会期末

日本年金機構の個人情報流出問題で審議の日程が大きく遅れた「労働者派遣法改正案」。紆余曲折を経て先週末19日(金)の衆院本会議で自民、公明などの賛成多数で可決され、参院に送付された。

同日、本会議場で委員会審議の結果を報告する渡辺博道厚生労働委員長の首には、コルセットが痛々しく装着されていた。ご承知のとおり10日の委員会室入室時に繰り広げられた格闘の証である。民主党の徹底抗戦による大混乱のシーン、腕力で委員長の入室を阻止しようとする様は、今や懐かしい55年体制、昭和の時代を想起させた。

あの様子を観た国民の皆さんは、どの様に受け止めただろうか?

民主党の長妻代表代行は報道番組で、「数を背景に強行に審議を推し進めようとする巨大与党に対抗する為には、ああするしかない。やむを得ないこと」と言及していたが、果たしてそうだろうか? 言論の府において、あのような暴行が正当化できると考えているのなら、大きな勘違いだ。

国会では一定の期間内に議論の結論を得るために、それぞれの国会に会期を定めている。今回の通常国会の会期は1月26日から6月24日までの150日。そして、原則として会期終了と同時に審議中の議案はすべて廃案となる。

このため従来から会期末が近づくと、野党の戦術として、政府案を廃案に追い込むため、または政府与党から譲歩を引き出すために様々な手法が駆使されてきた。消費税導入や年金制度の改正など、与野党が激突した法案の採決時には、必ずと言って良いほど議事妨害が行われた。ある意味、国民の皆さんに野党の存在意義を示すための演出として、抵抗のための抵抗を行うのが常態化していたとも言える。

委員会室前でのピケ(入室妨害)や、採決投票時の牛歩(投票に著しく時間をかける)や牛タン(フィリバスター:演説を長時間続け審議を妨害する)といった行為だ。時に乱闘(見える?)と思える場面もなかったとは言えないが、今回の様に負傷者が出るような案件は体験したことがない。

私自身も若い頃に何度か乱闘場面に巻き込まれた(国対の命により参加させられた?)こともあったが、当時はけが人を出すようなことは決してなかった。乱闘を是認するわけではないが、一種、国会審議に花を添える演出のような行事として、当事者間に暗黙の了解があり、自制力が働いていたのだ。

しかし今回の事案は様子が違う。現に負傷者を出してしまい、さらに公党の責任ある立場の者が暴力沙汰を恥じない物言いを行っている。谷垣自民党幹事長が、「言論の府が力をもってそれを封じようとするやり方」を「旧態依然だ」と言っておられたが、全く同感である。

与党=自民党と野党=社会党が長期固定化していた55年体制は遠い昔。今や与野党の政権交代が実現する時代である。政権を担う意志がある責任政党は、日本の課題を解決するための現実的な政策を“提案”し、“議論”することにより政策実行力を証明しなくてはならない。自党の存在を示すための「反対のための反対」は許されず、ましてや「暴力行為」はもっての外だ。

今週24日には第189回通常国会の会期末を迎える。多くの重要法案を審議未了で廃案にすべきか? 会期を延長し、しっかりと議論を重ね成案を得るべきか? 国民への責任を果たすために選択すべき道は自明だろう。

今日22日には会期延長の手続きが予定されている。すでに19日、自民党国対は各議員に月曜午後からの “禁足令”を出した。野党の対応次第では長い夜になるかもしれない。

町村信孝先生

「前衆議院議長、町村信孝先生が急逝された」。

1日の夕刻、上京された生嶋高砂市議会議長と「地方創生に関する勉強会」についての打ち合わせの最中に、その訃報が届いた。

町村先生は、日比谷高校、東大を通じラガーマンとして鳴らし、ゴルフ、テニスとスポーツ万能と言われていた方だったのだが病魔には勝てなかった。衆議院議長を僅か4ヶ月の在任で無念の辞任を決断されたのが4月21日。それから僅か一ヶ月余り、健康回復にむけ頑張っておられると思っていたのだが・・・。残念でならない。

