地方創生

9月初めに内閣改造・自民党役員の改選などの人事が行なわれ、第二次安倍改造内閣が発足した。改造後の支持率は概ね上昇し、順調な船出と言えるだろう。今回の人事では、大胆な女性登用や谷垣元総裁の幹事長起用も注目を集めたが、最大の焦点は、石破茂前幹事長の処遇だった。

7月1日に閣議決定した「安全保障の法制に関する基本方針」に基づき、秋から集団的自衛権の行使に関わる法整備が始まる。今のところ17本にのぼる関連法改正作業が予定されているが、数十年に一度の安保方針の変更だけに来年の通常国会の最大の課題となり、また、春の地方統一選にも大きな影響を与えることは間違いない。

この難関を乗り切るため、安倍総理は“安全保障法制担当相”を新設し、この分野のエキスパートであり答弁能力も安定している石破氏を起用したいと考えた。が、ご承知のとおり、石破氏は「安全保障に関してのアプローチの仕方に違いがある」として就任を固辞。紆余曲折を経て結局はもう一つの新設重要政策ポストの“地方創生相”に就任することで一件落着となった。

「地方創生」も安全保障に劣らず重要な政策課題である。
今、日本の経済社会は成長社会から成熟社会への転換を迫られている。「量の拡大と効率性を重視する集中集権システム」から「質の向上と個性の発揮に重きを置く自立分権システム」への転換だ。

それにも関わらず、日本の現状は未だに東京をはじめ大都市への集中構造の進化が止まらない。首都圏には3500万人、全人口の三分の一が集中し、逆に中山間地域をはじめとする地方圏はかつての隆盛を失い、人口減少により消滅の危機に瀕する地域もある。若年人口が出生率の低い都市圏へ移転することにより、全国的な少子化が益々加速し、日本全体の活力を減退させるとの説もある。

地方活性化、地方の人口増大の第一の条件は、言うまでもなく、若者の地方定住、都市から地方への移住促進だ。江戸時代には「人返しの令※」で強制したこともあったようだが、今はそんな事はできない。今日、理念は語れても、その実現は容易ではない。若者の地方離れの要因は、第一に学びの場の不足、高校卒業と同時に大学進学のために都市圏へ出て行く。第二に仕事の不足、大学卒業時に故郷に帰ろうとしても雇用の場がない。第三には都市と比べて劣勢な生活環境、ITを活用したリモート勤務が可能となっても、医療や教育といった生活基盤の不安が移住の障壁となる。

この難題に挑むのが石破地方創生担当大臣率いる「まち・ひと・しごと創生本部」となる。
我が国の持続的発展には、全国各地がそれぞれの創意工夫による活性化を図る必要がある。求められるのは、地方の自律的活力の総体が国全体の活力となる構造だ。東京のおこぼれを地方に分配するという発想では成し遂げることはできない。

29日には、新閣僚のデビューともなる第187回臨時国会が召集される。
石破大臣の地元は、全国最小人口の鳥取県(57万人)。地方創生の重要性を誰よりも感じていることだろう。ふるさと鳥取を皮切りに、全国各地、津々浦々の再生を成し遂げる強力なサポート力を発揮してもらいたい。

さて、我がふるさと播州には日増しに秋の気配が漂ってきた。待ちこがれた祭りの季節の到来だ。播州地方では、10月中旬に町々村々で鎮守の杜に屋台を繰り出す秋祭りが開催される。私の地元の曽根天満宮の秋季例大祭は10月13、14日。遠方に住む氏子も故郷に帰り、地域住民の心がひとつになる一大イベントであり、先祖代々引き継いできた地域の伝統文化を体現する機会である。

