2013 年頭のあいさつ

明けましておめでとうございます。健やかな初春をお迎えのこととお慶び申し上げます。

昨年末の総選挙により民意を踏まえた政権“再交代”が実現し、私も与党自民党の一員として議席を回復することができました。発足したばかりの安倍内閣は、実務的な内閣として山積する政策課題を着実に解決していかなくてはなりません。衆議院で圧倒的多数を占めるという数の力に傲ることなく、野党各党との対話と相互理解を基調に安定した国政運営に努めなければなりません。

第一は、デフレ経済からの脱却と成長戦略の推進です。

有効需要を創造するためにも防災減災投資を加速し、災害に強い強靱な国家づくりを進めます。併せて日本の知恵を生かした経済成長を実現するため、京やSACLAなどの先端科学技術基盤の産業活用を促進するとともに、研究開発費のさらなる拡大を図ります。

第二に、ほころびた外交通商政策を再構築します。

21世紀の成長センターであるアジア・太平洋の中核に位置する日本は、域内の投資と貿易のルール作りを先導しなくてはなりません。その礎となるのが安全保障政策です。日米同盟を基軸とした外交力を駆使し、アジア・太平洋圏域の経済連携強化を加速します。

第三には、安心して暮らせる健康長寿社会の制度設計です。

人口増大を前提とした社会保障制度は全面的に見直す必要があります。その第一歩が夏までに取りまとめる国民会議での議論。人口が減少しても持続可能な制度をめざし、自助と共助の発想を取り入れた公平な受益と負担の関係を築きます。

これらの政策実現の基盤となるのが、政治家への信頼の回復です。国民の信頼無くしては、厳しい構造改革の道を乗り越え、日本の再生をなし得ることはできないでしょう。

「信なくんば立たず」を肝に銘じ、痛みを伴う政策こそ、しっかりと国民の皆様に説明し、ご納得いただき、そして責任を持って実行していかなければなりません。

今年も格別のご指導とご鞭撻をお願いいたします。

年の瀬に思う

平成24年の辰年もあと一日。恒例の今年の世相を表す漢字はオリンピックの年らしく「金」が選ばれた。

7月末のサッカーから始まり17日間にわたり、日本中を睡眠不足に陥れたロンドンオリンピック。日本は金7・銀14・銅17の計38個という過去最高のメダルを獲得した。日の丸の誉れを背負って大活躍し、私たちに勇気と感動を届けてくれた日本選手陣に改めて拍手を贈りたい。それとともに、選手たちを育成し、裏方で支えたスタッフの努力も忘れてはならない。今回のメダルラッシュは、選手たちの頑張りとともに、科学的な選手強化を進めてきたスポーツ振興政策の成果でもある。

ナショナリズムの高揚を煽るわけではないが、日の丸を脅かす事件も数多く起こってしまった。7月にロシアのメドべージェフ首相が北方領土を訪問し、8月には韓国の李明博大統領が竹島に上陸、同じく8月に尖閣諸島に香港活動家が上陸した。それぞれ許せない行為ではあるが、日本政府の外交力の弱化と事件に対する稚拙な対応が、いたずらに感情的対立を深め、さらには経済関係の悪化をも招いてしまった感がある。特に尖閣諸島の国有化については、もう少し大人の対応が必要だったのではないだろうか。いずれにしても歴史をすることはリセットできない。日本人も領土に関する認識を新たにしつつ、隣国との関係改善も図らなくてはならない。

秋になると山中教授のノーベル賞受賞に沸き上がった。受賞対象となったiPS細胞は、細胞を受精卵のような状態にリセット(初期化)する技術。自らの細胞から臓器や神経を創り直す再生医療への道を拓く基礎技術だ。これが確立すれば、あらゆる治療が可能になる。新年には神戸の理化学研究所(発生・再生科学総合研究センター)で網膜の再生治療に係る臨床研究も始まる予定だ。12月の授賞式のあとで山中教授が話していた「日本は科学が国を支える柱、ぜひ多くの若者たちに科学者となって欲しい」との言葉は、そのまま私の願いでもある。ノーベル賞級の科学者を次々と輩出できるようになれば、科学技術創造立国という私の永年の夢も叶う。

