく、スピードを重視して住まいの復興を進めなければ、仮設住宅の方々が被災地に戻ってこない。産業の再生を急がなければ若者たちは被災地から流出してしまう。阪神淡路の復興基金は被災後3ヶ月で設立、都市計画は2ヶ月で決定した。そして、柔軟に運用を変更し課題に答えてきた。

山を造成する高台移転に時間がかかりすぎるなら、既存の市街地を活用したまちづくりも再考してはどうか、リスクは避難手順の確立でカバーすることもできる。漁師町にとって高すぎる防潮堤が問題なら、地域住民の責任で切り下げを認めればよい。一度国が決めたこと、認めたことは変更できないような画一的な制度運用では、被災地のきめ細かい課題に機動的に対応することはできない。
既に支援制度メニューの数という点では施策は出そろっていると思われる。その制度運用を住民と自治体に大胆に委ねてはどうだろうか? 少なくとも機動性は高まるだろうし、自己責任の下で新たな課題解決策が生み出されてくるかもしれない。

来年3月には、第3回国連防災世界会議が仙台で開催される。平成17年に神戸で開催された第2回会議では「兵庫行動枠組」が決定され、その後の災害リスク軽減に向けた世界的な取組の行動指針となってきた。
一年後の会議までには、しっかりとした復旧復興の道筋を取りまとめ、新たな「行動枠組」に貴重な経験と教訓を盛り込むこと。それが私たち日本人に課せられた責務であり、犠牲になられた方々への何よりの追悼でもある。

感動をありがとう

連日連夜(日本では早朝)、遙か彼方のソチから素晴らしい知らせが届いている。
男子フィギュアスケートの羽生結弦選手は、日本中が待ちに待った金メダル、そして113名の選手団を率いる葛西紀明主将はジャンプラージヒルで銀メダル。渡部暁斗選手もノルディック複合で20年ぶりのメダルをもたらした。スノーボードハーフパイプの平野歩夢、平岡卓の両若手選手の銀、銅の活躍から始まったこの大会も、いよいよクライマックスを迎えようとしている。

今、注目を集める政策の一つである「教育委員会改革」の党内調整を任されている私は、連日の政調部会、小委員会コアメンバーとの論点整理やプレスへ対応等々、多忙な日々を過ごしている。それでも、宿舎に帰ったら深夜から未明にかけてテレビ画面を通じての応援についつい熱がこもってしまう、まだ暫くは寝不足が続きそうだ。

4年に一度のスポーツの祭典、オリンピックの舞台には魔物が棲んでいるとよく言われる。
大会前に“絶対金”と大本命視された選手がメダルを逃すことも珍しくない。必ずしも実力どおりの決着となるとは限らないのだ。大舞台特有の雰囲気や選手への過度の期待が、アスリートの精神面やフィジカル面に微妙に影響を与えるのだろう。
今大会の日本の目標メダル数は「1998年の長野五輪超え」。金5個メダル総数で10個だった。この目標が高かっただけに、大会半ばまで金メダルゼロの状況に日本列島に暗雲が漂い始めた。その空気を払拭してくれたのが、冒頭の若武者羽生選手の快挙だ。

ショートプログラム1位で臨んだフリー序盤、緊張からかジャンプのミスがあったものの、
疲労が重なる後半に加点に繋がるジャンプで持ちこたえた。プレッシャーをはねのけて自分に打ち勝ち、世界ランキング1位の誇りを守った演技に心から拍手を送りたい。
羽生選手は19歳、まだあどけなさが残る彼だが、歴史に残る大仕事を成し遂げてくれた。その活躍、そしてルックスから “氷上の王子様”なる冠が贈られたと聞く。

続いてもたらされたのが、7度目のオリンピック出場で41歳の古豪、葛西選手の大ジャンプの連続だ。一位との差はわずかに1.3ポイント、飛距離だけなら勝っていた。正に金に匹敵する見事な銀メダルだ。第一線で活躍する選手寿命の長さから、世界中のジャンプ選手から尊敬の意味を込めて“レジェンド”(伝説の人)と称されている葛西選手、「4年後8年後と、もっと向上すると思っている」との宣言に只々頭が下がる。

