国土強靭化

平年より少し早い梅雨明けとともに本州各地は猛暑に覆われているが、一方で、1時間に100ミリ(ちなみに日本の平均降水量は年間1500ミリ程度)を超える、まさにゲリラ的な局地的集中豪雨の被害も続いている。

先々週は九州地方の北部3県で、死者・行方不明者32人、浸水家屋8254棟の大被害を被った。先週も北陸、九州で大規模な浸水被害が発生し、県内でも明石や神戸で10分間に20ミリという大雨に見舞われた。
気象庁は、重大な災害が差し迫っていることを分かりやすく伝えるため、6月から短文の警戒気象情報の発信を始めたが、先日の九州北部豪雨では「これまでに経験したことのないような大雨」という表現が早速使われることになった。

豪雨災害が激しさを増すほどに、水を治めることの難しさと大切さを痛感する。そして、昨年も紹介したが、砂防の父と呼ばれた赤木正雄氏(豊岡出身で、大正から昭和初期に内務官僚として全国の治水、砂防事業を指揮。戦後、貴族院議員、参議院議員を勤められた。)の言葉、「国を治めんとすれば水を、水を治めんとすればその上を治めよ」が思い出される。

古代より、治山治水は政(まつりごと)の基本である。日本の政治は、奈良時代から大規模な土木工事で、急流の改修に挑んできた。しかし、未だに自然を完全に制御することはできないし、未来永劫に不可能だろう。それは、1000年に1度の天変地異である東日本大震災の破壊力が示すとおりだ。

そして、東日本大震災は、三陸海岸の道路網寸断による村々の陸の孤島化、首都圏の交通麻痺による帰宅難民の大量発生、全国的な電力不足やサプライチェーンの破断による生産低迷等々、日本列島の脆弱性を改めて教えてくれた。
国民の安全で安心な生活を実現することは、いつの時代でも政治の基本であり、そのための強靭な国土づくりは、いつの時代も最重要政策の一つである。被災を完全に防ぐことはできなくとも、災害を避け、被害を軽減する努力は続けなくてはならない。

自民党はこういった観点から「国土強靭化基本法案」をとりまとめ、今国会に提案している。この強靱化法案は、大規模災害に備えた防災機能を高めるとともに、被災時の被害拡大の防止、社会機能の代替性の確保を図ることを主眼とする。さらには、効率性を第一に大都市への機能集中を進めてきた戦後の国土政策・経済政策が、一極集中の脆弱性を招いたことを反省し、分散連携型の国土を形成しようとするものである。

強靱化を進める基本政策として、
まず、①建築物の耐震化、百年単位の津波を防ぐ防潮堤の整備、数十mの津波到来に備えた避難路や避難ビル整備、30年に一度の豪雨に耐えられる河川堤防の強化、といった防災インフラへの重点投資を定め、
次に、②発災時に備えた緊急輸送路の整備、救急医療体制の確立、エネルギーの供給の多様化、様々な通信手段の確保といったソフト対策も掲げている。
さらに、③地域住民の「絆」の重要性に鑑み、隣保共同の精神に基づく自発的防災活動への支援等により、その維持、活性化を図ることとしている。

このうち①の防災インフラ投資については、需要創造効果があることは言うまでもない。日本経済を覆っている深刻なデフレを解消するためには、一定の財政出動が必要だ。その投資分野として防災減災事業は最適であろう。いずれは実施しなくてはならない投資であり、誰もが必要と認める投資だから。(少なくとも先日、政府が認可した整備新幹線に3兆円を投じるよりは全国的な理解が得られるだろう。)
この点は、公明党が唱える「防災・減災ニューディール」の推進とも軌を一にするものである。

平成26年4月の消費税率引き上げ想定時期まで2年弱。それまでに景気を好転させることが引き上げの条件だ。消費税法の改正法案の景気条項には「成長戦略や事前防災及び減災等に資する分野に資金を重点的に配分することなど、我が国経済の成長等に向けた対策を検討する」との記載も加えられている。
国土強靱化投資により、災害に強い安全安心な生活基盤を整える。併せてデフレギャップを解消し、消費税率引き上げに耐えうる経済力を確保する。この道筋は3党合意を実現するものでもある。
国民が一丸となって、この道を邁進するためにも、国土強靱化基本法案を一日も早く成立させてもらいたいものだ。