我が播州における地域力の根源は、“祭り”が創る人の絆といっても過言ではない。屋台蔵から聞こえる太鼓の響きが地方創生の号砲に思える今年の秋祭りである。

※人返しの令:天保の改革で実施された政策。農村の労働力確保と江戸の貧民増加防止を目的に、江戸からの帰農奨励と江戸への移住禁止を定めたもの。

STAP検証

前号に引き続き、STAPと理研の話題を続けたい。
先月27日の改革行動計画の発表に引き続き、理研はSTAP細胞の存在の有無を確かめる検証実験の中間報告を行った。
内容は、「これまで4ヶ月、のべ22回の実験ではSTAP細胞は一度も作製できていない」というもの。ただし、まだ実験の途中段階であり、STAP細胞の存在の可能性について判断するのは尚早ということだ。

この検証実験に対しては、「論文撤回で白紙に戻った研究成果の検証を不正に関わった機関が自ら行うことは疑問、これ以上続けるのは税金の無駄遣い」といった批判の声もあがっているが、私はそうは考えない。

小保方氏の肩を持つつもりはさらさらないが、半年余り前、世界中の生命科学者や再生医学者がSTAP細胞の発見に沸き上がったのは、「どんな細胞でも一定の刺激を加えることにより、万能細胞に生まれ変わる」という仮説が魅力的であり、実現可能性が認められたからではないだろうか。残念ながら、論文撤回により、その科学的根拠は宙に浮いた形となっている。

しかし、だからといって、STAP細胞の不存在が立証された訳でもない。
現状は「仮説は立てたが、実験データによる立証が未完成な段階に戻った」と言うことだ。国民の最大の関心は「STAP細胞はあるのか?ないのか?」という疑問にある。現時点でその疑問に応えられているとは言えない。

この疑問に明確な回答(願わくは存在の確認)を示すことこそが、騒動を引き起こした張本人である理研の責務と言えるのではないだろうか。
仮に存在を立証しようとすれば、まず、①弱酸性液の刺激による細胞のリセット(幹細胞化=STAP現象)を確認し、次に②その幹細胞の培養による万能性(全ての体細胞への変化)の証明、という二段階の立証手続きが必要となる。
漫然と実験を続けないように、研究期限を切る必要はあるだろう。成果を急ぐためには、小保方氏が自ら実施中の検証実験も加速する必要がある。

とにかく、一日も早く白黒をつけ、国民の疑問を解消することが理研改革の第一歩となるだろう。
野依理事長のリーダーシップの下、リニューアルした理化学研究所が、その若き研究員とともに世界最高レベルの研究機関として発展を続けることを期待したい。

「社会とともにある理研に改革したい」という野依理事長の言葉を、改めて私は支持したい。

CDB解体?

STAP細胞論文の不正問題を受けて、早急な改革が求められている理化学研究所は、8月27日、研究不正の再発防止を目指す「行動計画」を下村文部科学大臣に提出した。

外部有識者からなる改革委員会による6月の提言では、論文不正の舞台となった神戸の発生・再生科学総合研究センター(CDB)の「早急な解体」も提言されていた。
これに対して今回の計画では、CDBを大々的に再編し、現在の40研究室体制を半分に縮小、名称も「多細胞システム形成研究センター(仮称)」に変更した新組織を11月に発足させるとしている。新しいセンター長は、外国人研究者を含む委員会を設置し、3月までに選考する予定だ。

この件についてメディアから取材を受けることも多い。その際必ず「今回の改革案で“解体”と言えるのか?」との質問を受ける。

改革委員会の“解体”の意味は、「発生・再生科学の研究の廃止」ではなく、不正の温床となった研究体制の抜本的な見直しである。なおかつ、その見直しが必要なのは、神戸にある一つの研究所のみではなく、理研全体だ。(CDBの研究室を半減するといっても、個々の研究者に罪があるわけではない。)行動計画によると、理研のトップマネジメント組織として、外部委員も参加する「経営戦略会議」を新設し、不正防止の「研究コンプライアンス本部」も設ける。改革の進捗をチェックする「モニタリング委員会」も設置する。

私は、今回の計画の実行により、固定化されて運営体制を廃し、目的志向の研究に重点化することで、研究体制の「“解体”的な出直し」を成し遂げられると考えている。
現に改革委員会の岸委員長も、今回の計画について「中身には満足している。優良可でいえば“優”を与えてもよい」と評価されている。

