「ユートピア政治研究会」

昭和63年(1988年)6月18日、朝日新聞が「川崎市助役が一億円利益供与の疑惑」をスクープ報道した。政治とカネをめぐる大事件「リクルート事件」の始まりだった。

その後、株式会社リクルートから、未公開株が中曽根康弘・竹下登・宮澤喜一・安倍晋太郎・渡辺美智雄など大物政治家に譲渡されていたことが相次いで発覚した。

当時の派閥の領袖や幹部が全て関係しているのだから党内では誰も何も言わない。

当時、自民党の一年生議員は、提出法案の勉強や採決要員として全員が国対委員となっていた。

ある時、その国会対策委員会で発言を求めた仲間がいた。

「リクルートの問題はこのまま放っておいたら大変なことになる。党内でこの問題を真剣に議論しなければならない」。その声の主は、武村正義(後の新党さきがけ代表)氏だった。

この発言をきっかけに政治改革について腰を据えて研究しようという話になり、昭和63年夏、1年生議員による勉強会が誕生した。

当時、議員会館で武村氏と隣同士しだった私もチャーターメンバーとして参加した。

井出正一、小川元、金子一義、佐藤謙一郎、杉浦正建、鈴木恒夫、武村正義、渡海紀三朗、鳩山由紀夫、三原朝彦の総勢10人の旗揚げだった。

金のかからない政治、理想の政治を実現しようとのことで、武村氏の発案により勉強会は「ユートピア政治研究会」と命名された。

この会は政治改革を実現する若手議員の会へと発展し、後にメンバーは衆参合わせて38名まで広がりを見せることになる。

金のかからない政治を実現するためには、まず何故政治に金がかかるのかを知らなければならない。それ故に、メンバーの必要経費を分析することになり、理系学部出身であった私と鳩山氏が担当することになった。

かなり以前のことであり、資料が手元に残ってないので正確ではないが、最低でも6500万、最高は1億9000万円(おそらく鳩山氏)、バラツキはあつたが参加メンバー10人の平均は約1億1000万となった。

鳩山氏が分析を試みたが、選挙区の広狭と経費の多寡に若干の関連性はあるものの、それぞれの選挙区事情に差もあり、傾向を結論づけることは難しかった。

ただ、各人とも全体費用の4割程度を秘書の人件費が占め、最大の支出項目だということが分かった。

この分析結果が、その後の政策秘書制度の導入に参考になったと考えている。

ちなみにアメリカでは、ほとんどのスタッフの人件費は公費(国の予算)で賄われている。

この調査はあくまでメンバー内部の検討資料だったが、どういうわけか朝日新聞の記者が嗅ぎつけ資料が外部に流出した。

概要を小さな記事で、とのことだったらしいが、夕刊ではあったものの、一面七段抜き‥‥先輩達からは「手の内をさらすのか?」と大目玉をくらった。

この事件がきっかけで「ユートピア政治研究会」の存在が世の中に知られ、マスコミの注目を集めた。我々は「永田町の下級武士達」と呼ばれることとなった。