この一年は、世界の有力国で次代の指導者が定まった年でもある。特にアジア太平洋では、中国、北朝鮮、韓国、アメリカ、ロシアで大統領選挙や政権交代が行われた。閉塞感が高まる日本の外交を建て直すためにもリーダーの交代を好機としたいものである。

そして日本でも年末の総選挙を経て政権が再交代し、自民党と公明党からなる第二次安倍内閣が誕生した。私にとっても自民党にとっても、臥薪嘗胆の年月がようやく終わり、本領を発揮する舞台が与えられた。

年が明けると自民党では各行政分野ごとの部会での政策議論が始まり、税制調査会の活動も本格化する。景気浮揚のためにも、東北の本格復興のためにも、未来への成長戦略のためにも、とにかく大急ぎで平成24年度補正予算、引き続いて25年度予算案を取りまとめなくてはならない。

私事ながら、特別国会で衆院科学技術・イノベーション推進別委員会委員長を拝命した。政治への信頼を取り戻すためにも、3年余りの充電を生かしてフル活動に向け決意を新たにしている年の瀬である。

消極的選択

今回の総選挙の結果、自民党単独で衆議院過半数の294議席、自公では2/3を上回る議席数を獲得することとなった。

 一見すると大勝利のようだが、私自身は自民党が有権者から広く支持されたというよりも、民主党政権の失政に対する厳しい審判の裏返し、さらには第三極の多党化により票が分散した結果の漁夫の利を得たに過ぎないと分析している。また投票率の低調さも国民の政治への不信、“声なき意思表示”と捉えなければならない。

 この与えられた1期でどのように活動するか。私にとっても自民党にとっても正に正念場である。

 

 自民党にあっては、前回の政権担当時には、与野党対決法案が参議院で否決されても、衆院の2/3再議決制度を駆使して押し切ったが、今回はよほどの場合を除いてそのような強行策を弄してはならない。数の力に驕ることなく、対話と協調を基調に政策ごとに丁寧に対応し、安定した政権運営の下、国家国民にとって実りある政治を実現していかねばならない。また、地方を支える党員の意思が正確に伝わらない総裁選規定や、派閥などが関与しない適材適所の人事システムへの改革も断行する。つまり、“永田町政党”ではなく、真の国民政党、進歩する保守政党に脱皮していかなければならない。

私自身がまずやらねばならないことは、国家に何が必要であり、責任を持ってやり抜ぬかねばならないのは何なのかを政治家として国民に正しいメッセージを伝え、「政治への信頼を回復する」ことである。そして、日本を世界一の科学技術力を持った国家に再生し繁栄させ、そして日本人としての自覚と道徳を持った人材を育てていきたい。これらは必ず実現させる。なぜなら、政治家として私のライフワークであるからだ。そして、これらを実現させることによって、国家、国民、子供たちの「未来への責任」を果たしたい! ふるさとであり活動の基盤である“東播磨”の経済発展と暮らしやすい社会環境の構築に全力を傾注するのは言うまでもない。

 

政府与党の一員としての重い責任を改めて噛みしめ、新たな一歩を踏み出したい。

舌戦?

衆議院解散から半月、日替わりで離合集散を繰り返す第三極の動きもあり、総選挙への注目は日々高まっている。天下分け目の衆院選。公示日が近づくにつれ、自ずと舌戦も激しさを増してきた。

ただ、私は今回の舌戦の中身にいささか違和感を覚えている。各党党首、各陣営とも、相手を攻撃することで自らを正当化する場面が目につきすぎるからだ。
先のアメリカ大統領選でもあきれるほどのネガティブキャンペーンが繰り広げられたが、いくら民主主義の先輩と言っても、こんな様をまねることはない。

有権者が一票を投じる先を選択するのが選挙である以上、政党や候補者が他者との差別化、区別化を図ることは必要だろう。
しかし、それは自らが目指す国家像、その実現に向けた具体的な政策論で示すべきだ。
政策と言っても空虚なスローガンや理念のみでは困る。実現への具体的な道筋、財源や工程を示すことも、求められる。

国民は、これからの日本の舵取り役に、どの政党が、どの候補者が適しているかを選ぶのだ。候補者は相手を批判するよりも、自ら信じる政策を訴え、その具体的な実現方策を示さなくてはならない。

4日から本番を迎える選挙戦。この国の歩むべき道筋を、子どもたちの未来を、建設的な政策を提案しあう選挙にしたいものだ。

私の政策、国政への想いは、3年間にわたりこのコラムで語り続けてきた。HPでバックナンバーもご覧いただきたい。

*公職選挙法の関係で公示後のHPの更新はできないので、このコラムはしばらくお休みです。

16日解散!