とは言っても、計画にちりばめられた“言葉”が改革を実行してくれるわけではない。改革が実を結ぶかどうかは、案を具体化する“実行力”の問題だ。
理研の野依理事長は、29日の党科学技術・イノベーション戦略調査会に出席され「改革の陣頭指揮を執る責任がある」と明言され、「社会と共にある理研に改革したい」と宣言された。私は理事長の言葉を支持したい。今後、野依先生とともに理化学研究所の再生を進める新しい理事、外部有識者の人選を急ぐよう、理研、文科省に働きかけたい。

今回の一連の騒動で私が危惧しているのは、理研の特色とされてきた「自由闊達な研究風土」、「思い切った若手研究者登用」といった組織文化が失われることだ。不正はあってはならないことだし、研究倫理の確立が重要であることは言うまでもない。しかしそれとともに、研究者の独創性を伸ばす環境、失敗を恐れないチャレンジ精神を育む土壌も必要だ。

世界最高水準の研究開発を実施するには、世界最高水準の人材の集積が不可欠であり、そのためには報酬も含めて最高水準の研究環境を整備しなければならない。政府が創設しようとしている「特定研究開発法人制度」は、そのような体制強化を促進するシステムだ。

理研が一日も早く新しい組織体制を軌道に乗せ、「特定研究開発法人」に相応しい機関として再生することを期待する。そして神戸の「多細胞システム形成研究センター」をはじめとする研究所群が、世界の科学技術の革新を先導していくことを願いたい。

終戦記念日

8月15日、69回目の終戦記念日。
今年も日本武道館で開催された戦没者追悼式に出席した。

国政に参画させていただいてから、私は毎年、必ずこの式典に出席している。

先の大戦で尊い命を捧げられた310万人の方々の礎のうえに今日の日本がある。改めて、その事実を想い起こすとともに、今を生きる我が身に課せられた、この国の「未来への責任」を諸霊に誓うためである。

それが国政に携わる者の当然の責務と思うからである。

今も世界では、各地で紛争が継続し、多くの人命が失われている。
宗教や文化の対立、資源争奪のための領土拡張欲など、争いの火種は絶えることがない。だからこそ平和の下で繁栄への道を歩んできた我々が、模範を示し、世界平和の構築に貢献しなくてはならない。

昭和20年8月15日、終戦の日はとても暑い日だったと報じられている。
そういえば、これまで戦没者追悼式が雨の日だった記憶がない。
雨模様の日が続いていた東京だったが、今年の8月15日も又晴天の暑い日だった。

過去に思いを馳せ、現在の平和と繁栄に感謝をし、未来への責任を誓う。
毎年訪れる終戦記念日は、私にとって一つの決意表明の日である。

ミャンマー

8月4日から2泊4日の強行軍で、ミャンマーを訪れた。今回の調査は公益財団法人オイスカの活動を支援する議員連盟によるもので、私の他に青山周平(愛知12区)、高木宏壽(北海道3区)、中川郁子(北海道11区)、務台俊介(長野2区)の4人の衆議院議員が参加した。

オイスカ(OISCA)とは、「The Organization for Industrial, Spiritual and Cultural Advancement-International」の略で、直訳すると「産業と精神文化の発展に貢献する国際機関」と言ったところか。現実の活動は、主にアジア・太平洋地域で農村開発や環境保全活動を展開しており、人材育成に特に力を入れ、各国の青年が地域のリーダーとなれるよう研修を行っている。

議連は衆参国会議員80名で構成しているが、今回私に同行した4名はいずれも一昨年の総選挙で初当選を果たし、新たに議連に加入した面々。彼らにオイスカの活動を肌で感じてもらうことも調査目的の一つである。
思い起こせば私も28年前の初当選直後、議連の新顔としてフィリピンを訪問。マニラから車で6時間かけてオイスカの活動拠点を視察した。現地の社会に完全に溶け込み一人で頑張っておられる日本人の若者の姿に大いに感銘を受け、その後の政治活動の礎となった。

