今年は「金環日食」や「金星の太陽面通過」といった昼間の天体ショーが繰り広げられ、一種の天文ブームが巻き起こった。そんな中、七夕まつりのころに紙面を賑わしたのが「宇宙の謎に迫る“ヒッグス粒子”発見か?」というニュースだ。
「宇宙の起源は何か?」は科学の究極の課題。英語でSPACE(空間)とよばれるように、古来、宇宙は何もない広がりと解釈されてきた。しかし、何らかの物質はあるのだ。
我々の身の回りの物質を構成するのは、原子とその複合体である分子。原子は、電子や陽子、中性子で形成される。このあたりまでは中学高校の理科の範囲でご存じだろう。それをさらに細かく、それ以上分けられない物質のレベルまで分析し、万物の組成、宇宙の起源まで追求していくのが「素粒子物理学」だ。
物質の最小単位である素粒子は、電子をはじめ、ニュートリノやトップクォークなど17種類であるという標準理論は、40年も前に構築されているが、そのうち実在が確認されていないのが「ヒッグス」という粒子。物質に質量をもたらす役割を担ってるという。今回発見された新素粒子がヒッグスであることが確定すれば世紀の大発見となる。
この大発見の舞台となったのは、スイス・フランスの境にある欧州合同原子力核研究所(CERN=セルン)の大型粒子加速器「LHC」。山手線の長さの約8割に匹敵する全周27㎞におよぶ実験装置で行われた日米欧の共同研究だ。円形の真空パイプの中には、光速近くまで加速した陽子が飛んでおり、この陽子同士を正面衝突させ、そのエネルギーで宇宙初期の状態を人工的に作り出すのである。
素粒子物理学は日本人の得意分野であり、湯川秀樹、朝永振一郎、小柴昌俊、南部洋一郎、小林誠、益川敏英の各氏がノーベル賞を授賞している。今回の実験でも、我が国から16の大学や研究機関から110人が参加、検出チームの責任者は日本人が担っている。
加えて「LHC」の検出器には日本の技術が数多く生かされている。陽子加速器の中核部品である超電導磁石は筑波研究学園都市の高エネルギー加速器研究機構が開発。生じた素粒子が飛び散った軌跡を調べる装置は、「ニュートリノ」の観測装置「カミオカンデ」の光センサーを作った浜松ホトニクスが担当した。
LHCの次なる計画、宇宙創造時の各素粒子の役割をさらに詳しく探る実験装置の計画も、日本主導で進められている。「電子と陽電子の衝突実験」に用いる次世代線形加速器、国際リニアコライダー(ILC)の開発だ。「電子」とその反対粒子である「陽電子」を衝突させることにより、ノイズが少ない原始宇宙状態を観察しやすいという。装置は全長30㎞に及ぶ巨大なモノとなり、LHCと同様、1兆円規模のプロジェクトとなることが想定される。
素粒子の探究は純粋な基礎科学であり、我々の暮らしに直結するものではない。EUにしても日本にしても財政状況が厳しい現在、こうした基礎研究への巨額投資には賛否両論がある。(民主党の事業仕分けのテーブルに乗せたら、間違いなく仕分けられるだろう…。)
しかし、自然の構造を紐解き、その理論を農業の改良に、工業製品の開発や医療技術の発展につなげることにより、人類は進歩してきた。人間に「なぜだろう」「なぜかしら」という知的好奇心が備わっていたから、今の暮らしがあるのだ。
今回の素粒子研究もいつかは人類の進歩に貢献するだろうし、少なくとも実験装置製作の副産物である超電導技術や粒子操縦技術は、リニアモーターや粒子線治療の向上に貢献している。それに、何度も主張しているように、天然資源に乏しい我が国は、知恵を磨くことにより国を建てて行かなくてはならないのだ。
いずれにしても私は、この種の「無欲の知の探究」が大好きだ。
「仮にもう一度新しい人生が与えられたら、何をしたいか?」と問われたら、「素粒子物理学の研究」という答えも私の選択肢の一つである。もっとも、その能力が備わっているか否かは私の知るところではないが…