11月14日、国会で行われた自民党安倍総裁等との党首討論で野田総理は、特例公債法案成立協力のほかに、小選挙の“一票の格差”是正のための「0増5減」と比例議員定数削減などを盛り込んだ衆院の選挙制度改革を提案し、今国会成立への協力も要請した。
また総理は、今国会で「0増5減」のみの定数削減が成立した場合でも、来年の通常国会で更なる定数削減を必ずやり遂げることとし、それまでは議員歳費を2割削る「身を切る改革」の確約を求めたうえで、“16日に解散します”と宣言。
安倍自民党総裁と山口公明党代表は、総理の提案に全面的に協力する意向を遅滞なく表明するに至り、夏以降流動的であった政局は一気に解散へと流れた。

8月8日に民自公3党首会談で交わされた「近いうちに信を問う」という約束は、私は必ず実行されると信じていた。その約束を果たす条件でもあった①赤字国債発行のための特例法案成立、②衆院小選挙区「一票の格差」是正、③社会保障制度改革国民会議設置の3課題先行解決を、私はこのコラムで再三にわたり主張してきたし、自民党の執行部にも訴えてきた。

解散総選挙が取り沙汰され政局の緊迫度が増すなか、私のところへは自民党中枢から国会対応を巡る相談ごとや水面下の情報分析などが、次々と伝えられて来てはいた。今回の党首討論は野田総理から直々に申し込まれたものだが、自民党首脳は解散に関してある程度の明示や少し踏み込んだ言及があるかもしれないと予想はしていただろうが、「16日解散」が明言されるとは、よもや思ってはいなかったようだ。

野田総理に早期解散を決断させたのは、約束を違えて嘘つき呼ばわりされることへの反発かもしれないが、それ以上に民主党内の「野田おろし」を封じ込める狙いがあったかもしれない。事実、13日の民主党常任幹事会で「年内解散絶対反対」の意見が続出し、総理はその一部始終や公然と辞任を求める党内の雰囲気などを輿石幹事長から伝達されていた。

それにしても今回の民主党内の一連の動きは、甚だ疑問である。
8月に「近いうちに信を問う」と国民に、そして公党間で約束した野田代表を、9月の民主党代表選で圧倒的多数で支持し、再選させたのは一体誰なのか!民主党議員の皆さんではないか。
それなのに、今回の解散反対や姑息な「野田おろし」に至っては、最高の公人である日本国総理が約束したことに、こともあろうに政治信条や政治活動を同じくする同志がケチをつけたことになるのではないだろうか。

いずれにしても、もう時計は元に戻らない。いよいよ政権奪還にむけた総選挙である。
今回の選挙で求められることは、わが自民党の政策を正攻法で一心に国民に訴えていくことに尽きる。
議席奪還にむけ、信じるところを愚直に訴えていく所存だ。

秋の夜長…part3…イソップ物語

自民党は、「年内解散の確約がなければ国会審議に応じない」という強行路線(北風路線)から、野田総理が解散の条件としている3課題の解決に協力する方向(太陽路線)に作戦を転換した。
総理が「近いうち」の次に掲げた解散時期の条件は、①赤字国債発行のための特例法案の成立、②衆院小選挙区「一票の格差」是正、③社会保障制度改革国民会議の設置の3課題が処理できたとき、である。「近いうち」が3ヶ月以上の期間を指すとは予想できなかったが、まさか、3課題をクリアしたら「実はもう一つ課題がある」と言われることはあるまい。(これまでの民主党の振る舞いを見ていると完全に否定はできないが…)

私はこのコラムで一貫して太陽路線を主張し、兵庫県第10選挙区支部長として、永田町の執行部に再三にわたり訴えてもきた。今回の自民党の路線転換を率直に歓迎したい。

民主党政権は、「野党が反対する。審議をボイコットする。だから、重要法案がたなざらしになって国民生活が犠牲になる」と主張し、自らの無策を野党に責任転嫁してきた。
政策実行の第一義的な責任を負っているのは与党である民主党である。それなのに重要法案成立に全く無頓着、何ら新提案を行う努力もせず、野党のごとく相手(自公)の批判を唱え続けるだけだ。
いつまでも野党時代の悪癖がとれず、自ら解決策を生みだす知恵が浮かばないのか? それとも、単にできるだけ衆院選を先延ばしして、保身を図りたいということなのか?