今回訪れた活動拠点はミャンマー北部のイェサジョ郡の農林業研修センター。ミャンマーと言えば、ヤンゴン近隣の「ティラワ」やタイと隣接した南部の「ダウェイ」といった経済特区の大規模開発に沸いている。一方でイェサジョ郡が属する中央乾燥地域は細々とした農業が行われる地域であり、貧困対策のための農業技術支援、そして生活環境の改善が求められている。
この地にオイスカが着目したのは1994年。現地調査を経て96年にはミャンマー政府と協定締結、97年には日本政府の資金も得て研修センターを開設した。

この施設では、①農村青年に農業実習を中心とした11ヶ月のリーダー育成研修を行うなどの人材育成事業、②子どもたちが学校単位で森づくりに取り組む「子どもの森計画」といった環境保全事業、③乾燥地域に適した稲作技術や畜産技術の実地指導等を行う農業開発支援、④トイレや貯水タンク設置をはじめ集落の生活改善に取り組む地域開発支援事業が行われている。主役は日本で研修を受けたミャンマーの未来を担う若きスタッフたちだ。4名の新人議員も、自らの目で海外協力の実態を確認し、NGOによる開発支援の成果を大いに実感したことと思う。

2011年の民政移管以降、ミャンマー政府は国内における民主化、法の支配、国民和解、経済改革を実施、様々な前向きな取り組みを実施している。1954年に日本との国交が樹立されてから、今年で60年を迎えるが、両国の関係は非常に良好であるといえる。

人口約6000万(必ずしも正確とは言えないらしいが…)というマーケットとしての魅力もさることながら何よりもミャンマーの人々のメンタリティ(人生における価値観と言った方が良いのかも?)が日本人に近いのではないかというのが訪問したメンバー全員の一致した感想である。

余談だが、ミャンマーは第二次大戦の激戦地であっただけに日本人戦没者の墓地や慰霊碑が数多く残る。今回、私たちも調査の合間に、ある寺院の慰霊碑を訪問し、「鎮魂」の文字も鮮やかな石碑に手を合わせた。遠く祖国を離れた地で散って行かれた御霊に改めて哀悼の意を表すとともに、鎮魂碑を美しく管理してくださっているミャンマーの方々に感謝を表したい。先の大戦が終わってから70年近く、平和が維持されてきたが故に、今日の日本の繁栄は達成された。ミャンマーをはじめ戦地となった国々の発展を全力で応援することは我々の最低限の責務だ。

ミャンマーについては、環境問題や人材育成など我が国が協力できる分野も多く、今後、二国間の関係強化により一層力を注いでいきたい。

夏本番

梅雨明けとともに今年も本格的な夏がやってきた。近畿地方でも先週は、連続の猛暑日(35℃以上の日)に襲われた。特に先週末の26日の暑さは極めつけ。朝からたくさんの行事に参加し、夏祭りなど屋外のイベントでも多くの方とふれ合えたが、とにかく「あついですねぇ」「あついなぁ」という単調な会話だけで十分な一日だった。夜になっても一向に蒸し暑さは収まらず、この夏初めて一晩中エアコンをつけっぱなしで就寝した。ここ数日は夏将軍もちょっと一息ついてくれたようだが、それでも真夏日(30℃以上)は避けられない。

暑さの高まりとともに熱中症被害も増えてきた。気象庁では高温注意情報を発信して警戒を呼び掛けているものの、26日には全国で救急搬送される方が相次ぎ、その人数は千人を超えた。亡くなられた方も二桁にのぼる。外出は勿論、屋内でも油断できない。気温上昇を甘く見ず、体感温度で「異常に暑い、のどが渇く」と思ったら充分な熱中症予防が必要だ。原発が全停止し電力不足が懸念される中、昨夏以上の節電対策が求められているが、命を落としてしまっては元も子もない。無理に我慢せず適度にエアコンを使用してもらいたい。