翌朝、ご自宅に伺いお顔を拝見させていただいたが、特にやつれた様子もなく、今にも目を覚まされるようなお姿。奥様の「渡海先生ですよ!」と耳元で何度も呼びかけられる声に、私は込み上げてくる思いを抑えることができなかった。

町村先生との出会いは、初当選した1986年(昭和61年)に遡る。清和政策研究会(通称:清和会、当時の福田派)の1期上の先輩で、兄貴分として公私にわたって随分お世話になり、可愛がっていただいた。

当時の清和会の1期先輩には、中川昭一(故人、元財務相)、尾身幸次(元財務相)、北川正恭(元三重県知事)さんなどがおられたが、その錚々たる先輩方の中でも町村先生は一際秀でた論客で、聴衆を魅了する演説に定評があり、「将来の日本国社長(総理総裁)候補」の一人と早くから目されていた。通産官僚の経験で培った実務能力を発揮され、文相、外相、初代文科相、官房長官などを歴任、党内随一の政策通として長らく国家運営の中枢を担われてきた。

5日午前に青山斎場で営まれた自民党・町村家の合同葬儀で、葬儀委員長を務めた安倍総理からは、「私にとって兄のような存在だった。常に国家の屋台骨を支えてきた偉大な政治家を、私たちはまた一人失った」と、気持ちのこもったお別れの言葉があった。志半ばで逝った先輩を思う無念さがひしひしと伝わってきた。

私自身も福田康夫内閣で文科相として初入閣した当時、官房長官の重責を担っておられた先生から、“大臣としての気構えや姿勢、組織運営の要諦”など、親身になってご指導いただいたこと。また、町村先生ご夫妻と私ども夫婦4人で北アフリカのモロッコ、チェ二ジアを旅行したことなど、走馬灯のごとく脳裏をよぎり、改めて胸の詰まる思いが込み上げてきた。

町村先生の持ち味は、豊富な知識と経験に裏付けされた論理的実践的な思考だった。そして、今国会の開会式では「内政、外交の各般にわたり、すみやかに適切かつ充実した審議を行い、国民生活の安定向上に万全を期す。」「諸外国との相互理解と協力を一層深め、世界の平和と繁栄に寄与していかなければならない。」と語られていた。

しかるに今国会、衆院・平和安全保障特別委員会の審議は、あいも変わらず神学論争に終始し、政府側の答弁も論理が一貫しない場面も見受けられる。4日に開催された衆院・憲法調査会では、時計を1年巻き戻すかのような参考人質疑もあった。

国運を左右する課題に対して、与野党が真正面から、“誠実”に“ベストを尽くし”丁寧な議論を繰り広げ、決めるべき時は決める政治を実現しなければならない。

安保法制論戦スタート

今日、5月26日、今国会最大の争点である安全保障法制を巡る論戦が火蓋を切った。国際平和支援法案(多国籍軍の後方支援を可能にする恒久法)と平和安全法制整備法案(武力攻撃自体法や自衛隊法など10本の現行法を改正)、いわゆる平和安全法制関連2法案の審議である。

現行の安全保障体制の原型が創られたのは、昭和35年の日米安保条約改定時である。当時は戦後15年、主権回復からは僅かに8年。高度成長が始まっていたとはいえ、我が国の経済力は弱小であり、世界は資本主義対共産主義の東西対立の時代であった。

それから半世紀余、国際環境は大きく変動し、国家間、民族間で多様な価値観が併存し、時には対立する複雑な様相を呈している。日本の国力も55年前とは異なる。GDPは世界3位、先進国の一角を占めて久しい。今や米国に庇護される立場に甘んずることは許されず、国際社会で一定の責任も求められていると言っても過言ではない。

軍事バランス的にも米国が世界の警察として、一国で国際平和の維持を担うことは期待できない。国際社会は各国が協調して紛争を解決し、予防する時代を迎えている。このような状況にあっては、いかなる国も平和と安全に対する役割を果たすことが求められる。日本に対する諸外国からの期待は大きい。もはや、個別的自衛権の殻に閉じこもっていては、各国の信任は得られないのではないだろうか。