かつて、我々自民党が与党時代、理不尽な野党民主党の攻撃をしのぎ、政策を前に進めるため、懸命に知恵を絞り妥協策を提示してきた。
だが、今の民主党に与党としての振る舞いが期待できないのであれば、我々自民党は、たとえ野党であっても、我が方から解決策を提示する方法(太陽路線)で政局混乱の事態収拾を図るべきである。そのことにより、責任政党の手本を民主党に示すのが、永年政権を担ってきた自民党の採るべき選択であると強く思う。

「北風と太陽」は、ご存じのとおり有名なイソップ寓話の一つ。寓話の起源は、紀元前6世紀に遡ると言われる。それが西洋のキリスト教文化の中で受け継がれていくうちに、単なる娯楽的な物語から道徳観を示す教訓集としての意味合いも備えてきたようだ。
江戸時代初期には日本にも伝わり、「伊曽保物語」として普及した。明治以後には、修身教科書の素材として、童話として、広く親しまれるようになった。「アリとキリギリス」「ウサギとカメ」「北風と太陽」など、誰もが知っている物語だ。

その一つに「オオカミ少年」がある。
人は嘘をつき続けると、たまに真実を言っても信じてもらえない。常日頃から正直に生活することが必要な時に信頼と助けを得られる、という訓話である。
たとえ嘘をつく意図はなくとも、結果が得られない言葉が山積すれば、嘘をついたのと同じ効果が生じ、誰も発言を信頼しなくなる。

政治は結果責任だ。
民主党の議員諸君には、この寓話の意味するところを噛みしめて欲しい。
嘘を承知で前回衆院選のマニフェストを作ったとは言わないが、実現できないマニフェストに結果責任を感じ、猛省して欲しいものだ。
苦しい弁解をしているだけでは、政治の信頼回復は望めない。

それにしてもイソップ物語には、時を超え今の世にも通用する教訓が多いと改めて感じた。
今は読書の秋である。
秋の夜長、童心に返ってじっくりイソップ物語を読みふけるのも良いかもしれない。ただ、解散風が吹き始めた今、私にはそんな時間の余裕はなさそうだ。

秋の夜長…Part2

「いじめ」「殺人」「不況」など、社会的に暗い話題がおびただしいなかで、北海道から心温まる話題が届いた。
ばんえい競馬で活躍してきた“中高年の星”ゴールデンバージ号(15歳)の引退のニュースだ。馬の年齢は、人間の約4分の1という。競走馬がデビューする2歳は人間で言えば8~10歳、ゴールデンバージ号の15歳は60歳の還暦に当たる。ばんえい競馬では、もちろん現役最年長馬だった。

「ばんえい競馬」は、我々が普段目にしている競馬とはちょっと様相が異なる。出走する馬たちは、サラブレッドやアラブ系のスマートな馬ではなく、体重1トンにもなる農耕馬=ばん馬だ。そして、コースは全長200mの直線で、途中に二つの小山を越えなくてはならない。その障害コースを騎手と500キロから1トンもの重しを乗せた橇(そり)を曳いてスピードと持久力を競うのだ。ゴールインは、鼻面ではなく橇の末尾がラインを越えた時点である。この世界的に見ても類例のない形態の競馬は、かつて、北海道開拓期から農閑期の余興や催し物として道内で広く行われ、公営競馬場も数カ所にあったが、今や帯広市の「ばんえい十勝」が唯一の公式競馬場となっている。

話をゴールデンバージに戻そう。同馬のデビューは平成11年、以来8年間で31勝を上げたが、加齢による成績不振により11歳で一度は引退し、食肉として処分されそうになっていた。それを相馬眼のある調教師が同馬の持つ底力を見い出し、13歳にして競走馬として再登録した。“中高年の星”として人気を集めるようになったのは、この復帰後、普通であればとっくに競走馬としての峠を越えてから、5勝を挙げたためだ。
「ばんえい十勝」のHPには特設サイトが設けられ、専用のグッズも販売されている。
しかし残念ながら、競走馬にとって致命的な腱鞘炎(けんしょうえん)を患ったこともあり、惜しまれながらも10月28日が引退レースの日となった。