神の粒子

今年は「金環日食」や「金星の太陽面通過」といった昼間の天体ショーが繰り広げられ、一種の天文ブームが巻き起こった。そんな中、七夕まつりのころに紙面を賑わしたのが「宇宙の謎に迫る“ヒッグス粒子”発見か?」というニュースだ。
「宇宙の起源は何か?」は科学の究極の課題。英語でSPACE(空間)とよばれるように、古来、宇宙は何もない広がりと解釈されてきた。しかし、何らかの物質はあるのだ。

我々の身の回りの物質を構成するのは、原子とその複合体である分子。原子は、電子や陽子、中性子で形成される。このあたりまでは中学高校の理科の範囲でご存じだろう。それをさらに細かく、それ以上分けられない物質のレベルまで分析し、万物の組成、宇宙の起源まで追求していくのが「素粒子物理学」だ。
物質の最小単位である素粒子は、電子をはじめ、ニュートリノやトップクォークなど17種類であるという標準理論は、40年も前に構築されているが、そのうち実在が確認されていないのが「ヒッグス」という粒子。物質に質量をもたらす役割を担ってるという。今回発見された新素粒子がヒッグスであることが確定すれば世紀の大発見となる。

この大発見の舞台となったのは、スイス・フランスの境にある欧州合同原子力核研究所(CERN=セルン)の大型粒子加速器「LHC」。山手線の長さの約8割に匹敵する全周27㎞におよぶ実験装置で行われた日米欧の共同研究だ。円形の真空パイプの中には、光速近くまで加速した陽子が飛んでおり、この陽子同士を正面衝突させ、そのエネルギーで宇宙初期の状態を人工的に作り出すのである。

素粒子物理学は日本人の得意分野であり、湯川秀樹、朝永振一郎、小柴昌俊、南部洋一郎、小林誠、益川敏英の各氏がノーベル賞を授賞している。今回の実験でも、我が国から16の大学や研究機関から110人が参加、検出チームの責任者は日本人が担っている。
加えて「LHC」の検出器には日本の技術が数多く生かされている。陽子加速器の中核部品である超電導磁石は筑波研究学園都市の高エネルギー加速器研究機構が開発。生じた素粒子が飛び散った軌跡を調べる装置は、「ニュートリノ」の観測装置「カミオカンデ」の光センサーを作った浜松ホトニクスが担当した。

LHCの次なる計画、宇宙創造時の各素粒子の役割をさらに詳しく探る実験装置の計画も、日本主導で進められている。「電子と陽電子の衝突実験」に用いる次世代線形加速器、国際リニアコライダー(ILC)の開発だ。「電子」とその反対粒子である「陽電子」を衝突させることにより、ノイズが少ない原始宇宙状態を観察しやすいという。装置は全長30㎞に及ぶ巨大なモノとなり、LHCと同様、1兆円規模のプロジェクトとなることが想定される。

素粒子の探究は純粋な基礎科学であり、我々の暮らしに直結するものではない。EUにしても日本にしても財政状況が厳しい現在、こうした基礎研究への巨額投資には賛否両論がある。(民主党の事業仕分けのテーブルに乗せたら、間違いなく仕分けられるだろう…。)

しかし、自然の構造を紐解き、その理論を農業の改良に、工業製品の開発や医療技術の発展につなげることにより、人類は進歩してきた。人間に「なぜだろう」「なぜかしら」という知的好奇心が備わっていたから、今の暮らしがあるのだ。
今回の素粒子研究もいつかは人類の進歩に貢献するだろうし、少なくとも実験装置製作の副産物である超電導技術や粒子操縦技術は、リニアモーターや粒子線治療の向上に貢献している。それに、何度も主張しているように、天然資源に乏しい我が国は、知恵を磨くことにより国を建てて行かなくてはならないのだ。

いずれにしても私は、この種の「無欲の知の探究」が大好きだ。
「仮にもう一度新しい人生が与えられたら、何をしたいか?」と問われたら、「素粒子物理学の研究」という答えも私の選択肢の一つである。もっとも、その能力が備わっているか否かは私の知るところではないが…

国会事故調 報告書

東日本大震災から早や1年3ヵ月。被災地では、未だに34万人以上の方々が避難生活を強いられている。特に、福島第一原発周辺に住まわれていた方々にとっては、郷土の復興に全く先行きの見えない毎日が続いている。先祖から受け継ぎ、永年慣れ親しんだ故郷を瞬時にして奪ってしまったこの事態に、原子力災害の深刻さを思わずにはいられない。