だからこそ、我が自民党は過去2回の総選挙と一昨年の参院選で、「集団的自衛権の行使を可能とする」と公約し、国民の皆さんに明確に主張してきた。

ただし、そのために「憲法を改正するのか」それとも「憲法解釈の変更にとどめるのか」といった手法については明確に触れてこなかった。解釈変更する場合でも具体的な法案整備に際して、「安全保障基本法」制定といった包括新法形式もあれば、今回の閣議決定のように個別法の改正で対応する手法もある。

この手法論に関する私の基本スタンスは「憲法改正が本筋」というものである。憲法といえども法の一種であり、法は社会規範の集大成であるべきだ。社会状況の要請があれば憲法改正に踏み切るべきである。しかし一方で、現行憲法改正のハードルは余りにも高い。衆参両院の2/3以上の議員の発議により国民投票に付され、過半数の賛成が必要となる。その見通しが全く立ってない現況、切迫する日本列島周辺の情況を考えると解釈変更もやむを得ないと思う。

ただし、解釈変更であっても国民の皆さんの理解を得る必要がある。少なくとも過半の国民が支持しているという状況を生み出さなければならない。直近の世論調査では、安倍内閣支持率は安定的に50%を維持しているものの、集団的自衛権の行使を可能にする関連法案の今国会成立に賛同するは25%で、8割が政府の説明は不十分とのことだ。それだけに平和安全法制関連2法案の審議に際しては、政府の説明責任は重い。具体的な事例に即した、わかりやすい議論が必要となるだろう。

かつて、安倍総理の祖父岸信介氏が担った安保条約改定プロセスでは、1月の条約調印時に「6月のアイゼンハワー大統領来日までに承認する」という米国との約束を果たすために、与党自由民主党が単独強行採決に走った。その結果はご承知のとおり、国政の大混乱を招き、大統領の来日は中止となり、岸内閣は条約成立と交換に退陣を余儀なくされた。

この悪しき先例のようなことを二度と起こさないよう、必要な会期を設定し、十分な質疑を行わなくてはならない。もちろん私も与党の一員として法案に責任を持ち、あらゆる機会に説明責任を果たしていきたい。

異常気象

桜の開花とともに始まった統一地方選挙が終わった。昨日投開票された地元の姫路、明石、芦屋の市長選挙ではいずれも現職がその座を維持。前半の知事、政令市長選も通じて首長選挙は(都構想の風が吹き荒れる大阪は例外として)現職優位の傾向が確立しているように思える。いずれにしても、選挙が終わればノーサイド、昨日までの敵も味方も力を結集して、ふるさとの繁栄に向けた地方創生戦略づくりに全力を尽くしていただきたい。

今回の統一地方選で特に気にかかったのは投票率の低下だ。兵庫県議選40.5%、姫路市長選47.4%など過去最低を更新するケースが続出した。半数以上が棄権する状況で民意を反映していると言えるのだろうか? 国政選挙も含めて、「選挙権の行使は民主主義の基本ルールである」と言う意識の醸成、そのためにも有権者の政治への関心を高める努力が求められている。

「低い」と言えば、この4月の日照率の低さも記録的なものだった。

3月末に一斉に開花した国会周辺の“ソメイヨシノ”は4月1日からの豪雨で一気に散らされ、8日には寒波が襲来し雪まで降った。さらに20日には羽田で瞬間風速20mという台風並みの突風が吹くなど首都の4月は荒れに荒れた。

これは東京に限った話ではなく、東日本から西日本にかけて、菜種梅雨というには少々長く、激しすぎる荒天が続いた。これに伴い4月中旬までの日照時間は平年の半分程度。上旬だけを見ると四国で24%、近畿31%、関東39%という史上初の惨状らしい。逆に降水量は東日本1.63倍、西日本1.83倍など各地で平年を上回っている。

この天候不順により、白菜の卸売価格は平年比232%、レタスは168%、きゅうりは215%といったように野菜の価格は軒並み上昇している(東京都中央卸売市場)。日照不足による生育不良が解消し、供給が回復するには、相当時間がかかる。我々の食卓の野菜不足もさることながら、生産地=農業の現場では収穫のみならず、果樹の生育、夏野菜の作付け等々への幅広い影響も懸念される。

