先週の憲法記念日で、日本国憲法は施行65年目を迎えた。日本の枠組みを定めたこの法律が公布されたのは昭和21年11月3日の明治節(旧明治天皇誕生日)、施行は半年後の昭和22年(1947年)5月3日である。
ただ、憲法案が議論された昭和21年当時の日本は被占領国であり、起草作業も連合国軍総司令部(GHQ)の強い影響のもとで行われた。故に占領体制から脱却した後に、主権国家にふさわしい自主憲法への改正、日本らしい日本のあり方を示す憲法への改正を行うことは、制定に携わった先輩政治家の悲願であったと聞く。
自由民主党にとっての自主憲法制定は、結党当初から使命として掲げる大目標である。憲法改正のために保守合同を行ったと言っても過言ではないかもしれない。
しかし、制定から65年、主権回復から60年を経ても、我が憲法は全く変わっていない。もはや、占領下に制定されたかどうかよりも、65年という長きにわたり不変であることが異様な事態とも言える。憲法といえども法律の一つであり、時代の変遷に即して、改正すべき点は生じる。諸外国においても、少ないアメリカでも6回、最多のドイツに至っては58回も改正されている。
だからと言うわけでもないが、サンフランシスコ講和条約の発効60周年に併せて、先月27日、自由民主党は「日本国憲法改正草案」を決定した。
平成17年に発表した前案以来、7年ぶりとなる今回の改正案の特色は二つ。
第一は、東アジアの不安定な国際情勢に対処するための安全保障体制の明確化である。第9条の平和主義は維持しつつ、戦争放棄は自衛権の発動を妨げるものでないことを明示し、自衛隊(Self-Defence Force)は国防軍(National Defence Force)に改め、本来の機能を分かりやすく表現した。
第二には、昨年の東日本大震災の教訓を踏まえた危機管理体制の強化である。大規模自然災害やテロ攻撃に際して首相が緊急事態宣言を発し、内閣に法律と同一効力の政令を定める権限を付与、国民には国の指示に従うことを義務づけた。
このほか、天皇陛下を日本国の元首とし、国旗を日章旗に、国家を君が代に定め、家族は互いに助け合うべきことも規定した。前文では、日本の歴史や文化、和を尊び家族や社会が互いに助け合って国家が成り立っていることを定めている。
このような改憲案を示しているのは自民党だけではない。みんなの党やたちあがれ日本も憲法改正に積極的であり、4月にそれぞれの改正案を示している。民主党でも前原政調会長などは積極改憲派だろう。(ただし、一方で一昔前の社会党的な根強い護憲論者もかかえている。)
憲法改正手続きを定めた国民投票法が施行されたのが、2010年5月。これによって憲法審査会による改憲原案の発議が可能となった。あとは我が党や民主党をはじめ、国会議員のやる気次第だ。各党が誠意を尽くした議論を繰り広げ、そして、一日も早く国民的議論へと関心が高まっていくことを願いたい。