先週5日、国会の福島原子力発電所事故調査委員会(黒川清委員長)が最終報告書をとりまとめた。これで、政府、東電、民間、国会の4つの事故調査委員会の報告が出そろったことになる(政府は中間報告)。
今回の報告書は、4つの報告の中で最も厳しく東電と政府の対応を糾弾しており、事故は想定外の「自然災害」ではなく、震災へのリスクを認識しながらも対策を先送りしてきたことによる「人災」だと結論づけている。

つまり、東電も政府も、福島第一原発は、地震・津波に耐える保障が無い脆弱な状態にあることを知りながら、政府が原発の安全性を高める規制を導入しようとすると東電はその先送りと基準の軟化を働きかけ、政府もそれを黙認してきたとの批判だ。
そして、こういった「なれあい」とも言える関係は、東電側が情報を独占し、専門性でも規制官庁よりも優位に立っていたことに起因し、「規制当局は電力事業者の『虜』になっていた」と説明した。

規制する側とされる側が逆転したような、この不適切な関係は、永年、原子力政策を推進してきた自民党の責任でもあり、深く反省しなくてはならない。
だからこそ我が党は、新たな原子力規制組織は内閣から独立した地位を有する委員会であるべきと主張し、民主党もこの案を受け入れ、原子力規制委員会が9月に設置されることとなった。原発再稼働の混乱を収束させるためにも、早期に委員人選を進め、一日も早く新たな安全基準が示されることを望む。

もう一つ、今回の報告で注目すべき点は、地震動により重要機器の損傷が生じた可能性を示したことである。これまでの見解では、いずれも揺れによる機器破損を否定し、事故の直接的な原因は想定外の巨大津波による浸水に限定してきた。
しかし今回、津波の到達時間などを検証した結果、少なくとも1号機の非常用電源の喪失は津波によるものではない可能性があると指摘した。事実確認にはさらなる検証が必要としているが、仮に事実であれば、古い耐震基準に沿って建設された原子炉の耐震安全性を直ちに再チェックしなくてはいけない。

さらに事故直後の初動対応では、首相官邸から現地事務所への直接的な介入が「現場対応の重要な時間を無駄にするだけでなく、指揮命令系統の混乱を拡大した」様を明らかにした。海水注入をめぐる「止めろ」「何でですか」「うるせえ。官邸がもう、グジグジ言ってんだよ」という発言録はその代表だ。
3月12日の首相による現地視察も「現場の士気を鼓舞したというよりも、自己のいら立ちをぶつけることで、むしろ現場にプレッシャーを与えた可能性もある」との見解だ。

菅前首相は「官邸の事故対応に対する評価や東電の撤退をめぐる問題など、いくつかの点について私の理解とは異なる」と発表したようだ。自己の行動を正当化したい気持ちは分からないではない。しかし官邸も東電もシビアアクシデントに対する備えが無かったことは事実であり、報告書はそれを指摘しているにすぎない。

今回の報告を持って事故の真相が解明されたわけではないし、検証が終わったわけでもない。報告書も提言しているように、今後も独立した第三者によって厳しく監視検証されるべきである。
フクシマ後の日本のエネルギー戦略は未だに定まっていない。しかし、安定供給と経済コストを考えればただちに原子力を放棄するという選択肢は考えにくい。一方で、福島第一原発の災禍を踏まえ、万全の安全性を確保しなくては原子力の未来が拓けないことも事実だ。

事故原因の真相究明と安全対策の確立、それに万が一の事態への備えは、今後の原子力エネルギー利用の必須条件なのだ。
我々は大自然の前に、絶対的な安全は存在しないということを学んだ。しかし、リスクにひるんで立ち止まっていては、人類の未来は拓けない。
フクシマの検証を10年かけても20年かけても明らかにし、世界のエネルギー政策に貢献すること。それが、東電に、政府に、そして日本の科学技術政策に科せられた責務である。

社会保障制度改革推進法

先週26日、「社会保障と税の一体改革関連8法案」が衆議院を通過した。
本会議の採決では「与党民主党から何人の造反者が出るか?」が注目されるという異様な展開となったが、結果的に自公民の合意案に国民新党とたちあがれ日本も賛成に加わり圧倒的多数で可決された。
社会保障改革推進法案には378票、税制改革法案には363票の賛成票が投じられたということは、衆議院議員の4人に3人(75%)が賛成していることになる。この結果の持つ意義=与野党の枠を超えて大多数の議員が社会保障制度の改革と消費税増税に賛意を示したという意義は非常に大きい。

