希望の光

「秋の陽は釣瓶落とし」。一カ月前までは7時近くまで可能だった街頭広報活動も、今は6時前には終えなければならない。
9日(体育の日)も夕暮れとともに辻立ちを終え、自宅でくつろいでいたところ、TVに“今年のノーベル生理学・医学賞に山中伸弥京都大学教授の受賞決定”のテロップが流れた。
その後の一週間の報道合戦で、「山中教授」と「iPS細胞」の名は、再び全国民の知るところとなった。

筋肉や皮膚など人体を形作る60兆余りの細胞の源は、たった1個の受精卵だ。受精直後はあらゆる細胞になる「万能性」をもつが、これが分裂、増殖し特定の役割を持つようになると元の状態に戻ることはない=老化はすれども受精卵状態に若返りはしないと考えられていた。これに異説を唱えたのは今回共同受賞したイギリスのガードン博士で、1960年代に体細胞の核を卵細胞に移植する方法でクローンの作製に成功した。そして、卵細胞を使用せずに細胞を「多能性を持つ状態に初期化」する技術を開発したのが山中教授である。
これまで「万能細胞」の主役であった胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵を壊して作るため、命の尊厳をおろそかにするのではないかという問題点がある。iPS細胞を使えば、こうした倫理的な問題を回避できる。

山中教授は2006年、マウスの尻尾から採った体細胞に初期化のカギとなる4つの遺伝子を入れることで、iPS細胞を作製した。2007年にはヒトの皮膚の細胞でも成功した。
その報告のため文部科学大臣であった私のところへ来られたのが、同年12月初旬のこと。「この研究が成功した理由は何だったと考えておられますか?」と尋ねたところ、「運が良かったんです」と即座に答えが返ってきた。
「名誉欲のない人だなぁ」というのが第一印象。通常は「できるだけ支援します」と答えるのが一般的だが、その謙虚な人柄に感銘した私は、「全面的な支援を約束致します」とその場で反射的に応じ、年末には文部科学省として5年間で100億円超の研究費を投入する方針を表明した。

iPS細胞の応用範囲は幅広い。なかでも自分の体細胞で損傷した部位を修復する再生医療は、従来の手法では治療が困難な難病に苦しむ方々にとって、夢の治療方法だ。山中教授のもとには難病患者や家族から激励と相談が絶えないという。
私の主催する新世紀政経フォーラムで、再生医療の第一人者である西川伸一先生(理化学研究所)に講演いただいた際、脊髄を損傷し車椅子生活を余儀なくされている方から、「今日のお話を聞いて、いつかまた歩ける日が来ると、諦めずにこれからも希望をもって生きていけます」と感謝されたことを、鮮明に覚えている。

再生医療は未だに現在進行形の発明だ。実用化までには、まだまだ課題も多い。
山中教授も「一日も早く本当の意味の社会貢献と言うか医学応用を実現させたい、させなければならない。そういう気持ちでいっぱいであります」と語り、そして「一日も早く研究の現場に戻りたい」と力説されている。
ストックホルムでの授賞式が終わる12月頃までは、しばらく多忙な日々が続くとは思うが、少しでも早くインタビューや祝賀会の嵐から解放してあげたいものだ。
日本のみならず世界中の難病患者が、一日も早い再生医療の確立を待っているから…。
iPS細胞は、多くの人々の「希望の光」なのだ!

ポートアイランドで進められている神戸医療産業都市構想の中核施設の一つ、「発生・再生科学総合センター」(理化学研究所の機関)では、来年から網膜再生の臨床研究がスタートする。脊髄損傷治療も5年以内に最初の患者に投与できるところまでもっていきたいとのことだ。
こういった取り組みを加速するために、長期持続的な研究開発費の供給と臨床研究分野の一層の規制緩和、さらには知的財産権の国際ルールの確立を怠ってはならない。
この分野で日本が国際競争に勝ち抜くためにも、第二第三の山中教授を生むためにも。