始まったばかりの通常国会を賑わしているのが防衛省と田中防衛大臣だ。
就任当初から発言の修正や撤回が相次ぎ、またしても素人大臣の起用か?との疑念を招いていた田中大臣だが、予算委員会質疑では自らの失言に沖縄防衛局長の講話問題、さらに外務省主導の在日米軍再編計画の見直しが重なり、四苦八苦の答弁を強いられている。
アジア太平洋の安全保障と米軍再編計画への対応は大きな政策課題だが、田中大臣の発言という意味で気になるのは就任直後の発言。討論番組で「PKO参加5原則」の緩和措置に関する問いに、「武器輸出三原則」の緩和を答えてしまった件だ。
大臣が素人かどうかはともかくとして、この5原則について正しく理解している国会議員が何人いるのかと考えると、派遣されている自衛隊員の皆さんに申し訳なく、ちょっと心許なくなった。
PKO法では、自衛隊派遣の条件として、①停戦合意、②受け入れ国の同意、③中立性の厳守、④以上3原則が欠けた場合の撤収、⑤必要最小限の武器使用を定めている。問題になっているのは、このうち⑤武器使用基準の緩和だ。
現行ルールでは、武器使用の用途を「自国の要員とその保護下にある人の防護」に限定している。つまり、例えば韓国との共同任務に就いている際に韓国軍が攻撃を受けたとしても我が自衛隊は発砲できないという状況が生じる。これでは足手まといの部隊となってしまうし、他国部隊の信頼を得ることはできないだろう。
このことは日本の国防体制自体にも通じる問題だ。いわゆる「集団的自衛権」をどう解釈するかという永年の課題である。
一般的に集団的自衛権とは、「自国と密接な関係にある国が攻撃された場合、自国が攻撃されていなくても、自国が攻撃されたと見なして反撃する権利」であり、国連憲章によりどの国にも認められている。我が国も当然この権利を有しているが、政府見解として、必要最小限度の武力行使の範囲を超えるので、“憲法上行使は許されない”という解釈がなされてきた。
このような理不尽な解釈が通用してしまっているのは、我が国の安全保障の根幹である日米安全保障条約がある意味で特殊な軍事同盟であり、その恵まれた軍事同盟で我が国が米国に庇護されている故ではないだろうか。
この条約はご承知の通り、米国は日本を守る責務があるが日本には米国を守る責務はなく、その代りに米軍に基地の用地を提供するというものである。
しかし、このような片務的な条約が成り立っているのは、米国にとって日本という土地(基地)が極東の平和と安全のために必要だからだ。世界に対して「我が国は集団的自衛権を行使しません」などと宣言すれば、誰も同盟してくれなくなる。
対等な同盟国=共同軍事作戦を展開する国を求めるのであれば、集団的自衛権は行使せざるをえない権利、とういうよりも責務となる。
PKOにおける武器使用基準もこの原理の延長線上にある。せめて、共同作戦をとっている友軍が攻撃を受けた場合は、我が自衛隊も反撃を加えることができるようにすべきであろう。岡田副総理も外相時代に緩和を主張していたはずだが…。
米国は世界全体を見据えて軍事力の配分を行っている。しかし、その力は相対的に低下しており、今や二方面作戦は不可能だ。仮に、中東やアフリカで大きな作戦展開が必要となれば、東アジアの米軍力は空白になりかねない。
我々はそろそろ国防ということ、アジアの平和をいかにして維持すべきかということを真剣に考えなくてはならない。
いかなる国家も自国の国益に沿って行動している。その根幹は、国民が国の繁栄を願い、自らが国を守るという意識をもつこと、国の独立が侵害されようとするときには自ら戦う意思をもつことにあるのではないだろうか。
マキャベリも言っている、「自らの安全を自らの力で守る意思がない場合、いかなる国家といえどもその独立と平和を維持することはできない」と。
真の独立国となるために、何よりも国民の国を愛する心に期待したい。
2月11日は「建国記念日」=「建国をしのび、国を愛する心を養う」日である。そして、私の誕生日でもある…。