気象庁によると4月の異常降雨の原因は、偏西風が南に蛇行したことと太平洋高気圧が例年より強かったことという。今回の状況説明は、こういうことかもしれないが、昨夏広島を襲った集中豪雨や、12月に中四国に豪雪をもたらした寒波など、この数年記録的な事象が多発している。本来温帯に属する日本列島を熱帯化と寒帯化の波が襲っているようにも思える。

異常気象は日本だけの問題ではない。アメリカ南西部の干ばつ、アメリカ北部の寒波、ヨーロッパやオーストラリア東部、インドシナ半島の大雨洪水等々、大規模自然災害が毎年どこかで発生している。このような気候変動の激化は、人為的(=炭酸ガスの増加)な地球温暖化が影響していると言う説を否定することはできない。

これまで大量の温暖化ガスを排出してきた先進国として、CO2排出量削減技術を有する国として、日本は世界に責任を果たし、貢献しなくてはならない。

昨日(26日)から訪米している安倍総理は、29日(=昭和の日)に米国議会での演説に臨む。TPPや歴史認識をめぐる発言に注目が集まっているが、演説の詳細内容は未だ定かでない。地球温暖化対策も日米が協調して対処すべき課題のひとつに取り上げられるだろうか?

一方の我が国内は先週末から実質的なゴールデンウィークに入った感がある。天候は4月前半の日照を取り戻すかのごとき晴天だ。願わくはGW期間中を通じてこの好天気が続き、観光客を招き、景気浮揚を加速してもらいたい。白亜の姫路城や淡路の花畑には青空がよく似合う。ついでに湿りがちの我が阪神タイガースの打線にも火をつけ、上位浮上への力を与えて欲しい。

 

*25日(土)昼前(日本時間午後3時過ぎにネパール中部を震源とする大地震が発生し、数多くの方々が被災され死者も3千名を超えるに至っています。お見舞い申し上げますとともに、謹んで哀悼を表します。

地方統一選挙

4月3日(金)、41の道府県議選と17の政令市議選がスタートを切った。
先に告示された10道県知事選と5政令市長選と合わせて、いずれも4月12日に地方統一選前半戦の投開票が行われる。

今、地方政治に求められていることは、まず、景気の回復、経済の好循環を全国津々浦々で実現しなければならない。次に、人口減少対策、産業育成による若者雇用の確保と医療福祉の充実による安心基盤の確立が大切になる。

これらを推し進めるのが“地方創生戦略”だ。各自治体が自らの個性を生かしながら日本一、全国初の政策を掲げ、アイデアを競ってもらいたい。

正に“地方創生元年”である今年。政策立案の担い手を定める地方選挙の重要性は、増している。だが、国民の関心は思ったほど高まっていないというのが実感だ。

その証拠には、近年の地方議会選挙の候補者数は激減している。全国的に無投票選挙区が増え、中には定数に満たない市町村議会選もある。

私の地元高砂市の県議選でも今回から定数が2名から1名に減員されたにもかかわらず、無投票となった。兵庫県議選全体では、40選挙区、87議席のうち、17選挙区18議席が無投票で埋まった。

このような候補者不足に加えて、昨年の号泣会見に端を発する地方議会への不信感の高まりも、国民の無関心を招いているのだろう。もちろん政務活動費の不正支出や過剰な旅費支給は直ちに改善すべきであり、既に兵庫県議会でも様々な改革が行われている。

「まだまだ、改善、改革が足りない」と言う声があるかもしれない。しかし、新たな制度を作り、改革を実行するのは議員自身である。まずは、選挙で、号泣するような議員を選ばないこと、潔癖で政策実現に全力で取り組む候補者に一票を投じること、投票所に足を運び有権者としての責務を果たすことが大切である。現に、住民の負託に全力で応えてくれる議員(候補者)はたくさんいる。

全国的には低調と言われる統一選のなかで、注目を集めているのが大阪の府議と市議のダブル選だ。5月17日に予定される「大阪都構想」の住民投票の前哨戦の様相を呈し、激しい戦いが繰り広げられている。

