細川さんは、以前の総理とは一味違ったスタイルを持っていた。
本会議の壇上の演説で一礼する仕草や、記者会見の仕草もスマートである。
今ではあたり前になっているスピーチでのプロンプター使用だが、初めて導入した総理は細川さんだった。
細川内閣がまず直面した課題はWTO農業交渉での米の市場開放問題だ。
日本は貿易立国である。
資源を持たない日本は原料を輸入し、高い付加価値を持った工業製品を輸出することで富を得ている。
日本製品を輸出するには日本も海外からの輸入障壁を取り払う必要を迫られる。
農産物についての圧力が最も強かった。
オレンジや牛肉…、様々な農産物について自由化を進めていき、最後に残ったのがコメの市場開放だった。
いうまでもなく、コメは我が国の主食であり日本農業の柱である。
日本の文化形成の礎でもある。
同時に農村は自民党の大票田でもある。
まさに、米作農業を守るために国は様々な政策で保護してきた。
しかし、手厚い保護政策は国際競争力を弱め、かえって米作農家の足腰を弱くしたとも言える。
輸入を自由化すれば、生産コストの高い日本のコメは大きな打撃を受ける。
かと言って貿易収支で大きな利益を得ている日本が、いつまでも門戸を開かないでいることは国際社会では許されない。
ギリギリの交渉の末、段階的に市場開放を進めることで決着をみた。
国内の調整は深夜に及び、我々は最後に残った社会党の党内調整を官邸の総理執務室で待っていた。
その時突然、「この問題が決着すれば、次は消費税の税率アップですね。」と細川総理が言い出した。
コメの市場開放という大仕事が終わったばかりなのに何を言い出すのかと思って「冗談でしょう?」と言ったら、「本気です。」と笑っておられたが…。
後から考えると、この時すでに国民福祉税の構想があったのかも知れない。
余談になるが、先日(2010年7月)の参議選における菅総理の消費税発言についても同じ影を見た気がしている。
総理大臣というものは、歴史に偉業を残したいと考える傾向があるのだ。
一方、政治改革政権を旗印に誕生した細川連立政権であるが、国会における政治改革関連法案の審議は遅々として進まない。
小選挙区比例代表並立制の導入という選挙制度の大改正も含まれているのだから、ある程度時間がかかるのは仕方ないのだが…。
秋から始まった臨時国会は会期延長により越年。平成6年の国会審議は正月を返上し、1月4日から始まった。
憲政史上、異例の出来事だった。
結局、難航した政治改革関連法案は、臨時国会最終日の1月29日に成立した。
当初の予定だった年内成立はずれ込んだものの、六年越しに二つの内閣(海部、宮沢両内閣)を潰した法案がついに成立したのだ。
成立の背景には細川総理の国民的人気もあったが、その原動力は変革を求める国民世論だったと私は思っている。