前回のこのコラムで「リケジョ」の小保方晴子さんの話をしたが、今回も少し自慢話をしてみたい。
先月末に自民党国会議員による稲門会(早稲田大学同窓会)が催され、その席上、鎌田薫総長からソチ五輪に出場する稲門の選手について報告があった。日本選手団113名のうち我らが後輩は13名。大学別ランキングではダントツのトップだ。なかでも羽生選手は金メダルに一番近いと評され、OB一同大いに盛り上がった。そして今、羽生選手の金、渡部選手の銀メダル獲得の朗報を聞いて、先輩として胸が震えている。

メダルを獲得し拳を高々と振り上げ歓喜のガッツポーズをする選手。実力を出しきれず無念の涙を流した選手。
それぞれの選手にはそれぞれの歴史があり、思いがあるのだろう。そしてアスリート達が繰り広げる熱戦には感動のドラマがある。自らの思いを胸に全力を尽くして戦い抜いた選手の皆さんに、その健闘を讃えて心から敬意を表したい。

数々のドラマを産んだソチ冬季オリンピックも、いよいよ後半戦に入る。引き続き日本選手の活躍を大いに期待したい。

リケジョ

先週来、“リケジョ(理系女子)”の話題がメディアを独占している。その渦中の女性、小保方晴子さんによる新たな万能細胞=STAP細胞(刺激惹起性多能性獲得細胞)の作製は、山中教授のiPS細胞に続く世紀の大発見だと言われている。私にとって、ことさら喜ばしいのは、この生命科学を革新する研究成果が、神戸医療産業都市の理化学研究所「発生・再生科学総合研究センター(Center for Developmental Biology)」から発信されたこと。そして、彼女の出身校が我が母校でもある「早稲田大学理工学部」であることだ。

万能細胞の有用性は、今さら言うまでもない。数十兆個の細胞からなる人間も、1個の受精卵が分裂を繰り返して成人の身体を形成する。成人の体細胞をその起源である1個の万能細胞に人工的にリセットできれば、理論的にはすべての組織を再生できることになる。どんな病気も部品を取り替えるように治療できるということだ。
この再生医療の分野では、同じ神戸のCDBでiPS細胞を利用した「網膜再生医療研究プロジェクト」が既に臨床研究の段階に入っている。

遺伝子を解析し、生命の構造を探求する発生・再生科学は、総体的には典型的な基礎研究ではあるが、万能細胞の研究は医療福祉分野のみならず畜産などへの応用も考えられ、実用科学としての発展が期待される。一方で命の尊厳に関わる分野でもあり、倫理的な観点も含め研究を縛る制約も多い。
今回の小保方チームの研究はマウスによる実験成果だが、報道によるとハーバード大学では、同様の実験がすでにヒトの細胞を対象として実施されているという。論文の発表という点ではCDBが先んじたが、研究内容では後れをとっている可能性もある。

我が国の科学技術の発展を加速するためには、基礎研究を地道に支えていくシステムが必要だ。今回の理化学研究所のような「柔軟な発想が可能な若い(女性)研究者の登用」、昨年度の補正予算から取り組んでいる「長期的な研究資金の提供」、そして「研究開発の制約要因となる規制の緩和」。
カジノや法人減税の特区もさることながら、研究開発を促進する規制緩和特区による科学技術創造立国の実現こそが日本の成長戦略にもっとも相応しいのではないだろうか。

神戸医療産業都市には、CDBのほか、分子イメージング科学研究センター、計算科学研究機構(京コンピュータ)、生命システム研究センターといった理化学研究所の機関が設置されている。兵庫県内という意味では、さらに放射光科学総合研究センター(SPring-8)、高輝度光科学研究センター、X線自由電子レーザー施設(SACLA)がある。これほど国関係の研究所が集積する地域は他に例がない。この資源をフルに活用し、さらなる飛躍をめざすためにも3月にも予定されている「国家戦略特区」の指定に尽力したい。

科学技術創造立国に必要なもう一つの資源は、女性の力ではないだろうか。先に触れた網膜再生プロジェクトの研究を担っているのも女性研究者、高橋政代さんだ。
文部科学省では十数年前から女性研究者の活躍機会拡大への取組を指針に示しており、その対象は、採用段階や昇進プロセスはもちろん、出産育児への配慮にも及んでいる。
今日の女性陣の活躍はその成果かもしれない。