1,000人を超える声援を受けたラストランは、1番人気に支持されたものの、結果は最下位に終わった。声を嗄らして声援を送ったファンからは、「最後まで頑張って走り抜いた姿に感動した。自分もそういう人生を送りたい」「60歳とは思えない強さだった」と、絶賛するコメントが数多く寄せられたらしい。
“中高年の星”という地位を築き、ばんえい競馬の集客に貢献した成果により、殺処分されることなく、今後も牧場で暮らすことになるという。長年頑張ってきたご褒美だ。ゆっくり老後を過ごして欲しいと願うものである。

人生の最終コーナーをどのように生きるか?
数多の人々は想い、悩みそして若い者に任せ、やがて時代の表舞台から去っていくが、政界では80の齢を超えて、自ら先頭に立ち新党結成に走る猛者もおられる。様々な反応が寄せられているが、私はその志を是としたい。

「七十にして、心(こころ)の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」
有名な論語の為政の一文だ。
自由気ままに行動しても、決して人の道を外れることはない。孔子のようには行かないかもしれないが、そんな理想の老人格を形成したいものである。

しかし、これから勝負に挑もうとする私が、こんなことを考えるのは少々早いのかもしれない…。などとも思う秋の夜長だ。

秋の夜長に

先週、石原慎太郎東京都知事の国政復帰発表が、膠着状態にある国政に一石を投じた。
石原新党結成は、これまで幾度となく浮上しては消てきた話題であるだけに、予想されていたこととも言える。それでもこのニュースは政界に大きなインパクトを改めてもたらしそうだ。

まず、自民、民主両党に対抗する保守勢力(日本維新の会、みんなの党など)の連携・連合による第三極の構築。そして、それらを起爆剤とした合従連衡による政界再編成への道筋も視野に入ってくるかもしれない。近視眼的には、迷走する民主党の離党者の受け皿となり、臨時国会で内閣不信任案が可決される可能性もある。

何故このタイミングでの旗揚げなのか?
尖閣問題が自らの手を離れたこともあるかもしれない。一部で報道されているように、ご子息の伸晃氏が自民党総裁選に敗れ、目前の総選挙で親子対立の心配が無くなったことも一因だろう。

会見で80歳という年齢について問われ、「まさしく80歳なんだ。何でオレがこんなことをやらなくちゃいけないんだ。若いヤツ、しっかりしろよ!」と語気を強めた。
そう言えば、平成22年の“たちあがれ日本”の結党記者会見でも同じようなシーンがあった。党名の名付け親で発起人の一人として、そして自称・応援団長として出席した石原氏は、「我々は年寄りだが若い世代が持っていない危機感、国に対する愛着を持っている。今の若い人には気概がない」と、記者団を前に檄を飛ばしておられた。
国政の現状に危機感を禁じ得ないという、氏の強い思いがそんな言葉になったのだろう。

今回の石原氏の決起については様々な反応が出てくると思われるが、沈み行く祖国日本の姿を眼前にし、手をこまねいているわけにはいかないとの気持ちが、氏の決断の原動力になったことは間違いない。
「命あるうちに最後のご奉公したい」という言葉には、氏の祖国への思いを垣間見ることができる。少年期に敗戦を迎え、占領下でアメリカンナイズされていく日本に強い憂いを持ち続けて多感な青春時代を過ごした石原氏。彼等の世代に共通した国家観なのかも知れないが、日本的価値観を標榜し、人一倍国を愛する思いの強い石原氏らしい。

一方で、世界に類を見ない経済発展のド真中で、学生運動に情熱を注ぐ青春時代を過ごしてきた団塊の世代は、どんな国家観を育んできたのだろう?
もう高齢者の仲間入りを始めた我らの世代だが、石原氏から見れば「若いヤツ」の範疇に入るのかもしれない…。

「君は今この国の為に何ができるか?」30年以上前に見た映画「二百三高地」のキャッチコピーが私の脳裏を過ぎる。

日本は1980年代、その技術力、そしてその成長力において世界№1の国であった。
しかし、バブル崩壊後の国力は“失われた20年”と言われるように、ますます逼塞し展望が拓けない情況下にある。

政治家は、この国に生きる子々孫々に対して責任を有する職業である。その言動、一挙手一投足は、健やかな未来社会を築く礎とならなければならない。
「今この国の為に何ができるのか? 何をすべきなのか?」
“若いヤツ”の一人として、秋の夜長に、改めてじっくりと考えてみる必要があるのかも知れない。

党首会談決裂!

