平成30年6月14日「議員渡海紀三朗君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められたよって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する」として、院議により永年在職議員の表彰を受けました。
以下に、本会議での謝辞を掲載いたします。
このたび、院議をもちまして、永年在職議員表彰の栄誉を賜りました。身に余る光栄であります。
これもひとえに、長きにわたり御支援をいただきました、ふるさと東播磨の皆様、先輩、同僚議員各位、事務所のスタッフ、そして家族の支えがあったればこそであります。
きょうまで御支援、御指導をいただきました全ての方々に、改めて心より御礼を申し上げます。
振り返れば、父の逝去により、急遽後継者として中選挙区時代の兵庫三区から出馬、初当選を果たしたのは昭和六十一年のことでありました。
それまで私は父の仕事にかかわったことは全くなく、そんな私の初出馬の公約は、みずからの座右の銘である「最善を尽くす」のみでありました。当時初当選を果たした同期生は六十七名でしたが、三十二年が経過し、今も当院に在籍しているのは七名のみとなりました。時の流れを感じずにはいられません。
院にあっては、決算行政監視委員長、科学技術・イノベーション推進特別委員長、また政府においては、科学技術政務次官、文部科学副大臣、そして第一次福田内閣では文部 科学大臣も経験をさせていただきました。現在は、党の政務調査会で、科学技術・イノベーション戦略調査会会長の任にあります。
この間、私がライフワークとして最も力を注いでまいりましたのは、科学技術の振興であります。議員立法としては、科学技術基本法や研究開発力強化法の立法作業に携わり、法制化に取り組みました。
また、文部科学大臣時代に、iPS細胞の研究や再生医療の研究促進など、人類の幸福に貢献できる仕事にかかわれたことは大きな喜びであります。日本を世界で最もイノベーションに適した国とすべく、これからも全力を尽くしてまいりたいと存じます。
もう一つ忘れられない大きな出来事が、平成七年に、ふるさと兵庫を直撃した阪神・淡路大震災です。被災者の心に寄り添い、やれることは何でもやる。法律が必要なら新しい法律をつくる。閣法だと時間がかかるなら議員立法で対処する。その後の政治活動において、とても貴重な体験となりました。当時、自社さ連立政権の一員として震災対応に東奔西走した日々が、今も鮮明に思い出されます。
省みて私は、これまでの政治活動で、その時々の課題に対して常に最善を尽くしてきたつもりではあります。
しかし、政治は結果責任を問われます。最善を尽くしたからといって、成果が得られなければ評価も得られません。
今、日本には内外ともに解決すべき課題が山積しています。それだけに政治の果たすべき役割は非常に大きなものがありますが、残念ながら、国民の間に政治に対する不信感が広がっていることも否めません。
信頼が得られなければ、政治はメッセージを正しく国民に届けることはできません。一日も早く政治への信頼を回復し、この国の未来への責任を果たすこと、それが国民の負託を受けた我々政治家の責任であると考えます。
政治改革の実現を目指し、同志とともに奔走した若手議員の時代を思い起こしながら、初心に立ち返り、これからも何事にも最善を尽くすことをお誓いし、謝辞といたします。
ありがとうございました。