あれから30年

過日、全国紙の夕刊一面の囲み記事でビートルズの「ジョン・レノン没後30年」という文字が目にとまった。
1980年(昭和55年)12月8日、ジョン・レノンはニューヨークの自宅前で射殺されたのだ。

私たち70年安保世代(団塊世代とも言う…)の青春は、ビートルズ一色に染まっていた。多くの友人もそうだったが、新しい曲が発売される度にレコード(今は無きブラックディスク)を買い求め、聴き入ったものだ。

そのビートルズが初来日した1970年は、私が早稲田大學に進学した年。苦労してチケットを入手し、日本武道館のコンサートに駆けつけた。わずか30分と言う短いステージだったが、聴衆の興奮のるつぼの中で歌っていたジョン・レノンの姿は、今も鮮明に脳裏に焼きついている。

我々団塊世代の青春のシンボルが失われた1980年。
その年は、様々な意味で世界のパラダイム転換が始まった時期だったのかもしれない。

前年に始まったソ連のアフガニスタン侵攻は、世界中の猛反発を招き、80年のモスクワオリンピックの大量ボイコットに繋がった。以来、社会主義の斜陽が始まり、共産主義国が次々と市場経済の道を選択し、89年にはベルリンの壁が撤去され91年にソ連が崩壊する。未だに、マルクス・レーニン主義を唱える化石のような共産党は、日本共産党のみ(?)かもしれない。

日本の自動車生産台数が1000万台を突破し、アメリカを抜いたのも80年。我が国の経済社会は高度成長を成し遂げ、正に「ジャパン・アズ・ナンバーワン」(79年に創刊されたボーゲル博士の著書)の時代を謳歌していた。そして、数年後から始まる虚像のバブル経済期を経て、今日に至る。残念ながら、未だに内需型経済構造への転換は成し遂げられていない。

ソニーの初代ウォークマンが大ブレイクしたのもこの頃(79年発売)。今では当たり前のことだが、音楽を体の一部にしたのがこの装置だ。ヘッドフォン・スタイルで歩きながら音楽を楽しむ姿が、一種のファッションとなった。(ただし、コンテンツはカセットテープなので、今思えばとてつもなく巨大…。)ただ残念ながら、この後、アイ・フォンをはじめ、この種の機器で世界を席巻する電化製品は米国発となっているような気がする。

ついでにもう一つ、今から30年前の初夏、私、渡海紀三朗の人生を大きく変える事件が起こった。
一般消費税導入を掲げた前年の総選挙で一敗地にまみえた大平内閣に対し、社会党が内閣不信任案を提出。これに自民党の反主流派が同調し、5月16日、不信任案が可決された。

衆議院は二年連続の解散となり、6月22日を投票日に初の衆参同時選挙が実施された。
父・元三郎は入院中(前年の多忙な建設大臣業務と過酷な選挙応援による過労のため。)で、私が父に代わってマイクを握り、代理選挙を戦うことになったのである。

それまでの選挙では、裏方に徹していた私。当然ながら、選挙区であまり知られる存在ではなかった。しかしこの25日間で多くの支援者に面が割れた。
そしてこのことが、政治家・渡海紀三朗の原型を創ったとも言える。この代理選がなかったら、父の死後、私の出馬要請もなかったと思うからだ。

30年前の1980年は、私にとってそんな人生の節目の年だったのだ。
昨年の総選挙から1年と3か月余り、もう充電は十分だ。30年前の初心を忘れず、臨戦態勢で冬本番を迎えたい。