先日も触れたが、社会保障制度は持続可能で安定した制度運営が求められる。特に年金は数十年の長期にわたる運営で、ようやく効果が発揮されるものだ。数年単位の選挙の度に制度が揺らぐようでは国民に迷惑がかかる。と言うよりも制度が存立し得なくなってしまう。故に、党派の垣根を越えて長期的視野で意見を集約し、その結果に対して責任を共有しなくてはならない。決して短期的な「政争の具」にしてはならないのだ。

永年に亘り超党派の議論を主張してきた私としては、今回の結果を歓迎したい。1年以内に制度改革案を得るために設置される「社会保障制度改革国民会議」では、その名のとおり全国民の参画による議論を期待したい。

この国民会議の設置を定める「社会保障制度改革推進法案」は、第二条で制度改革への「基本的な考え方」が示されている。小沢氏の動乱劇の影響か、消費税の増税法案ばかりが注目されているが、実はこの基本方針の方が重要だ。

― 自助・共助・公助の適切なバランスに留意し、自立を家族の助け合いなどを通じて支援していく
二 税金や社会保険料を納付する者の立場に立って、負担の増大を抑制しつつ、持続可能な制度を実現する
三 公的年金制度、医療保険制度、介護保険制度については、「社会保険制度を基本」とすることを明確にする
四 国民が広く受益する社会保障の費用をあらゆる世代が広く公平に分かち合う観点などから、社会保障給付に要する公費負担の費用は消費税を主要な財源とする。

第一項が示す方向性は、自助の重視、家族の再生だ。
かつて日本の社会は、子育ても介護も大家族の中で賄ってきた。家計も三世代が同居する「家」を単位としてきた。故に年金も含めた福祉に対する公費負担が比較的小さくて済んでいたのだ。少子高齢社会の進展に伴い、公助=税による福祉給付が急速に拡大するなか、今一度、家族の責任と役割を見直していかなくてはならない。

第三項では、公的年金制度等は社会保険制度を基本とすることを宣言している。
掛け金無しで、全額を税金に依存する最低保障年金という制度は、事実上あり得ないということだ。老後の生活保障は何らかの福祉的施策で考えるということだ。
これらの方針は、もちろん法案提案者である自民党が従来から主張している政策理念である。新制度の内容、制度改革の方向は、自ずと福田内閣・麻生内閣当時の「社会保障国民会議報告書」(平成20年11月)に近づいていくのだろう。

社会保障制度改革のみではない、行政を混乱させた「政治主導」はともかく、「子ども手当て」も、「高速料金無料化」も、「コンクリートから人へ」も、「公務員制度改革」も…、ほとんどの政権公約が自公政権時の政策に戻りつつある。
民主党の中には、未だにマニフェスト墨守を唱える方々もいらっしゃるようだが、そんなことよりも、この3年間の政策停滞の原因が破綻したマニフェストの正当化にあると反省して欲しいものだ。

小沢政局再来?…いつか見た光景

社会保障と税の一体改革関連法案への自・公・民3党合意から一週間。いつも見る風景になってきた民主党の党内抗争が繰り広げられている。おかげで修正法案の提出が遅れ、衆議院での採決は、3党合意時の約束だった21日(会期末)から会期延長後の26日にずれ込んだ。

民主党内での採決への対応は、両院議員懇談会で幹事長に一任することで執行部が押し切った形だが、小沢元代表らの「消費増税反対」の火は消えるどころか燃え上がっている。メディアで報じられているとおり、採決で「反対・棄権」などの造反者は50人を超える見込みで、離党・新党結成の可能性についても言及されている状況だ。(他党のことについてアレコレ言うべきではないのだが、そもそも民主党は、TPP対応、エネルギー戦略などについても議論百出で、政策に対する共通の理念がない烏合の集団と化しているのだから、さっさと解党すべきではあると思うが…)

どちらが与党なのか?という疑問はともかく、民主党内から少々の反対者が出ても、自民・公明が賛成する一体改革関連法案の成立は間違いない。
だが、離党者が54名以上になると民主党は衆議院でも過半数を割ることとなる。衆参ねじれ国会で、ただでさえ政権運営が不安定なのに、衆議院でも少数与党となれば、政権は益々厳しい情況に追い込まれる。
そればかりか、内閣不信案の可決も現実味を帯びてくる。もし内閣不信案が可決されれば野田総理は内閣総辞職はせず、迷わず解散を選択するだろう。解散政局は一機に現実に向かって進み出す。

