東日本大震災発災後、官邸記者クラブからの会見要請はおろか、ぶらさがり取材にすら応じなかった菅首相が、先週13日の夕刻、自ら進んで記者会見を開いた。
その中身は、ご承知のとおり「脱・原発依存」宣言だ。
いつもの菅発言と同じく、代替エネルギーの確保の見直しや実現に向けての道筋や時期など、具体的な目標については示されておらず、政策の体はなしていない。単なる思いつきの、場当たり的なパフォーマンスだ。
最近では「浜岡原発停止要請」「原発再稼動時のストレステスト導入」に続いての唐突発言だが、振り返ってみると昨年の参議院選に於ける「消費税10%」や「平成の開国(TPP)」、「社会保障と税の一体改革」も同類だ。どの宣言も言いっぱなしで、何も具体化していない。私以外にも「またか?」と思われた方々も多いだろう。
民主党内や閣内でも一切議論されていないまま行われたこの宣言は、与野党のみならず閣内からも異論が噴出した。経済界でも批判が続出している。
谷垣自民党総裁は会見で「論評に値せず」と切り捨てたが、私も全く同感だ。
結局、首相の女房役である枝野官房長官も非難に耐えきれず、「遠い将来の希望という首相の思いを語った」と釈明し、首相も15日の本会議で「政府見解ではなく私自身の考え、私的な思い」と発言を後退させた。
ただ、首相には記者会見で“私的な想い”を発言する権利があるのだろうか?
ましてや、自らが記者クラブに要請して開催した会見である。通常は内閣で方針決定した“政府の思い”を表明する場ではないのか? この私的発言問題一つをとっても、菅直人という人物は一国の宰相に値しない。
今や孤独の暴君となった感のある首相の発言はともかくとして、福島原発事故を受けて、我が国のエネルギー政策を「白紙で見直す」ことは必然である。
この問題は、日本経済・国民生活・環境問題などを総合的に判断し、科学的かつ客観的に議論しなければならない。冷静にエネルギー政策のあり方を考えてみよう。
まず超短期的課題、この夏と冬、来年の夏をどう乗り切るか。
これは政策論としては手遅れの領域である。ストレステスト発言により、点検中の原発の即時起動は不可能になった。関西では間もなく11分の7の原子炉が停止状態となり、電力供給量が激減するが、この事態を乗り切る術は国民の節電努力しかない。
次に数年から10年後を視野に入れた短期的課題。
老朽化した原発は廃炉していかざるを得ないだろう。問題はその代替エネルギー源だ。
自然エネルギーはまだ間に合わない。選択肢は新型原発で担うか、化石燃料(前号で紹介したコンバインドサイクルLNG発電等)で担うかになる。後者の場合は当然温暖化ガスが増加する。一方、無理に自然エネルギー導入を加速すると電気料金の高額化や電力不足により、産業の空洞化=海外移転が進む可能性もある。
そして、20~30年後の姿。これくらいのスパンの計画であれば、電力供給バランスの再編を論じることができる。現在、原子30%、化石60%、自然10%(自然のうち9%は水力)。これをどう変えるか? 昨年民主党政権が定めた計画では原子50%、化石30%、自然20%にすると言う内容だった。脱原発ということは、化石と自然の発電量を倍増(50%→100%)させるということだ。
人口減少や産業構造の転換により、電力消費量が減少することも考えられる。技術革新により、自然エネルギーを30~50%にすることは不可能ではないだろう。しかし、化石と自然で100%というのはどうだろうか? せっかく蓄積してきた原子力の技術を捨て去ることにも疑問を感じる。原子力プラントの輸出は、数少ない成長産業でもあるのだ。
政治はこの課題について、より一層スピードアップして議論を深め、解決策を見出さなければならない。
それが震災復興とともに今、日本に求められている国家的課題であり、現在を生きる我々の「未来への責任」だと、私は考える。