存在意義

1月23日に召集された通常国会。施政方針演説に対する各党代表質問では、安全保障や原発を巡る政策転換に加え、物価高や賃上げ、少子化対策など、多岐にわたる議論が展開された。週明けから行われている予算委員会でも、これらの課題に関して、さらに詳細な議論が展開されている。いずれも重要な課題であるが、私が最も注目しているのは少子化対策である。そしてこの政策に関して、岸田文雄総理の教育への言及が少ないことが気がかりだ。

総理は年頭の記者会見で、“異次元の少子化対策”に挑戦すると述べ、①児童手当を中心に経済的支援の強化、②児童教育や保育サービスの強化など子育て支援サービスの拡充、③女性の働き方改革の推進の3つの対策の基本的な方向性を打ち出した。具体策は、本年4月に発足するこども家庭庁の下で、6月の骨太方針までに将来的なこども予算倍増に向けた大枠を提示するとし、小倉將信少子化対策大臣に検討を指示した。ただ、教育については、幼児教育に触れられたのみである。

また、施政方針演説では、「こども・子育て政策」を最重要政策と位置付け、待ったなしの先送りの許されない課題と言及。こどもファーストの経済社会を作り上げ、出生率を反転させなければならないとの強い意欲を表明した。しかし、教育について唯一言及があった「高等教育の負担軽減に向けた出世払い型の奨学金制度の導入」は、既に規定路線として制度設計が進んでおり、これだけで“異次元の少子化対策”とは到底言えるものではない。

我が国の出生率が著しく低下している要因の一つ、若い夫婦が子どもを産み育てることを躊躇する最大の要因は、子育てに必要な莫大なコストである。なかでも青年期の教育費が大きな経済負担となっていることは、各種アンケートでも明らかだ。

過去の対策は効果が薄かったとして“異次元の少子化対策“を唱えるのであれば、乳幼児期から青年期まで、子どもの発達段階に応じた教育費負担の現状と、その軽減策がもっと詳しく議論されなければならないのではないか?と考えるのは、私一人ではないと思う。

現行の少子化対策の検討で教育が手薄になっているのは、政府の子ども政策の議論が4月に発足する子ども家庭庁を中心に行われていることが原因と考えられる。こども家庭庁は、これまで文部科学省、厚生労働省、内閣府などが所管していた子どもを取り巻く行政事務を集約することになる。ただ、教育行政については、業務によっては共管となったものもあるが、ほとんどが文部科学省所管と整理された。こども家庭庁所管業務を中心に少子化対策が議論されれば、教育問題が軽視されるのは自明である。

1月19日に開催された「こども政策の強化に関する関係府省会議」には、文部科学省の3局長(総合教育政策局、初等中等教育局、高等局)もメンバーとして参加しているが、熱意が全く伝わってこない。少子化問題の核心とも言える“莫大な子育て経費”の主因である教育行政を所管する文部科学省には、政策官庁としての「存在意義」が問われている。危機感を持って全省をあげて少子化対策に取り組んで欲しいと思う。

前号でも言及したが、人口減少という国家存亡の危機にあって、国会では党利党略を超えた政策論争を行い、有効な解決策を合意する。そんな質疑を繰り広げて欲しいと思う。国民の代表として付託を受けた、我々国会議員の「存在意義」が問われているといっても過言でない。