入学式に想う

今週、小学校から大学まで全国各地で入学式が執り行われ、喜びあふれる初々しい笑顔がニュースで流れた。
千葉県の木更津市ではアクアラインの値下げ効果で児童数が激増し、33年ぶりに新設小学校が開設され児童の元気な声が響いた。その一方で、淡路市の釜口小ではたった1人の入学式も行われたという。
いろいろな門出があったようだが、ぴかぴかの小学1年生がお父さんお母さんと記念撮影する光景は、いつものことながら微笑ましい。

だが、かつてとは様相を異にする入学式風景もある。大学の入学式である。最近は大学までも両親が付き添うケースが増えているのだ。報道によると某大学では新入生8,000名に対して1.5倍の12,000名の保護者が出席し、用意した席数だけでは足りずに立ち見状態になったらしい。満面に笑みを湛え「孫の晴れ姿を一目見んと同道した」と、インタビューに応じられる祖父母の姿も放映されていた。

どの大学でも入学式後に保護者を対象としたキャンパス説明会が開催され、多くの方々が参加されると聞く。子どもたちがどんな環境で学生生活を過ごすか、確認しておきたいという親心であろうか。筑波大学では遠くに住んで入学式に参加できない親御さんのために、インターネットで完全中継を動画サイトで配信し好評を博したようだ。

我々の時代は小学校の入学式でさえ父母がそろって出席することは稀であった。私の場合、父の仕事も関係したかと思うが、母の姿さえも入学式や卒業式で見かけた記憶がまったくない。もっとも当時はそのことを何とも思わなかったが、最近の入学式風景を見るにつけ時代の変化を感じる。

大学に入学する18歳という年齢は、かつての感覚で言えば「立派な大人」だ。江戸時代以前の武士の時代であれば、とっくに元服を迎えていただろうし、昭和の初期でも高等小学校、中学校を卒業する10代半ばで就業するのが当たり前だった。(今でも生産年齢人口は「15歳」から65歳である。)

親の子に対する愛しむ心こそが、子の親に対する孝行心の源であり、我が子に捧げる愛情を否定する気は全くない。しかし、必要以上の保護、甘やかしは子どもの巣立ちを阻害する要因ともなる。親の子離れも、子育ての大切な要素ではないだろうか。

今や、子どもの就職活動への口出しはもちろん、入社後に会社にまで様子を見に来る親もいるらしい…。婚活さえも、まず親同士の代理見合いパーティが流行しているとか…。
親の恩愛は有り難きものだが、事ここに至るといかがなものかと想う。

一方、国会では憲法改正手続きの一つである国民投票の投票権年齢を18歳に引き下げる法案が審議入りし、今国会で成立する見込みである。
この権利を行使するに相応しい、「自立心あふれる若者の決起」を期待したい気もする。