27日には楽しい行楽が悲劇に転じる水の事故も相次いだ。特に気をつけなくてはならないのは河川での遊泳。昔とちがい、プールでしか泳いだことがない子どもたちは(川で泳ぎを覚えたのは昭和30年代までか?)、水流の怖さがわからない。場所により流速が変わり、思わぬ深みもある。事前のちょっとした注意、どんなリスクが潜むかを意識しておけば多くの水難事故は避けることができる。

地球温暖化の影響かどうかは定かでないが、近年の日本の気候は明らかに熱帯化しているように思える。今年の7月はじめに九州北部を襲った豪雨では、「これまでに経験したことのないような大雨」という短文気象情報が発信され、各地で避難指示が相次いだ。確かに1時間雨量が100ミリに迫る状況は“梅雨”と呼ぶには激しすぎる。正に熱帯の“スコール”の降りようではないだろうか。

気象予報技術は日々刻々と進歩している。1時間程度の局地降雨情報は最新鋭のレーダーで正確に把握可能であり、その情報はスマートフォンで入手できる。地震はともかく、雷や竜巻も同様に予測できる。だが、その情報を有効に使えるかどうかは個々人の判断と能力。

阪神・淡路大震災や東日本大震災で崩壊した近代都市の姿から我々が学んだのは、いかに科学技術が進歩しようとも災害を完全に防ぐ「防災」の達成は難しいということだ。むしろ、いかにして災害を避け、被害を小さくするかという「減災」の発想を広げることに力点を置かなくてはならない。

日本人は古来、自然と共生することで素晴らしい文化を育んできた。“里山”にしても“ため池”にしても、自然と人工の協調により生命の輪廻が維持され、美しい景観が形作られ、そして水害を押さえる貯留機能も備えてきた。長い歴史の中で根づいた文化を守っていくためにも、そして何よりも貴い命を守るためにも、我々は今一度自然に謙虚に向き合うことから始めなければならないのではないか。

六甲おろし

オールスターゲーム前の “巨人VS阪神”3連戦は我らのタイガースが2勝1敗で勝ち越し、首位ジャイアンツに3.5ゲーム差と迫る単独2位に浮上。第2戦こそ杉内に完封され9連勝を逃したものの、初戦はメッセンジャーの力投と西岡の復帰を飾るタイムリーで12対5と快勝、昨日の第3戦は代打の切り札関本の起死回生の逆転満塁アーチで接戦を制した。
今週末の球宴への出場選手はわずか3名に止まったタイガース(ベイスターズと並び最下位?19日は甲子園なのに残念…)だが、ペナントレースでは久々の優勝を狙える位置で折り返しを迎えた。

思えば、春のオープン戦の成績は3勝11敗4分。いくら勝敗よりチームの仕上がりや新戦力の把握に重点を置くためのテストマッチといっても、我々ファンには「今年もダメ虎か」と大きな不安がよぎるプレシーズンだった。
開幕直後の巨人、中日、ヤクルトの3カードは、大敗と大勝の繰り返し。巨12-4神、巨12-3神、神0-10中、神15-0中、ヤ12-11神、ヤ8-15神。投打ともに波が大きく、前途の多難が予想されたが、次のカードでDeNAに甲子園で2勝1敗と勝ち越し、続いて巨人を3タテに倒してから一気に上昇気流に乗った。
5月半ば、セ・パ交流戦開始前の阪神の成績は、25勝19敗で貯金6、勝率は0.568。何時になく調子のよい首位広島に3ゲーム差の2位、3位巨人には1.5差をつけ、「今年こそは」と大いに盛り上がった。

が、パリーグとの戦いが始まると急ブレーキ。一か月後に交流戦が終わってみると、その成績は広島とともに9勝15敗で仲良く最下位。逆に巨人は16勝8敗で優勝を飾り、ペナントレースでも一気に首位に躍り出た。タイガースは6月末の中日戦にも連敗し、ついに借金生活に落ち込み、4位に転落した。
息を吹き返したのは7月に入ってから。冒頭の巨人戦に至る破竹の8連勝で2位に再浮上だ。

