梅の香りに

三寒四温の語のとおり寒暖の繰り返しのなかで、厳しかった今年の冬も漸く終わりを告げたようだ。我がまちの曽根天満宮も遅ればせながら梅花の見頃となり、甘い香りが境内に満ちはじめてきた。例年は2月の終わりに満開になっていると思うから、季節の移ろいが半月ほど遅れている。
この曽根町の住民のよりどころである天満宮。学問の神様であり「飛梅伝説」の主でもある菅原道真公ゆかりの神社である。

道真の家系は、祖父も父も詩歌や歴史の「文書博士」(もんじょはかせ)。今で言えば東大文学部の教授といったところだろうか。道真自身も学問に励み、若くして当代随一の学者となり門下生100名を率い国史の編纂に勤しんでいたという。
それが当時の国家元首、宇多天皇のブレインとして、いわば藤原氏の対抗勢力とすべく学界から政界に引き上げられ、やがて政争に敗れ太宰府に追いやられることになる。

その左遷の旅の途中に、この曽根の地に立ち寄り、日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈りを込めて小松を植えられた。このお手植えが初代曽根の松となり、曽根天満宮の起源となったという。今を遡ること1100余年、平安中期の延喜元年(901年)のことである。

今の季節、天満宮の境内には合格祈願の絵馬が鈴なりとなり、本格的な春の訪れを待っている。奇しくも今日(19日)は、兵庫県立高校入試の合格発表日。叶った願いもあれば、届かなかった願いもあるだろう。

しかし、高校にしろ大学にしろ入学試験の合否は終着点ではない。学舎は人生の夢を叶えるための知識、技能を習得するための通過点だ。大事なことは何を成すために何を学ぶかであり、本来どこで学んだかは問題ではないだろう。誰もが皆、普通科の高校を目指し、大学に進学する必要はないはずだ。

学校に限らず、日本の社会経済システムは画一化されすぎ、一つの尺度で物事を判断しすぎている感がある。欧米へのキャッチアップのため、工業化社会で効率的に経済成長を遂げるためには、それが正解であったのかもしれないが、どうも今の時代に適合しているとは思えない。

例えば学制は、戦前の方がずっと多様性が確保された複線型だった。6年間の小学校の次は、2年間の高等小学校、5年間の中学校や高等女学校、実業学校が選択できた。その先も高校、大学専科、師範学校、大学、専門学校等々、人生の目標に応じて多様な選択肢が準備されていたし、個人の能力に応じて飛び級も可能だった。
もう一度、この時代の制度を再評価する必要があるのかも知れない。

今年1月、東大が秋入学への移行方針を打ち出してから、全国の大学で入学時期の議論が始まった。行政ではなく学校サイドからこういう提言が発せられるのは好ましいことだ。世界の高等教育機関と競争しようという意気込みの現れだろう。
様々な仕組みが存在すれば、それだけ選択肢が増え、競争が促進される。何も全国画一である必要はないのだ。

今や世界を土俵にした競争が求められる時代である。行政は公平な競争が維持される土俵を準備すればよい。大学の入学時期が春か秋かなどということは政府が決める必要はない。6・3・3・4の教育制度にしてもそうだ。

道真は左遷の2年後、九州の地で一生を終えるが、後に天神様、学問の神様として神格化され全国各地に天満宮として祀られている。死後とはいえ、藤原氏に再逆転勝利したともいえる。
一度敗れても逆転する機会が与えられる社会、一度や二度の失敗は良き経験として糧にできる社会。そうでなければ真に公平な社会と言えないのではないだろうか。