永田町のそんな現状を見て、一つの出来事が脳裏をよぎった。宮沢内閣の時代、1993年(平成5年)6月の「政治改革解散」に至る小沢・羽田両氏の造反劇を想い出したのだ。
当時も通常国会の会期末、政治改革関連法案を巡る与野党合意の不調を責める形で野党(社会・公明・民社党)が17日に宮沢内閣不信認案を提出した。それに、与党自民党内から小沢・羽田両氏をリーダーとするメンバーが造反、賛成票を投じた。18日、不信任は可決され、政局は一気に解散総選挙へとつき進んだ。

あの時の政局の転回は極めて早かった。6月上旬には解散風など全く無く、18日の会期末を目前に、各委員会では恒例の海外視察の計画などを立てていた。私は夏休み明けの9月に新党を結成すべく、仲間と秘かに勉強会を重ねていた。それが解散により、急遽スケジュールを前倒しし、解散後の21日に「新党さきがけ」を立ち上げる事になったのだ。
「政界は一寸先は闇」と言われるが…、正にその言葉を絵に描いたような数日間だった。

今回は一体改革関連法案の3党合意が成立しているから、いきなり内閣不信任案可決という筋書きは無いだろう。しかし、予算執行権を左右する「赤字国債発行法案」や一票の格差是正が必須となっている「衆議院選挙制度改正法案」、など、まだまだ不信任の火種となる重要法案は山積している。

政治は「シナリオないドラマ」なのだ。今の政治状況下では何か起きても不思議ではない。常在戦場の心構えで戦いの準備を怠ってはならない。
いずれにしても、遅くとも一年後(衆参同日選同時が最遠と想定)には必ず戦いはやって来るのだから。

三党合意

通常国会の会期末を目前にして繰り広げられた「社会保障と税の一体改革関連法案」に関する修正協議。(予定どおり?)先週末の15日、自民、民主、公明の3党は、同法案を修正し、我が党が提案した「社会保障制度改革推進法案」とともに可決することに合意した。

3月末の法案閣議決定から2か月半、2月の「社会保障・税一体改革大綱」の閣議決定から5か月、そして「社会保障・税一体改革成案」(平成23年7月1日閣議報告)からは約1年である。
今回の修正協議で、税制改正については、ほぼ、1年前の「成案」のとおり実施されることとなった。一方の社会保障制度改革は「成案」の段階に戻った形で、年金・医療保険・介護保険・少子化対策・生活保護の制度改革について、論点を確認した上で、(民主党マニフェストの枠に捉われることなく)現実的な改革をめざし「社会保障制度改革国民会議」で超党派の協議を始めることとなる。
余談だが1年前の「成案」の実質的な作成者は、麻生内閣の財務大臣を務め、後に自民党を飛び出した与謝野馨氏であり、その内容に我が党が異議を唱える余地は少ない。

既にこのコラムでも言及したが、数週間前の特別委員会の質疑で、茂木政調会長が「国民会議」の提案をした時に、私は「助け舟」との印象を持ち、合意の成立は時間の問題だと考えていた。ともかく、衆参ねじれ国会が常態化している現状で、与野党が国家の基本政策について合意形成のプロセスを見いだしたことは画期的であり、今回の結論を歓迎したい。

社会保障は全ての国民に関わる問題であり、長期の持続性・安定性が求められる。どの政党が政権を担当しようと短期的な視野による制度急変は許されない。故に与野党の枠を超えて制度設計に責任を持たなければならない。
その意味でも今回の合意=超党派で国民的議論を行う方針が決定された意義は大きい。

週末の報道番組で、コメンテーターのジェラルド・カーティス氏[※]が、「半年前にこの問題について問われたら、『今のタイミングで消費税を上げるより、他にすることがあるだろう』と話したろうが、今日、6月15日の時点で現実的に考えれば、この法案がもし通らなかったら、政治が混乱し、経済にもマイナスだろうし、国際的にも信頼がなくなる。『国益』を考えればこの法案は通すべきである」と言及されていた。極めて的を射たコメントだと思う。