しかし、こう言った一つの争点のみ、行政の統治機構の形式をめぐる論点のみで、これから4年間の地方議員を選んで良いのだろうか?大いに疑問を感じる。しかも、前回2011年選挙では、橋下氏個人への期待が大きく膨らみ“維新”への風が吹き、候補者一人ひとりの人物像がよく見えなかった感もある。(某号泣議員も「西宮維新の会」を名乗ったことが当選に繋がったことは否定できない)

今回の大阪府議、市議選挙は、大阪都構想の可否のみを定める選挙ではない。大阪の有権者の方々には、冷静な目線で各候補者の政策と人格を見極めていただきたい。

投票日前の9日には平成27年度予算も成立し、ようやくながら27年度事業の実施準備が整う。そして、いよいよ安全保障、エネルギー・温暖化対策など、長期的な政策課題に関する議論が本格化する。

後半国会を優位に進めるためにも、この統一地方選にまず勝利することが求められている。

球春到来、戦いの季節

今年も早や、全国各地から桜の開花報道が届く季節。我らが阪神タイガースのホームグランド甲子園では、第87回選抜高校野球大会“センバツ”が始まった。いよいよ“球春”の到来である。

今大会の見所は史上5校目の夏春連覇を目指す大阪桐陰の動静だが、秋の新チーム編成を挟む形になる“夏春”連覇は“春夏”より数段難しい。紫紺の優勝旗の行方は気にかかるが、地元兵庫県からの出場校がないのは極めて残念である。

3月27日にはプロ野球も開幕を迎える。

去年は最後の最後で大魚を逸したがシーズン最後まで楽しめた。バース、掛布、岡田の甲子園バックスクリーン3連発は1985年、その勢いで初の日本一に輝いた。あれから30年、「今年こそ、今年こそは日本一や」と、トラキチは開幕日に願いをかける。

下馬評では、投手陣の先発、中継ぎ、抑えの整備が例年になく整ったと聞く。今年は勝利の雄叫び「六甲おろし」の大合唱が聖地・甲子園で何度聴けるか、今から楽しみだ。どうか選手の皆さんはファンの期待を裏切らないで頑張って欲しい。

一方、国会での戦いに目を移すと、平成27年度予算案をめぐる論戦が終盤を迎えている。今国会は冒頭に補正予算案の審議を行ったため、当初予算案が衆院から参院に送付されたのは3月も半ばの13日のこと。現時点で残すところ1週間では、さすがに年度内成立は難しい。

予算案に関しては衆院の議決が優越するので、予算は遅くとも4月11日には自然成立するものの、2年ぶりの暫定予算は避けられない情況だ。

そんな中、4月3日から統一地方選の前半戦が始まる。

安倍自民党が、「日本を取り戻す」をスローガンに政権を奪還して2年間が経過。アベノミクス3本の矢によって日本経済のマインドは大きく変化した。今春の大手企業の賃上げラッシュが物語っているように、経済の基調は企業の業績回復が賃金を上昇させ、さらなる消費の拡大をもたらす、プラスの循環へと転じつつある。この動きが大企業に止まらず全国津々浦々の中小企業からも沸き上がってこそ、日本全体の景気回復が成し遂げられる。地方の活力なくして真のデフレ脱却はない。地方創生が大きな政策課題となる所以である。

効率重視、大都市優先の従来型政策は、東京一極集中を招き、ふるさとの個性を埋没させてきた。しかし、巷で論じられているような「人口減少による“地方消滅”」などという現象は決して許してはならない。そのためにも、地方がそれぞれの特性を活かした自立力を高めることが求められる。

昨年、地元兵庫の県議会は政務活動費をめぐって大きく揺れた。4月12日に投票日を迎える県議会議員選挙では、当然のことながら有権者の候補者に対する目線は従来よりも厳しいものとなるだろう。その有権者の皆さんに議会改革をしっかり訴え、故郷の将来を創る政策をしっかりと論じあい、後の世に全国の地方政治改革の起点となったと誇れるような選挙戦を繰り広げてもらいたい。