ペナントレースは144試合で争われるが、各チーム既に80試合を消化した。
毎年のこととは言え、プロ野球ファンにとって、これからが勝負に燃える暑い夏。(生ビールを片手にナイター観戦に力が入る!)虎キチにとっては今年もまたハラハラドキドキの本当に疲れる後半戦が予測される。

しかし勝っても負けても(勝つが良いに決まっているが)スタンドで盛りあがり、熱くゲームを楽しむのがタイガースファンだ。どんなに敗色濃厚でも7回には渾身のジェット風船を放ち、最後まで選手に声援を送り続ける阪神ファン。その姿はW杯ブラジル大会で1勝もできず予選敗退した侍ジャパンを、成田で出迎えた1000名を超えるサポーターと相通じるものがあるのではないだろうか。(試合結果に腹をたてて騒いだり、負けて帰国した選手団に罵声を浴びせアメ玉を投げつけたりする国もあるようだが…。)

そう言えば、我がタイガースファンも昔は贔屓の引き倒しをやりかねない熱狂的ファンが多くいたこともあったが、最近はめっきり減ったと思う。これからもマナーを守ってゲームを楽しんで欲しいものである。

近いうちに私も甲子園に足を運び、多くのタイガースファンと一緒に「六甲おろし」を歌いたい。今シーズン、あと何回「六甲おろし」が甲子園のスタンドに響き渡るのか…。
少なくとも秋祭りの頃のクライマックスシリーズまでは確実か?、願わくは10月末の日本シリーズまで戦い抜き、9年ぶりの優勝旗奪還を祝す歓喜の歌声が甲子園に響くことを。

第186回通常国会を振り返って

第186回通常国会は会期延長もなく6月22日に閉幕した。参議院選挙を控えていた昨年に続き2年連続の法定会期どおり、150日間の通常国会となった。

その参議院選挙で自民党が多数の議席を確保し、ねじれが解消した結果、今国会の審議はほとんど停滞することなく、順調に進んだ。法案説明資料の不備による参議院本会議の流会、環境大臣の不適切発言に対しての不信任決議案、問責決議案の提出など、終盤には若干いただけないこともあったが、電力システム改革の大きな一歩となる「電気事業法」をはじめ、政府提出法案の成立率は7年ぶりに9割台になった。何よりも、戦後3番目のスピード成立(3月28日)となった本年度予算が、ねじれ無き円滑審議を象徴している。

重要法案の一つと位置づけられ、与党案取りまとめ責任者としてかかわった「地方教育行政法」。戦後手を付けられることのなかった教育委員会制度を改革するこの法案は6月13日に成立し、責任を果たすことができた。あとは、関係者が新しい制度の趣旨を理解し、より良い教育行政実現に努力していただきたいと願っている。

政府提出法案の他にも「建築士法」「行政書士法」の改正、投票権を18歳以上とする「国民投票法」、特定機密を監視する常設機関を国会に置く「国会法」改正、山の日を定めた「祝日法」、「過労死に関する法律」等、議員立法も数多く成立した。
とりわけ、一級建築士として建設設計に携わった者として、建築士の義務と責務を明確化した建築士法の改正は、永年の懸案だっただけに感慨深いものがある。

通常国会は幕を閉じたが、解決すべき政治課題は山積している。
先週24日には骨太の方針も閣議決定し、27年度予算編成に向けた動きも本格化する。経済再興戦略では、新たな政策方針として「ローカル・アベノミクス」を掲げた。7月にも発足する地域再生本部では、この方針に基づき“第3の矢”で地方の力を高めるべく、各地域の自立的な経済活性化、人口減少対策を展開することになる。

EUの金融緩和に向けた動きなど、国際経済環境に対する留意も必要だ。一体化する世界経済に対応するためにも、TPP交渉をはじめとする経済連携交渉を加速しなくてはならない。集団安全保障をめぐる議論は、アメリカが世界の警察の役割を果たせなくなった今、日本の平和維持がもはや我が国一国では達成できないことをあらわしている。

