1.17

今年も1月17日が訪れ、先週火曜日、例年と同様に阪神淡路の各地で6400余人の犠牲者を悼む式典が厳かに行われた。
だが、この1年で“1.17”の位置づけは、大きく変わったと言える。
自らの被災の日を偲び、防災減災を誓うという性格に加えて、復興した市街地と暮らしをアピールし、平成時代の二度目の未曾有の災害に見舞われた東北の方々に勇気を与えるという役割が与えられたのだ。

思えば、阪神淡路の復興も悲惨の中から始まった。平成7年のその日、自社さ連立政権の一員であった私は東京に滞在中であり、TV画面に映し出された光景=倒壊した高速道路や燃え続ける市街地に言葉を失った。それは、1年前の津波映像と同じく、克明に脳裏に刻まれている。

神戸の市街地直下で震度7の地震が起こることは、当時としては、まさしく想定外の事態であったが、政府も自治体も、そして何よりも被災者の方々が懸命に復旧に取り組んだ。(少なくとも、被災地を横目で見ながら与野党議員が足を引っ張り合うという愚行はなかった。)
現場がまず動き、政府がしっかりと支援する方式で、次々と新制度、予算が手当てされていき、公費によるがれき撤去や仮設店舗・工場の建設など、今回の復興支援と比べれば、はるかに迅速に被災地の復旧復興事業が進められたと自負している。

そして、震災から6年後の平成13年には、人口は被災前の人口を取り戻し、平成17年には被災地GDPも震災前を上回った。復興まちづくりも着々と進み、新長田の駅前には再開発ビルが建ち並び、ポートアイランドには最先端の医療産業都市が形成された。
まさしく被災地の住民、企業の方々の努力のたまものであるが、この17年の足跡と実績は、どんな悲惨な状況からも立ち直ることができるという証拠を示したものだ。

今年の1.17行事には、東北の被災地からも多数の方々が訪れられた。激震による倒壊と津波による破壊、加えて原発事故。被災状況が異なるとはいえ、見事に復興された美しい神戸の街並みは東北の将来への希望となったに違いない。
阪神淡路の復興に携わった多くの方々が、東北に出向いてまちづくりアドバイザーとして活躍されている。貴い犠牲のうえに培われた復旧復興施策のノウハウ。東北を始めとする自然災害からの復旧復興に、この教訓を役立てることが、何よりも6400余の御霊に報いることになるだろう。

一方で、表向きは美しく蘇ったように見える阪神淡路の被災地にも、よく見れば震災の傷跡はまだまだ残ることも忘れてはならない。一つは、復興住宅で耐えない孤独死、いわゆる家族もコミュニティも失った高齢者への対応であり、もう一つは、急速なインフラ整備により行政機関に積み上がった巨額の負債である。これらの解決には、まだまだ知恵と時間が必要なことも事実だ。

日本列島は地震の活動期に入っていると言われる、東海、東南海、南海地震はここ数十年のうちに必ず起こるだろう。新燃岳や桜島にみられるように火山噴火活動も活性化しているように思える。

17年前と昨年の大災害を通じて我々が学んだこと。それは、想定外という言い訳は使ってはならないこと、自然災害の恐ろしさは決して忘れてはならないこと、この二つではないだろうか。

神戸では、震災を体験していない方々が人口の1/3を占めるようになった。しかし、我々はその体験を風化させてはならない。
東北の方々とともに、つらい体験と復興の足取りを後生に、世界に伝えて行かなくてはならない。それが日本の防災・減災の文化を創っていくことになるのだから。