安保法制

第189通常国会の最重要法案であり、我が国が行使し得る集団的自衛権等の限界を定める“平和安全法制整備法案”が、先週16日の衆議院本会議で可決され、参議院に送付された。

私の安保法制に関する考えは過去にこのコラムでも言及している通り、「憲法改正が望ましいが、極めてハードルが高く時間がかかりすぎる。現在の日本列島を取り囲む情況や国際状況を見極めた時、国民の生命や生活の安全を保持するためには、まずは現行憲法の解釈変更によって限定的に集団的自衛権を容認し、抑止力を高めることが現実的だ」というもの。極めて政治的対応であるが、やむを得ないと思う。

とは言っても安全保障政策の大転換である。国民の理解を得る必要があることは言うまでもない。衆院特別委員会の審議を通じて理解が進むことを期待していた。しかし116時間に及ぶ審議は行ったものの、内容はすれ違いの口げんかに等しいやりとりの連続、国民の理解が進んでいないことは各種世論調査でも明らかだ。

いくら審議時間を確保しても、これだけ論点がずれてしまっていては、議論は深まらない。野党側の論点は総じて、「法案の合憲性」、「アメリカの戦争に巻き込まれる可能性」、「自衛隊員のリスク」といった漠然とした入り口論に止まっている。

一方で、法案で定めようとしているのは、集団的自衛権行使の合憲を前提としたうえで、「存立危機事態」「重要影響事態」といった武力行使や後方支援等の限度を具体的に定める用語の定義である。いわば日本が国際社会で責任を果たすための自衛隊の行動原則を定める規定である。

自衛隊の存在そのものを否定する政党はともかく、政府与党を経験した政党であれば、国際政治の中で日本の置かれている立場や果たすべき責任は理解されているはずではないだろうか? 日本一国のみで自国の安全を守ることができないのは自明であり、またアメリカといえども一国で世界の警察機能を維持することは困難な時代となっている。

一方で、海洋覇権を声高に主張する国家の存在や国際秩序を乱すテロ集団の活動など、対応すべき国際課題は目の前に山積している。闇雲に入り口論で反対を繰り返すのではなく、「日本は世界の中でいかに行動すべきか」、「それを担保する法制度はどうあるべきか」について議論を行うことが国政を委ねられた者の責任ではないだろうか。

アメリカのみでなく英独加豪の先進国、ASEAN諸国も今回の立法措置=日本の集団的自衛権行使に賛意を表している。我々はこの期待に応えなくてはならない。

自衛隊員のリスクを問う声があるが、そもそも命をかけて国を守るのが隊員の責務であろう。国防力と言う意味では集団的安全保障の輪に加わらない選択の方がよほどリスクを高めるのではないだろうか。隊員の死傷率を下げるべき努力はもちろん行う。そのためにも、武力行使等のルールを明確にすべきだ。

アメリカの戦争に巻き込まれることを懸念しているくらいなら、日本の意志=「どういった場合に我が国が武力行使に踏み切るか」を法令で明確に示せば良い。我が国は自らの意志で武力行使の要否を決定するのだから。その意味で、国会承認が重要な意志決定手続きとなる。

衆議院で絶対多数を占めている与党としては、その気になれば数の力で法案を成立させることもできる。が、それは最後の手段であり、我々が望むのは現実を踏まえた政策議論を行うことである。

議論の上、必要であれば法案の修正も厭わない。故に、先般、維新の党から行われた自衛隊法等改正案、国際平和協力支援法案、領域警備法案等の対案提示は歓迎する。もう少し早く提案されていれば、より深い審議ができたのではないかと悔やまれる。

参院での安保法制審議においては、野党からの対案も含め、しっかりと法案の中身についての議論が行われ、国民の安全保障政策への理解が深まるように丁寧な審議が求められる。