民主・自民両党の党首選後、秋休み状態になっていた国会だが、先週になってようやく自・公・民の3党党首会談が行なわれた。
しかし、輿石幹事長の「野田総理から、何らか具体的な提案がある」との予告にもかかわらず、残念ながら総理から何ら新しい提案はなく、解散時期を巡る双方の主張はすれ違いのまま、会議は決裂した。なりふり構わず、解散総選挙の引き延ばし作戦に入ったと思われる民主党の対応をみていると、今後も建設的な提案がでてくるとはとても考えられない。

民主党側の対応は全く不誠実なものである。しかし、このまま不毛の口げんかを続けていても膠着した局面は打開できない。国民の政治不信はますます高まり、世界各国からは日本政治の混乱を嘲笑されることになるだろう。
ここは我慢のしどころ。自民党としては、月末にも召集される臨時国会において、審議拒否戦法を放棄し、しっかりとした政策議論を通じて国民に政府与党の不誠実さと無責任さをアピールする方針に切り換えるべきだと私は考える。

まずは、特例公債法案と衆議院選挙の一票の格差是正、そして一体改革関連法案で定めた社会保障制度改革国民会議の設置への対応である。

そもそも特例公債法案は予算案と一体で審議すべきものであり、特例法案が成立していないから予算執行ができないというのは本末転倒だ。両者を切り離して、通しやすい予算案のみを強行採決するからこういう事態を招いている。少々細かい実務論を言えば、この法案が無くとも財務省が短期証券を発行(1年以内の借入)して凌ぐことが可能だと思う。
だが、知恵も工夫もない民主党は、この法案なくしては予算が枯渇すると言い張り、既に国民生活に関わる予算の執行を保留すると言う、国民生活無視の無責任な対応をし始めている。であれば、我々もこの法案を「人質」にするような戦法をとっても効果が薄い。

ただ、予算案に反対した野党が無条件で原案に賛成することは難しい。「24年度予算には無駄があり削減すべきである。無駄な予算を執行するための借金の片棒は担げない」というのが我が党の主張である。3月初めには組み換え動議も提出している。
政府はそれらの点にについて見解を明らかにし、合意形式を図る努力をすべきである。

衆議院選挙の一票の格差問題も、昨日今日出てきた問題ではない。最高裁による違憲判決が下されたのは2011年3月のことである。それから1年半余り、改正案を議論する時間は十分にあったはずだ。自民党は昨秋「小選挙区0増5減」案を提示したが与党は議論に応じず、6月になって突如「0増5減」に「小選挙区比例代表連用制」とう難解な仕組みを加えた法案を国会に提出し、しかも8月に衆議院で強行採決を行った。

制度の根本を見直すような選挙制度改革には相応の時間を要する。それは年単位の時間をかけて計画的に議論するとして、今はまず違憲状態を解消するための「0増5減」を優先すべきだ。

社会保障制度改革国民会議には、議論の期限が来年の8月21日までと法定されている。
充分な時間を確保する為にも早急に会議を設置し、議論をスタートさせるべきだ。
この会議こそが三党合意の成果と言うべき、政策決定の新たな仕組みのひな形である。
来るべき総選挙や来年の参議院通常選挙の結果如何に関わらず、誰が与党になっても野党になっても、政争の具とせず継続して建設的な議論が行われる必要がある。
政権交代により与野党の立場が逆転し、共通の理解の土俵ができた今こそ、新しいルールを定めるチャンスだ。今後社会保障のみならず、外交や安全保障についても国民会議を設置すべきではないだろうか。

