去る人もいれば直前に参加したメンバーもいた。
解散の2日前に国会近くのホテルのロビーで岩屋毅氏に出会った。
「渡海さん、2回生には離党をするくらいの覚悟のある人はいないんですか?」岩屋氏が言った。
「そう言うけど1回生にはいるのか? 何人くらい?」と私
「うーん、確実なのは私と簗瀬と岡田の3人くらいですが‥‥」と岩屋氏
「分かった、武村さんと会ってくれ」とのことで簗瀬・岩屋両氏が新しいメンバーとして加わった。(岡田克也氏は小沢さんと行動を共にすることになった)
いよいよ解散の当日、最後まで意見が分かれたのは不信任案への対応だった。
「離党するのに不信任案に反対するのは理解を得られないのでは?」と武村氏。
「まだ自民党に席を置いているのに、野党の提出した不信任案に賛成するのはおかしい」と私。
私は絶対に譲らなかった。
親子2代自民党で選挙をしている。最後のご奉公、恩返しと考えたからだ。
「新党を立ち上げたら一致結束して行動したら良い」 未だ新党は結成されていないのだからそれぞれが自分の判断で投票したら良い。との私の意見が受けいれられ、それぞれ自分の意志で投票した。
宏池会に所属していた岩屋氏は欠席、簗瀬氏は賛成、後は全員反対票を投じた。
後で梶山幹事長からは「さきがけはスリッパを揃えて家出した」と言われたことを今も覚えている。
不信任案の採決に向かう本会議場の入り口で、北川正恭氏(後の三重県知事)に呼び止められた。
「ある先輩が物心両面に於いて選挙の支援をしたいと言っているので、若手をまとめてくれないか?」と北川氏
「悪いですが私はその役はできません」と私
勘の良い北川氏が「武村も一諸か?」と
「これ以上話すと先生に迷惑がかかります」と私
田中秀征氏のアドバイスが役に立った。
その時本会議のベルが鳴った。
投票が続いている間中、本会議場後方で派閥の幹部が慌ただしく動いていた。
不信任案に賛成した小沢氏のグループには野党席から大きな拍手が贈られた。
反対に政治改革を主張しながら反対した私達にはヤジの嵐がふり注がれた。
不信任案可決の本会議が終了すると同時に我々は離党届けを提出、ホテルでの記者会見に臨んだ。
新党さきがけがうぶ声をあげようとしていた。
もう後には戻れないのだ。
当時私は科学技術政務次官だった。