私も全力を注いで同士を支援していく所存である。

18歳選挙権

先週5日、与野党6党は選挙権年齢を20歳以上から18歳以上に引き下げる公職選挙法の改正法案を衆議院に提出した。今国会中に成立する見通しで、来年夏の参院選から適用される。

選挙権年齢の変更は昭和20年(1945年)に25歳以上から現行の20歳以上に引き下げられて以来70年ぶり、18・19歳の約240万人が新たに有権者に加わる。

欧米をはじめ世界では18歳以上が選挙権を持つ国が圧倒的に多い。G8でも日本以外の7ヶ国はすべて18歳以上だ。ようやく日本も国際標準に並ぶことになる。

一方で、未成年者への選挙権付与については「まだ判断力が十分ではない」などの慎重な意見もある。現に先週の党文部科学部会でも強い反対意見が出され、それに共鳴する議員も多くいた。我が家でも、私は賛成だが妻は反対と、夫婦間で意見が分かれている。

私が思うに、日本の若者だけが未熟で選挙権を行使するに足る判断力を欠くということもあるまい。むしろ選挙権の付与により社会的責任を自覚させる効果もある筈だ。

今年の大河ドラマで描かれている幕末の長州を思い起こして欲しい。当時、松下村塾で学んだ高杉晋作や久坂玄瑞、伊藤俊輔など、皆10代後半の青年だ。先生の吉田松陰も30歳に達していない(29歳で没)。彼らは堂々と日本のあるべき姿、進むべき道を語り合い、行動に移していった。

人は置かれた環境によって、いかようにも育つ。今必要なことは、青少年の能力を不安視するよりも、若者の政治への関心を高め、必要な判断材料を付与する環境の整備だろう。

その意味で、教育が担う役割も大変重要だ。文科省と総務省は来年の参院選での実施を視野に入れて、選挙制度の解説や模擬選挙、請願の書き方要領などを盛り込んだ高校生を対象とした副教材の作成を急ピッチで進めている。

問題は教育現場での使い方にある。

大学はもちろん、高等学校や中学校でも、かつての松下村塾に集った志士のように、学生が自由に国の形を議論しあう、歴史上の事実や時事問題を通じて活発なディベートが繰り広げられることが私の理想だ。中途半端な大人(教師)の介入は、自由な発想を妨げ、ともすれば政治的中立性を揺るがすことにも成りかねない。

現状、若者の政治への関心は極めて低い。昨年末の衆院選投票率が示すように、20~24歳の投票率(30%)は70~74歳(72%)と比べると半分にも満たない。この状況では、シルバーデモクラシーと揶揄されても仕方がない。社会保障分野をはじめ高齢者に手厚い政策が重視されるのは当然の成り行きだろう。

しかし、日本の未来を創るのは若者たちだ。

将来を担う青少年の政治参加の拡大は、政党にとって正にレーゾンデートル(存在理由)だ。今回の制度改正を若者の政治参加を促す契機とし、日本の政治を変えて行かなくてはならない。

選挙権年齢の引き下げは、憲法改正に必要な手続きを定めた国民投票法が求めていた宿題でもあった。今回の公選法改正によって憲法改正に向けた環境整備が一歩前進することにもなる。

この権利を行使するに相応しい、「自立心ある若者の決起」を期待したい。

野次

先週の19日(木)から平成27年度の予算委員会審議が始まり、通常国会での本格的な論戦の火ぶたが切られた。

野党第一党の民主党からは本会議での代表質問に続き、岡田克也代表がトップバッターとして質問に立った。質問者の一方的な問いかけに対して答弁者が用意した原稿で一方的に答える代表質問とは違って、一問一答形式の委員会質疑ではディベート能力がその評価にダイレクトに反映される。

論客と言われる岡田氏である。果たしてどんな議論になるかと注目していたが、比較的穏やかな議論から論戦のスタートとなった。

民主党が今国会での攻めどころとしている格差問題をはじめとする経済政策、後半国会の最重要課題である安保法制、過激派テロ組織ISによる邦人人質殺害事件についての政府対応など、90分間にわたって総理を中心に政府の姿勢を正した。岡田氏周辺によると、政府施策の評価すべき点と問題点を区別する「責任政党路線」を重視したという。