ギリシャ議会選挙の結果を踏まえEUとユーロの危機が唱えられるなか、今日(18日)からメキシコでG20が始まる。速報によると緊縮財政派の2党で過半数を占め、ひとまずギリシャのEU離脱は避けられるようだが、ユーロ経済圏の状況が即座に安定するとは思えない。各国首脳の話題は、ヨーロッパ発の世界経済危機をどう抑止するかという点に集中するだろう。
ここ20年も停滞しているとは言え、アメリカ、中国に次ぐ第三の経済大国“日本”に求められる役割は大きい。内政問題に終始している場合ではないのだ。

我が国の通貨“円”が安定した地位を築いているのは、経常収支の黒字に個人金融資産の大きさ、そして国民負担率の低さ=消費税の引き上げ余力があると言うのが国際的な認識だろう。
約20%の消費税のさらなる引き上げを迫られているEU諸国から見れば、多額の資産を抱える日本が、わずか10%への引き上げに何を躊躇しているのかというところかもしれない。(まして、与党民主党内の派閥抗争で決断が遅れているとは思ってもみないだろう…)

野田首相は21日の会期末までに衆議院で「社会保障と税の一体改革関連法案」の採決を行うと明言されてきた。ただ、民主党では与野党合意の後に自党内の了承を取り付けるという、極めて異例な手続きが進められている。
政治生命を賭した総理の決意が、まさか先送りになるようなことはないと思うが…?

[※]アメリカの政治学者。コロンビア大学東アジア研究所所長、東京大学法学部客員教授等歴任。

晴れたらいいね

5月の播州地方は思った以上の少雨(平年の43%の降水量)だったらしく、先週金曜日には、11日から加古川大堰の取水制限を行うことが決定されていた。これから田植えにかかろうという農家の方々は気が気でなかったに違いない。
その直後、先週末の雨とともに近畿地方の梅雨入りが宣言され、制限はひとまず未執行に終わった。この一週間で加古川平野の田園には水が張られ、早苗が並ぶ美しい水田風景に模様替えするだろう。

梅雨の長雨は、稲作には無くてはならない気象である。特に盛夏の雨量が少ない瀬戸内海地方にとっては、ため池に水を満たしておくために不可欠だ。
しかし一方で、じめじめと蒸し暑いこの一月余りは決して過ごしやすい季節ではない。むしろ気分は鬱陶しく、体調も崩しやすい。
「梅雨」の語源である中国語「黴雨(ばいう)」の「黴」はバイ菌のバイであり、カビのことである。カビはもとよりサルモネラ菌やブドウ球菌等々、つゆ時期の高温多湿は細菌の増殖にも最適だ。食中毒にも気をつけなくてはならない。

ところで、このところ全く日が差さず、カビがはびこった感のある永田町。
決められない政治に国民の不満と不信は最高潮に達し、今や世論調査の政党支持率で第一位を占めるのは「支持政党無し」に定着してしまった感がある。
その永田町の今週。通常国会の会期末を21日に控え、まさにヤマ場を迎える。先週末には総理がようやくながら原発再稼働の意思表示をし、また、15日を実質上の期限として「社会保障と税の一体改革関連法案」についての民主、自民、公明の修正協議も始まった。

この修正協議の成否は、日本の政治が意思決定能力を有するか否かを示すものとなるだろう。仮に金曜日までに何も決められなければ、総理がその地位を危うくするのみならず、既成政党そのものが存在意義を問われることになる。

確かに、「年金のあり方」や「高齢者医療保険」をはじめとする社会保障制度の根幹に関する議論を棚上げし、消費税増税や被用者年金の一元化等のみを決定することには抵抗感もあるかもしれない。
しかし、今、合意できる部分だけでも決定していかなくては、改革を一歩でも進めなくては手遅れになる。それだけ、日本の財政は傷んでいるということを国民にご理解をいただかなくてはならない。

本来、社会保障制度は時間をかけて、じっくりと議論すべき課題である。「棚上げ」という消極的な受け止めではなく、今回の協議手法をこれからの与野党協議のルールとして確立していくという気概が欲しい。
社会保障制度や税制のみならず、国防も、外交も、通商も、いづれの政党が政権を担うにしても政権交代の度に180度方向転換できるはずがない。国家の基本政策は常に与野党が協議し、一定の大枠を定めておくべきなのだから。

梅雨の語源は、梅の実の熟する季節という説もある。この一週間、実りある議論を尽くし、野田総理には晴れ晴れとした、後顧無き気持ちで18日からのG20に臨んでもらいたい。
「晴れたらいいね」という、DREAMS COME TRUEのヒット曲がふと頭をかすめる、今年の梅雨入りである。

