8月4日から2泊4日の強行軍で、ミャンマーを訪れた。今回の調査は公益財団法人オイスカの活動を支援する議員連盟によるもので、私の他に青山周平(愛知12区)、高木宏壽(北海道3区)、中川郁子(北海道11区)、務台俊介(長野2区)の4人の衆議院議員が参加した。
オイスカ(OISCA)とは、「The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-International」の略で、直訳すると「産業と精神文化の発展に貢献する国際機関」と言ったところか。現実の活動は、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開しており、人材育成に特に力を入れ、各国の青年が地域のリーダーとなれるよう研修を行っている。
議連は衆参国会議員80名で構成しているが、今回私に同行した4名はいずれも一昨年の総選挙で初当選を果たし、新たに議連に加入した面々。彼らにオイスカの活動を肌で感じてもらうことも調査目的の一つである。
思い起こせば私も28年前の初当選直後、議連の新顔としてフィリピンを訪問。マニラから車で6時間かけてオイスカの活動拠点を視察した。現地の社会に完全に溶け込み一人で頑張っておられる日本人の若者の姿に大いに感銘を受け、その後の政治活動の礎となった。
今回訪れた活動拠点はミャンマー北部のイェサジョ郡の農林業研修センター。ミャンマーと言えば、ヤンゴン近隣の「ティラワ」やタイと隣接した南部の「ダウェイ」といった経済特区の大規模開発に沸いている。一方でイェサジョ郡が属する中央乾燥地域は細々とした農業が行われる地域であり、貧困対策のための農業技術支援、そして生活環境の改善が求められている。
この地にオイスカが着目したのは1994年。現地調査を経て96年にはミャンマー政府と協定締結、97年には日本政府の資金も得て研修センターを開設した。
この施設では、①農村青年に農業実習を中心とした11ヶ月のリーダー育成研修を行うなどの人材育成事業、②子どもたちが学校単位で森づくりに取り組む「子どもの森計画」といった環境保全事業、③乾燥地域に適した稲作技術や畜産技術の実地指導等を行う農業開発支援、④トイレや貯水タンク設置をはじめ集落の生活改善に取り組む地域開発支援事業が行われている。主役は日本で研修を受けたミャンマーの未来を担う若きスタッフたちだ。4名の新人議員も、自らの目で海外協力の実態を確認し、NGOによる開発支援の成果を大いに実感したことと思う。
2011年の民政移管以降、ミャンマー政府は国内における民主化、法の支配、国民和解、経済改革を実施、様々な前向きな取り組みを実施している。1954年に日本との国交が樹立されてから、今年で60年を迎えるが、両国の関係は非常に良好であるといえる。
人口約6000万(必ずしも正確とは言えないらしいが…)というマーケットとしての魅力もさることながら何よりもミャンマーの人々のメンタリティ(人生における価値観と言った方が良いのかも?)が日本人に近いのではないかというのが訪問したメンバー全員の一致した感想である。
余談だが、ミャンマーは第二次大戦の激戦地であっただけに日本人戦没者の墓地や慰霊碑が数多く残る。今回、私たちも調査の合間に、ある寺院の慰霊碑を訪問し、「鎮魂」の文字も鮮やかな石碑に手を合わせた。遠く祖国を離れた地で散って行かれた御霊に改めて哀悼の意を表すとともに、鎮魂碑を美しく管理してくださっているミャンマーの方々に感謝を表したい。先の大戦が終わってから70年近く、平和が維持されてきたが故に、今日の日本の繁栄は達成された。ミャンマーをはじめ戦地となった国々の発展を全力で応援することは我々の最低限の責務だ。
ミャンマーについては、環境問題や人材育成など我が国が協力できる分野も多く、今後、二国間の関係強化により一層力を注いでいきたい。