そんな岡田氏の姿勢に私は好感を覚えたが、メディアからはいささか盛り上がりに欠けたとの論評が多かった。果たして国民の目にはどのようなに映っただろうか。

ところでこのところ国会での「ヤジ」が問題視されてといる。

一つは17日の本会議でのヤジ。共産党委員長が「首相が『テロに屈する』の一言で冷静に検証を拒否する態度をとっている」とした質問の後に、「さすがテロ政党」と自民党席から飛んだもの。後に当事者から発言撤回と陳謝で一応の決着をみている。

もう一つは、衆院予算委員会における首相の質問者(民主党の玉木雄一郎衆議院議員)に対するものだ。玉木委員が砂糖の関係団体から西川公也農水相への献金のことを「ダミー団体から迂回した脱法的献金」と指摘した時、安倍総理から「日教組はどうするの」とヤジが飛び、総理と委員の間バトルが続いた。さすがに大島理森予算委員長も見かねて「いやいや、総理もっと静かに」と注意するほどだった。

その場は取り敢えず収束を見たが、翌日の前原誠司委員がこの問題で総理に反省を求めたことからバトルが再燃された。

安倍総理は日教組の本部所在地である日本教育会館に言及。「日教組は補助金を貰っていて、その教育会館から献金を貰っている議員が民主党にはおられて・・・」などと、同党の過去の政治献金問題を持ち出して反論した。玉木氏は自身のブログで総理の指摘は全く事実と違うと記載するなど、いささか泥仕合の様相を呈してきている。

いずれにしても一国の総理が答弁席でヤジを飛ばす光景はいただけない。激しいヤジと怒号が飛び交い、発言者の声が定かに聞こえないような本会議なども問題だ。

議会制民主主義の発祥の地イギリスでは、ヤジは日常茶飯事と聞く。与野党それぞれ声が大きくてユーモアセンスがある議員で構成された “ヤジ飛ばし部隊”が議場を沸かせる。それらの議員は敵からも味方からも一目置かれる存在だという。

「ヤジは議会の文化、議場の華」などと言う人もいるが、今の我が国の情況を考えると、文化というにはほど遠い。国会でのヤジのあり方が問われそうな、今年の予算委員会での論戦のスタートであった。

ところで後日談だが、事態は23日になって急展開をみた。首相は日教組発言に関して、「記憶違いによる正確性を欠く発言で遺憾であった。訂正する」旨の陳謝があり、夕刻には農水相の電撃辞任ニュースが飛び込んできた。24日現在、野党が審議拒否に出て本会議もストップしている。

15年度予算の早期執行は、長期デフレから日本経済を脱却させる意味で正念場である。正常な審議に早く戻り、国民経済が困らないよう本予算の年度内成立を期したい。

国会召集

年末総選挙で費やした時間を取り戻すべく、年明け早々から緊急経済対策を具体化する26年度補正予算と27年度当初予算の編成作業が同時並行的に進められた。例年この時期は地元での新年行事が目白押しだが、今年は予算獲得に向けた各政調部会が頻繁に開催されたため、地元と東京往復の繰り返しで多忙な年明けとなった。

そして昨26日、これらの予算案を審議する第189通常国会が召集された。

開会に先立つ自民党両院議員総会で、安倍総理は「緊張感を持って成果を出す『改革断行国会』にしたい」と表明。午後からは天皇陛下をお迎えしての開会式の後、麻生太郎副総理兼財務大臣が衆参両院本会議で景気対策を柱とする補正予算案についての財政演説を行った。いよいよ国会論戦の火蓋が切って落とされるが、与党の一員として緊張感を持って臨みたいと思う。

予算編成と並ぶ今国会のテーマは「安全保障法制」だが、国会論戦を前にして正に我が国の危機管理体制が試されるような事件が起こってしまった。ISIL(イラク・レバントのイスラム国)による2人の日本人の拘束だ。

