球春

3月21日に幕を開けた第84回センバツ高校野球大会は、早くも明日、決勝戦を迎える。
毎年のことながら、今大会も球児たちのひたむきなプレーが、多くの名勝負を生み、全国のファンに大きな感動をもたらした。
が、今大会で一番感動的なシーンは、ゲームではなく開会式での見事な選手宣誓だったかもしれない。

全国32校から抽選で宣誓の大役を勝ち取ったのは、東日本大震災の被災地から出場した石巻工業高校(宮城県・21世紀粋)の阿部翔人主将。
震災直後の昨年の大会では、創志学園高校(岡山県)の野山慎介主将が、避災地の方々に心温まるエールを贈ったが、今度は被災地の球児から復興への誓いが全国に響いた。

平成23年3月11日、大津波は石巻工業高校のグラウンドも飲み込んだ。いつものように練習をしていた野球部員たちの日常が一変した。部員の7割の自宅が被災し、彼らは3日間学校に取り残された。
震災後の厳しい環境の中で、津波で荒れたグラウンドを自らの手で整備し、支援に送られたボールに書き込まれた励ましの言葉に勇気づけられながら、決して締めることなく練習に励んできた石巻工業の選手達。テレビで放送された一年間の彼等の姿が宣誓の言葉に重なる。

「人は誰でも、答えのない悲しみを受け入れることは苦しくてつらいことです。しかし、日本がひとつになり、その苦難を乗り越えることができれば、その先に必ず大きな幸せが待っていると信じています。だからこそ、日本中に届けます。感動、勇気、そして笑顔を。見せましょう日本の底力、絆を。我々高校球児ができること、それは全力で戦いぬき、最後まであきらめないことです。」
歯切れの良い言葉で、しっかりと語られたこの宣誓に、スタンドでテレビの前で、多くの人々が涙した。日本中の方々が、大きな拍手を贈った。

今年の大会では、被災地の中学生が3日目(24日)の各試合前の始球式に招かれるという企画もあった。例年、地元近畿の小中学生に登板の機会が与えられるのだが、主催者の計らいで福島、宮城、岩手の3県を元気づけるために実施されたものだ。
原発事故で自宅を離れ、避難先のいわき市で野球を続けている少年、自宅が津波で全壊した亘理町の少年、グラウンドが仮設住宅で埋め尽くされた大船渡市の少年、それぞれ立派に大役を果たした。次は高校球児となって、ぜひ、甲子園のマウンドに戻って来て欲しい。

始球式と言えば、平成20年3月、私は文部科学大臣として第80回センバツ高校野球大会開会日のマウンドに立った。ただ、私には考えがあって、始球式のボールを一人の高校球児に詫した。
慣例が崩れることを極度に嫌う文部科学省の官僚からは、「恒例のことだから、是非、投げて欲しい」と再三再四要請を受けたが、私は自分の考えを押し通した。
私の投球を期待してテレビを見ていた選挙区の皆さんからはお叱りを頂くことになったが、今でも「あれで良かった」と思っている。
甲子園は、高校球児にとって何物にも替え難いあこがれの聖地だ。その舞台に大臣といえども政治家の始球式は似合わない。

さて、話を戻して今大会。
現時点で、東北の雄「光星学院」(青森)の快進撃が続いている。被災地に感動と勇気と笑顔を届けるために、日本の底力を奮い起こすためにも、東北勢初の優勝を勝ち取ってもらいたいものだ。