東播磨の祭り、国恩祭

私の地元である東播磨地区では、五穀豊穣に感謝する秋まつりが非常に盛んで、地域コミュニティーの一大イベントとなっている。が、それ以外にも「国恩祭」というお祭りが春に行なわれる。このお祭りは、兵庫県の東播磨地域、加古(旧加古郡)と伊奈美(旧印南郡)において、3月末から5月初頭に行われる臨時の祭りである。

現在は22社(加古支部11社・伊奈美支部11社)の神社が参加し、それぞれの支部内で輪番で行なわれるので、11年に一度当番が回ってくることになる。

今年の輪番は、加古支部の尾上神社と伊奈美支部の生石神社(おおしこ・日本三奇の石乃寶殿がある)。17日の日曜、再興された尾上神社の国恩祭神事に来賓として出席した。コロナ禍で2年間秋祭りもなかったので本当に久しぶりの参拝である。

国恩祭の起源は天保4年(1833年)まで遡る。天保4年から10年まで続いた江戸時代の三大飢饉の一つと言われる“天保の大飢饉”は、全国各地で百姓一揆や打ちこわしが頻発し、大坂の大塩平八郎の乱の原因にもなった。

ふるさと東播磨も大飢饉により人心が荒廃し、それを憂いた地域の神職たちが集い、郷土の繁栄と安泰を願うための「祓講」という神社の組合組織を結成し、臨時大祭を行ったのが始まりと言われる。実に来年で190周年を迎える。

当初からの習わしではないだろうが、今ではこの国恩祭に照準をあわせて氏子から寄付を募り、神社の整備を行うことが恒例となっている。

古来より神社は地域社会の中核をなす施設、地域住民の心の拠り所でもあった。その神社を定期的に改修修繕するシステムとして国恩祭が機能していることは、まことに興味深い。似たような祭りは他にもあるかも知れないが、神社の施設改修制度はここだけではないだろうか。

ならば、「日本遺産」に手を挙げようと、話を出してみたこともあったが、関係者間の意見集約が整わないまま立ち切れになっていたのだが…。

尾上神社の神事後の式典挨拶で神社総代が日本遺産に言及し、来賓として出席していた他の神社総代に呼びかけていた。これを契機に今後関係者の意見調整が整い、地域住民の間で盛り上がりを見せれば、再度「日本遺産登録」に向け、再度汗をかいていきたい。

尾上神社では午後から”お稚児さん行列“も行われるとのことで、露天商が並び人出も結構あり賑わっていた。連休の5月4日には伊奈美支部の輪番である生石神社でも国恩祭が挙行される。

コロナの減衰とともに、地元のイベント案内の数も少し戻りつつある。一方、沖縄などでは感染拡大が再燃しつつあるようだ。ただ、世界の主要国がウイズコロナ政策に転換し、日常生活を取り戻しつつある今日、我が国のみが再度行動制限を強化する選択は取りにくい。日本民族の大移動が予想されるゴールデンウイークを目前に、政府には難しい舵取りが求められている。

いずれにしても、今年の秋祭りが3年ぶりに盛大に執り行われるよう、心から願っている。