早稲田大学理工学部でも、パウダールーム完備の女子トイレ等の施設改修のうえ、「WASEDA Rikoh girls」のHPで先輩女子の活躍をPRしている。我が学生時代、華やかな文系キャンパスから「早稲田大学附属戸山工科大学」と揶揄されていた頃とは隔世の感がある。ただし、私が所属していた建築学科の成績優秀者トップ5は、なぜか5人しかいない女子学生で占められており、設備面がどうであろうと早稲田ウーマンは昔から優秀であったとも言えよう。
科学技術の分野だけではない。人口が減少するなかで、日本がこれまで以上の成長を獲得するには女性の活躍が欠かせない。女性の豊かな発想力をフル活用する社会づくりを急がねばならない。

今年の党大会

昨年の党大会は政権移行の関係で3月にずれ込んだが、今年の第81回自由民主党大会は従前どおり通常国会前の昨日1月19日(日)に開催された。
幹事長による党務報告や優秀党員等の表彰、そして友党代表と経団連会長の来賓挨拶に続いて、安倍総裁と石破幹事長による「日本を元気にする!」を前面に出した熱のこもったスピーチが繰り広げられた。特に2020年の東京五輪・パラリンピック成功に向けての強いメッセージが印象的だった。

今年の党大会は私にとって特別の意味があった。
“党・政治制度改革実行本部長”の初仕事として取り組んできた「総裁公選規程の改正」が議事の一つとなっていたからだ。
従来の規程では、総裁選は「国会議員票と一般党員の都道府県票(300票)」で競い、過半数の票を得た者が当選する。過半数に達する候補がいなかった場合は、上位2候補による決戦投票を「国会議員による投票」で行うというもの。
5人の候補によって競われた一昨年9月の総裁選では、一回目の投票で一般党員の圧倒的な支持を得ていた石破氏が決戦投票で敗れた。ルールとは言えこの結果に、党内はもとより多くの国民やマスメディアから、「自民党は広く門戸が開かれた健全な国民政党であると言いながら、果たして党内民主主義が円滑に働いているのか?」という疑問が投げかけられた。

これに応じた当面の改善として、1年前の党大会で決戦投票に地方の声を反映させるために、都道府県支部に各一票を配分することを決めた。
加えて問題となってきたのが国会議員票と都道府県票のバランスだ。喜ばしいことではあるが、前回の総裁選の後、2度の国政選挙を経て、国会議員数が198人から407人へと倍増している。一方の地方票は300票。今後も国会議員数の増減が繰り返されることを前提に、バランスのとれた議員票と地方票の配分のあり方やカウント方法への改正が求められていた。

新しい自民党総裁公選規程は、開かれた国民政党に相応しい「よりフェアで、分かりやすい、安定した」制度としなければならない。私自身が課したこのコンセプトのもと、数次にわたり党内ヒアリングを繰り返し、意見を集約した結果、

①都道府県ごとに党員投票の得票数を集計し、党本部選挙管理委員会が算定する。そしてその得票数の総数をドント方式で各候補者に分配し、

②党員投票に基づく算定票は党所属国会議員数と同数(1:1、現在は407:407)とする

案を取りまとめた。

党意思決定への民意反映の第一歩であるこの案はそのまま承認され、次回の総裁選から適用される。しかし、党・政治制度改革のゴールは遙か彼方にある。二院制の是非や定数配分などの選挙制度改革、政治とカネをめぐる政治資金規制や政党助成のあり方、国と地方を通じた分権型統治機構の制度設計等々、我々の目前には課題が山積している。

チャーチルは「民主主義は最悪の政治体制である。ただし、これまでに試されたすべて体制を除けば」と語っている。一人ひとりに意思がある限り、すべての民意を完全に反映した政治というのは不可能だ。ただ、彼はこうも言っている「向上とは変化である。完全になるとは、しばしば変化することである」
社会は常に変動している。制度は定めたときから陳腐化が始まる。党改革も各種の政治制度改革も不断の見直しを続け、「民無信不立」を信念に理想の政治を求めていきたい。