タレント議員の今昔

参議院通常選挙が終了し、8月1日から5日まで臨時国会が開かれた。臨時国会の主な目的は、新しい参院議長を選出すること。新天皇ご臨席のもと開会式が行われ、先立つ本会議で選出された山東昭子新議長が陛下退出時の先導役も務めた。

参院議長に就任した山東昭子議員は今回の選挙で当選8回、既に42年に亘って議員生活を続けている。自民党の比例代表選挙における定年には抵触しているが、前回に引き続き特例扱いで立候補されていた。

特定の組織を持たない彼女にとって今回の当選順位は19人中18位と厳しい結果ではあったが、8回目の栄冠を見事に勝ちとられた。選挙中から今回の立候補の動機は議長であると言われていたが、他の有力候補の落選もあり、異論もなくスンナリと決まったようだ。
女性の社会進出が遅れている日本にあって特に遅れているのが政治の世界である。山東新議長のこれからの活躍を大いに期待したいと思う。

山東議員といえば、初出馬以前は女優であったことを知る人も多いだろう。いわゆる「タレント議員」のさきがけの一人である(勿論、彼女のこれまでの議員活動の実績からすれば、何ら問題とはならないのだが)。

知名度が選挙に有利に働くことを利用して政治家になった議員を一括して「タレント議員」と言うようだが、知名度を産み出したタレント性は議員によって千差万別である。中には「タレント議員」という呼称を良しとしない政治家もいる。石原慎太郎氏や舛添要一氏は立候補時に抜群の知名度を誇ったが、彼らをタレント議員と称したら“大変失礼”なことになる。
「タレント議員」という表現は、人気稼業(芸能人やスポーツ選手)出身者に限定すべきなのだろう。

作家や芸能人など、高い知名度を持つ議員は帝国議会創設間もない時期からいたようだがが、一般的にタレント議員第一号と言われるのは1946年戦後初の衆議院選挙に、東京1区で当選した吉本興業(当時東京吉本)所属の演歌師・石田一松のようだ。当時はタレントという用語は無く、「芸能人代議士」と形容されていた。

「タレント議員」という呼称がマスコミ等で使用されるようになった契機は、職業を「タレント」と称した藤原あきさんが、1962年の参院選でトップ当選した際の報道だった。
山東昭子氏が当選したのは1974年の参院選だが、同じ選挙で元NHKアナウンサーの宮田輝氏がトップ当選。3年後の参院選では同じくアナウンサーの高橋圭三氏が当選している。

1983年には参院選の全国区制が廃止、政党重視の拘束名簿式比例代表制が導入され、タレント政治家は必ずしも有利とは言えなくなった。しかし、2001年から個人名でも投票できる比例代表制、非拘束名簿式に改定されたため、知名度による集票力を見込んで政党がタレント候補を擁立するケースが注目されるようになった。

今回の比例ではタレント候補が12名立候補したが、結果は前述の山東氏と元スケート選手の橋本聖子氏ら前職と、立民新人の元格闘家の須藤元気氏の3名が当選したのみ。話題を集めた元アイドルはあえなく落選。集票力は限定的だったようだ。一方で落選したものの、山本太郎氏が“れいわ”の2議席確保に大きく貢献したことは特筆される。

今回の選挙結果で、個人的な知名度に頼るといった政党の安易な選挙戦術は、もはや功を奏さないということがはっきりした。国民の意識の変化と分析することもできるし、SNSの利用という新しい選挙ツールが反映された結果との見方もある。
自民党の比例区で立候補した山田太郎氏は、山本氏と同じく特定の組織を持たない候補だったが、539,566票を獲得して実質的に比例順位2位で当選した。支援者から若者が多く利用するLINEやツィッターで、政策や街頭演説の情報を拡散してもらう“ネットどぶ板”選挙を展開し、再選を果たした。

いずれにしても、衆議院の小選挙区では政権運営の成否で風向きは一気に変化する。これからも日々緊張感を持って活動して行きたい。
連日猛暑が続いておりますが、皆様にはご健勝でお過ごし頂きますように。