助け舟

「社会保障と税の一体改革関連法案」の審議時間は、連日の集中審議の成果で既に63時間を数える。各党の主張が出そろい、論点もほぼ明確になってきたようだ。
これまでの質疑で私が最も注目したのは、我が党の茂木政調会長が提案した「社会保障制度改革国民会議」である。 党内ではこの会議の創設を含む政府案への対案「社会保障制度改革基本法案」が了承され、近々国会に提出される予定である。

これまで自民党は、関連法案成立に協力する前提として、民主党マニフェストの象徴でもある「最低保障年金の創設」や「後期高齢者医療制度の廃止」の撤回を要求してきた。しかしそれでは、あまりにもハードルが高く、歩み寄りは絶望的だった。

民主党の看板政策を自民党案に掛け替えることはできないと言うのなら、一時棚上げして「国民会議」の場で協議のうえ国民の総意として修正してはどうかと、茂木氏が「助け舟」を出したのだ。マニフェストに揚げた政策の旗を今すぐ降ろす訳ではないので「公約違反」との批判を弱めることはできる。極めて現実的で妥当な提案だ。

厚生年金と共済年金の一元化や介護保険料の抑制、社会保障番号の導入などは、政府案と自民党案でほとんど違いはない。少子化対策における待機児童抑制や医療保険の財政基盤の安定化も政策の方向としては同じである。腹を割って(足して二で割るのでなく)しっかりと政策協議を行えば、より良い案が見つかることもある。

野党がここまで歩み寄り、手を差し伸べているのだから、政府には一体改革関連とされる十数本の法案をもう一度見直し、すぐに採決すべきもの、国民会議に委ねるものに再整理してもらいたいものだ。

そんな中、先週30日と3日の二度にわたり、野田首相と小沢元代表との会談が行われた。予想されたことではあるが、首相の協力要請を小沢氏は拒否、両者の主張は平行線で終わった。この結果を受けて、首相は、ようやく小沢氏の説得をあきらめ(?)、野党の協力に向けて舵を切ったようだ。4日には問責決議を受けた2大臣をはじめ、審議の足かせになる閣僚を交代させる内閣改造を行われる。福島と神戸で地方公聴会も開催され、着々と採決に向けて環境が整えられつつある。

気がかりなのは自民党の姿勢がもう一つ定まらないことだ。谷垣総裁は未だに「解散総選挙の確約」「会期中の採決に向けての日程提示」を求められているが、見方によってはハードルを上げようとしているようにも見える。こちらから提案した条件に相手が応じたら、さらに条件が追加されるのでは、自民党の姿勢が問われかねない。

政治の課題は消費税だけではない。決められない政治から脱却するためにも、ここは与野党とも大人の対応が必要だ。

EUの債務危機

フランス、イタリア、ギリシャ…、EU諸国を政権交代の嵐が襲っている。経済的には優良国であるドイツでも、地方選挙で野党(反メルケル勢力)が躍進している。いずれの国でも、昨年来、各国協調のもと取り組んできた緊縮財政に対して国民は否とする答えを提示している。

EUが加盟各国に厳格な財政規律を求めざるを得ないのは、単一通貨ユーロの金融政策と財政の主体が異なるという構造的な理由によるものだ。ご承知のとおりユーロはEU中央銀行によって管理されている。一方で、経済力は各国まちまちであり、財政の主体も各国政府である。そもそもドイツとギリシャの通貨価値、調達金利が同一であると言う点に無理がある。が、何とかユーロの信用力を維持するために各国に財政安定が求められている。

しかし、ギリシャをはじめ南欧ではうまくいかなかった。2000年当時のギリシャの通貨はドラクマ、国債の金利は約17%だったという。それがユーロ導入と同時にドイツと同じく5%程度で資金調達ができるようになった。この結果、放漫財政と過剰消費が進んでしまった。国債購入者の7割以上が海外であり、外国人の資金引き上げが始まると同時に財政は崩壊した。同様の問題は、イタリアやスペインなどの南欧諸国でも抱えている。

もう一つ、西欧の国民が財政規律の引き締め=増税に反対する理由は、すでに国民負担が限界に達しているからだ。各国とも消費税率は軒並み20%級、これに社会保険料を加えた国民負担率は60%を超える国もある(我が国ではまだ40%で中負担の入り口)。これに、さらなる負担を求められれば、「イヤだ」と言うのも分からないではない。