国民の皆さんに様々な国政の動向と課題を説明し、意見を交換し、そして、国政にフィードバックするのが我々の役割。政治は結果責任、そのような時代に、日本を繁栄に導く責任が私たちにはある。それが「未来への責任」だと思う。これから夏本番を迎えるが、地域を歩き、現場の声、地方の声をしっかりと受け止めていきたい。

さて、播磨の地では、先週、先々週と首長選挙が連続して行われた。Politicsの語源は都市を治めること、我々政治家の究極の目的はより良い地域社会の創造にある。これからもふるさと播磨の発展に励みたいと改めて思う。

ネット選挙

私が本部長を務めている“自民党・政治制度改革実行本部”で、より開かれた政党を目指すための新たな取組として、総裁選挙へのインターネット投票導入を検討する小委員会を設置し、先週末から議論を始めた。

総裁選における党員票は従来、国会議員票の補完のような取り扱いだったが、本年度の党大会で制度を改正し、党員票と国会議員票のウェイトを等しく扱うこととした。
これに続くネット投票の導入検討は、地方の声を重視せよとの要請に応えるものであり、ひいては党員一人ひとりの参政意識を高め、党勢拡大につなげるものである。

中長期的には、我々の総選挙をはじめ、あらゆる選挙へのネット投票導入が実現すれば、外出が難しい高齢者や海外在住者でも簡単に投票ができるようになる。また、人海戦術に依存している開票作業も迅速化し、コスト削減にも繋がるだろう。
総裁選への導入はその第一歩だ。石破幹事長は、そういう意義を込めて委員会冒頭の挨拶で、「自民党は国民政党としてこの分野でも議論をリードする。ネット社会の最先端を走る党でなければならない」と語った。

今回の委員会は、まず基礎知識を学ぶために、ネット投票先進国であるエストニア共和国の大使館から山口巧作氏を講師に迎え、現状の説明を受けた。
エストニアは、人口134万人のヨーロッパ北東部の国家だ。その国が世界で唯一国政選挙までインターネットによる投票を実施しており、2005年から既に6回の実績がある。とは言っても、ネット投票は紙投票を補完する選択肢の一つとして行われており、最終的には紙による投票が優先されている。ネット投票利用率は四分の一を超える程度という。

公平・公正かつ安全・確実が求められる選挙制度。投票場所を選ばないネット投票では、なりすましや二重投票をはじめ、不正行為のリスクが拡大する。また、万が一システム障害が発生すれば、全国の投票が無効になる可能性もある。
エストニアでネット投票が可能となったのは、電子身分証明書(IDカード)の普及による。この国では15歳以上の国民はIDカードの取得が義務づけられており、行政手続きでも電子署名を認める法制度が整備されている。

我が国でも間もなく社会保障と税を管理するマイナンバー制度がスタートする。このカードの多面的利活用の一つとして、ネット投票システムへの活用も視野に入れるべきだろう。既に銀行のATMでは生体認証が普及している。この技術を各家庭のパソコンやタブレットと組み合わせれば、なりすまし等の課題を克服することはできる。
ネット投票の実現は、目の前まで来ている。

ただし、ネット投票をはじめとするIT技術の高度化は、選挙による代議員選出の必要性そのものを揺るがす可能性も秘めている。
現代国家では、国家の拡大、人口増大等々により、国民が1カ所に集まることができないがため、基本的に代議制(間接民主制)を採用してきた。しかし、電網社会は場所と時間を選ばないバーチャルの世界で、全国民参加による集会と意思決定を可能にする。太古ギリシアの都市国家が市民集会(直接民主制)で政を決定したように。

国民一人ひとりが参政する民主主義国家。それはある意味で理想国であるのかもしれないが、我々国民にも責任と義務を備える必要があるのだろう。

教育委員会改革

先週の20日、安倍内閣の重要政策の一つである教育委員会制度改革を具体化する“地方教育行政法改正案”が、衆院本会議で可決され参院に送付された。今国会での成立は、ほぼ間違いない。
昨年末の「教育委員会改革に関する小委員会」委員長就任以来の長い道のりを振り返ると、苦労して育ててきた子どもが巣立っていくような感慨を覚える。

