数度に亘る台風の来襲や集中豪雨など天候不順に見舞われ、猛暑にも悩まされた今年の夏。
10月に入ってからはやっと秋らしくなり、このところは「朝夕はめっきり涼しくなり、日に日に寒くなって来る・・・」などの言葉が様々な挨拶の冒頭で使われるようになってきた。
そんな中、13・14日には我がふるさとの一年で最大のイベント、曽根天満宮秋季例大祭が挙行された。
今年は2日とも絶好の祭り日和に恵まれ、町中が老若男女問わず大いに盛り上がった。我が曽根をはじめ播州地方(特に浜手)の一年は“祭り”を中心に廻っていると言っても過言ではない。祭りが終わった次の日から来年の祭りにむけて、新しい暦が始まるのだ。10月末には各町で打ち上げや反省会が行われ、来年の祭りに向けての思いを熱心に語り合う。それほどに生活の中で“祭り”は重要な地位を占めている。
曽根天満宮では正月の初詣に、振る舞い酒とカレンダーの無償配布が恒例となっているが、カレンダーを飾るのはもちろん各町の屋台の雄姿だ。これは大人気の品で、手に入れるには、紅白が終わる前から行列していただかなくてはならない。この氏子青年会によるカレンダー配布が始まってから、初詣のお客さんが爆発的に増えたという。
ちなみに正月の本殿には真新しい大しめ縄が飾られているが、それは氏子青年会が梅雨明けの頃から天日干しした藁で年末に編み上げたものである。
秋祭りの本格的な準備は、お盆が明ける頃からそれぞれの町内でスタートする。8月中は下準備の会合が頻繁に行われる。9月になると、各町持ち回りの“一ツ物”(*印)当人が決まり、あちこちの屋台蔵からは太鼓の音が聞こえてくる。
9月末からは屋台の飾り付けがはじまり、主な通りには祭り提灯と屋台のシンボルカラー紙垂棒が飾られ、徐々に祭りモードが町内の隅々まで浸透していくのだ。
このころから神戸新聞の播磨版では、どこそこの町の屋台が新調されたとか、どこそこでは太鼓合わせの稽古を始めたとか、秋祭りの話題が毎日のように紙面をにぎわすようになる。
10月10日過ぎになると、まちに若者が増えてくる。東京や大阪に出て行った者が祭りのために帰ってくるのだ。お盆や正月に帰省しなくとも、秋祭りには必ずふるさとに帰り、締め込みをしめて屋台を担ぐ。それが曽根で生まれ育った若者の責務だ。
13・14日の本番を迎えると、近隣から多くの見物客も訪れ、人々があふれる境内での屋台練りが始まると祭りは最高潮に達する。
古来より“鎮守の森”と称される神社は、地域を見守ってきたシンボルであり、街づくりの中心でもあり地域の人々の心の拠りどころであった。
今、人口減少による地方の衰退が大きな課題となっている。大都市圏の力に依存せず、地方から元気をつくっていくためには、住民一人ひとりのふるさとへの思いが一番大切だ。
各地域の神社で執り行われる“祭り”への参画は、ふるさとへの意識醸成に大きな力となるのではないだろうか。
我がふるさと曽根の祭りは、数百年の歴史(神社は平安時代の創建)を有する。今の様な祭りは氏子である住民が長年にわたり作り育て上げてきた行事で、地域の宝であり、誇りである。故に遠方へ巣立っていった若者も祭りの季節を忘れない。だから、彼らは決して“ふるさと”を忘れることはない。
地域創生のためにも、歴史あるふるさとの宝を次の世代にしっかりと引き継ぎ、さらに繁栄させたいものだ。
*一ツ物:祭りの期間中に一ツ物当人(6~7歳以下の男子児童)に神が宿り、その所作や言葉で神の意志を見ようとする最も大事な祭りの神事。