経済成長と財政再建の両立というのがフランスのオランド新大統領の公約であり、過日のG8の合意事項でもある。締め付けるだけでなく成長によるパイ拡大で税収を確保しようというものだ。しかし、我が国を始めその実現は簡単ではない。EUでは、まず各国間の財政調整システムのルールづくりが必要だろう。

一方の日本の財政。政府の債務残高は1000兆円、GDPの2倍を超えているが、国民の個人金融資産もまだ1400兆円以上ある。そして国民負担率はまだ40%(税20%、保険料20%)であり、あと10%くらいは引き上げ余地がある。それが、円が世界から資金を集める安定通貨となっている大きな理由である。しかし、その金融資産は年々減少し、債務残高は年々増大している。両者のバランスが崩れる可能性を考えると、ギリシャは決して「対岸の火事」とは言えない。それ故に社会保障と税の一体改革を急がなくてはならないのだ。

ギリシャでは来月17日に国会議員の再選挙が予定されている。仮に緊縮財政放棄政策が選択され、ユーロ脱退という事態に至れば、EUの経済不安は世界恐慌に繋がりかねない。
先週24日、ギリシャ支援策を協議するEU緊急首脳会議の議論は未明まで続いた。
一応、緊縮策実行の合意を守った上でユーロ圏にとどまるようギリシャに求めることでは一致したようだが、「ユーロ共通債」(共同発行債)の導入など、危機対応の具体策をめぐるドイツとフランスの溝は埋まっていない。世界経済を揺るがしているEU危機が鎮静化に向かうかはまだまだ不透明だ。

迷走する電力不足対策

先週金曜日のエネルギー・環境会議(関係閣僚会議)で、今夏の電力需給見通しと節電対策がとりまとめられた。原発の再稼働が無いという前提で、関西電力管内は15%の節電が必要となり、計画停電の準備も進めるというものだ。

そして土曜日には、急遽、細野原発事故担当大臣が関西広域連合の知事・市長会議に出席し、大飯原発再稼働への同意を求めた。民主党得意のパフォーマンス戦法といったところか…。しかし、説明の中身は4月に公表済みの安全基準の繰り返しのみ。このような場当たり的な説明で同意が得られるはずもなく、各知事・市長から手厳しい批判を浴びたのみで、議論は平行線に終わった。
わざわざ細野大臣に説明してもらわなくても、3項目の安全基準くらいは読めばわかる。大臣が出席し、頭を下げれば納得してもらえると考えるのは大きな間違いだ。

そもそも、関西広域連合の首長たちは政府の安全基準そのものを否定している訳ではない。疑問点は、この基準のみで十分なのか?そして、大飯原発が基準に適合していることを誰がどう判断したのか?ということだ。
4大臣会合で判断したと言われるが、失礼ながら野田首相、枝野経産相、細野原発担当相、藤村官房長官の4閣僚の方々=素人集団の判断では、誰も納得しないのではないだろうか?
本来、こういった手続きは新設される「原子力規制庁」が担うはずだった。しかし現時点でできていないものは仕方がない。それなら暫定的な措置として、現存する専門家集団として原子力安全委員会とか原子力安全・保安院の人材を活用すべきだろう。

誰も計画停電を体験したい訳ではない。原発を動かせるなら動かしてもらいたい。
だが、安全の確保はその大前提である。電力が不足するから原発を早く再稼働させたいというのは本末転倒の論理であり、安全確認と電力需給対策とは、きっちり分けて議論すべき課題だ。
だいたい菅直人前総理が、なぜ危険かという判断基準を設けず、やみくもに浜岡原発を止めてしまったこと、定期点検前まで何の問題もなく動いていた原発を点検に入ったとたんに不良品扱いする取り扱いをしてしまったことが問題なのだ。
4月に示された安全基準程度の内容は、官僚の間ではとっくの昔にできあがっていたはずである。それをせめて半年前に示していれば今日のような混乱は招かなかったであろう…

電力問題は今年だけの課題ではない。早く来年以降の需給計画=エネルギー戦略を立案しなくては、一年後も停電の夏を迎えることになる。
中長期の需要はどうなるのか? 原子力をどの程度利用するのか? 火力(天然ガスコンパインド方式)発電所をどれくらい新設するのか? 天然ガスの調達はどうするのか? 等々をしっかり議論することが大切だ。