六十数年前の戦前の教育は、他の行政分野と同じく中央省庁が全国画一の制度内容を定め、地方の府県知事や市町村長は単に事務を執行する役割であった。
これを地方主体の自治システムに転換しようとしたのが現在の教育委員会制度のはじまり。昭和21年3月にまとめられた米国教育使節団の報告書をベースに、GHQの勧告で設置された教育刷新委員会で現行制度の原型となる学制改革案が提言された。こうして昭和23年に定められた教育委員会法により、初等・中等教育においての地方分権と教育への民意の反映を目的に、公選委員による独立性の強い教育委員会制度(後に現在の任命制となる)が設けられた。アメリカ方式の住民主体の行政委員会制度だ。

制定から60年、数次の制度改正はなされたものの基本形は維持されてきた。しかし、2011年に発生した“大津市いじめ自殺事件”に際しての教育委員会の無責任な言動や場あたり的な対応を契機に、迅速性に欠ける合議制の意思決定、名誉職化した委員選考、事務局の閉鎖性といった委員会制度の根幹に係る問題点がクローズアップされ、戦後教育の総決算ともいえる教育委員会制度の抜本改革が喫緊の課題となった。

改革案作成を諮問された中央教育審議会は、昨年12月、教育行政の最終権限を自治体の首長に移管する案と、従来どおり教育委員会に残す案の両論を併記する形で文部科学大臣に答申した。通常、このようなケースでは審議会の答申がそのまま改正法案の原型となる。しかし、今回は、案を一本にまとめきれなかったということだ。それほどに戦後教育の総決算は難しい。

一本化の作業工程は、政治の手に委ねられることとなった。法案提出に至るには、まず答申を踏まえた自民党案を作り、それを土台に公明党と調整して与党案を策定しなくてはならない。しかし、自民党内でも様々な意見があり、政高党低(官邸主導)に対する感情的な反発も含め、一筋縄ではいかない状況であった。

そんな状況下で、自民党文部科学部会に設置されたのが、先に触れた「教育委員会改革に関する小委員会」。即座に下村大臣をはじめ文教関係議員幹部から委員長就任要請があった。「文科大臣経験者で、ニュートラルな立場でこの件の取りまとめに臨めるのは渡海さんしかいない」と、何度も繰り返し要請されたのだ。

1月9日にスタートした小委員会は、甲論乙駁の議論が白熱したが、週1回のペースで議論を重ねるとともに、コアメンバーによる論点整理や新提案も繰り返し、2月19日には部会での了承を取り付けた。翌20日には、公明党とのワーキングチームの座長に就任し、与党案作成に向けた会合がスタート。3月12日になんとか合意に至った。

政府による法案作成を経て、4月15日の衆院本会議に上程された地方教育行政改正案の委員会審議は、42時間55分という異例の長時間審議を経て、5月16日に採決、そして冒頭の衆院通過となった。

法案の主な内容は、
①首長が教育長と教育委員長を一体化した新たな「教育長」の任免権を有する。任期は3年。首長の教育行政への権限強化と責任体制の明確化を図った。
②原則公開の首長が主宰する「総合教育会議」を新設し、教育行政の大綱や条件整備について協議・調整する。特に生徒の生命または身体保護等の緊急事態対応を含む。
③教職員人事や教科書の採択等の執行権限は、教育委員会が保持し中立性を保つ。
というもの。基調をなすのは、「教育行政の責任の明確化」「学校の危機に迅速に対応できる体制」である。

原案どおり法案が成立すれば平成27年4月の施行となる。この制度改革は枠組みを作り直したに過ぎない。日々教育内容を見直し、現場で発生する種々の課題解決を図るのは、各地域の住民の方々と自治体の力だ。新たな枠組みのもと、地域の創意工夫で、理想の教育が形作られることを期待している。