この3つの条件が整えば解散を先送りする理由はなくなる。それでも解散を実行しなければ「野田総理は大嘘つき」であることが天下に示される。

デフレ脱却をめざす景気対策、近隣諸国との円滑な外交の回復、逼迫するエネルギー問題への対処等々、日本の行く手には課題が山積している。だが、三年余の政治運営を見る限り現在の民主党政権には、これらの課題への対応能力があるように思えない。一日も早く解散総選挙で国民の手によって政権をリセットする事が求められている。

希望の光

「秋の陽は釣瓶落とし」。一カ月前までは7時近くまで可能だった街頭広報活動も、今は6時前には終えなければならない。
9日(体育の日)も夕暮れとともに辻立ちを終え、自宅でくつろいでいたところ、TVに“今年のノーベル生理学・医学賞に山中伸弥京都大学教授の受賞決定”のテロップが流れた。
その後の一週間の報道合戦で、「山中教授」と「iPS細胞」の名は、再び全国民の知るところとなった。

筋肉や皮膚など人体を形作る60兆余りの細胞の源は、たった1個の受精卵だ。受精直後はあらゆる細胞になる「万能性」をもつが、これが分裂、増殖し特定の役割を持つようになると元の状態に戻ることはない=老化はすれども受精卵状態に若返りはしないと考えられていた。これに異説を唱えたのは今回共同受賞したイギリスのガードン博士で、1960年代に体細胞の核を卵細胞に移植する方法でクローンの作製に成功した。そして、卵細胞を使用せずに細胞を「多能性を持つ状態に初期化」する技術を開発したのが山中教授である。
これまで「万能細胞」の主役であった胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵を壊して作るため、命の尊厳をおろそかにするのではないかという問題点がある。iPS細胞を使えば、こうした倫理的な問題を回避できる。

山中教授は2006年、マウスの尻尾から採った体細胞に初期化のカギとなる4つの遺伝子を入れることで、iPS細胞を作製した。2007年にはヒトの皮膚の細胞でも成功した。
その報告のため文部科学大臣であった私のところへ来られたのが、同年12月初旬のこと。「この研究が成功した理由は何だったと考えておられますか?」と尋ねたところ、「運が良かったんです」と即座に答えが返ってきた。
「名誉欲のない人だなぁ」というのが第一印象。通常は「できるだけ支援します」と答えるのが一般的だが、その謙虚な人柄に感銘した私は、「全面的な支援を約束致します」とその場で反射的に応じ、年末には文部科学省として5年間で100億円超の研究費を投入する方針を表明した。

iPS細胞の応用範囲は幅広い。なかでも自分の体細胞で損傷した部位を修復する再生医療は、従来の手法では治療が困難な難病に苦しむ方々にとって、夢の治療方法だ。山中教授のもとには難病患者や家族から激励と相談が絶えないという。
私の主催する新世紀政経フォーラムで、再生医療の第一人者である西川伸一先生(理化学研究所)に講演いただいた際、脊髄を損傷し車椅子生活を余儀なくされている方から、「今日のお話を聞いて、いつかまた歩ける日が来ると、諦めずにこれからも希望をもって生きていけます」と感謝されたことを、鮮明に覚えている。

再生医療は未だに現在進行形の発明だ。実用化までには、まだまだ課題も多い。
山中教授も「一日も早く本当の意味の社会貢献と言うか医学応用を実現させたい、させなければならない。そういう気持ちでいっぱいであります」と語り、そして「一日も早く研究の現場に戻りたい」と力説されている。
ストックホルムでの授賞式が終わる12月頃までは、しばらく多忙な日々が続くとは思うが、少しでも早くインタビューや祝賀会の嵐から解放してあげたいものだ。
日本のみならず世界中の難病患者が、一日も早い再生医療の確立を待っているから…。
iPS細胞は、多くの人々の「希望の光」なのだ!

ポートアイランドで進められている神戸医療産業都市構想の中核施設の一つ、「発生・再生科学総合センター」(理化学研究所の機関)では、来年から網膜再生の臨床研究がスタートする。脊髄損傷治療も5年以内に最初の患者に投与できるところまでもっていきたいとのことだ。
こういった取り組みを加速するために、長期持続的な研究開発費の供給と臨床研究分野の一層の規制緩和、さらには知的財産権の国際ルールの確立を怠ってはならない。
この分野で日本が国際競争に勝ち抜くためにも、第二第三の山中教授を生むためにも。