ネットで全世界に配信された処刑予告と法外な身代金の提示は、我が国を大きな衝撃で覆い、続いて24日深夜にもたらされた湯川遥菜さん殺害との情報に全国は悲嘆で包まれた。我々は残された一人、後藤健二さんの救出に向け、あらゆるチャンネルを通じて最大限の努力を払わなければならない。また、「テロには絶対に屈しない」という政府の姿勢を私も支持したい。

ISILから日本国民に発信されたメッセージは、世論を喚起することによって、日本政府が方針を転換して交渉に応じるように呼びかけてもいる。一部メディアの解説者もこれに呼応するかの如く、安倍首相が提唱した避難民等に対する人道上の食料、医療などの援助が、今回の拉致の伏線をなしているかのような発言をしているが、私は強い違和感を覚える。

様々な意見や考えを否定することはできないが、現在進行中のこの種の事件についての不用意な発言は厳に慎まなければならない。民主党の岡田新執行部は今回の拉致事件への政府の対応について、「全面的に協力する」と表明しているので問題はないと思うが、国会における議論でも十分に配慮する必要がある。

今は、後藤さんが一日も早く解放されることを祈りつつ、政府の対応力を信じ、事態の推移を見守るしかない。様々な意見表明や議論は事件収束後に行われるべきである。

我が国の文化の基調は、「他者への思いやりの心」のように思える。異なる考えに対して寛容であるが故に、古来、海外からもたらされる様々な文化を受け入れ、和風に融合してきた。今、世界に求められているのはこのような共生社会の実現に向けた志向ではないだろうか。

先週開催されたダボス会議のテーマは「新しい世界の状況(The New Global Context)」。高まる地政学リスクへの対応についても議論が行われた。経済のみならず日常生活も世界化していく今日、こういった国際会議に積極的に参画し、日本の多文化共生の発想を世界に発信していかなくてはならない。

その前提として、我が国の良き伝統文化がしっかりと継承されているか? 足下を再確認することも必要だが・・・。

年末の総選挙を勝ち抜き、8度目の栄冠を手にすることができました。偏に、変わらぬご支持とご支援をいただいた皆様のお陰と感謝しております。選挙前後から中断していましたこのブログも国会開会とともに再開したいと思います。今後ともよろしくお願い致します。

年頭の挨拶 2015

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年末の総選挙によりアベノミクスを掲げる第二次安倍内閣の政策は国民の信任を得ることができました。これまで2年間の取組を礎に日本経済の成長軌道をより確かなものにしていかなければなりません。与党が衆議院で三分の二の議席を占めるという数の力に傲ることなく、野党各党との対話と相互理解を基調に安定した国政運営に努める必要があります。

第一の課題は、地方の力で日本全体の成長を実現する地方創生の推進です。
効率と画一を重視した政策は東京一極集中と地方の疲弊を招きました。日本全国に元気が息吹く時代を創生するため、地域特性を生かせる地方が主役の地方創生を進めます。併せて日本の知力を生かした経済成長を実現するため、京やSACLAなどの先端科学技術基盤の産業活用を促進します。

第二に、日本の考えを世界に発信する積極外交と通商政策を展開します。
21世紀の世界経済を牽引するアジア・太平洋の中核に位置する日本は、知的所有権をはじめ経済連携のルール作りを主導しなくてはなりません。その礎ともなるのが安全保障政策です。日米同盟を基軸とした積極的平和主義外交を展開し、平和で安定した国際社会構築に貢献します。

第三には、安心して暮らせる健康長寿社会の実現です。
社会保障制度改革は緒に就いたばかりです。消費増税は1年半延期しましたが、少子化対策の充実をはじめ、なし得る改革に直ちに着手しなくてはなりません。人口が減少しても持続可能な社会保障制度の実現に向けて、自助と共助の発想を取り入れた公平な受益と負担の関係を築きます。

これらの政策を実行する基盤は、政治への信頼の確立です。「信なくんば立たず」を肝に銘じ、しっかりと国民の皆様に説明し、ご納得いただき、そして責任を持って実行に移します。
今年も格別のご指導とご鞭撻をお願いいたします。

2015年元旦